十三話-006日目 赤き洗脳 ~封印解除を強いる罠
@悟視点@
[がらがらがら]
「……雨か」
バスルームの窓を開けると、薄暗い空と小粒の雨が俺の目に映る。外の湿度は昨日までに比べると高く、本格的な梅雨の始まりを告げているようだ。
小粒の雨が降り注ぐ梅雨の季節。梅雨の外気をさほど感じることのない朝を俺は迎えていた。
ここはバスルーム。寮の俺の部屋の中で、最も高出力で湿度を増すことのできる部屋だ。ついさっきまで温水シャワーが、眠る俺たちに対して、容赦なくぬるま湯を供給し続けていた。おかげさまで雨の降る外の比ではないくらい、バスルーム内は高湿度になっている。
「う。胃が重い」
動くと、腹の中で液体が揺れたので動きを止める。なんてことだ。たった一晩シャワーの湯を飲む姿勢で寝ていただけで、俺の胃袋を満たしてしまったようだ。くっ、シャワーめ、これって安全性に欠陥があるんじゃないのか?
[むぎゅ]
「うおっ!?」
ふらふらとバスルームを出ようとすると、妙な触感のものを踏んだ。驚いて飛び退くと、シャワーの湯の着地点辺りにふやけたパンレーが横たわっている!
そ、そういえば俺が目覚めた後、何度か寝がえりしているときにこいつの胴体が目の前にあった気がする。バスルームにしては妙に寝心地がよかったのは、湯でふやけたこいつが枕になっていたからか。部屋の枕よりもよく眠れた気がするぜ。部屋の枕は摩耗してるし。よし今度、枕買い替えるか。
「おいパンレー。って、お前妙にでかいな」
「んんー。ふぁああ……。もう、早朝に起こさないでくださいよ」
「いや普通に朝だよ。今日は俺も遅起きだったんだ。それよりもお前、洗面台の鏡で自分のサイズ見てみろよ。でかいぞ」
「んー?確かに、お前が前より縮んで見えますね」
水でふやけている影響を抜きにしても、パンレーのサイズは昨日よりも明らかにでかくなっている。昨日は手帳サイズでコートの胸ポケットにも入っていたが、今のパンレーのサイズでは胸ポケットに入るのは無理だろう。頭の先から尾の先端までで、俺の顔よりも長い。小さめの枕くらいの大きさだ。
「どれどれ。うわ重っ。絶対1キロ以上はあるぜ!」
パンレーを片手で抱え上げると、ずっしりとした重みがある。2~3キロくらいはありそうか?ふやけてるからその分の重さもあるかもだけど。このサイズだと噛まれたときに痛そうだな。
「失礼ですよお前。びしょ濡れだから重いだけですもん。ってかここお風呂場じゃないですか。なんでお前、土足で入り込んでいるんですか。汚いなあ」
「げっ。マジかよ!部屋から土足でここまで上がり込んでたのか。うわ、部屋の敷物が泥まみれになってやがる!外、雨だよな。こりゃ干して乾くのは無理そうだ」
「洗濯している暇はありませんよ。帝国で捕まったという東武を探しに行くんでしょう。ぱっ狐とゲージの連合でしたか。以前に黒天利が奴らに指示を出しているという話もありましたし、もしかすると東武が捕まったことと関係あるかもしれません」
「ボケ役が言ってた話か。あいつは以前に校長や姫卸と組んで、奪還作戦で返り討ちにされたんだったな。やってることは今回の俺たちの目標に近い。丁度いいから詳しく聞いてみるか」
というわけでボケ役、ぱっ狐&ゲージ連合について詳しい情報を教えてくれ。今、奴らに東武の持つ「封印解除のカード」が渡れば、需要のある恐怖の大王一族にきっと高値で売りつける!そうなればシクレットとかいう怪物の封印が解かれるはずだ!そうなる前に俺たちで回収したい!…………おーい、ボケ役?居ないのか?
