第8話 真実の神話
特設会場を包む結界が軋み、学院中庭の空に、不穏な波紋が広がり始めていた。それはただの揺らぎではない。確かに、世界が「終わりへと向かっている」ことを告げる兆しだった。
壇上に立つ学院長は、静かに杖を地に突く。
「ふぉふぉふぉ……まるで、出来の悪い劇じゃのう。“ナイトロードに封じられし魔王”を解き放つ、とな。だが忘れるでない。この場は学院の心臓部。結界はなお機能しておる。選び抜かれた教師陣、鍛え抜かれた生徒たちがここに集う――さて、それを乗り越えられると、本気で思うてか?」
声音は穏やかだが、瞳の奥に宿るのは揺るがぬ確信と、静かな怒気だった。
「封印が綻び始めておるのは、事実じゃ。じゃが――封じられるべきは、むしろおぬしら“影”の方ではないかの?」
その瞬間だった。
学院長の隣で、正気を取り戻したヴィクトル教授が、静かに立ち上がった。その目には、かつての理性と誇りが戻っていた。
「……まさか、私が影に操られていたとはな……」
教授は静かに深呼吸をひとつし、右手を天に掲げる。
「研究に研究を重ね、練り上げた封印式……この術式で、あなた方“影”を光の下へと還してみせよう。二度と、ここに現れることがないように」
石畳に淡い光が走る。
その光は輪を描き、やがて空中に複雑な封印陣を立ち上げていく。
ヴィクトル教授が、詠唱を開始した。
「――我が名において命ず。 曇りなき理の裁き、罪を抱きし影を縛せよ。聖環よ、天より降り、ここに静穏をもたらせ──天環封!」
光が放たれる。
まばゆい輪環の結晶が空中にいくつも現れ、それらが回転しながら降下する。それはまるで天より降りる輪の刃。影に触れればその存在を封じ、浄化する聖なる連鎖だった。
封印陣が完成する、その瞬間――
ゴォッ!
空間が捻れる。
教授の術式が触れたのは、別の“闇”だった。
影がその光を撥ね退ける。
強烈な衝突音と共に、光の輪環がひとつ、砕け散る。
――影と影が、交差した。
その狭間から、ひとりの女が姿を現す。
漆黒のマントを翻し、銀鎖の首飾りと黒曜石の瞳を持つ、冷ややかな微笑みをたたえた女。
「ルジェイド。あなた、また詰めが甘いわね。……つい先日も、押し返されたばかりじゃなかった?」
その言葉に応じるように、女の背後から現れる男。
黒衣に魔術紋を刻み込んだ、端正な顔の影法師。
「ヴェスティア、助かった。どうにも魔王の脈動にあてられて、心が逸っていたようだ。だが――今度は、違う。」
二人は、奇妙なほど穏やかに笑い合う。
学院長は、微かに鼻を鳴らした。
「ふぉふぉ……影がいくつ重なろうと、夜の理には届かぬわ。ワシの老骨に挑むには、少々薄っぺらいのう。」
その言葉を受けて、ヴェスティアが一歩、踏み出した。
「――確かに、我々ふたりだけでは、抗うには力が足りなかったでしょうね」
ヴェスティアはそう告げると、マントの内側から漆黒の結晶を取り出した。
その手の中で、黒い魔石が脈打つ。
そして次の瞬間――
学院中庭の石畳が、深く低く“鳴った”。
足元から滲み出すように、黒い光が広がっていく。
石の目地に沿って、這うように走る暗い線。
それはまるで、もともと“ここにあったもの”が、呼応して目を覚ましたかのようだった。
「これは……」
「まさか……っ!」
教員たちが息を呑む。
光が交差し、闇が浮かぶ。
石畳の地に、緻密な幾何魔法陣がゆっくりと浮かび上がる。
――召喚陣。
しかも、ただのものではない。その紋様は、上級闇属性魔石を触媒とし、地下に複層で仕込まれた“儀式用構造式”。
「ええ。特設会場が“この場所”に組まれることは、予め分かっていたわ」
ヴェスティアが静かに告げる。
声は落ち着いていたが、その響きは背筋に染み入るほど冷ややかだった。
「だからこそ、用意しておいたの。
学院の中枢、祭礼にも使われるこの庭に――
闇の魔石を埋め込み、構造を整え、封印の呼吸に寄り添わせた“魔王召喚陣”を」
ルジェイドが闇の縁を指でなぞる。
陣は完全に姿を現し、その全貌があらわとなる。
「学院に蔓延した“誤解”は、やがて伝説となり、英雄を神話に押し上げた」
「幻想が積み重なるほどに、民意は我らに近づき、世界の理は揺らぐ。
その揺らぎを核に、“意志の魔術”が結実するのだ」
「今ここに、意志がある。
触媒は既に流れ込んでいる。
舞台も整った。
そして学院そのものが、それを支えてくれている――」
ヴェスティアの黒晶が、静かに光を放つ。
魔石が持つ闇のマナが、地中の召喚陣と共鳴を始めた。
「魔王は来る。いいえ――
この学院が、魔王を迎え入れるのよ」
沈んだ詠唱が始まった。
低く、重く、空間の地層を穿つような声が、ふたりの口から重ねられていく。
空が割れる。風が止まり、時間すら粘性を持ち始める。
「“願いし者よ。夜に沈みし契約を果たせ”」
「“魂を捧げ、刻を開けよ。箱舟の扉は今ここに”」
学院長が杖を高く掲げ、魔法陣を打ち消そうとマナを解き放つ。
教師たちも支援魔法を連鎖的に展開する。
生徒会長のセリーヌが怒号を飛ばす。
「魔石保管庫から光属性の魔石をかき集めてきて!今すぐ!!」
生徒会メンバーが駆け出す。
そしてアルマも光の防壁を編み始める。
だが――相手が用意した魔石の“数”が違いすぎた。
放たれた光は、黒晶に触れるたびに吸い込まれ、闇を濃くしていく。
ヴェスティアが、微笑んだ。
「ようやく、幕が上がるのよ。
誤解から始まった神話を、今ここで――
真実へと書き換える」
「“ナイトロードの覚醒”という伝説を、この学院に“刻む”のは……私たちよ」
そして――
世界が、書き換えを始めた。
この物語の本編は、異世界ファンタジー『愚痴聞きのカーライル 〜女神に捧ぐ誓い〜』です。ぜひご覧いただき、お楽しみいただければ幸いです。
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