七話 不可逆の異次元ホール ~ウサギの穴と人攫いの星
特製本部で行われた『雑魚ベー救出作戦』のメンバー決め終了後から、
時間は飛んで……。
『雑魚ベー救出作戦決行後』の地球にて。
@校長視点@
はぁーっ。悟君たちと別れてそろそろ20分。彼らが無事に雑魚ベーさんを救出できていればいいのですが。……心配です。長い年月を生きているとはいえ、彼らは純真な心を持つ子供。卑劣な手段を使われたら戦うどころでは……。
「……いけない。私は校長。彼らを信じるんです」
最悪の事態を避けるためにも、早く兄の偽物を捕えなければ。偽正者は……兄と同じように犯罪的なレベルで人への迷惑を考えない性格。悟君いわく、狡猾で卑怯で悪意に満ちているという。……最悪、私自らの手を汚してでも、命を断たなければならない相手かもしれない。そこまでしないにしても身内の者として、せめて地球に迷惑の掛からない特星まで連行するくらいの処置は必要でしょう!
……とはいえ今回の件、あまりに特星側の人間が目立ちすぎている。他の特星本部の人たちが今回の件でどういう決断を下すのか。私にはとても見当がつかない。……それに救出作戦の会議前、特星本部長が地球との交流を断つことを視野に入れていたのも。地球にいた監視員の生徒たちはすでに撤収済みという話だったか。機密事項だから悟君たちには話してはいませんが。
「っと。兄を探すことに集中しなければ。ですが本物のようなオーラが感じられない相手。一体どうやって探せばいいのか……」
会ったことのある相手であれば波動で探せばいい。でも偽の兄とは未遭遇なうえ、ここ北界県の広さだと特殊能力封じの範囲外だとしても人探しは難航するでしょうね。街がそこそこ発展していて人の出入りも多いから、私の波動との相性もよくない。もっともっと色々できると便利なんですがねー、この能力。
[どかっ]
「うわ!?」
「いてっ!てめえ……どこ見て歩いてんだクソじじいっ!」
「あ、すみません。ぐあっ!?」
曲がり角でぶつかった男は私のすねにかかとを叩きつけて、そのまま去っていく。くっ、ぶつかっただけでなんて横暴な男だ……!あの男、なんで真冬にウェットスーツなんか着て街中を歩いているんだ?明らかに周りから浮いていますし、関わり合いにならないほうがいいですね。
「……ウェットスーツ?」
待てよ。確か局長さんの話の中に、偽の兄が緑色のウェットスーツを着ているという話があったような。まさか今の男……!?
「ま、待ちなさい!逃がしませんよ!」
「ちっ。うっとおしい奴が絡んできやがって。俺様は今、猛烈に機嫌が悪いんだ……!今すぐ消えろ!さもねーと手遅れにしちまうぞ!」
うっ。男は立ち止まって振り向いたものの……こ、怖い!この男、ただならぬ悪意と殺意を持ち合わせている!これが本当に子供の頃に見た、あの兄の写し身なのか?
「あなたが正者ですね?」
「なに?……てめえ。どこの誰が正者に用があるって?」
「とぼけたって無駄です!私は特……」
い、いや待て私!よく見たら、今いる場所は通行人のいる街中だ!しかも彼がガラ悪く声を上げたからか、周りがこちらを見ている!特星からの監視員がいないにしても、こんなところで特星関係の話題を出すわけにはいかない!地球人にあの星の存在が露呈すれば、きっと特星の安泰は乱れてしまうっ!
