運命の選択をせまられてしまった!(土曜日)
こんしまちゃん(本名・紺島みどり)は、十五年プラスアルファの人生を歩んできた。
そのなかで彼女は――なにを選び、なにを捨ててきたのだろう。
たとえばこんしまちゃんは今どきの高校生にしてはめずらしく、ララララ・ララララ・ラララインをやっていない。
保護者さんに制限されているとかじゃなくて……なんとなく、そういう道を選んでいるのだ。
思えば、大半の選択というのは……なんとなく実行されるものかもしれぬ。
なんとなく選び、なんとなく捨てる――
今回のこんしまちゃんとて、例外じゃないかも……?
※ ※ ※ ※ ※ ♢ ※
土曜日、こんしまちゃんは一人で映画館を訪れていた。
あずき色の内装を持つ、少々大きな映画館だ。
こんしまちゃんは、ちょっと変わったアニメ映画を見つけた。
その映画を、見ようと決めた。
なぜなら映画のポスターに、こんなことが書いてあったからだ。
「――目撃せよ。
1024通りの未来を。」(原文ママ)
※ ※ ※ ※ ※ ♢ ※
こんしまちゃんは席に座り、劇場のスクリーンにまだなにも映っていないことを確認する。
ついでスマートフォンを取り出し……ちょこちょこ、いじる。
この映画では、視聴者おのおのがスマートフォンを使用するのだ。
現在こんしまちゃんのスマートフォンの縦画面には、二人の人物が映し出されている。
ドルルイ・グラインヴェルト伯爵とアングレール・トロッキア王女だ。
グラインヴェルト伯爵は、銀髪でツリ目の美青年。
アングレール王女は、モフモフの金髪を持つ麗人。
そして、こんしまちゃんは映画が始まる前に――。
この二人のうちから、主人公を選ばなければならない……ッ!
そう、この映画は――。
視聴者の選択によって、内容がガラリと変わるのだ……!
まずは専用のアプリをスマートフォンにダウンロード。
そのアプリをひらいた状態で、各自は映画を視聴する流れとなる。
そして物語が特定の場面に差しかかったポイントで、アプリ画面に選択肢が提示される……っ!
たとえば主人公がY字路に来たタイミングで……「左」と「右」の選択肢が画面に映される。
ここで視聴者は、左と右のうち自分の好きなほうを選ぶ。
選択には時間制限がある。
所定の時間が過ぎたら、同じ劇場にいる視聴者全員ぶんの選択データが集計され……より多い数字を獲得したほうのルートが映画のシナリオとして採用される……ッ! (同数のときはランダム)
百人中四十九人が「左」を、五十一人が「右」を選んだ場合、主人公はY字路を「右」に進むことになる。
逆に五十一人が「左」で、四十九人が「右」だったなら、主人公は「左」を選ぶ。
視聴者の意思によって物語の展開が変わる、参加型のエンターテインメント。
これを「インタラクティブ映画」と呼ぶ。
たぶん未来では、視聴者の選択をリアルタイムで受けて生成AIが瞬時に物語を作り上げるような映像作品も出てくるだろう。
まさに新時代の映画……っ!
こんしまちゃんが目をつけたのも、うなずける……ッ!
今回の映画では……二択が合計十個、用意されているらしい。
その最初の分岐は映画の――「主人公」の選択ッ!
銀髪の美青年グラインヴェルト伯爵か、金髪の麗人アングレール王女か……?
大きなスクリーンに映像が浮かぶまでに決める必要がある。
――が、こんしまちゃん、いまだ選べず……っ!
無理もない。主人公は物語を方向づける最重要のファクター。
どちらを選ぶかによって今後の視点や展開は、まったく違うものとなるだろう。
この選択によって、物語を見るこんしまちゃんの運命さえもが変わる――そう表現しても誇張ではあるまい。
厄介なのは、これが原作のないオリジナル映画であるということ。
こんしまちゃんの予備知識はゼロ。
そもそも伯爵と王女がどんなキャラかも分からないし、世界観も見当がつかぬ……!
伯爵も王女も、どっちもビジュがいいし……どっちの話も気になる……。
「……!」
熟考したすえに。
こんしまちゃんが、アプリ画面を押す。
画面には、「投票を受け付けました」というメッセージが表示された。
もう取り消しは不可能だ。
ちょうどその直後、スクリーンに映像が浮かび上がる……!
※ ※ ※ ※ ※ ♢ ※
視聴者全員の多数決によって選ばれたのは、ドルルイ・グラインヴェルト伯爵。
――ではなく、アングレール・トロッキア王女であった。
よって映画の冒頭も、王女殿下のシーンから始まる。
モフモフの金髪を持つアングレール王女は、国民から慕われていた。
王女は、みずから軍を率い……初陣以来、敵国との戦に勝ち続けてきたのだ。
凱旋の際は、みんなに飛びきりの笑顔を見せる。
えらぶったりしない。下品に振る舞うこともない。
いずれ王になると目されている。
――ここで、こんしまちゃんのひざのスマートフォンが音なく震える……!
視線を落とすと、「アングレール王女に王になってほしいですか?」という文がアプリ画面に映った。
さらに、左に「はい」……右に「いいえ」と大きく表示される。
これは……主人公選択に続く、第二の分岐……っ!
画面下ではカウントダウンがおこなわれている。
ゼロになるまでに選ばなければ無効票になるようだ。
ともかく時間がない。
主人公のときとは異なり……こんしまちゃん、この質問には即座に回答……ッ!
