第1話 絶望の幕開け
黒く、蠢く、何かがいた。
魔王。
ヴェル=ノクティス。
空が、黒く染まっていく。
それはまるで夜空。
いや、違う。
“夜”ではない。
あれは“闇”そのものだ。
空間が、世界が、理そのものが塗り潰されようとしていた。
学院全体が、震えていた。
魔法学院の生徒たちは、声を上げることしかできない。
希望と恐怖、歓喜と狂信が混ざった視線が、漆黒の王を見上げていた。
「な……なんだ、あのマナの濁流は……!?」
その混沌の只中で、たった一人、悠然と前に歩み出る者がいた。
学院長だ。
「……ふぉっふぉっふぉ。」
落ち着きすぎだこの白髭ジジィ!!!
だがその瞳には、凍るような静けさと、覚悟が宿っていた。
「ナイトロード家の当主から聞いておったが……
まさか、ここまでとはのう。」
「――防衛陣を展開せよ。」
学院長の一声で、教師陣が一斉に詠唱を始めた。
魔法陣が地を走り、煌めく防御の術式が学院を覆っていく。
「魔王が世界を覆う前に……止めねばならん……!」
だが――
その光の防陣を前にして、漆黒の王はただ、冷たく告げた。
「……無意味だ。」
ヴェル=ノクティス。
俺の中から出てきた“魔王”
その言葉と共に、闇が脈打つ。
ただ広がるのではない。
濃縮され、収束し、意思を帯びた獣のように唸りを上げていく。
次の瞬間――
ヴェル=ノクティスは、ただ手を上げた。
それだけで、空間が軋んだ。
「なっ……!!?」
学院長が反応するより早く、闇が炸裂する。
マナではない。
もはや“理の暴力”だった。
「ぐぅ……まさか……!」
いやいやいやいや!!!
納得してる場合じゃねぇだろ学院長!!!
「貴様らは――不要だ。」
ヴェル=ノクティスが手を握る。
瞬間、空間がねじれ、黒球が顕現する。
学院長と教師陣を丸ごと飲み込むほどの漆黒。
「ぐああああっ……!!」
「防壁が……崩れる……!」
「これ以上は……維持できん……!!」
魔法障壁が砕ける音。
誇り高き守護者たちが、闇の棺へと沈んでいく。
「ふぉ……どうやら……ここまでのようじゃな……」
いやいやいや!!!
学院最高戦力でしょ!?
諦めないで頑張って!!!
――彼らは、消えた。
凍りついた沈黙が、学院全体を包み込んだ。
「うそ……だろ……」
「学院長が……教師たちが……!!」
誰かが呟いた。
いや、俺も呟きたい。
「さて……貴様らの“守護”は、もはや存在しない」
漆黒の王が、沈黙の帳を纏いながら、静かに口を開く。
「……いまこそ、絶望の刻を刻もう」
その声が、空気の密度すら変える。言葉の余韻に、場が軋む。
学院を護っていた存在が消え去った直後、
嫌な声が、じわりと背中を撫でるように響いてきた。
あいつらだ。
すべての元凶。
「……嗚呼、なんと荘厳な……」
ヴェスティアが、恍惚とした声で呟く。
「禁忌の古文書に記されし光景が、いま現実と化すとは……」
「七大深淵の一柱が、理の檻を破りて現世に還る……
愚かなる誤解を育み、神話へと昇華させた甲斐があったというもの……」
ルジェイドが、感嘆を漏らす。
「すべては、この瞬間のため。御方も、きっとお喜びであろう」
「……そして我らは、真なる“理”の扉の前に立つ。
いま、祝祭は開かれたのだ」
──おいおい。
この影の学者ども、何やってくれてんだよ……!
そのとき、魔王がふたりに目を向ける。
「……貴様ら。何者だ」
ヴェスティアが、裾を払って一礼する。
「我が名はヴェスティア。“刻の箱舟”に連なる影の記録官にございます」
「同じく、ルジェイド。“失われし時代”の門を探る者」
「……刻の箱舟、だと」
魔王のまなざしが、わずかに深くなる。
「一万年前に失われた“真理の時代”──
我らは、その記憶と秩序の継承を目指しております」
ヴェスティアが続ける。
「あなた様のご降臨は、まさに鍵。世界の理を越えて、時そのものを穿つ存在こそが……新たなる“開闢”を導くのです」
「……理の彼方にあるものは、もはや我すら測り得ぬ。
それでもなお、辿り着こうというのか。
愚かな……実に人間らしい業よ」
魔王の足元に、濃密な影がうねる。
そこから静かに、漆黒の鎌が這い出してくる。音はない。ただ、空気だけが冷えていく。
「本来ならば、この場で命を刈り取るところだ。
だが……貴様らの“気配”は、封印の底から幾度となく感じていた。
我を目覚めさせたのも──
貴様らだな」
「……恐悦至極にございます」
ルジェイドが恍惚の面持ちで頭を垂れる。魔王は、その様子を見下ろすように、淡く笑う。
「ならば報いをやろう。
――“未知”の彼方へと、旅立つがよい」
「……“未知”、とは……?」
ヴェスティアの声が震えたのか、熱に酔ったのか、判然としない。
魔王が、ひとつ、指を鳴らす。
闇が虚空を巻き込み、渦が開いた。
境界のない、ただの“外”――
理も時間も届かぬ、黒の穴。
「我すら知らぬ転移の門だ。
果てに何があるかは、見ての楽しみ。
……短き命に、最後の慈悲を与えよう」
黒き渦が、ふたりを飲み込む。
声もなく、音もなく。
ただ、痕跡ひとつ残さず──消えた。
……おいおい、黒幕、まさか自分で呼び出した魔王にやられるとか。
いや、ありがてぇよ?
ありがたいんだけどさ。
肝心の魔王は──
まだ、そこにいるんだよな。
どうすんだよ、これ……。
小声で、すぐ隣のリリスに囁いた。
「……なぁリリス、今のうちに逃げない?」
「……どう考えても、もう手遅れでは?」
「いやでも、今ならギリ見逃される可能性とか……」
「魔王の視線、ど真ん中で直撃してますけど?」
「もうやだ……目を覚ましたら全部夢でした。
みたいな展開こねぇかなぁ……」
この物語の本編は、異世界ファンタジー『愚痴聞きのカーライル 〜女神に捧ぐ誓い〜』です。ぜひご覧いただき、お楽しみいただければ幸いです。
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