第7話 学院長の極み
「ふぉっふぉっふぉ……」
のんびりした笑い声が、決闘場の空気を一変させた。
……と思ったら、空間そのものが沈んだ。
重力が増したみたいな圧。空気が密になり、呼吸すら重い。
観客席が一瞬で静まり返る。
学院長が、まるで朝の散歩でもするような足取りで前に出る。
だけど、その背後に立ち上るのは――
底知れぬ闇。
その瞳は、光さえ溺れる深海のように冷たく沈んでいた。
「万象の基たる均衡よ、今ここに崩れ落ちよ。淵の闇は空を侵し、滅びの渦は理を呑む。虚なる天よ、我が命に応じて練り上がれ――幽渦の天錬!」
詠唱が終わった瞬間、視界が色を失う。
空は曇天に染まり、大気は震え、魔力の奔流が地面を這う。
黒紫の魔圧が全方位に広がり、建物が軋みを上げる。
「なっ……!」
影の主――
正体不明の黒幕らしき存在は、明らかに怯んでいた。
姿すら曖昧に揺らぎながら、それでも魔法を放つ。
「深淵より顕現せよ、闇の槍。理を穿ち、虚無へと還せ――虚槍闇!」
槍の形をした漆黒の魔力が、空間ごと抉りながら一直線に突き進む。
まるで宇宙にひび割れが走ったみたいに、存在自体を拒絶する異質さ。
しかし――
「……所詮は影よ。」
学院長は微動だにせず、ただ杖を軽く振った。
その瞬間、空間が逆流した。
虚無の槍は空中で捻じ曲がり、音もなく霧散する。
残滓すら、一片も残らない。
「闇、極まりて形を成す。影は結ばれ、理を捻じ伏せ、掌と化す――冥府の覇掌!」
地面を割って現れたのは、巨大な黒の手。
それは十も二十も湧き上がり、魔法陣を潰し、影をつかみ、引き裂き、すべてを掌の中へ飲み込んでいく。
「バ……バカな……!」
影の主が、かすれる声で叫ぶ。
「お前の闇は、浅すぎる。
闇とは――積み重ねた業の、深さに比例するものじゃ。」
学院長の声は、観客席の誰よりも重かった。
「契約を結べ、虚無の闇よ。逃れし者を戒め、逃げ場を閉ざせ――冥獄の枷鎖!」
黒の鎖が空間を裂きながら湧き出し、影の主を縛り上げた。
骨を軋ませるような音とともに、その存在を押さえ込む。
「……撤退する。」
影の主は、怨嗟を吐きながら、影へと沈んでいった。
霧とともに、その存在が、完全に――消えた。
学院長、圧勝。
で、俺?
ただ隅っこで、呆然と見てただけですけど何か。
でも、その結果――
「謎の乱入者と学院長の戦いにより、
覇魔戦アリーナの大幅棄損が確認されました!」
「これにより、決勝戦は――中止となります!!
よって、アレクシス・ナイトロードさん!
そしてアルルマーニュ・デュフォンマルさん!
両名、優勝といたします!!」
「いやいやいやいや!?!?!?」
気づけば、表彰台の上に立たされていた。
俺は、泣きたいのを必死で堪えていた。
隣には、クールな顔をしたアルマ。
ほんの横目で見ただけなのに、心臓がギュッと悲鳴を上げる。
こんなタイミングで好きな子と表彰台とか――
マジで心臓がもたねぇ!!!
「……ふふっ」
その時だった。
耳元に、静かに魔導通信のノイズが走る。
『お坊ちゃま。
運命の隣に立たれたお気持ち
――いかがですか?』
低く、澄んだ声。
あくまでも上品に、でも悪意だけは隠さずに。
「いやいやいやいや!!!
そんな大層なもんじゃねぇからな!?!?
俺、ただ流されただけだからな!!!」
『流れに乗ることもまた、英雄譚の始まり。
お坊ちゃまの軌跡は、すでに始まっております』
声は静かだった。
けれど、その一語一語が、じわじわと逃げ道を塞いでいく。
「始まってねぇってば!!!
せめて俺の意思確認してからにしてくれよ!!!」
『ふふ。
“伝説”に、本人の意志は関係ありませんわ』
冷たい、けれど妙に優しい響きで、リリスは告げる。
『どうか、堂々となさってくださいませ。
お坊ちゃまは今、この瞬間――
運命に選ばれた者として、そこに立っていらっしゃるのですから』
「やめろぉぉぉ!!!
ナチュラルに主人公ムーブさせようとすんなぁぁぁ!!!」
だけど、魔導通信の向こうから返ってきたのは、
小さな、小さな笑みだけだった。
『――お坊ちゃまの未来に、乾杯を。』
ああもう、絶対わざとだこのメイド。
こうして。
俺の覇魔戦は――
戦わずに勝って、誤解だけを量産して終わった。
伝説?いらねぇ!!!
平穏?どこにあんだよそんなもん!!!
……と絶叫する間もなく、
また新たな事件が、堂々と幕を開けるのであった。
この物語の本編は、異世界ファンタジー『愚痴聞きのカーライル 〜女神に捧ぐ誓い〜』です。ぜひご覧いただき、お楽しみいただければ幸いです。
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