第5話 影穿つ刃
魔王に抗う漆黒のメイド――
リリス・アークライトは、ひとつ静かに息を吐いた。
手にしたのは、闇を纏うアサシンダガー。
その刃はわずかに光を反射し、まるで星の瞬きが夜に溶けるかのようだった。
「お坊ちゃまに手を出すのなら……
それ相応の覚悟はおありですよねぇ?」
唇に優雅な微笑みを浮かべながら、
その双眸には、獣のように鋭い光が宿っていた。
ヴェル=ノクティスが、影の奥から彼女を見下ろす。
「“影”が“闇”に抗うか」
嘲りとともに、一歩を踏み出す。
それだけで空間が軋んだ。
重力のようなマナが渦を巻き、夜の幕が波となって襲い来る。
だが――
「それは、どうでしょう?」
リリスの指がひとつ動く。
黒閃。
アサシンダガーが宙を裂く。
いや、違う。刃は一つではなかった。
次々と放たれる漆黒の刃が、夜空に跳ねるように舞い、
その軌道はまるで“星図”のように空間を描いていた。
ノクティスは、眉ひとつ動かさず、軽く身を捻る。
――そして、すべての刃が“虚空”に吸い込まれた。
「無駄だ」
彼の周囲には、“理”を拒む不可視の結界があった。
刃も術も、常識も因果も通用しない。
まさに、“世界の主”たる魔王の風格。
だが。
「まだですよ?」
リリスの囁きが、甘く、鋭く空気を裂く。
消えたはずの刃が、ゆっくりと――
だが確実に、宙を舞い始めた。
「……む?」
ノクティスの瞳が、わずかに細まる。
刃たちは軌道を変え、意思を持つように空を巡る。
六本の黒刃が交差し、夜空に幾何学を描いた。
“影操刃”
リリスの指が宙をなぞり、その軌跡に従って刃は動く。
闇のマナを纏い、黒光を帯びたそれらは――
六芒星を成した。
「“影封陣”……発動」
リリスの呟きと同時に、刃の結界が宙に固定され、
星の中心に現れた魔法陣が、深く震えた。
その陣は、闇を縛るために創られたもの。
そしていま、その核に――
魔王が立つ。
「貴様……“影”を使い、“闇”を縛るか」
ノクティスが唇を歪める。
「ええ。お坊ちゃまをお守りするためなら……
それくらい、当然のことですわ♪」
次の瞬間、六つの刃が激しく振動した。
魔法陣の中心から、奔流が噴き出す。
それは魔法ではない。
ただ、“存在を裂く”概念の奔流――
闇の濁流が、魔王を呑み込む。
空間が揺れる。闇が膨張する。
だが。
「その程度で、我を封じられると?」
ノクティスが低く呟く。
刹那、闇の衣が震え――
六芒星が、“歪んだ”。
六つの刃が、一斉に砕け散る。
「“影”は、“闇”に抗えぬ。」
だが。
砕けた刃の残滓は、未だ消えていなかった。
「では、お掃除の時間ですね?」
リリスが、軽やかに指を鳴らす。
空が、黒槍に染まった。
無数の黒の槍が生み出され、世界を断つように放たれる。
“黒槍連舞”
槍は空間を砕き、ノクティスの影を貫いた。
爆音と闇の波動が響き渡る――
……が。
「――フハハハハハ!!」
空気が裂けるような嘲笑。
ノクティスは、そこに――
“無傷”で立っていた。
「やはり、足りぬな」
彼の足元から、黒の波が溢れる。
リリスの放った“闇”が、逆に押し返されるように、世界を侵食していく。
それでも、リリスは微笑を崩さず、静かに呟いた。
「……仕方ありませんね。
私の“全て”を――解放します」
そして。
「――双影踊」
その詠唱と共に、地に落ちていた影が脈打ち、立ち上がる。
影が骨格を持ち、質量を得て、もう一人のリリスが現れる。
出た。これ。
前に姉貴――“歩く死神”エレインと戦った時に出た“アレ”だ。
影の中に蓄積していたマナを使って生成するもう一人のリリス。
「もちろん、これだけでは勝てないことは百も承知。
――恥を忍んで、次の手に参ります」
そう言って、リリスは――
メイド服を脱ぎ捨てた。
ぱさり、と音を立てて落ちる黒。
……え?
ちょ、待っ――
おいおいおいおい!?
真っ白の肌に、黒の下着……じゃねえ、水着!?
戦闘用の!!
こ、これ絶対誤解されるやつだろ!?
なんで俺のメイド、魔王相手に水着で全力なんだよ!?
誰か、お願い、主の名誉を守ってくれ!!!
「――三影踊」
脱ぎ捨てられたメイド服がふわりと舞い上がる。
それは夜の霧のように形を変え、
もう一人の“リリス”へと変貌する。
「闇の上級魔石を織り込んだ特製のメイド服。
これを媒体に、さらにもう一体、“私”を――
召喚いたします」
……やべぇ。
俺のメイド、インフレしてきた。
ふつうだったら、水着姿のリリスなんて目の前に現れたら、俺も思春期まっただ中なわけで、心の準備もなにもないのにドキドキするところなんだけどさ。
今は――
リリス(暗殺メイド)×2体
リリス(本体・水着)×1体
全員が魔王にガチで挑みに行ってるこの光景。
……怖すぎて、逆に動悸が引いてきた。
そんな俺の背中に、ひときわ冷静な声が届く。
「……あれは、アレクシス。
あなたのお姉様と交えたときよりも……
さらに上の、力――」
白銀の生徒会長・セリーヌが、傷を抱えながらも戻ってきた。
「……本気、出してなかったのかよ、あの時。うちのメイド……」
俺も思わず口にする。
けど、さすがにちょっと待ってくれ。
これ、今の流れ、完全に――
「魔王と並ぶ存在を平然と従えてる伝説」ルートじゃない!?
俺、日直表の書き方だけは本気だったけど!?
それ以外、普通の学院生だってば!!
――だが、そんなツッコミも空しく、次の瞬間。
「――深淵の咆哮。」
ノクティスが静かに手を振った。
世界が――砕けた。
リリスの影から生まれた分身が、まるで紙人形のように引き裂かれる。
脱ぎ捨てられた服から顕現したもう一体も、虚無に呑まれ、塵と化す。
本体――黒の戦闘水着姿のリリスが吹き飛ばされ、血の花が宙に舞った。
「……っ、ぐ……!」
マナの奔流が視界を歪ませる。
ノクティスの放った“深淵”が、何もかもを呑み込もうとしていた。
それでも――
「ふふ……」
リリスは、微笑みを崩さぬまま、膝をついた。
届かない。
全力を尽くしても、なお届かない。
それが、“魔王”という存在。
「まだ……倒れるわけには……」
呟きかけた言葉は、虚空に飲まれた。
影の狩人、沈黙。
そして深淵の王が、動き出す。
無言のまま、一歩一歩、歩みを進めてくる。
……やばい。
このままじゃ、終わる。
誰か――
誰か、この状況を止めてくれ。
できれば俺以外の誰かで。お願いだから。
この物語の本編は、異世界ファンタジー『愚痴聞きのカーライル 〜女神に捧ぐ誓い〜』です。ぜひご覧いただき、お楽しみいただければ幸いです。
https://ncode.syosetu.com/n8980jo/
「続きを読みたい!」と思っていただけた際は、ぜひ【★★★★★】の評価やコメントをいただけると嬉しいです。Twitter(X)でのご感想も励みになります!皆さまからの応援が、「もっと続きを書こう!」という力になりますので、どうぞよろしくお願いいたします!
@chocola_carlyle