第6話 魔王の否定
深淵が、裂けた。
黒く濁った光が、天を呑む。
影は舞い、空間は軋み、天地の理を引き裂いていく。
俺はその中心に、立っていた。
逃げ場もなく、盾も剣もなく――
ただ、心臓の鼓動だけが頼りだった。
水着姿のリリスは膝を折り、動かない。
黒槍は砕け、六芒星の結界は意味を失った。
アルマの光も届かず、誰もが言葉を失っていた。
すべてが、終わったかのようだった。
そして――
“それ”が、歩いてくる。
ヴェル=ノクティス。
世界の闇を束ねる存在。
伝説に語られし、かつて封じられた魔王。
その歩みは静かだった。
だが、空間そのものを“沈黙”させる圧があった。
言葉が届く前に、思考が押し潰されそうになる。
「……フハハハ」
笑うなよ。頼むから。
その声だけで、膝が崩れそうになるんだ。
「ようやく……世界は再び、理を取り戻す」
俺の足元で、地面が波打つ。
重力が変質し、空間が歪んでいる。
「お前は、私の器となる運命だ」
“運命”――簡単に言ってくれる。
あんたの中じゃ、それが当然なんだろうけど。
俺にとっては、それは、逃げ場をなくす呪いだ。
「俺は……お前の器なんかじゃない」
喉が震える。視界がぐらつく。
なんでこんなに怖いのに、口が動いてるんだ、俺。
でも、言わなきゃ――ここだけは、譲っちゃいけない。
ノクティスの足が止まる。
「ほう……?」
「俺が何者かを決めるのは……俺自身だ」
ああ、言っちまった。
もう、後には引けない。
「滑稽だな。“己”など幻に過ぎん。
すべては、“理”の下に定められているのだ」
「その“理”って、誰が決めたんだよ!」
怒鳴った瞬間、血の気が引いた。
あぁもう……そこ突っ込むな、俺!
「理は……世界の構造だ。
闇に生まれしものは、闇に還る。お前もそうだ。
いずれ私と融合し、真なる闇となる」
「……お前の“信じてる世界”の話だろ、それ……!」
言い返してるつもりだけど、実際は祈るような気持ちだ。
もうやめてくれ。これ以上踏み込まれたら、俺、壊れる。
「詭弁だ」
「違う。違うんだよ……」
声が揺れる。
でも、ここで折れたら全部終わる。
「お前が言う“理”が絶対なら、
お前自身がそこから逃れられるわけないだろ……!」
ノクティスは黙した。
沈黙のくせに、言葉より重い。
息をするのも怖い。
「でも……お前は“支配する側”でいようとしてる。
つまり、“理”の上に立とうとしてるじゃねぇか」
だからおかしいんだ。
お前の言う理は、世界の仕組みなんかじゃない。
ただの、支配者の都合だろ。
「お前の言う理は――
“お前が強い間だけ成立する、都合のいい掟”だ」
「……強き者こそ、秩序を作る」
「逆だよ!」
喉が裂けそうだった。
体の奥が、マナに押し出されている。
この言葉に、全部を乗せるしかない。
「“お前が強い間しか成立しない理”なんて、
最初から“崩れる前提”で存在してるんだ!」
「それでも、崩れるまでは絶対だ」
そういう言い方が一番怖い。
どこまでも揺らがない奴に、俺の声は届くのか――
「だったら、俺はその“絶対”に乗らない。
……それが、俺の選択だ」
「……選択、だと?」
「そうだ。お前が俺に望むのは、“力を示すこと”だろ?でもそれこそが、お前の理だ。だったら俺は、その土俵に上がらない。俺は、戦わない」
その瞬間、魔王の気配が、少しだけ揺れた。
「貴様……この局面で、戦う気がないと?そして戦う気がないにも関わらず、我と真の融合を遂げないと……?」
「お前と戦った瞬間、俺は“力”を信じたことになる。それは、俺が守ってきたものを裏切ることだ」
「俺はこの学院でどんなに誤解されようと、一度も戦ってこなかった。闇のナイトロード家で仕込まれた闇属性魔法も、一度たりとも攻撃になんか使ったことねえ。笑われるかもしれねえけど、全部、戦わないために使ってきたんだ」
膝が――折れそうだった。
だが、口だけは、止まらなかった。いや、止めてはいけなかった。
「……俺は、お前と同じ土俵には立たない」
それは震える声だった。けれど、嘘ではなかった。
魔王の眼差しが、静かに俺を射抜く。心臓が痛い。
なのに、息を吸い、言葉を続けた。
「力でねじ伏せることが“正義”だって言うなら、
そんな理屈に、俺は乗らない。
戦って勝つことが、正しさの証明だって言うなら……
それはもう、俺じゃない」
心の中で、叫んでいた。
あぁ、もう、なんでこんな返しをしてくるんだよ……!
ただの生徒だって言ってんだろ……!
怖いんだよ、正直!!
「俺は、誰の上にも立たない。
誰の自由も奪わない。
“伝説”になんか、なりたくない」
言ってから、自分でも思う。
それは、願望じゃない。ただの、抵抗だ。
「だから――
俺は、お前とは交わらない」
その瞬間、世界が、わずかに――
きしんだ。
魔王のマントが風に逆らい、静かに波打つ。
空間を支配していた闇が、ごく僅かに、震えた。
「俺は、戦わないことで……“意志”を通す」
震えながらも、それだけは、確かだった。
そして、その瞬間だった。
魔王の輪郭が――
かすかに、だが確かに、揺らいだ。
積み上げられてきた“支配の理”に、はじめてひびが走ったのだ。
背後で、誰かが囁いた。
「……ナイトロードが、魔王を拒絶……?」
「戦わない……選択を……?」
「伝説を、自ら捨てた……?」
その声は、次第に広がり――
まるで古い神話が崩れていく音のように、空気そのものを揺らしていく。
アルマが、静かに呟いた。
「……やるじゃない、アレクシス」
それは冷静な観察でもあり、かすかな賞賛でもあった。
「力で抗わず、魔王を拒むなんて……
これなら、魔王の“存在前提”を崩せるかもしれない」
そして、世界は今――
選び直されようとしていた。
“力”が支配する物語から、
“意志”がそれを拒む物語へと。
この物語の本編は、異世界ファンタジー『愚痴聞きのカーライル 〜女神に捧ぐ誓い〜』です。ぜひご覧いただき、お楽しみいただければ幸いです。
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