第9話 演出準備
俺が魔王の目の前から引きはがされ、氷の塔の上に転送されたことが、どうやら相当気に入らなかったらしい。魔王の足元から広がる影は、熱を持たない。それでも、じゅうぶんに世界を覆えるほどの威圧があった。
「我が器を引き離したか……。だが、高みへ配置しようとも、時を稼ぐには至らぬ。無為なる足掻きだ」
影はじわじわと塔へとにじみ出す。
それは理の歪みそのもので、触れたものすべてを、黙って蝕んでいくようだった。
「希望を編むつもりか。小娘ども」
その時――
光が地を裂いた。
白金の魔法陣がひとつ、またひとつと空間に出現し、そこから噴き上がった光柱が魔王を囲むように天へと走る。
「天の理よ、罪を見極めよ。聖なる檻よ、光となりて降臨せよ──聖光檻!」
アルマの澄んだ声が響いた。聖域のような静けさの中で、聖なる光が、結界のように魔王の足元を縫い、逃げ道を閉ざしていく。
「ぬるいな」
魔王が手をかざしかけた瞬間――
地を割って、鋭い蒼光が突き上がった。
何十本もの氷槍が大地から湧き上がり、聖光の隙間を補うように、魔王を囲う陣形を築いていく。
「冷たき蒼槍よ、凍結の牢へと姿を変えよ――氷牢界!」
セリーヌの魔法が、魔王の足元を厳かに封じ込めていく。
「少し冷やさせていただきますわ、魔王様」
彼女の声音には、わずかに余裕すらにじんでいた。
だが――
「その程度の結界で、我を封じるつもりか」
魔王は鼻を鳴らすと、足元の影を膨張させた。
重力すら歪めるような闇が、じわじわと光と氷の檻を侵食し始める。
だが、アルマは止まらない。
「――聖光雨!」
漆黒に包まれた空間へと、無数の光の雫が降り注ぐ。
だがその雨は、地に届くことなく、宙に漂い、止まった。
落ちない光。
空を染め、空間を撹拌し、影の領域を焼く。
揺れ始める空間の輪郭。
そこに、もう一つの声が重なる。
「欺くは冷厳なる幻、惑わすは凍てつく光――」
セリーヌが前方を一閃すると、空に留まる光粒のあいだを縫うように、数十枚の氷の鏡が展開された。
「虚実を映し、影を乱し、真実すら凍てつかせよ――氷幻鏡!」
鏡たちは宙でぴたりと止まり、一斉に像を結ぶ。
そこに映し出されたのは――
光に包まれた、「俺」の姿だった。
「……我が器を飾り立てて、何をしようというのだ」
わずかな苛立ちと、警戒。
「それはお楽しみですよ、魔王様」
セリーヌが銀髪をなびかせながら、不敵に笑う。
光と氷の檻が、悲鳴のようにきしんだ。
「……持たないなんて……!」
「嘘……まだリリスさんが……!」
アルマとセリーヌの声が重なる。
──バキィィィン!
魔王を束ねていた結界が、粉砕音とともに砕け散る。
伝説の演出が崩れ去る――
その一歩手前。
その瞬間、大地が叫んだ。
地面を裂いて噴き上がったのは、黒く鋼の牙。沈黙をまとった“檻”が、魔王の周囲を囲むように立ち上がる。
「ほう……まだ足掻くか、貴様ら」
魔王の声には、わずかな苛立ち。
そのとき――
「生徒会長と特待生が魔王に挑んでるってのに、風紀委員長が黙ってるわけにはいかないだろ」
静かな、けれど確かな声が響いた。
「ユージン……!」
その名を思わず呼んだ俺の心に、さらに追い打ちがかかる。
檻に熱が走った。焼け爛れるような紅蓮の奔流が、鉄格子を包み込む。
「真なる儀式には、“火”が不可欠なのです……!」
声を上げたのは、ゼノ。
「ナイトロード様のために温めていた我が“獄炎”、今こそお見せしましょう……!
奈落の底より這い出でし罪よ。地上の穢れを滅し尽くすべく、いま、炎獄を穿て──獄炎呪!」
呪文とともに、炎が爆ぜた。
鉄の檻が真紅に染まり、歪んだ熱気が空間すら揺らす。氷の鏡が照り返し、いくつもの炎の残像が宙に舞う。
「光と氷に飽きたらず、今度は地と火か……」
魔王が、低く唸る。
「貴様ら……なかなかやるではないか。
だが、それでも我を封じられると思うなよ……!」
鋼鉄と獄炎の檻が、軋みを上げる。
限界は近い。
だが――
「……もう、十分すぎるほどお時間をいただきました」
その声が、すべてに終止符を打つように広場を貫いた。
黒のメイド服が、風を切る。
リリス・アークライト。
ナイトロード家の従者にして、影の守護者。
その手に握られていたのは、漆黒の短剣。
冷ややかな瞳が、まっすぐ魔王を見据えていた。
この物語の本編は、異世界ファンタジー『愚痴聞きのカーライル 〜女神に捧ぐ誓い〜』です。ぜひご覧いただき、お楽しみいただければ幸いです。
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