第9話 神話の歪み
学院の尖塔を遠くに望む、朽ちた礼拝堂跡。その地下、地図からも除かれた空間に“観測室”はあった。闇魔法によってあらゆる探索を拒むこの密室には、二つの気配が潜んでいる。
結界の中心には、魔法学院の全景を投影した幻視図。塔の灯、廊下を行き交う生徒、紅茶の湯気さえも揺らめく光の粒となって、今この瞬間の学院を再現していた。
仮面をつけた男――
〈ルジェイド〉が、淡い映像の中央を静かに見つめる。
「……監視体制が敷かれたな。思ったより、早い展開だ」
隣に立つのは、漆黒のフードをまとう女──
〈ヴェスティア〉。
彼女は視線を逸らさず、アレクシス・ナイトロードの姿を見つめていた。
「学院が、彼という“物語の核”に焦点を絞った。
教師も、風紀委員も、生徒会も。
今や彼の咳一つが、全校を動かすわ」
幻視図の中、アレクシスがパンをかじる。
ただそれだけで、周囲の生徒がざわめき始めていた。
「“安定儀式か?”」
「“封印への適応反応では?”」
ルジェイドは、わずかに眉を動かす。
「……滑稽な解釈だ。だが、効果的でもあるな」
「人は、意味のない現象にも、意味を与えずにはいられない。
そしてその“歪んだ意味付け”が、新たな誤解を生む」
「誤解は、やがて信仰へと転化する」
「そして信仰は、“魔王の存在を前提とする構造”を生み出す」
ヴェスティアが一歩、幻視図に近づく。
黒衣の裾が床をかすめ、光のない空気をさざめかせた。
「……結果として、“ナイトロードという存在”が語られ続ける限り、封印は揺らぐ。“恐れられる対象”として、世界に認識され続けることで、封印自体の意味も更新されていくわ」
ルジェイドが低く応じる。
「ならば、“監視”という制度も……むしろ、我々の味方ということか」
「ええ。彼の行動すべてに“意味”が与えられれば、勝手に神話は進行する」
「我々は手を下す必要はない。ただ、誤解を少しずつ“傾ける”だけでいい」
ヴェスティアは、くすりと笑みを漏らした。
「“影が瞬いた”だけで、封印が揺らぐ。
“紅茶をこぼした”だけで、魔王が反応したと言われる。
……可愛いわよね。信仰って」
「……ならば、我々も“観測者”に徹するべきか」
ルジェイドが問いかけるように言う。
ヴェスティアは頷いた。
「誤解を“熱狂”に育てるまでは、ね。
あの子が気づくまでに、どれだけ世界が変わるか――
見届けましょう」
その時、幻視図の中で、アレクシスが唐突にくしゃみをした。
紅茶の雫がテーブルを濡らす。
「っ、今のは……!」
「“反応値が跳ね上がりました!”」
何人もの生徒が叫ぶ。
ルジェイドとヴェスティアは顔を見合わせ、ほんのわずかに笑った。
「……予定通り、ね」
「ええ。すべては、物語の脚本通りに」
闇の中に、ふたつの影が沈んでいく。
そして“語られた伝説”はまた一つ、学院に刻まれていった――。
この物語の本編は、異世界ファンタジー『愚痴聞きのカーライル 〜女神に捧ぐ誓い〜』です。ぜひご覧いただき、お楽しみいただければ幸いです。
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