「……返答がないな。今日はいないようだ。肝心な時だってのに間の悪いやつめ」
「ちょっと心配ですね。城赤は封印解除のカードの在処が東武であると見当がついていました。一族が隠れるのをやめて、特星の拠点から帝国に最短で向かっていたら、とっくに特星本部の職員と戦闘中の可能性もありますよ」
「ちょっと気が早い気もするが。城赤はカードの力でシクレットと接触しているからな。帝国に封印解除のカードがあることが知られるのはあり得る話か」
とはいえ帝国は、勇者社も特星本部もないアクセス手段の乏しい隔離地域だ。それに加えて、今は謎の力で船や特殊能力で近づくことができないという話を以前聞いた。恐怖の大王一族が侵入できていないって考える方が自然な気もするが。
「残念ながら君たちは城赤様を過小評価している。すでにあの方は帝国にいるよ」
「うわっ!誰だ!?」
[ざばあぁん!]
声のした方に目をやると、先ほどまでは何もなかった浴槽にはいつのまにか水が溜まっていた!そして浴槽の中から1人の男が水しぶきを上げながら飛び出した!男は片手に望遠鏡を持っている。
「な、なんで空だった浴槽に水が……?ってかお前、つい最近見たことあるような」
「僕は稲穂月。君とは隣のクラスだよ悟。昨晩、城赤様から力を得たばかりでね。水を湧かせたり、水中へ瞬間移動ができる水中の呪術師さ」
「水を湧かせて水中へ移動?なら俺の浴室の風呂に即座に水を入れて、テレポートしたってことか?……つ、強くね!?一晩で得た力とは思えないくらいスペック高くないか!?」
「テレポートの範囲に制限がなければ、あらゆる沿岸部に自由自在にアクセスできるってことですよね。この都合のいい呪術師なら帝国に侵入できそうじゃないですか?」
「君たちが負世界から帰ることを城赤様は知っている。昨日洗脳前にだが、偶然にも僕は見てしまったからね。悟、君は女子寮の屋上であの印納さんの胸を下着越しに触っていたよね。僕は、洗脳された際にその出来事を城赤様に伝えたら、呪術の力を授けてもらえたのさ」
「なんですって?雷之 悟、お前どういうことですか」
な、なんでそのことを!?……そうか思い出した。こいつは昨日、男子寮の屋上から女子寮を覗いていた学生だ!ならこいつは覗きの常習犯!覗き魔の言葉に耳を貸すことはないはずだ!
「待てよパンレー。その出来事を知ってるってことは奴は覗きの常習犯!覗き魔だ!こんな男の言葉に耳を貸す必要はないぜ!」
「事実なんですね?」
「予定変更!不法侵入者がいるってことはだ。部屋の泥だらけの足跡も不法侵入者がやったと考えるのが妥当だ。つまり稲穂月!お前は敷物と床を泥で汚し、風呂と風呂場タイルを水で汚しているってわけだ!掃除や弁償が嫌なら、誤解を招く発言を訂正しな!」
「そんなことより僕の用件を伝えるよ。今、特星中の多くの民が僕と同じように、城赤様の支配下にあるんだよ。これがその証さ!」
「「げっ」」
稲穂月は自身の服の袖をめくると、その異質な腕を見せつけた。奴の腕にはカードが直に装着されていた。いやカードが稲穂月の腕に寄生して一体化している!?カードはまるで腕の一部であるかのように奴の腕と一体化して、奴の血管が不自然にカードの上側の面につながっている!装着ではなく、寄生や浸食という言葉がふさわしいありさまだ!