目の前の大きなスクリーンに視線を戻す。
※ ※ ※ ※ ※ ♢ ※
宣戦布告もなしに、敵国が総力を挙げて攻めてきた。
騎馬による機動力を生かした速攻戦術を用い……すでに国境付近の重要拠点をいくつか制圧している。
奪われた領土を取り戻すべく……アングレール王女は出陣する。
連戦連勝を重ねてきた王女に、国民たちは希望を託した。
きっと、すぐに敵を追い出し……凱旋したときにまた飛びきりの笑顔を見せてくれるに違いないとみんなは信じた。
しかし王女は大敗した。
重要拠点の一つを奪還する戦いにおいて――。
王女の率いる五万の兵たちが、敵将の三万の兵にほとんど全滅させられたのだ。
敵兵たちは、その勢いに乗った。
首都に続く街道を進む。
その途中に、ドルルイ・グラインヴェルト伯爵の領地があった。
伯爵は、王国への忠義に厚い人物である。
グラインヴェルト家は、これまで何代にもわたり国をささえてきた。
独自の兵団を有しており、王からは自由な裁量で動くことを特別に許可されている。
しかしグラインヴェルト伯爵の兵団は――。
敵兵の通過を見のがした。
この考えられない事態により、たちまち敵軍は首都に侵攻した。
なにが起こっているのか分からないまま、王や国民たちは徹底抗戦の構えを見せる。
しかし――敵のかかげる「あるもの」を見た瞬間、戦意が一気にそがれてしまった。
モフモフの金髪を持つ麗人が、生きたまま鉄の柱にはりつけにされていたのだ。
彼女は……国民の慕うアングレール・トロッキア王女で間違いなかった。
王女の口は布で封じられていた。
敵国は、降伏すれば王女の安全は保証すると宣言した。
普通なら「そんな約束、守るわけがないから無視しよう!」という流れになるところだけど……。
これまでその敵国は、相手が約束を守った場合に必ず人質を解放してきた。
そのため王女を人質にとられた結果、だれもまともに戦えなくなった。
首都は……あっさり落ちた。
怒濤の展開にびっくりしながらも、こんしまちゃんは気づいた。「アングレール王女に王になってほしいですか?」というさっきの質問に対して「いいえ」を選んだ人のほうが多かったのだと……。
――そして、ここでまた選択のタイミングが訪れる。
アプリ画面に、「アングレール王女は本当に無事で済むと思いますか?」という質問が現れた……っ!
やはり「はい」か「いいえ」の二択である。
しかし、こんしまちゃんは困惑した。
もしここで「いいえ」が多数派になったら……王女の安全は保証されなくなり、殺されるのだと思われる。
でもそのあとは映画をどうやって続けるのか……?
とても気になる、こんしまちゃん。
でも主人公には死んでほしくないから、こんしまちゃんは結局「はい」を選択した。
※ ※ ※ ※ ※ ♢ ※
アングレール王女は首都近郊にて、はりつけにされていた柱から解放された。
そんな王女の前に、銀髪の美青年ドルルイ・グラインヴェルト伯爵が現れた。
彼の姿をみとめるなり、アングレール王女は怒声を上げた。
「伯爵! どうして敵を素通りさせたのです!」
「……あなたさまの、そのような品のない姿を見たかったからですよ。王女殿下」
グラインヴェルト伯爵は突き刺すような声で言葉を返した。
「殿下は、いつも澄ましていらっしゃった。それが気に入らなかったので……裏切らせていただきました」
「だったら――わたくしだけを加害すればよかったでしょうが!」
王女は伯爵に飛びかかろうとした。
それを、まわりの兵士たちに抑えられた。
さらにグラインヴェルト伯爵は薄く笑い、アングレール王女を首都の王宮に連れていった。
玉座のある一室に、王女は通された。
その玉座のそばには、縛られた王族たちが並べられていた。
なかには、王や王妃の姿もある。
アングレール王女は声を上げようとしたが、グラインヴェルト伯爵の手がその口をふさぐ。
ここで敵兵二人が、玉座を大きく持ち上げた。
続いて、王子の一人が……。
その浮いた玉座の下に押し込められた。
直後、玉座を持ち上げていた二人の兵が両手を振り下ろした。
王子が、玉座の底に押しつぶされた。
兵たちは、また玉座を持ち上げる。
これを皮切りにして……王族が一人ずつ玉座の下に押し込められたあと、すぐにその底でつぶされていく。
彼らを助けるために前に出ようとするアングレール王女を……グラインヴェルト伯爵が、がっちり押さえる。
「ご安堵なさい、殿下。『降伏すれば王女の安全は保証する』という約束に従い、兵たちがあなたさまを殺すことはありません。また、王族以外の国民たちに不要な危害を加えることもございません」
伯爵のツリ目が――グッと大きく、ゆがんだ。
それと同時に……王が玉座に押しつぶされた。
このタイミングで王女の一人称の視界が映し出され、それが真っ白になった。
どうやらアングレール王女はショックのあまり、意識を保てなくなったらしい。
こんしまちゃんは正直、このアニメ映画がここまでハードなものだとは思っていなかった。
グロ描写は抑えられているものの、展開があまりにも容赦なさすぎる。
それとも、これは選択のせいなのだろうか……?
今まで提示された三つの二択の選び方によっては……もっと、のほほんとした物語になっていたのかもしれない。
さらに……第四の分岐がこんしまちゃんたち視聴者のスマートフォンに映し出される……!
「あなたはグラインヴェルト伯爵を許せますか?」
……こんしまちゃんの回答は決まっていた。
※ ※ ※ ※ ※ ♢ ※
真っ白になっていたスクリーンが解除される。
ツリ目をした銀髪の美青年の顔が、画面いっぱいに映された。
次のシーンで……アングレール王女の一人称視点が、横からの三人称視点に切り替わる。
場所は、王宮の一室だった。
赤みを帯びた部屋のなかに、窓から陽光が斜めに入っている。
王女は背もたれのついたイスに座ったまま寝かされていた。ひとまとめに縄で縛られた左右の手首が、ひざに載っている。
その服は清潔だが……王族ではなく平民の着る地味な格好だ。
そして彼女の前でグラインヴェルト伯爵が中腰になり、目線の高さを合わせている。
「お目覚めでございますか、王女殿下」
伯爵がなにか言ったが、アングレール王女は答える気にならない。
「いえ、もはやあなたさまを殿下とお呼びする必要もありませんね。王族のかたがたの処刑は終わりました。この国全体を制圧する手はずも、すでに整っています」
イスの後ろに回り、伯爵が伏し目がちのアングレールにささやく。
「にらみ返す気力すら抜け落ちましたか。ですが、この国もこの国でしょう。重要な戦いをあなたさまに丸投げして、王もほかの王族たちも王宮でぼーっとしていただけ……。愚かしいことではありますが、こうやってあっけなく滅ぶ王国など歴史上めずらしいことでもございますまい」
ていねいな口調のなかに、グラインヴェルト伯爵は嘲笑の思いを込めている。
ここでアングレールが、声をしぼり出す。
「まだ、わたくしが生きています……っ!」
「もはやあなたさまは、なにもできませんよ――アングレール」
小さく笑い、伯爵がアングレールの前に立つ。
「確かにあなたさまは戦に勝ち続けてきた。だから今回負けたのは偶然で……どうにかしてここから逃げたあと兵を集めて再起を図れば政権を取り返せる――そう考えていらっしゃるのでしょう? 完全に心が壊れたフリをしながら」
両手を自分の背中に回した伯爵が、アングレールを冷たく見下す。
「まあ、それも可能だったでしょう――」
ツリ目の視線が刺してくる。
「――ご自身の不敗神話が、お膳立てされたものでなかったらね……」
「なにが言いたいのです、グラインヴェルト……!」
「アングレール王女殿下がこれまで連戦連勝を重ねてこられたのは、殿下自身の実力ゆえではなく……敵国に勝たせてもらっていたからですよ」
目を丸くするアングレールから目を離さず、伯爵が続ける。
「わたしは、ずっと前からこの国を裏切っていました。そこで、とある策をあなたさまの敵国に進言いたしました。それは――無能な人間をわざと勝たせ続け、軍のなかでもとくに重用されるポジションに誘導しようという策です」
「……え?」
「もちろん被害は最小限に抑えたうえで実行しました。戦術的には愚策の極みでございますが、戦略的には極めて有効です。現に……自分が祭り上げられただけとも知らずこれまで以上に重要な一戦にノコノコ出てきた『無能』が大敗を喫し、こうして国を乗っ取られる段階にまで至っているのですから」
「……な」
伯爵の言っている「無能」とは自分のことだと……アングレールは気づいた。
言葉を返せない彼女の前で、グラインヴェルト伯爵が両ひざを曲げる。
「ついでに明かしますと、あなたさまが負けた戦い……その敵軍を裏で指揮していたのはわたしです。そしてわたしは相手国に協力する見返りとして、アングレール王女を要求していました。ゆえに今のあなたさまは、このドルルイ・グラインヴェルトのものでございます。では手始めに――」
伯爵の両手が、アングレールの顔をはさみこむように伸びる。
「――あなたさまの髪を、モフらせてくださいませ」
ここでスマートフォンの画面に二択が提示される……ッ!
