第4話 魔王の邂逅
「貴様が我を受け入れれば、すべてが終わる。」
ヴェル=ノクティスの声音は、凪いだ湖のように静かだった。だが、その静けさは、深淵の淵に佇む狂気に近い。ただ語るだけで、空気が凍りつき、学院の大気がひとつ息を止める。
広場を包むのは、完全なる静寂。
光も音も、希望すらも凍てついたこの結界の内で――
誰も、抗うことを許されなかった。
アルマの光は砕け、
セリーヌの氷は霧散し、
ゼノの召喚獣は塵と化し、
秩序を掲げたユージンの岩槍すら、全てが瓦解した。
学院の精鋭たちでさえ、この“存在”を前にすれば、無力だった。
というか、魔石保管庫に行った生徒会メンバー、
いつ帰ってくるんだよ!?
説明会にやってきてなかった教授とか!
いつ助けにきてくれるんだよ!?
って改めて思ったけど、
この特設会場、すでに黒の球体でまるっと封鎖されてた。
チクショウ。
場に集っていた学院長も教授陣も闇に呑まれた今、
残されたのは――俺たちだけ。
そして今、この学院の中心で。
ヴェル=ノクティスの瞳が、ただ一人を見据えていた。
俺だ。
「さあ、我が器よ」
その手が伸ばされる。
それだけで、大気が歪み、空間が軋む。
「受け入れよ。貴様が私を受け入れれば、痛みは終わる。
抗う必要も、恐れる理由もない。
我と一つになれば――
すべてが癒えるのだ」
ゆっくりと、しかし確実に、
闇の力が、俺の胸元へと這い寄ってくる。
……動けなかった。
足が縫いとめられたかのように、意識が吸い込まれていく。
呼吸は浅く、世界は遠のき、意識の底で囁く声がする。
――受け入れれば、楽になれる。
だが。
「お坊ちゃまをそそのかすのは──
よろしくありませんね」
その場の空気を断ち切るように、優雅で研ぎ澄まされた声が響いた。
影のように佇む細身の人影。
漆黒のメイド服を翻し、凛として冷静な殺意を纏う従者。
リリス・アークライト。
その瞬間、空気が明確に“変わった”。
ノクティスが支配していたはずの空間が、まるで計算を狂わされたかのように、揺らぎ始める。
「……ほう」
魔王の眼差しが、かすかに細められた。
「……貴様は“従者”……否、“処断者”か。
常に我に刃を向けていた影の気配……
あれは、貴様だったか」
リリスは静かに微笑み、手元の短剣をくるりと回す。
「お坊ちゃまに手を出すのなら、相手が魔王であろうと――
処断対象です」
おい待て!?
この状況で魔王に喧嘩売るのか!?
だが、次の瞬間。
リリスの姿が、霧のように掻き消えた。
“影抜け”。
影を伝って移動する、視認不可能の暗殺技法。
そして。
「――闇翔刃」
宙を翔けるように現れたリリスの刃が、ノクティスへと奔る。
影を断ち、空間を裂く一撃――
だが。
「――くだらぬ」
ノクティスが、無造作に手を払っただけで。
リリスの刃は、“存在しなかった”かのように消えた。
「……なるほど」
リリスは一切動揺を見せず、刃を収める。
ちょっと待て。
今の、俺の目の錯覚じゃないよな?
物理的に“なかったこと”にされたぞ!?
「では、次の手を」
「影縛封陣」
詠唱と同時に、漆黒の鎖が地を裂いて現れ、ノクティスの足を絡め取る。
「……闇に、闇をぶつけるか。愚かだな」
「ええ、愚かですよ。“表層の闇”同士ならば、ですが」
次の瞬間。
ノクティスの足元にうごめく影が、まるで生き物のように蠢いた。
「なっ……!?」
魔王が、僅かに表情を動かす。
その影は――
彼自身が生み出した“闇”だった。
「これは、貴方自身の影です。魔王様」
リリスが優雅に微笑みながら囁く。
「敵の力を利用するのは、暗殺術の基本でして」
「ふむ……実に愉快だ」
ノクティスが初めて笑った。
「ならば、その影ごと、貴様を飲み込もう」
その背後。
空が裂けるようにして、漆黒の腕が現れる。
それは影ではなかった。
純粋な“闇”そのもの。
法則を喰らう存在。
「……さて、どこまで遊べますかね」
リリスが薄く笑い、再び影に消えた。
封印より現れし魔王と、
ナイトロードの従者にして“処断者”――
リリス・アークライト。
学院の地にて交差する、静かなる死闘の幕が、静かに上がる。
――って、ちょっと待て。
なんかみんな、壮絶な覚悟で戦い始めたんだけど――
俺だけ、完全に“舞台袖”に押し出されてね!?
いや、分かってる。分かってるんだよ。
ここは今、影と闇のガチンコ決戦。
そのとき。
「……アレクシス」
控えめな足音と共に、声が降ってきた。
振り向けば、金の髪を風に揺らしながら歩いてくる碧眼の少女――
特待生、アルマ・デュフォンマル。
光を弾かれ、マナを削られながらも、
治癒魔法で応急処置だけ済ませて、もう立ってた。
いやいや、回復早すぎだろ……!
「あなたの……あの従者……」
リリスが霧のように消えた空間を見つめながら、アルマが低く問いかける。
「暗殺術、封印術の応用に……魔王の影すら取り込んだ。
……いったい、あの人は何者なの……?」
「………………」
うん。それ、俺が一番知りたいやつ!!!
「えっと……まぁ……メイド?うちの」
「“メイド”って言い方やめて。なんかもう、あれ“国家機密”のレベルよ!?」
「いやだから、家庭の事情っていうか、ナイトロード家はちょっと雇用形態が特殊でさ……」
「特殊すぎるのよ!影から出てきて消えるし、魔王と互角にやり合ってるし!」
てか、なぁアルマ。
君、本来は理性的で、冷静で、光属性のエリートじゃなかったっけ?
なんで今、俺より取り乱してんの!?
「……やっぱり……あなた、王家に連なる七大貴族の一角、“闇のナイトロード家”なのね……」
「ちょ、待って!? 違う!違うってば!?」
その“すべてが繋がったわ……”みたいな目やめろ!
俺はただ!日直表をちゃんと回してただけの!提出物は締切守るタイプの!ごく普通の学院生なんだよ!!!
──そのとき、遠くで雷のような音が響いた。
影と闇がぶつかり合い、空が軋み、リリスの姿がまた霧に溶けて消える。
魔王の力が世界を染めようとし、
学院の空が、ゆっくりと――
夜に沈み始めていた。
「……任せきりにはできない。けど、このままぶつかっても返り討ちにされるだけ……何か、打つ手を……」
アルマがぽつりと呟き、一歩、前に踏み出す。
その姿に、また少しだけ、息を飲んだ。
……やっぱり、君は眩しいな。
でも俺は――
魔王にロックオンされ、影のメイドに守られ、
片想いの相手にはかっこ悪いところしか見せられず、
ただ立ち尽くすしかできない自分に、飲み込まれそうになっていた。
この物語の本編は、異世界ファンタジー『愚痴聞きのカーライル 〜女神に捧ぐ誓い〜』です。ぜひご覧いただき、お楽しみいただければ幸いです。
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