「な、なんですかその腕は!」
「これは『赤き洗脳』のカード!城赤様がシクレットの呪術の力を借りて生み出している呪いのカードさ。今の城赤様がカードをドローする度にこのカードが生成されるらしいよ。このカードにより特星はすでに支配されているんだ」
「な、なんだって!?」
特星がすでに支配されている!?い、いくら特星の人口が少ないって言っても、星全体で1000万人いるかどうか位の人口はあるはずだ。城赤が洗脳されたのはここ数日の話だし、シクレットに会ったのは下手すりゃ昨日だ。いずれにせよ、その短い期間で城赤は1000万回近くもカードを引いてるってわけか。やはり奴はカードに関してはまともじゃなさそうだ。
「僕らをカードの洗脳から解放する方法はたった一つ。封印解除のカードの力を開放することだよ。城赤様は今、帝国の洗脳が通じない連中に手を焼いていてね。封印解除のカードの入手は、特星での活動に手慣れている君たちに任せることにしたみたいだ」
「特星の住人を人質にしようってのか!ちっ、やり方が汚いぞ!」
「どうしましょう、雷之 悟。コート神であるお前には呪いのカードである『赤き洗脳』は通じません。同じく呪術を防いでいる帝国に移住すれば、安全に暮らすこともできますけど」
「くっ」
こんなの答えは決まってるさ。こうなった以上は封印解除のカードを入手して、特星の住人を『赤き洗脳』のカードから解放するしかない。その結果シクレットが復活するかもしれないが、……いやシクレットの呪術で作られている呪いのカードなら、むしろシクレットの復活こそが特星の住人の解放条件だろうな。シクレットはほぼ確実に復活するが、そのときは実力行使で止めるしかないか。
「わかったよ稲穂月。俺が封印解除のカードで特星の住人を開放してやる!もちろんお前もな!だが被害の規模がお前の言葉通りだったらの話だ。無事なやつが多けりゃ他の手段を探すぜ」
「ありがとう。城赤は洗脳中の僕らの会話を把握しているはずだからね。きっと証明してくれると思うよ。ちなみに帝国のバリアは呪術で無視できる代物じゃないから、潜入方法は自力で探してね」
「潜入方法は負世界で得たので問題ありません。むしろこの事態を見越して、城赤は私たちを負世界に送ったんじゃないですか」
「さあ。どうだろうね」
全てが城赤の予定調和なら、やはりシクレットの復活は免れそうにないか。シクレットの封印解除を阻止する側だったのに、まさか俺たちの手で封印解除のカードを探して、カードの力を行使することになるとはな。……城赤、今はお前の計画に乗ってやるが、このままお前の思い通りに事が進むと思ってるなら大間違いだ!主人公相手にカードの計算が通じると思うなよ!
俺が部屋の外に出ると、寮の扉が一斉に開く。そして中から寮に住んでいる生徒たちがぞろぞろと俺の周りに集結してくる。その中には俺の見知った顔が何人もいる。連中は皆して肌の一部を不自然に露出させており、身体と一体化している『赤き洗脳』のカードを俺とパンレーに見せつけているかのようだ。
「お前ら!烈にジャルス、ボマーの咲まで!それに他の皆も、お前ら全員カードの洗脳をされたのか……!」
「よう悟!!!見ての通り俺たちは城赤様に洗脳してもらったのさ!!朝起きたら城赤様に忠誠を誓う心が芽生えてたんだぜー!!!コート神でなけりゃお前も仲間になれたのによー!!残念だぜ!」
烈がコート神の特性を理解しているだと?確かに神を含めた信仰生物には呪いの類は通じない。烈にその話をしたかどうかは定かじゃないが、烈なら話しても1日で忘れるだろう。どうやら城赤が洗脳ついでに色々入れ知恵しているようだ。
「雷之 悟。お前の知り合いもやられているようですね。今いるメンバーを見てどうですか。寮の部屋数を考えると半分くらい洗脳されているというのが、私の見込みですが」
「今、ここにいるのは大体そんなもんだが。ただこいつらは早朝や朝に強い連中ばかりだ。寝てる最中に洗脳されたのなら、この時間は寝ている遅起きの奴や夜型の奴も洗脳されてると思う」
「半数がまだ寝てるのに、大声で話してますね。てか、お前毎朝うるさいですよ」
「うるさいってことは起きた後だろー!!!問題ねーって!!」
「その考えは浅い。そんなだから悟と並んで厄介者扱いされるんだ、烈。アイスキューブ!」
[ずががががぁん!]