選択肢は「モフらせる」「モフらせぬ」の二つ。
制限時間は五秒。
こんしまちゃんは慌てて「モフらせぬ」を押そうとする。
でも時間がなかったため焦ってしまった……!
うっかり「モフらせる」をタッチしちゃった、こんしまちゃん。
(しまった!)
声に出しそうになったけど、両手で口を押さえて漏れを防ぐ……ッ!
※ ※ ※ ※ ※ ♢ ※
「……あなたは気持ち悪さの生まれ変わりだったのですね」
次の瞬間、細くてきれいなグラインヴェルト伯爵の両手がアングレールの縛られた手によってたたき落とされた。
モフモフの金髪をなめまわすように見て、伯爵は顔を赤らめた。
おこっているのではなく、興奮しているようだ……。
「そうですよ、気持ち悪いのですよ。わたしが裏切ったのは、あなたさまをモフるためでもあるのですから」
「冗談もいい加減に……っ!」
「いえ、大まじめです。アングレール、覚えていらっしゃいますか? あなたさまがわたしを拾った昼下がりのことを」
「忘れました」
「では、おさらいしましょう」
伯爵は両手をひっこめ、すっくと立つ。
「当時、幼かったわたしは国境付近の山で『一人山賊』をやっていました。山道に現れた者に短剣を見せて『食べ物をよこせ』と言うのです。結果、みんながわたしに食べ物をくれました。恐れをなしたからではなく、子どもに同情したからです。しかしドルルイくんは自分が強いとかんちがいしたまま、一人山賊を続けました」
アングレールの座るイスのまわりを、右回りで歩く……。
「そして運命の昼下がり……ドルルイくんは山道で、護衛のついていない立派な馬車を見つけました。その前に出て、いつものように食べ物を要求しました。御者は馬をとめました。するとドルルイくんよりも幼い女の子が馬車から出てきました。しかし身なりは、とても豪奢でした。女の子はモフモフの金髪を持っていました。そして短剣を握るドルルイくんの両手にそっと自身の両手をかぶせ、飛びきりの笑顔と共に次のようにおっしゃったのです。『わたくしは、あなたを愛しています』と……」
続いてきびすを返し、グラインヴェルト伯爵は動きを左回りに切り替える。
「あとから出てきた従者と一緒に、あなたさまはわたしを馬車に乗せてくださいました。さらに衣食住を保障していただいたおかげで、わたしは存分に勉強することができました。もとの身分を隠したうえで軍に入り、出世し……ついにはグラインヴェルト家の養子にもなれました。すでに亡くなった養父にも感謝しています」
「まさかあなたは先代を……」
「いえ、手にかけていません。養父は本当に病死しています。早い段階でわたしが家督を継げたのは偶然でございます。それにしても」
伯爵がアングレールの真後ろでとまり、両手を背もたれのへりに下ろす。
「わたしの幸福は、すべてアングレール王女殿下のおかげでした。昼下がりに見たモフモフの金髪と飛びきりの笑顔――それがわたしの心に巣くいました。一国を滅ぼしてでも手に入れたいと思うくらいに……わたしはあなたさまに執着してしまったのです。ここまでのわたしの気持ちをお聞きになっても、モフらせてくださらないのですか?」
「……無理やりモフればどうなのです」
「わたしに、そんな趣味はございません」
このあとは、互いに無言の時間が続く。
窓からの陽光が薄らいでいく……。
室内が次第に暗くなり、グラインヴェルト伯爵の銀髪が妖艶な影を増していく。
それから伯爵はアングレールに大きな頭巾をかぶせた。
やはり清潔だけど、地味なものだ。
「さてアングレール。ゆっくり……わたしに、ついてきてくださいな」
モフモフの金髪ごと顔のほとんどを隠されたアングレールは、伯爵に指示されるがまま部屋をあとにした。
廊下で何人かの将兵たちとすれ違ったが……伯爵をとがめる者はいなかった。
もちろん将兵は全員、敵か裏切り者かのどちらかなので……ここでアングレールが大声を上げるなどしても無意味である。
いったん伯爵は王宮を出たあと、離れたところにある小屋のなかに入った。
内部は一見、ただの物置。
しかしアングレールは知っている。
ここには、王宮から脱出するための地下通路が隠されているのだ。
伯爵が棚の一つを動かしながら笑う。
「わたしは王から……あなたさまの父上から通路のことは、うかがっていました。だから王宮から一人も王族を逃がさずに済んだのです」
棚をいくつも動かしたあと、ようやく部屋の奥から地下への通路に続く穴が現れる。
ついでグラインヴェルト伯爵は短剣を取り出し、アングレールの両手を縛っていた縄を切った。
「では、お逃げになるといい」
……なんで逃がす流れになるの? とこんしまちゃんは首をひねった。
伯爵はアングレールに執着しているはずなのに……っ!
実は味方パターンなのか? いや、そんな感じもしない。
伯爵は心の底からアングレールの国を裏切っているとこんしまちゃんは思う。
ここで六回目の二択の時間に突入……ッ!
