第9話 封印劇場
かつて信仰が降り注いだはずの場所。
今やその礼拝堂の地下に残るのは、凍えるような静寂。
そして鈍く脈打つマナの残響だけだった。
揺らぎもしない魔導灯がひとつ、ひそやかに明滅するたびに、壁を這う影が歪む。そのなかにふたつ、対話のためにだけ存在する影があった。
「……封印の“正体”が明るみに出たらしいな。
いや、そう見せるように導いた、が正確か。」
低く、硬質な声が空間を打つ。
ヴェスティアが唇を歪めた。椅子に背を預けたまま、優雅に応じる。
「“揺らいでいる”と一言流すだけで、ナイトロード家は即座に反応したわ。
監査が動き、噂が巡り、誤解が火を灯す。火は熱を帯び、やがて――」
赤い瞳が、愉悦に細められる。
「信仰へと変わる。」
ルジェイドが視線をわずかに落とした。
「封印は、まだ破られていない。
だが、信じられてしまえば、それは“崩れた”のと変わらん。」
「マナの流れがどうであろうと、人の認識が先に塗り替わるのよ。
それが“伝説”という名の病――
あるいは、甘い夢。」
窓の外には、夜のマナが濃霧のようにうねり、結界の縁を舐めていた。
結界は確かに存在している。だが、それを信じる者の数は、日に日に減っている。
「ナイトロード本人が否定しようと無駄だ。
否定するほど、それは“悟られた演技”として解釈される。」
「否定とは、いちばん美しい肯定。
疑いが育ちきった今となっては、もう何を言っても火に油よ。」
ヴェスティアの指が空をなぞると、幻視の中に浮かぶ学園の光点がわずかに揺らいだ。
「もうこれは、誤解ではないわ。“物語”よ。
そして物語が始まってしまえば、
それを止めるには“終わり”を用意するしかない。」
ルジェイドが言葉を落とすように呟いた。
「だが“終わり”は、我々が書く。」
「だからこそ――“覚醒の兆し”を与えてあげましょう。
ささやかで、でも誰の目にも映る、完璧な演出を。」
二人の目が交わる。
「魔王は、目覚めつつある。」
「信じられた伝説は、真実よりも速く、深く、世界を染める。」
そのころ学院では、深夜の会議室に教師たちが集っていた。
封印の行方を巡って、焦燥と混乱が入り交じる声が飛び交う。
「マナ循環が逸脱している。放置すれば暴走の危険が――」
「封印の再構築を。手遅れになる前に!」
「……いっそ、封印を解除し、“討伐”に動くべきでは?」
議論が一瞬、凍る。
けれど否定はなかった。それはもはや、“語るに足る現実”と化していた。
ヴェスティアが、くすりと笑う。
「来たわね。“ならば討てばいい”という、無垢な勇気ごっこ。」
艶めいた声が、夜の空気を優雅に震わせる。
「自分たちがまだ、掌の上にいると知らずに。
封印が緩んだ今こそ好機――
そう思っている。滑稽ね。」
ルジェイドが静かに首を振った。
「七大深淵の一角。“魔王”と呼ばれた存在を、弱った獣とでも思っているのだろう。」
ヴェスティアが立ち上がる。ゆっくりと、幻視の魔法陣に手を翳す。
「“あれ”は災厄ではない。“意志”よ。
流れるマナそのものを、軌道から外し、反転させる意志。
人の理を、静かに、確実に、蝕んでゆく。」
ルジェイドの言葉が重なる。
「討伐とは、“外側”から名指せる者にしか成立しない。
内側から染まり始めた時点で、その言葉はもう届かない。」
ふたりの影が、交差する。
「学院は今、“何かを制御できるつもりでいる”。」
「だがもう、遅い。魔王の覚醒は始まっている。
マナに宿った印象と、言葉に触れた者たちの想像が、それを現実に変えていく。」
ヴェスティアが、ふっと笑った。
その声は、どこか楽しげで、どこか哀れむようでもあった。
「物語って、見えているものじゃないのよね。
人が“そうだ”と思った時点で、それはもう、動き出してる。」
ルジェイドが短く頷き、低く言い添える。
「そして――
語った者が、勝つ。」
礼拝堂の地下。誰にも届かない場所で。
まだ幕の上がらぬ“終幕”が、静かに息をし始めていた。
そして、ヴェスティアが最後に言った。
それは告げるでも、煽るでもなく。ただ、少しだけ、声を落として。
「……じゃあ、見届けましょうか。
みんなが望んだ“幸せな話”のつもりで始まったものが、
どうしようもなく手遅れな“悪夢”に変わっていく、その瞬間を。」
その言葉に応えるように――
光なき地下に、小さな拍手がひとつ、静かに響いた。
この物語の本編は、異世界ファンタジー『愚痴聞きのカーライル 〜女神に捧ぐ誓い〜』です。ぜひご覧いただき、お楽しみいただければ幸いです。
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