「「「ぎゃあああぁっ!」」」
突如、氷のブロックが俺たちの集まりに飛来して、周囲の連中を吹っ飛ばしていく!運よく俺の居た位置には飛んでこなかったが、明らかにその軌道は人物狙いで放たれた攻撃だ!なんせ、すべての氷のブロックは周囲の連中の顔に直撃していたからな。ヘッドショットを多用する俺に対する挑発、まるでそんな意図を含んでいるかのような攻撃だ。
攻撃の主は、寮の前でふてぶてしくこちらを見ている。クレーだ。奴は片手をポケットに突っ込みながら、冷気の残るもう片手をこちらに突き出している。髪の乱れ方が酷く、更にどう見ても寝起きのパジャマ姿の衣服なのに、その上に黒く薄いマントを羽織っている。寝起きか。
「クレー!?まさか同じカード術師である城赤様に歯向かう気か!」
「よくもやったな!やっちまえ!」
「おいおい、お前ら……」
[どがががぁん!]
残ったメンバーの特殊能力による攻撃がクレーに集中する。氷、炎、光線に土、様々な攻撃がぶつかり合いながらクレーへ向けて突き進んでいく。しかし、特殊能力による攻撃はクレーに届くことはなかった。激しい一斉攻撃により生じた土煙が舞う中、クレーの前に張られたバリアが全ての攻撃を防いでいる!周りの連中はまだそのことに気づいていないようだ。
「俺が敢えて、さほど脅威でもない烈とかをも狙った意図は、魔法攻撃を仕掛けそうなお前らを残すためだ。俺のマジックバリアは魔法攻撃を遮断する!そして、マジックバリア・ブラスト!」
[どさっ、どさどさどさっ]
クレーのバリアが何十発もの光の玉に変形し、攻撃を仕掛けた奴らの胸部に直撃する!連中の体内で光の玉は弾けて消えてしまい、光の玉を受けた奴らは意識を失って次々と気絶していく。特に攻撃された位置に穴などは見当たらない。
にしても、一撃でこの人数を全滅かぁ。強力な技だが、バリアを直線攻撃にするから臨機応変な応用は難しそうだ。普通の地上戦とかには使えそうだが、細い螺旋状の通路を高速で滑り降りながらの使用とかは難しいだろう。昨日は使う機会がなかったんだな。
「す、凄いです。この人数をあっという間に」
「そうでもないさ。マジックバリア・ブラストはマジックバリアと同じく魔法攻撃を受け付けない。だけど物理現象には無力な性質上、人間などの生物にダメージを与えられない。今、彼らが倒れているのは、呪術の効果を一時的に遮断したからだ」
「クレー!お前は『赤き洗脳』のカード効果を受けてないのか!?」
「よう悟。お前も無事だったか。俺は昨日寮に帰ってから、今日の早朝まで部屋の整理をしてたんだ。酷い散らかり方しててな。おかげで深夜にカードの出現に気づいて、マジックバリアで呪術の力を遮断できたってわけだ」
「部屋の整理だって?……パンレー」
「ええ」
クレーの言葉の真偽を調べるために俺はパンレーに合図を送る。パンレーの魔法を使えば、相手の電気信号から過去を読み取ることができる。これでクレーが本当に操られていないかどうかは丸わかりだ!もしも嘘ならば城赤の入れ知恵やカードの能力、あらゆる情報を奪ってやるぜ!