スマートフォンの画面の右に「言うとおりにして逃げる」……左に「反抗して伯爵につかみかかる」と表示される。
でも現在のアングレールは武器を持っていない。
短剣持ちの伯爵と戦っても勝てるとは思えぬ……。
※ ※ ※ ※ ※ ♢ ※
困惑するアングレールにグラインヴェルト伯爵は――。
路銀の入った袋と、各地の検問を無条件でパスできる通行許可証を渡した。
「モフらせてくださらないのなら、もはや用などありません」
抜き身の短剣を片手でゆらす。
「あなたさまは、わたしのもの……よって捨てるのも、わたしの自由。どこへなりとも行きなさい。なんでしたら政権奪還をくわだてて兵を集めてくれても構いませんよ。そうしてわたしたちにケンカをお売りなさい。であればこちらは、大量の人命を使って買いたたいて差し上げます」
伯爵はアングレールに背を向け、短剣をしまう。小屋から出ていこうとする。
相手の真意が読み取れないアングレールが、伯爵を呼びとめた……。
「待ってください――」
「――黙ってください」
振り向くことなく伯爵が、こごえるような声を放つ。
「これ以上の馴れ合いは愚かを通り越しますよ。そもそも王族全員を玉座でつぶそうと進言したのも、わたしなのです。わたしとずっと話していると、あなたさまのお耳が腐り落ちるだけでございます」
堂々と言い残し、伯爵は扉を閉めて小屋のなかから姿を消した。
アングレールは、自分の隣の穴を見下ろす。
そこをおりれば、地下通路を抜けて王宮の外に脱出できる。
(ワナかもしれませんが……ほかに選択肢はありませんね)
備えつけられていたハシゴに足をかけ、アングレールは地下にもぐる。
地下通路は一本道なので、あかりがなくてもなんとか進める……なるだけ物音を立てずに走る。
暗めのスクリーンから届く音も息づかいも、ことごとく半殺しにされた状態……ッ!
じきに画面のスクロールがとまる。
手さぐりしたあと、アングレールはハシゴをのぼり――地上に出た。
優しい月明かりが端正な横顔にふりかかる。
そこは王宮から離れた場所にある、馬小屋だった。人家は近くにない。
ワラをどけて、ボロボロのゆかでひと息つく。
半壊した屋根が、澄んだ夜空をのぞかせる。
馬小屋といっても、馬の姿は見当たらない。
(暗いうちに、遠いところに行かなければ……)
王族たちが玉座につぶされる光景が何度も頭にフラッシュバックして嘔吐しそうになったが、かろうじてアングレールは取り乱さずに足を前に出し続けた。
靴も平民用のものに替えられていた。とても歩きやすかった。
ワナなど、どこにもなかった。
首都から離れ――とある町で休憩していたとき、こんな会話を聞いた。
「聞いたか、アングレールさまが逃げたってよ」
「反乱でも起こすつもりなのかねえ……でも敵国さんも刃向かわなけりゃあ俺たちを丁重にあつかってくれるし、町を破壊したりもしないし、反抗する必要あるのかって感じだわ」
「まあ確かに。現状、パンも仕事も酒も保障されてるしな。おまけに裏切り者の伯爵が平民の税も緩和してくれるってウワサだ」
「……こう言っちゃなんだが、征服されてよかったんじゃないの、この国。いや、もちろん俺だって王族の処刑はやりすぎだと思うし、アングレールさまのことは慕っているよ。でも当のアングレールさまが余計なことをなさったら、もっと大勢の人が死んで今度こそ国はメチャクチャになるだろうさ。それが怖くってしょうがねえよ」
(わたくしは……望まれていないのですか)
大きな頭巾でモフモフの金髪を隠しつつ、アングレールは震えていた。
加えて、別のウワサも耳にする。
首都を掌握した敵国は――ほかの未制圧の領地に対して次々と降伏を勧告し、戦わずに勝利を収め続けているらしい。
敵国の将兵は一般人およびその財産にけっして危害を加えなかった。
領主たちに不当な要求をすることもない。
こうなってしまえば国民が徹底抗戦をする意味もない。
王族も処刑されてしまい、生き残ったアングレールの安否も不明。もはや義理立てという動機さえ奪われていたのだ。
王族への忠義のためか何人かの領主は自決したものの、流れた血はそんなに多くなかった。
さらに日を重ね――アングレールは、敵国に抵抗しようとしているレジスタンスの存在を知る。
王族の血を引くアングレールが合流すれば、確実にレジスタンス運動は活性化するだろう……。
そのナレーションが挿入された刹那。
こんしまちゃんは予想した。たぶんここで二択が来ると……!
案の定、スマートフォンの画面が第七の分岐を用意する。
問いは「レジスタンスに入りますか」というもの。
簡単に、「はい」か「いいえ」のどちらかで回答すればいい。
でもいたずらに反乱を起こせば、みんなの迷惑になるかもしれぬ……。
というわけで、複雑な気持ちで「いいえ」を選んだこんしまちゃんであった。
※ ※ ※ ※ ※ ♢ ※
アングレールが逃亡生活を続けて、だいたい百五十日後――。
ついに祖国の全領地が敵国に降伏した。
これで完全にアングレールのいた国は滅んだことになる。
最後のレジスタンスも、それから三十日もかからず壊滅した。
ウワサのとおり平民の税は緩和され……しかも新政権が街道や運河を作りなおすという公共事業を発表して大量の雇用を生んだため、以前よりもみんなが活気づいている。
すべては、首都の元王宮に居座ったグラインヴェルト伯爵の指揮によっておこなわれたことらしい……。
もとから所有していた兵団も、存分に使っているそうだ。
すでに伯爵も、すっかり敵国の走狗である。
だが征服者が被征服者を蹂躙するという恐ろしい光景は、そこにない。
むしろ新しい風を吹き込んだとして、現政権の相手国を解放者と見なす人も多い。
(……いえ。もはや敵国や相手国と呼ぶのは不適当かもしれませんね。……今からは、国を征服した国が祖国になっていくのでしょうか)
落ちぶれたアングレールは失意のうちに、すでに自分にできることはないと気づいた。
路銀を使いはたして、水車小屋を買った。
小麦の製粉で生計を立てることにしたのだ。
ふるいにかけた白い小麦粉に影が当たると、なぜか銀色に見えた。
グラインヴェルト伯爵の銀髪が、脳裏によみがえる。
一日の仕事が終わったあと、アングレールがモフモフの金髪をさわる。
――モフらせてくださいませ。
伯爵の声を思い出すだけで、身が震える。
(いっそのこと、わたくしの髪も切り落とそうかしら)
で、音なく振動する、ひざの上のスマートフォン……ッ!