「いえ……、私は正安。あなたのオリジナルの弟ですよ。不本意ながらね」
「正者の……つーことはてめーだな?変な星を作って、不可逆を克服できた気でいやがる大馬鹿野郎はよぉ!はっ、正者の弟にしては腑抜けたツラしてやがるぜっ」
「偽正者。私たちは互いに地球にいてはならない存在です。しかし、ここで決着をつけると人目につきすぎる。あなたもテレビ局長の座を乗っ取る前のタイミング。今、日本警察に目をつけられては今後動きにくくなるはず」
「はああぁぁ?おい……ざっけんじゃねえ!瞑宰テレビ局にはとっくに瞑宰県警がうじゃうじゃいやがるぜ!?ええっ、おいっ!あの長髪男を地球に寄越しておきながら!よくもテレビ局乗っ取りだなんて抜かすことができるもんだな!?」
「……雑魚ベーさんですか。ですがテレビ局爆破の件はそちら側のやったことのはず」
「ああそうさ!あのクソチビのせいで俺の計画は全部パーだっ!ババアはババアでチビに味方して、この俺様を捨て駒にしやがった!だがっ、きっかけは長髪男!奴さえ現れなければ、クソチビが余計な動きをすることもなかった!想定外だったぜ……完全に!大体、兄の名前はベータって話だったはずだ、クソが!雑魚ベーなんて露骨な偽名使いやがって!」
ああそうか。この男は身動きが取れないのか。瞑宰県テレビ局が警察沙汰になってしまったから!この偽正者という男は、テレビ局長を陰から操っていた裏の支配者!そんな男の存在が判明すれば、テレビ局爆破や局長行方不明事件の有力容疑者となる!だから日本の北の地まで高飛びしてきたんだ!
「偽正者……今のあなたにこの日本国を支配する力はない。そしていま私がここにいるように、我々特星の民はあなたを追っています。逃げ切ることは不可能!自首しなさい偽正者!」
「自首だと?へっ、おかしなことを抜かしやがる!たかだか異星人の分際で!この俺の星に土足で踏み込むんじゃねええぇっ!」
「なっ!?波動ムーンウォーク!」
偽正者が刃物を持って突然襲い掛かってくるものの、靴底に張り巡らせた波動で滑るように回避する。…………あれ?とっさに波動を使いましたが、まだこの場所は特殊能力の効果が及ばない領域内のはず。さっきの送り迎えでも波動ワープができなかったのに。な、なぜ今、特殊能力が使えるんですか!
「きゃあああぁ!通り魔よーっ!」
「け、警察を呼ぶんだ!早く!」
ま、まずい!偽正者の凶行を市民に見られてしまった!警察が来ては、世界樹にいる皆も動きにくくなってしまう!波動が使えるなら、波動ワープで偽正者を捕獲して……いやダメだ!市民に感づかれる!靴底の波動で滑るくらいならまだしも、波動の落とし穴に偽正者が落ちたとあれば!さすがにバレる!
「ちぃっ!今のが特殊能力か!ここでテメーがそれを使えるってことは……天利のババアめ!すでに雷之家の誰かと決闘を始めてやがるな!くそっ、本命のコート野郎は始末したってのに!」
「…………え?始末!?」
「ああそうさ!昨日、俺様に歯向かった雷之 悟とかいう特星人!つまりテメェのお仲間を!この俺がっ!宇宙の彼方へと消し飛ばしてやったのさ!」
「なっ!?……あっ」
「はははは!もはや助けることは……まあ不可能!諦めなっ!天国すらも通り過ぎた宇宙の中でくたばっているからなぁ!」
そうか、昨日ロケットに乗った悟君と局長が助かったことを偽正者は知らないのか。この男!事実を知らないからって人殺し自慢を!ああもう、早く人目のない場まで離れたい!この男が動かなければ私が動けないじゃないか!
「あの、いい加減にこの場を」
「いいのか?そいつはまだガキみたいなヤツだ!正安、お前の命ひとつで、その悟って男を生き返らせることだってできるんだぜ!」
「は、はい?」
「死後24時間以内なら魂を入れ替えれるのさっ!てめえのクズみたいな魂ひとつありゃあ、ガキ一匹を救えるってことだ!しかもそのガキってのは、お前が子供の頃に会っていた雷之家の女、オリジナルの雷之 天利の跡取り息子なんだよなぁ~っ!くくくくっ、まさかとは思うがお前……友人の息子を見殺しにするわけねえよな、ええっ!?」
こ、こいつ!戦わずして私の命を奪おうとしている!普段の私なら乗ってしまいそうな取引で、私の命を断とうと!こんな卑劣な嘘、事前情報がなければ命を差し出すに決まっている!人の弱みに付け込み、嘘かもしれないのに断れない取引を持ちかける……!くっ、悪事慣れしている敵というわけですか。
こういう相手には長期戦は挑まないほうがいいですね。長引くほどに相手を騙す要素を持ち出してくる。こちらから仕掛けて早期決着しかない!