「そういえばお前、物語世界の外のクレーと入れ替わったんだったか」
「ああそうだ。10年近くぶりの帰宅さ。だが、何者かが俺の部屋を勝手に利用してたみたいだ。物語世界の外の俺の仕業かとも思ったんだが、あの散らかり方は奴とは思えない。カードゲームに女性ものの下着や衣類、女生徒を連れ込むような人物が犯人だなありゃ」
「クレーの部屋にカードゲームが?あっ。それ多分ゲージじゃないか」
「ゲージだと?高校によく来る黒猫が?」
「ああ。前にお前の部屋にいたぜ」
以前、城赤と裏ドリカードゲームで争っていた時の出来事だ。ゲージとぱっ狐がクレーの部屋を占拠して密談をしていた。その頃はクレーの部屋は散らかってなかったが、ゲージはその後に俺の31億枚もの裏ドリカードを持ち出している。奴が部屋を継続的に使っているなら、カードゲームや女性ものの下着を持ち込んでいてもおかしくはない。あの女装猫は闇の世界でパンツを盗みまくった前例がある。
「今までのクレー、物語世界の外のお前はあまり部屋に居ないようだった。バイト三昧で忙しそうにしてたかな。その隙にゲージがお前の部屋に住み着いたのさ」
「ちっ、なんてこった。俺が目を離してる隙にそんなことになってたとは」
「でも、自分と同じ姿の存在に行動させていたのでしょう。どうして目を離したんですか?自分の生活に影響することなのに」
「いやちょっとな。……始まり方がよくなかったんだ。物語開始してから数年、奴も闇の世界に閉じ込められていたからさ。見飽きたっていうか虚無でつい」
「へー。……あれ。物語って開始地点があるのか?もっとこう、世界の流れ的な概念だと思ってたんだけど。お前の言い方だと割と最近、少なくともお前が闇の世界に閉じ込められた後だよな」
「ま、その話はいずれな。……俺は決めたぜ悟。俺の部屋を荒らしたゲージ!そして寮の仲間たちをカードで好き勝手してくれた城赤!俺は奴らを野放しにするつもりはない。思い上がった悪党どもにお灸を据えてやろうと思う。そこでどうだ悟。今、無事なお前らも一緒に来る気はないか。今のままじゃ安心して寮で熟睡できないだろう?な?」
「そのパジャマ姿でよく言うぜ。だけど俺たちと倒す標的は同じみたいだな。いいぜクレー。お前もゲージと城赤のところに連れて行ってやるよ。今、俺らは奴らの手掛かりを掴んでいるのさ」
「え、マジで?お、思ったよりも手際がいいようだな。……いや早過ぎないか?えっ、なんで共闘を持ち掛ける前から情報持ってんの?それが主人公補正ってやつか?」
「ああそうだ。早く着替えて来いよ。パジャマ姿で行く気かよ」
「そっかぁー。よし、ちょいと待ってな。敵を葬るのに相応しい格好に整えてくる。だが、操られていたとはいえ僚友を放ってはおけないな。悟、俺が着替える間にみんなを部屋に運んでおいてくれ。着替えたら俺も手伝うからさ」
「なんで俺が!?おいー!?……あ、あの野郎ぉ」
クレーは有無を言わさずに自室に戻っていく。残されたのは俺とパンレーと倒れた大量の寮生たちだ。パンレーは大きくなったとはいえ、人間を運べるほどの体格ではない。つまり実質、俺と戻ったクレーの2人で運ぶことになる。……クレーは俺よりも生真面目そうだからな。奴が戻る前に片付けちまう方が多分楽だろう。
「俺の部屋に来てた稲穂月はここの連中の中には居ない。奴にも手伝わせて、クレーが戻る前に寮生全員を一番近い部屋に詰め込むか」
「雷之 悟。ちょっと相談が」