こんしまちゃんは一瞬だけ現実に戻り、画面を見下ろす。
モフモフを捨てるかという質問に対し、「もうモフモフとは決別する」と「やだ、モフモフとは別れたくない」という選択肢が示される。
なんとなく、こんしまちゃんは自分のウェーブのかかったくせ毛にふれた……!
そして答えを得て、画面をタッチ。
※ ※ ※ ※ ※ ♢ ※
少し迷ったアングレールだったけれど――。
結局、モフモフの金髪を切り捨てることはできなかった。
(たとえこの髪があなたのことを思い出させる呪物だとしても、これを失ったときわたくしは完全にアングレール・トロッキアでなくなるような気がするのです……っ!)
製粉済みの小麦の袋を見つめ、アングレールは強く思う。
それからしばらくのあいだ、自分の髪を頭巾でおおいながらアングレールは製粉業を続けた。
収入が安定してから、馬を飼った。
伯爵から渡された通行許可証のおかげで、遠くの地にいる商人との取引もスムーズにおこなえた。
が、ある日――こんな生活も悪くないかもしれないと思い始めたアングレールの耳に、信じられないニュースが飛び込んできた。
グラインヴェルト伯爵がクーデターを起こし、現国王とその王族をことごとく殺したそうだ……!
その国王は、アングレールの国と争っていた敵国の王である。
やはり玉座の下敷きにするという処刑方法がとられたらしい。
ただし国民たちに、まったく被害は出ていない……。
ここでスクリーンにグラインヴェルトが映し出される。
相変わらず、ツリ目で銀髪の美青年である。
伯爵は王制の廃止を宣言し、みずからを国家元首とした。
「血による統治は、もう終わりである。これからは真に能力のある者が国の代表となるべきだ!」
すでに伯爵という肩書きを捨てたドルルイ・グラインヴェルトが演説台に立ち、民衆に向かってさけぶ。
「手始めにわたしは、就任早々無責任なことをする。十日後、現首都にある闘技場で、わたしは希望者たちと一対一で戦う。そこでわたしを殺せた者に元首の座を譲る! 国民であればだれでも即日参加可能なので、ぜひ奮って参加するといい!」
――などと意味のわからないことを言い残して、グラインヴェルトは民衆の前から消えた。
そしてスクリーンに、再びアングレールが現れる。
時間帯は昼。
……水車小屋の前で、両腕を天に伸ばすアングレール。
ある意味のどかなシーンだ。
この隙に、各自の画面に九番目の質問が表示される。
心のなかで、こんしまちゃんが読み上げる。
(……「グラインヴェルトと戦うために闘技場に行きますか?」……選択肢は「行く」「行かない」の二つ……)
画面下のカウントダウンは六十秒から始まっており、今までで一番余裕がある。
でも、こんしまちゃんは大きなスクリーンのほうに集中するために、即座に選んだ。
投票を受け付けましたというメッセージから目を離す。
それにしても、今回のインタラクティブ映画で提示される二択は合計十個だから……。
あと選ぶべき分岐は一つだけであり――かつ、物語の終わりも近づきつつあるようだ。
※ ※ ※ ※ ※ ♢ ※
水車小屋の戸締まりをしたあと、現首都のほうに足を向ける。
(なんのつもりですか……グラインヴェルト。あなたの考えていることは読めませんが、いいでしょう。わたくしも乗ってあげます)
今のアングレールの服装は、多少立派になっている。
ただし例の大きな頭巾だけは、かぶったままだ。
(お互いに愚かなことですね)
馬に乗って街道を走り、指定された闘技場を目指す。
――その日は、すぐに来た。
自分を殺せた者に元首の座を譲るというあまりにも愚かなイベントに、多くの観客が詰めかけた。
しかしグラインヴェルトと戦おうとする参加者は、三十人にも満たなかった。
円形の闘技場の真ん中に立ち、グラインヴェルトが大声を上げる。
「さあ、本日のみ許された特大のチャンスである! だれか一人でも、このドルルイ・グラインヴェルトを絶命させてみせろ。武具の使用に制限は設けない。もちろん、ここでの殺しは合法だ!」
ふざけているのか、グラインヴェルトは防具もまとわず短剣一本のみを構えて闘技場に立っている。
参加者たちは一人ずつ、それぞれの武器を持ってグラインヴェルトに立ち向かう。
だがグラインヴェルトは個としての武力も圧倒的に有するようで――次から次へと死体を積み上げていく。
とはいえ降参を宣言した者には情けをかけ、生かしたまま闘技場から帰すのだった……。
そして参加者の最後の一人……アングレール・トロッキアの番が回ってきた。
匿名での参加である。
頭巾をかぶったままアングレールはドルルイ・グラインヴェルトと対峙する。
武器は相手と同じく、短剣一本。防具はない。
グラインヴェルトは覚えていた。――その頭巾は、自分が渡したものである。
だからその正体もすぐに見抜いた。
互いに短い得物で相手の急所を刺そうとする。
アングレールもグラインヴェルトも、相手の剣を自分の剣で受けとめたりしない。
とにかく身をひねり、刃をかわす。
かわしたときに発生する体の流れを利用して反撃を加える。
剣戟であるにもかかわらず、剣のふれ合う音がいっさい響かない。
呼吸音と靴音と衣ずれの音と汗のはじける音と空気を切る音と観客の歓声ばかりが、あたりをつつむ。
息を切らしつつ、グラインヴェルトが軽く笑う。
「あなたさまが、ここまで戦えるとは存じ上げませんでしたよ!」
「ただの軟弱な小娘であれば……っ」
アングレールは短剣をあやつりながら会話に応じる。
わざとしゃべらせてこちらの体力を奪おうという腹は見えているが、そんなことでアングレールは動揺しない。
(逆にゆさぶりをかけてあげます!)
