第7話 四環の封印
「――実験開始!」
ヴィクトル教授の威勢のいい声が、学院中央広場に響き渡る。
魔導装置に刻まれた陣がゆっくりと光を帯び、学院全体に流れるマナが可視化されていく。淡く、淡く――けれど確かに脈打つ光の帯が、空間に浮かび上がる。
……何も、起こらなければいい。
そう思っていた。心の底から、そう願っていた。
だが。
ドゴォォォンッ!!!
空を裂く爆音と共に、魔導装置の中央から黒い煙が噴き上がった。
「なっ……!?マナの流れが、ねじれている!?」
教授の声が震え、陣が明滅する。
マナの循環は暴れ、空気が重く濁っていく。
俺の胸にも、妙な圧迫感がかかってくる。
「……これ、マズくないか?」
そう呟いたその瞬間。
装置から、黒い霧が漏れ出した。
ドロリと滲むような、意思すら感じさせる濃密な影。
ただのマナじゃない。
“何か”が、こちらを見ている。
「まさか……本当に魔王の封印が……!」
うそだろ。またその流れかよ。
でも――今度ばかりは、笑えなかった。
教授が操作を試みるが、マナの奔流は制御不能。
結界が軋み、空間そのものが捻じれかけている。
ズズ……ズズズ……
影が膨張し、何かが“這い出そう”としている。
視界が揺らぎ、立っているのがやっとだった。
(やべぇ……もう俺、ダメかもしんねぇ)
そんなとき、背後から落ち着いた声が届いた。
「お坊ちゃま、動かないでください」
リリスだ。
彼女の指先が静かに払われ、五本の闇のナイフが宙を舞う。
「五芒星拘束、展開します」
ナイフが地面に突き刺さり、黒と銀の輝きが五角形を描く。
封印陣が展開され――
――次の瞬間。
音もなく、結界が“弾けた”。
「……これは」
リリスの瞳がわずかに開かれた。
その唇から、穏やかに落ちる言葉。
「困りましたねぇ」
拒絶している。
制御を。拘束を。
存在すらも――否定するように。
「私も手伝います!」
「全力で封じる!」
響く声。
走る二人の影。
まず、アルマ。
その手に純白のマナが宿る。
理知的な瞳の奥に宿るのは、絶対の意志。
「天より降り注ぐ裁きの光よ、罪を纏う者の動きを止めよ。浄化の輝きで鎖を紡ぎ、力を封じ込めよ──聖光鎖!」
白銀の鎖が空を斬り、闇を縛る。
光の鎖が滑らかに絡み、影を締め上げていく様は、まさに“制裁”だった。
……綺麗だ。
いや、違う。鎖が綺麗なんじゃない。
アルマが、鎖を操る姿が美しすぎる。
(な、なんだこの感情……この鎖、俺も絡まれてぇ……)
俺の中の何かがバチンと弾けた。
(あんな風に俺にも鎖をかけてくれねぇかな!?いや、俺が自分から絡まりに行くのもアリだな!?)
――そんなことを考えている場合じゃねぇ!
(……でも、アルマの鎖なら……俺、ペットでもいい……)
全然ダメだった。
次に、風紀委員長・ユージンが前に出る。
整った制服に、揺るがぬ声。
「乱れしものよ、逃れ得ぬ秩序の檻に沈め。鉄より強き律をもって、今ここに裁く――封鋼網!」
大地がうねる。
足元から鉄のように硬質なマナが編み上がり、鋼鉄の網が影を包囲する。
「うお……これ、土魔法の応用か!?」
驚きが口から漏れる。
四方から伸びる網が、影の動きを読み取るようにしなり、包み、締め上げていく。
まさか、ユージンがここまでの術を使えるとは――
風紀委員、マジですげぇ……!
そして最後に、あの声が届いた。
「白銀の帳は降りる。声も熱も、すべてを拒む沈黙の結界。抗う意志すら、霜の底に沈めましょう――氷結封」
セリーヌ。白銀の生徒会長。
その手から放たれた氷の波が、影を凍てつかせる。
――光、闇、土、氷。
四つの属性が一点に集中し、影を封じようとする。
だが、その瞬間だった。
ドォォォン!!!
影が炸裂。
凄まじいマナの衝撃が、四人を一斉に吹き飛ばした。
俺も、思いっきり空中へダイブし、背中から地面にダイナミック着地。
……だが。
影の気配は、消えていた。
静寂――
重い息を吐きながら立ち上がるリリス、アルマ、ユージン、セリーヌ。
その姿を、学院中の視線が見守っていた。
全員が、今の“事態”を理解していた。
「ナイトロードを単独で押さえ込める者は、もう学院にはいない……」
「四属性の魔法を重ねても、あれが限界……」
「これはもう、“伝説”じゃない。“災厄”だ……」
ざわめきが広がっていく。
歓喜と畏怖が交差する熱気のなか、俺は――
「だから!! 俺は!! 何もしてねぇってばよ!!!!」
叫びが学院の空にむなしく吸い込まれていく。
――と、その直後だった。
「……ねえ、アレクシス?」
ふとした声に振り向くと、そこにはアルマ。
いつも通りの冷静な表情で、俺をじっと見ていた。
「さっき、私が聖光鎖を展開してたとき……あなた、ずっと顔が赤かったわよね。マナの過敏反応?それとも、どこか体調が悪かった?」
「ち、ちがっ……!いや、あれは違うっていうか……いやほんとマナじゃなくて!!」
慌てて手を振る俺を、アルマはきょとんと見つめる。
「……そう。ならいいけど。次の授業、遅れないでね」
それだけ言い残して、くるりと踵を返し、軽やかに歩き去っていく。
いや、もう少し食い下がってくれ!!
誤解を解くチャンス、今ここしかなかっただろ俺!!!
……はぁ。
俺はその場にうずくまり、頭を抱え――
そして、またしても背後から静かな声が届いた。
「お坊ちゃまが、“鎖で縛られたい”ご趣味をお持ちだったとは……」
「ま、待て待て待て!!リリス!?それは盛大な誤解だ!!」
慌てふためく俺を見て、リリスはいつもの微笑みを浮かべる。
「でしたら、次回は“闇属性の鎖”で全身を優しく包みつつ、紅茶を差し上げましょうか?」
「やめろぉぉぉ!!それもう紅茶会じゃなくて拷問ショーだろうが!!」
「私は“ホーリーチェーン”は使えませんから……“シャドウチェーン”で応用するしかありませんね。適度な拘束と、適温の紅茶。緊張と緩和のバランスが肝心です」
「バランス以前の問題だろぉぉぉ!!誰がそんな鎖付きティータイム頼んだよ!!」
リリスの笑みが深まる。
俺は再び、学院の空を見上げて、絶叫した。
「くそぉ……俺は、ただ!普通に!生きていたいだけなのにぃぃぃぃ!!!!」
――こうして、封印の暴走は鎮まり。
けれど俺の尊厳はまたひとつ、紅茶と鎖にやさしく絡めとられていったのだった。
この物語の本編は、異世界ファンタジー『愚痴聞きのカーライル 〜女神に捧ぐ誓い〜』です。ぜひご覧いただき、お楽しみいただければ幸いです。
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