「どうしたパンレー。あ、そういえば魔法でクレーを探ってたんだよな。クレーは『赤き洗脳』のカードでは操られてなかったか?」
「えーっとですね。実はその、相手の思考と過去を読み取るその魔法なんですけど。成長したからか使えなくなっちゃって」
「な、なんだって?一番便利だったのにもう使えないのか?」
「その通りですね。あれはかなり小さなエネルギーの精密動作が必要なので、もはや成長した今の私には不釣り合いな魔法なわけです。代わりに今の体に対応した新魔法が使えそうです」
「そうか。とりあえず今はいち早く生徒を片付けたいんだ。パンレーは稲穂月を呼んできてくれ。危なくなったら大声で叫べよ」
「……ふーん。皿々ちゃんのように見限ったりはしないんですね。今の私は、一番の取り柄を失ったといっても過言じゃないのに」
「皿々?あいつは確かに強い奴らとよくつるんでるけど。俺をあいつと一緒にするなよ。俺は実力の強弱は気にするけど、わざわざ強い奴を呼んでパーティを組むとかはあまり考えないのさ。強弱で見限るって考え方はない。戦闘できない知り合いも多いし。まー、しいていうなら、説明なしで協力できる奴の方が組みやすいかな」
「そういえばクレーにも状況説明してませんね。彼、困惑してましたけど。……ふっ、そうですか。稲穂月を連れてくるんでしたね。待ってなさい、窓から蹴落として秒で連れてきますよ!」
パンレーは勢いよく飛んでいき、寮の窓ガラスを突き破って2階の部屋へ侵入する。数秒後、2階から突き落とされた稲穂月が気絶したことで、生徒を運ぶ手間が少し増えたのだった。
雨が上がり、時間が昼を過ぎたころ。
俺とパンレー、そして後からやってきたクレーの3人で収納が間に合わなかった生徒たちを部屋に運び終え、今俺たちは勇者社に向けて移動している。クレーが裏ステージへの入り方を知っているらしい。
俺も結構前に裏ステージに入ったことはあるものの、あの時は100億セルの宝くじを巡って印納さんとの激闘中、一か八かの適当転送弾が発動して迷い込んだに過ぎない。あれ以降、一度も転送の魔法弾を発射できたことはなく、俺の中では幻の技となっている。多分あの時、俺の魔法弾が印納さんの槍魔術の影響を受けて強化されてたんだと思うが、真相は闇の中だ。
「でも本当かよクレー。勇者社から裏ステージに行けるなんて初めて聞いたぞ」
「物語世界の外の俺が闇の世界から解放された後、奴が魔王になったと知らせを聞いたのさ。その際に奴の視点を覗いてみたら、勇者社の転送装置で裏ステージに向かっていたんだ。魔王になった特典候補の1つ、裏ステージの居住権。その視察に向かっていたらしい」
「視点を覗けるのか。イレギュラーの特権ってやつか?」
「ふっ。ある程度の不都合を押し付ける見返りというか、せめてもの保証だろうな」
「不都合?」
物語世界の外からもう一人のクレーがやってきたのが不都合ってことか?ふむ。イレギュラーってのは単にパラレル世界のそっくりさんがやってくるだけかと思ってたが。よく考えれば、同じ人物が何人もいるとパニックになるよな。物語世界のこいつは外のクレーが活動するために、不都合な目に遭ったってことだろうか。
以前、目の前のクレーと会った時に、なんて言ってたっけ。物語世界のクレーと物語世界の外のクレーがセーブデータやアカウントを共有している的な例えを言ってたはずだ。パニック回避のために1人しかクレーというアカウントに影響を与えられないなら、目の前のクレーはその間、アカウントに影響しない場所にしか居られない……?それがクレーの不都合ってことか?