「……ただの小娘であれば、わたくしは連戦連勝の将として祭り上げられてすらいなかったでしょう!」
ついで、みずから頭巾を捨てる。
地面にそれが落ちると共に、観客がさらに沸いた。
「あのモフモフの金髪――アングレール王女じゃないか!」
「アングレールさま、生きてらしたんですね!」
「まさか、あの麗人が……ウワサの」
「こいつは、とんだ挑戦者だぜ!」
「グラインヴェルトさまよぉ! フラれた相手ともう一度会う気分ってのは、どうだい!」
いただけない発言も聞こえるけれど、むしろグラインヴェルトは楽しそうに反応する。
「確かに運命の妙を感じますね、王女殿下!」
「今は、ただのアングレールですよ伯爵!」
「……いまだにわたしをそうお呼びになるのは、あなたさまだけでございますよ」
ここでグラインヴェルトの戦い方に変化が生じる。
一本の短剣を右手と左手であやつり始めたのだ。
たとえば右手に持った短剣がよけられたら、すかさず短剣を左手に投げて持ち替えたほうで攻撃する。
また柄を自在に回し、順手と逆手を入れ替えつつアングレールを翻弄していく。
「一人山賊をやっていたときに、ひそかに練習していた技です」
「なめないでください!」
対するアングレールは短剣を持っていないほうの手と両足を動かし――。
グラインヴェルトをなぐる。蹴る。
「製粉業は、けっこう鍛えられるんですよ! こっちは毎日、水車と格闘してきた身!」
「……大変、いい」
ツリ目を含めたグラインヴェルトの表情すべてが縦横無尽に波打った。
「アングレール、やはりわたしは一度離れても、あなたさまに執着している模様! ゆえに本気でぶつかり合うのでございます!」
二人の攻防は、終わる気配を見せない。
そのうち日が沈み、闘技場に火がともされる。
月は夜空に出ていなかった。
ちりばめられたほかの星たちが、天上から人々を見守っていた……。
一瞬も休まずに、グラインヴェルトとアングレールが戦い続ける。
だが徐々に、体の動きがにぶくなっていく。
そして、ついにグラインヴェルトがアングレールの短剣をはじき落とす……!
このとき初めて二人のあいだに剣のぶつかり合う音がこだました。
柄を両手で持ち、相手の胸に突き刺そうとするグラインヴェルト。
アングレールは右によけ、斜め前から彼の両手に自分の両手をかぶせた。
息を吹きかけるように、そっと言う。
「わたくしは、あなたを憎んでいます」
「小憎らしいかたですね」
グラインヴェルトのツリ目が、少しだけ垂れる。
「そうであるなら、最初からそうおっしゃればよかったのに」
モフモフの金髪を持つ女の子と初めて会った昼下がりのことを思い出す。
しかしグラインヴェルトはその記憶ごと、彼女の両手を振り払った。
さらに瞬時の動揺を突き、アングレールがグラインヴェルトの短剣をたたき落とす……。
これで両者は空手となった。
すかさず徒手空拳のなぐり合いが始まる――。
――と思われた刹那、闘技場にひかえていた兵たちによって二人の戦いはとめられた。
兵を率いる将によると……さきほど日付が変わったとのこと。
「盛り上がっているところ、すみませんな。しかし自分を殺した者を元首にするという愚かなイベントが許されるのは、せいぜい一日だけです」
グラインヴェルト自身が今回のイベントについて「本日のみ許された特大のチャンス」と言っていたわけなので、反論もできない。
消化不良に終わったことで、観客席からは不満のざわめきが聞こえる。
でも二人とも死ななくてよかったという声も、ちらほら落ちてきた。
兵たちから解放されたところで……グラインヴェルトが地面の頭巾と短剣を拾い、アングレールに手渡した。
その際、彼女にしか届かない声量を出す。
「三日後の正午、あなたさまの水車小屋を訪ねてもよろしいですか」
彼が彼女の今の住まいを知っているのは変ではない。
国家元首にまでのぼりつめたグラインヴェルトの情報網を使えば、簡単に分かることだろう。
「了承してくださるなら、うなずいてください」
――このタイミングで、こんしまちゃんに最後の選択肢が示された。
※ ※ ※ ※ ※ ♢ ※
アングレールの小屋のそばには、やや流れの速い川がある。
そのほとりに立ち、彼女は水車の回転を見ていた。
太陽が高くなってから――。
銀髪でツリ目の美青年が、川岸に沿って彼女のほうに歩いてきた。
彼は右隣でとまり、彼女の頭巾をそっと外した。
モフモフの金髪をあらわにした麗人が、水車を凝視しながらつぶやく。
「……見られたら醜聞ですよ」
「ご安心を」
銀髪の青年も水車のほうに目をやる。
「信頼できる兵に周辺を固めさせたので、目撃者はおりません」
「それは政治上必要なことなのですか」
「無論でございます。王族の血を引くあなたさまに危険なところがないと明らかにしておかなければ、国民のみなさまも安心して眠れないでしょう?」
「では、どうして今までわたくしに接触しなかったのです。気持ちの悪いあなたらしく……こちらの動向は、ずっと監視していたはずですよね」
「いろいろそれらしいことを言って一度捨てた手前……ちょっと会いにくかったのですよ」
青年――ドルルイ・グラインヴェルトは水車から金髪に視線を移す。
「だから先日、あのような愚かなイベントまでひらいて『きっかけ』を作ったのです」
「……自分勝手の権化ですね」
アングレールは髪の上から両耳を押さえた。
「本当に、あなたと話していると全身が腐り落ちそうです」
「そんなあなたさまに提案がございます」
グラインヴェルトがアングレールの目をじっと見る。
「ここでわたしを殺して王になりませんか」
「やるわけないでしょうが」
アングレールが、横目でグラインヴェルトをにらむ。
「伯爵。あなたのことは殺してやりたいほど憎いですが、あなたの手腕によってみんなの生活が豊かになったのも事実です。今さらわたくしが権力を得ようとしても、それは簒奪にすぎません。闘技場に顔を見せたのも、グラインヴェルトを殺すためではなく――調子に乗っているあなたが気に食わなかったからです」
「おや……これは弱りました。アングレール・トロッキアを王にするという計画が崩れましたね」
「……なんと言いました」
「最初からわたしは、あなたさまを王にするために動いていたのでございます」
目をぱちくりさせるアングレールに、グラインヴェルトの言葉が続く。
「そのために国を裏切って、あなたさまに憎まれるように立ち回り……しっかりとした国を整えたうえで……最高権力者の地位をお譲りしようと考えていました」
「では闘技場でわざと負ければよかったのでは」
「あのときは、あまりにも楽しくて――うっかり忘れていました」
グラインヴェルトのツリ目は真剣そのものである。
「そしてあなたさまにショックを与えたくなかったので伏せていましたが、計画が頓挫したからには明かします。あなたさまは……アングレール・トロッキア王女殿下は……同じ血を持つ王族から、いのちをねらわれていました」
