第7話 伝説の起源
学院長は、中庭の特設壇上に静かに立ち、青空の下、ゆっくりと目を閉じた。秋の風がローブの裾を揺らし、ざわめく学院生の前で、彼は一拍置いてから語り始めた。
「……繰り返されてきた“誤解”の騒動――
それはのう、封印がもたらした幻影にすぎん」
その第一声は、大空の下にもかかわらず、不思議と音の粒立ちが明瞭に届いた。
開けた中庭の風が、ひととき音を止める。
「封印……の影響?」
観客席の一角から、誰かがぽつりとつぶやいた。
学院長は深く頷き、手にした杖で石畳を軽く、こんと叩く。
「すでに耳にしておる者もあろうが――
アレクシスくんの内には、“七大深淵”の一柱──
かつて“魔王”と呼ばれた存在が封じられておる」
どよめきが、芝生の上を這うように広がった。
風が音を巻き込み、ざわざわと葉を揺らす。
「ナイトロード家からは、入学にあたって正式な申し入れがあった。学院と封印の共存、それを前提とした術式調整を――幾度となく繰り返した」
学院長の眼差しがゆるやかに中庭全体を見渡す。
その目は穏やかで、けれど深く、何重もの責任を帯びていた。
「だが……いかに綿密に準備しようと、完全無欠とはいかぬもの。結果として、学院全体に張り巡らされた結界と、ナイトロードの封印が――わずかに干渉し合ってしまった」
風が止まったかのように、広場の空気が一段濃くなる。
「この干渉が、マナの流れに微細な“歪み”を生み、知らぬうちに皆の認識の底に染み込み……“誤解”という名の幻想を、静かに育ててしまったのじゃ」
重たい沈黙。
その場にいた誰もが、頭の奥でゆっくりと、何かが剥がれる音を聞いていた。
「じゃあ、俺たちが信じてた“ナイトロード伝説”って……」
「……ただのマナ干渉、だったってことか……?」
観客席の一角から、しぼり出すような声が上がる。
学院長は、静かにうなずいた。
「闇のマナには、記憶や感覚を曇らせ、幻を見せる性質がある。今回はそれに似た効果が、学院全体に広がってしまった。意志とは無関係に、この学院そのものが、“ナイトロード”という存在を――
神話として、無意識に祭り上げてしまっていたのじゃ」
柔らかくも冷たい真実が、中庭を満たしていく。
「もっとも、すべての者が等しく影響を受けたわけではない。」
学院長は言いながら、ゆっくりとアルマとリリスの方へ視線を向けた。
「たとえばワシのように、長年“闇”を扱ってきた者は、その性質に馴染みすぎておっての、影響を受ける余地がない。そして、闇と対極にある“光”を極めた者――」
そこまで言って、アルマを軽く指し示す。
「アルマくんのような者は、干渉を打ち消す力が強い。加えて、封印の至近に長く身を置き続けた従者――」
学院長の目が、今度はリリスに移る。
「リリスくんのような存在は、“マナの揺らぎ”に対する耐性が自然と育っておる。結果として、影響は最小限に抑えられたようじゃな。」
俺は、なんとなく納得した。
アルマは常に理性的、そして冷めてた。
リリスに至っては、もはや“誤解”を楽しんでさえいた。
「……つまり、俺たちは……ただ“影響されていただけ”だったのか……?」
ぽつりと落とされた呟きが、木漏れ日の中へと溶けていく。
まるで長い夢の余韻のように、その言葉は誰の胸にも静かに届いていた。
学院長は、ゆっくりと頷いた。
「ふぉふぉ……“騙された”のではないのじゃよ。
ただ……知らぬ間に、“染められていた”だけじゃ。」
学院長の言葉に、中庭の風がまたそよぎ始める。
その静けさを破ったのは、不気味な、芯を冷やすような笑い声だった。
「……フフ、ハハハハ……!」
どこか薄暗い藤棚の影――そこに立っていたのは、黒衣の男。
揺れるマントの裾から滲むマナは、濃密にして不快。
顔は魔力のヴェールに覆われ、判然としない。
だが、その存在には疑いようのない“敵意”があった。
「ようやく気づいたか……愚かな子羊どもよ」
芝居がかった声が、青空に滲むように響く。
学院長の表情がわずかに引き締まる。
「やはり姿を見せおったか、“影の学者”よ」
その声音には、怒りと呆れと、わずかな敬意が混じっていた。
「封印の歪みに乗じて、物語を育てるとは……
まったく用意周到なことじゃ」
男は笑った。ゆっくりと手を広げ、特設会場を見渡す。
「“誤解が勝手に広がる”?そんな甘い都合、あるはずがなかろう。
我らが、手を添えたのだ。意図的に、精密に――な」
観衆が凍る。
「封印のせいで学院の認識が緩んでいたのは事実。だが、“伝説”として定着させたのは、我らの計画。噂を導き、記憶を揺らし、感情を撹拌し……幻想を、現実に変えていった」
「……まさか……“影の学者”……」
ヴィクトル教授が、蒼白な顔で立ち上がる。
男は、静かに、微笑んでうなずいた。
「ようやく、幕が上がる。
“ナイトロードの覚醒”という神話を、この学院に刻む時が来たのだ」
その手がゆっくりと上がった瞬間――
空が歪んだ。
特設会場上空の天蓋結界がうねり、空気が圧縮されていく。
影が空から逆流し、光を呑み込み、空間がひしゃげる。
濃縮されたマナが会場全体を圧迫し、観客たちの胸を締めつける。
――これはもう、“誤解”ではない。
今、すべてが――
“現実”へと、書き換えられようとしている。
この物語の本編は、異世界ファンタジー『愚痴聞きのカーライル 〜女神に捧ぐ誓い〜』です。ぜひご覧いただき、お楽しみいただければ幸いです。
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