「その頃のクレーは外のやつなんだろ。お前は同じ時期、わざわざ邪魔しないように遠くに引っ込んでたってことか?」
「ああ。物語世界の外からイレギュラーが来ている間、俺は物語に登場しない範囲にまで活動場所を追いやられた。戻ろうにもこの世界が許さない。戻る機会は何らかの不都合によって失われるのさ。俺は魅異やメニアリィからそう説明されて、恐怖の大王一族の下で登場を待つことを選んだんだ。名の知れない町でお前と再開するよりも、強大な敵の側近として立ちふさがる方が性に合っているからな」
「やっぱりそうか。ってか、俺と会うことは既定路線なんだな」
「それよりもクレー。恐怖の大王一族がよくお前を迎え入れましたね。奴らも物語世界やイレギュラーの存在について知っているということですか」
「あ、いや。さっきと逆で世界が都合よく動くんだ。……ただ一族の連中、外の俺が俺に会いに来たときは気にせず通してたからなー。後で聞いたことあるけど、俺とそっくりな物語世界の外の俺を認識していたが、物語世界やイレギュラーについては知らなかった。なんで通したかを聞いたら、わからないんだとさ。これって認識してんのか?」
ん?あれどういうことだ?このクレーは物語に登場しない範囲にまで追いやられたんだろ。それは2人のクレー同士が遭遇することによるパニックを回避するため、だよな?……2人のクレーを遠ざけておいて、どうして2人が会うことができるんだ?
「クレー同士は会えないようにされてたんだろ。会っていいのか?」
「物語の範囲外でなら会えるのさ。……ああ、でも1度、名前を呼ばないって条件付きで物語の範囲内で会ったこともあったな。ウィルが勇者社を襲撃した翌日、だったか。ウィルや城赤もいるときに呼ばれて、奴が去った後のことを話したな」
「ウィル襲撃の翌日ですか。3日前ですね」
「人前でも会ってたのか!?じゃあ、そもそも物語の範囲内って何なんだよ?」
「ふっ。悟、お前の本領を忘れちまったのか?自分の胸にでも聞いてみるんだな」
「あん?」
「あっ!2人共、勇者社の前に誰かいますよ!……あ、あいつは!」
「「うん?」」
道の角を曲がり、勇者社の近くまで来たところでパンレーが叫ぶ。声の方を見ると、そこには見覚えのある2人が勇者社の前で立ち話をしていた。とても接点のあるとは思えない2人、その内の片方は魅異、そしてもう片方は昨日街中で会ったばかりの男、正志だった!
「昨日のナイフ野郎!お前、勇者社で何してやがる!?」
「おっと。本当に現れやがるとは。てめーが雷之 悟だな!昨日は下手な変装で上手く逃げやがって!ちっ、結局は魅異の言う通りってわけかよ」
「だから言ったでしょ~。昨日は条件が整ってないから無理だって。私が手を貸せば覆せなくもなかったけどね。条件が揃ったからにはもう物語に干渉する気はないよ~」
「な、何の話だ?見たところ『赤き洗脳』のカードの寄生は受けてないようだが」
「『赤き洗脳』?ああ、こいつか」
正志はポケットから真っ二つになった『赤き洗脳』のカードを取り出す。魅異が無事なのはともかく、この男もカードの洗脳を回避できたってのか!?運のいいやつめ、クレーのようににこいつも部屋の片づけでもしてたんだろうか。
「敵も小賢しい真似しやがるぜ。勇者社が俺様のものになるってときにこんな危険物を仕掛けてきやがって!よほど俺様が脅威に感じているらしい!人を見る目のねえ敵様だぜ!」
「勇者社がお前のもの?な、なに言ってるんだ?なあ魅異!」
「ごめんね悟~。私はね、次の勇者社社長、つまりは後任者をこの男に決めていてね~。今、引継ぎを終えて私は物語から身を引くつもりだよ」
魅異が勇者社社長を辞めるだと……!?ば、バカな!特星で無敵の魅異の代わりがどうしてこんな危険人物なんだ!?それに魅異以外に勇者社を維持できるやつがいるとも思えない!く、事情はよくわからないが放ってはおけないぜ!