「どこに根拠があるのです」
「あなたさまとわたしが出会った昼下がりの山道のことを思い出していただきたい。――王族の娘が護衛もつけずに馬車を走らせていました。しかも短剣を持つ子どものそばにあなたさまが近づくのを……御者も従者もとめなかったわけです。稚拙なやり口ではありますが……ここまでお膳立てしては、まるで好きに襲って娘を殺していいよと言っているようなものではございませんか。何者かが自分の手をよごさずに暗殺をおこなうため、山賊を利用しようとしていたのは明らかです。なにより……あなたさまへのこの不敬を、王自身が許していたわけです。でなければ、こんな危険な状況は最初から発生しません。あとで調べたところ、あなたさまの本当の母は――」
音声がぼやける。(おそらく視聴者の年齢層を考慮してカットしたのだと思われる)
彼の言葉を聞いて、アングレールのくちびるが震えた……。
「――まあ、あなたさまも信じたくありませんよね。だから都合よく当時を忘れていたのでしょう? ともあれ、わたしはモフモフの金髪と飛びきりの笑顔にふれた結果、あなたさまを守ろうと決めました。そしてアングレールさまにこそ、王になってほしかった。戦いで連戦連勝させたのも、アングレール王女殿下の地位を向上させるため。そして王族たちは、いつかあなたさまが戦死することを夢見ていた。だから、ずっと危険な戦場に送り続けていたのです」
いったんグラインヴェルトが、アングレールではなく川のほうに視線をそそぐ。
「わたしは彼らが憎かった。ゆえに王族たちを玉座でつぶすよう進言した。なかにはアングレールさまを嫌っていないかたもいましたが、のちにあなたさまに権力の座を渡すことを考えれば殺しておいたほうがいいわけです。同じ理屈で、もう一つの王族のほうも全滅させました。……ここまでのわたしの思いを聞かされても、あなたさまはわたしをお殺しにならないのですか」
「くどいですね。あなたの言うことをそのまま信じるわけがないでしょう」
アングレールがあごを引く。
「グラインヴェルト。仮にあなたの言ったことの大半が真実だとしても……わたしに憎まれるように立ち回っていたというのだけはウソですよね? 王族を処刑したり、わたしが落ちぶれるのを見たりして、実際は心の底からうれしがっていたでしょう? そうやって未練がましくクドクド説明するのもわたしのためではなく――自分の欲望が満たされなかったことに対しての腹いせですね」
「さすが、アングレールさまでございます」
左の彼女のほうを向き……グラインヴェルトは、ひざまずいた。
「わたしの本質をご理解くださるのは――あなたさまをおいて、ほかにいらっしゃいません」
「とすれば、まだあなたはわたしをモフりたいと思っているのですか」
アングレールは体を右に向け、グラインヴェルトと向かい合った。
「では、少しだけ許します」
川のほとりに両ひざをつき、目線の高さを合わせる。
グラインヴェルトは困惑気味に聞く。
「どういう心境の変化でございますか」
「……どのみち近いうちに、ドルルイ・グラインヴェルトは殺されるでしょう。一般のかたがたに手を出さなかったとはいえ、あなたは王族を殺しすぎました。そんな人間の末路など目に見えています。だからせめて、その前に少しでも……いい思いをしてもらおうかと」
「つまり、わたしをあわれんでくださるのですね」
「全然そんな気はありません。ここで、いい思いをしていたほうが……あなたがこの世を去る際に、相対的にもっとつらくなるでしょう?」
「なるほど。ところでモフっていいのは、髪だけですよね」
「当たり前でしょうが。それ以上ふざけると製粉しますよ」
「すみませんでした」
グラインヴェルトの両手が、はさみこむようにモフモフの金髪に向かって伸びる。
やはり、細くてきれいな指だ……。
しかし彼の手は、アングレールの髪の左右をギリギリかすっただけだった。
それだけで、手をひっこめる。
「ありがとうございました。モフモフを堪能いたしました」
「ちょっと待ってください」
立ち上がろうとするグラインヴェルトの銀髪を、アングレールが両手で押さえた。
「いくらなんでも、満足できないのでは?」
「そのようなことは……。あなたさまは、それほどの存在なのですよ。これ以上の摂取はわたしが死んでしまいます」
「なんかシャクですね。腹が立つので、わたくしがあなたの銀髪をモフってあげます」
「モフれるような髪質ではありませんが」
グラインヴェルトが上体をかたむけ、銀色を差し出す。
「……あなたさまが望むのであれば」
太陽に輝く銀髪をそっとアングレールがくしけずる。
つやめく銀と銀のすきまに、彼女の指がすべり込む。
髪質は細く固く、チクチクする。
確かにモフモフしていないが……少し痛いのが、なぜか心地よかった。
「一方的なのも気持ちが悪いです。やっぱり、もっとあなたもモフりなさい」
「そこまでおっしゃるのでしたら、わたしもことわりきれません」
再び彼の手が彼女の金髪に向かう。
今度は指がモフモフのなかに沈む。
こうして――。
二人は互いに向き合ったまま、川のほとりでモフり合った。
長時間ではない。
ほんの一分程度の出来事だ。
そのあと、こんな会話があった。
「アングレールさま。出会ったころのように『愛している』ともおっしゃってくださいませんか」
「調子に乗るのも度が過ぎますよ」
本当に嫌そうに言葉を返す。
「それは、幼いわたくしが自分に酔うために口にした言葉にすぎないと思います」
「……そうでしたか」
ついでグラインヴェルトが、川と水車小屋を順に見る。
「あなたさまとわたしとの関係性は、いったいどう呼ばれるものなのでしょうね……。かたや、連戦連勝で名を馳せた落ちぶれ王女。かたや、分不相応の地位を手に入れた元伯爵。恋仲でも宿敵でも友達でも他人でも同僚でも主従でもありません」
「わたくしのほうが聞きたいですよ」
グラインヴェルトに取られていた頭巾を返してもらったあと、アングレールが微笑する。
「ただ、そんなに特別な関係でもないのだと思います」
ここで、主題歌と共にエンドロールが流れる。
そのなかで、スクリーンにいくつか一枚絵が表示された。
玉座に腰かけたアングレールの絵や、互いに平民の服でグラインヴェルトと幸せそうに暮らしている絵などがあった……。
1024通り存在するという、ほかの結末を示しているのだろう。
※ ※ ※ ※ ※ ♢ ※
まあ、ともかく……。
こんしまちゃん史上初のインタラクティブ映画は、これで終わった……!
シアタールームをあとにして、映画館の廊下に出る。
このとき、意外な人物と鉢合わせた……ッ!
あごがシュッとしている、少しツリ目の男の子がこんしまちゃんと同じシアタールームから姿を現したのだ……っ!
彼は、こんしまちゃんのクラスメイト。
その名も――。
「鵜狩くん……こんにちは」
「こんにちは、こんしまちゃん」
ラフな私服の鵜狩くんが、優しくあいさつを返す……!
「もしかしてこんしまちゃんも、今の映画を?」
「うん……それで鵜狩くん……よかったら語り合わない……?」
「いいよ」
この映画館には、「ネタバレ上等室」というありがたい部屋がある。
学校の教室くらいの大きさだ。
そのなかでなら、いくらネタバレしてもいいという恐ろしい空間なのだ……ッ!
二人はネタバレ上等室に入り、室内のイスに座った。
なお、二人のあいだにテーブルなどの障害物はない。
先にこんしまちゃんが、少しだけ身を乗り出す……ッ!
「わたし……十個ある二択それぞれについて鵜狩くんがなにを選んだのかが気になる……っ」
あくまで穏やかで落ち着いた口調……。
でも、ちょっと早口だ。
鵜狩くんは両腕を背中のほうで組み、うなずく。
「逆から思い出してみよう」
「確か十番目の二択では……グラインヴェルトさんがアングレールさんの水車小屋を訪ねていいか聞いたんだよね……それに対してアングレールさんがうなずくかどうかが選択肢になった……わたしは、『うなずく』を選んだよ……鵜狩くんは……?」
「俺は『無視する』を選んだ」
「そうなんだ……グラインヴェルトさん、ちょっと怖いもんね……」
「次は九番目の質問だな。『グラインヴェルトと戦うために闘技場に行きますか?』だっけ。これについては『行く』にしたけど」
「それ……わたしも同じ……っ」
同じものを選んでいたら、鵜狩くんと同じ気持ちになれていたということだから、うれしい。
違うものを選んでいたら、鵜狩くんが自分の知らない視点を与えてくれるようで、うれしい。
選択が一致しようがそうでなかろうが……こんしまちゃんの心は熱いもので満たされるのだ……っ!
「じゃ、ドンドンいこう、こんしまちゃん。八番目の分岐は、モフモフの髪と決別するかどうかだったかな。俺は残すほうにした」
「へー……また同じみたい……」
こんしまちゃんが、ウェーブのかかったくせ毛をなぜる……。
「もし、ここでモフモフを捨ててたら……ラストも変わったかもしれないね……ここで切ってたら、最後のモフり合いもできないもん……」
「二択の結果は即座に反映されるだけじゃなくて、のちの展開に影響を与えるフラグにもなってそうだな。で、七番目がレジスタンスに入るかどうかだっけ。俺は入るほうを選んだよ。多数派じゃなかったみたいだけど」
「あ、そこはわたし……『いいえ』にした。でもレジスタンス、即壊滅してたよね。もしアングレールさんがレジスタンスになってたら……そこで映画終了しちゃってたのかな……」
「その場合レジスタンス編が細かく描写されそうだから、心配ないんじゃないか」
「そっか……なら次は六番目。伯爵の言うとおりにして逃げるか……それとも、つかみかかるか……! わたしは前者……」
「こっちは後者。これは、とおってほしかったなー。あとの闘技場の戦闘シーンを見るに、武器がなくてもアングレールけっこう強かったっぽいし」
「言われてみれば……。実は伯爵を人質にとって大逆転ルートもあったかも……?」
これで鵜狩くんとこんしまちゃんは、おのれの選択の半分を明かしたことになる……。
続く五番目の分岐は、「モフらせる」「モフらせぬ」の二つ……!
「でも鵜狩くん……わたし、ここで間違って『る』のほうを押しちゃったんだ……」
「いや、俺も……うっかりしてた。五秒しか時間がなかったから、押し忘れた」
「ふふ……鵜狩くんも、そうだったんだ……ちょっと安心しちゃった……。で、四番目はグラインヴェルト伯爵を許せるかどうかだっけ……。わたしは、『許せない』のほうにした……」
「俺も。たぶん、どっちを選ぶかによってアングレールのグラインヴェルトに対する態度が変わったんだろうな。それで三番目の二択は……王女が無事で済むと思うかだったか。俺は『いいえ』にした」
「わたしは……『はい』だね……。もしかして鵜狩くん……興味本位でタッチしちゃった……?」
「なんか聞き方が気になったんだ。無事かどうかじゃなくて、そう思うかどうかっていう……。だったら『無事と思わない』がそのまま『無事じゃない』という展開につながらない可能性もあるのかなって」
「ちょっと、ややこしいけど……鵜狩くんの言うことが本当なら、『いいえ』のほうが多数派だったからアングレールさんが無事だったのかもしれないね……」
そして、話題は二番目の分岐に移る。
質問は「アングレール王女に王になってほしいですか?」というもの……ッ!
「わたし、はい」
「俺も、はい」
「でも結局、王にならなかったから……ほかのお客さんは『いいえ』が多かったんだろうね……もちろん、『なってほしい』と思う人が多かったら逆のルートにするっていう『あまのじゃくパターン』もありえるけれど……」
「個人的には……これが伏線みたいに最後の最後で回収されると思ってた」
「つまり……実は王ルートに突入してて……この二択の結果が遅効性っぽい感じで最後に実現するみたいな……?」
「そうそう……だけど終わり方はバッドエンドでもハッピーエンドでもない感じだったから、ちょっと意外だった。こんしまちゃんは、あの最後どう思った?」
「いいとか悪いとかよりも……なにか風に似たものが体を通り抜けていったような体験だった……」
ここまで言って、こんしまちゃんが体を伸ばす……!
鵜狩くんは背中に回していた両腕をほどいた。
「そうだ。最初の主人公選択はどうしたんだ、こんしまちゃん」
「迷ったすえに伯爵にしたよ……」
「こっちもドルルイ・グラインヴェルト伯爵。銀髪が、かっこよかったから」
「きれいだよね……わたしは、ツリ目に吸われちゃったの……ツリ目、好きなんだよね……」
瞬間。
こんしまちゃんと鵜狩くんの視線が交差する……ッ!
そして、こんしまちゃんは相手のツリ目をはっきりとみとめた。
だらだらと冷や汗を噴き出す、こんしまちゃん……!
顔がほてっていくのが分かる。
「し、しまった……っ」
――このあと鵜狩くんが買ってきてくれた冷たい小型のペットボトルを、ちょびちょび飲むこんしまちゃん。
こんしまちゃんは代金を払おうとしたけれど、鵜狩くんによれば「おごり」らしい。
映画館の休憩スペースで、一緒にペットボトルをかたむける。
最後はちょっとうっかりしちゃった。
でも鵜狩くんとがっつり語り合えたから映画館に来てよかったあ……と幸せに飲み込まれる、こんしまちゃんであった……。
※ ※ ※ ※ ※ ♢ ※
☆今週のしまったカウント:一回(累計三十四回)