「……わかりました。若者の命には代えられません。あなたの持っているその刃物で、さあ私の首を跳ね飛ばすがいい!」
「へっ、残念ながらこの曲刀には首を刎ねるだけのリーチはねえ。てめえの最期はよ!首の深い傷から空気と血を撒き散らしながら、苦しんで死んでいくんだっ!あばよ正安ーーー!」
「生体波動……そこです!」
[ばぎぃん!]
「なぁぁ!?ぐあああああぁっ!」
「うっ。だあっ!」
[ばきぃっ!どがしゃーん!]
刃物で切りかかってきた偽正者の腕関節を拳ではじき返し、空いている側の拳で彼を殴り飛ばす。直前の生体波動によるドーピング効果もあり、彼は何メートルか先にある電灯をへし曲げることでようやく足が地に着いたようだ。
これは……思ってたよりもやりすぎてしまった。殴る蹴るなどは好きじゃないから今まで避けてきましたが、今回は完全に裏目に出てしまったようです。どうして、ただのパンチがこれほどの威力になるなんて……。
「ぐおおおぉっ!ま、正安ぅーっ!てめえええええぇ!」
「す、すみません。でも五体満足でよかったです。私が格闘慣れしていたら、最初の関節を殴った攻撃で腕が飛んでいたかも」
「ぐううぅっ!う、腕が動かねえ!正安っ!てめーの命が惜しくなってガキの命を犠牲にしたかっ!ああそうだろうな!何しろてめえは正者の弟だからなぁっ!ためらいなく他人の不幸を選ぶクズがよぉ!」
「そ、それは違う!ただ悟君は」
「違わねえだろーがっ!さっきの攻撃、俺を無力化するだけなら最初の腕への攻撃だけでよかったはずだ!だがてめーはあえて追撃した!他人をいたぶりたいって暴力性がにじみ出てるんだよ!」
「なっ!?」
ち、違う!私はただ、早く戦いを終わらせたかっただけなんだ!片腕が使えないくらいではきっと偽正者は戦いを続ける。そう思ったから早く意識を奪いたかった!ただそれだけなんです!
「見てみろ俺様の体を!腕なんか動かねえし完全に折れちまってる!いくら信仰生物が相手とはいえ、まともな感性してる人間はここまで酷いことはしねえ!気づかねえのか正安……自覚がないだけでてめえは異常者なんだよ!いくらでも暴力を振るえる星に住む、狂った化物なのさ!」
「化物……」
「はぁ……はぁ!早く消えろよ、俺様の地球からよぉ!地球上の経済ルールに則って侵略している俺様がっ!どうしててめーら異星人共に邪魔されなきゃならねーってんだ!特星だけじゃ飽き足らず、地球も掌握しなきゃ気が済まねえってのか?結果、今みたいに暴力で支配するのか?……やっぱり、地球から消えるべき侵略者はてめえらの方じゃねえのかよっ!」
「う……。むむむむ」
た、確かに私たちは地球を捨てる覚悟で特星に移り住んだ身。地球から生徒たちを連れ出したあの日……、間違いなくこの青き星との決別を誓いました。結局、後から移住する皇神たちのための移動システムを残すことになり、県長の協力もあってここまで故郷を捨てられずに地球との一方的な交流が続いてしまった。
地球との交流が続いているのも、偽正者による地球侵略への介入も、全ては私のわがまま……。私に奴の悪行を止める権利など本当にあるのだろうか?もはや地球人ではないこの私に。
「く、わかりません。最後のあがきで出まかせを言っているのか、それとも心の底から出る本当の叫びなのか。あなたの言葉が正しいのか正しくないのかも、私には判断がつかない……」
「…………」
「ですが、あなたの言葉の中で唯一嘘か本当かを判断できる部分がある!全ての判断をそこに委ねましょう!波動検知!」
この偽正者の様態は……腹部に肉体的なダメージ、一部内蔵へのダメージ、それと腕にははっきりとした骨折の形跡が見られます。悪あがきとしては一番の肝になる腕が動かないという部分……そこに関しては少なくとも嘘は言っていない!
「腕の骨折は本当のことですか。わかりましたよ偽正者。騙し討ちを仕掛けるべきポイントが嘘でない以上、あなたの心の叫びも信じます。人を騙して陥れる最低の人間ですが、今回に関してはあなたは被害者だ。悟君やテレビ局長をロケットで殺そうとしたことも、地球での犯罪であって私たちが罰するべきではないのかもしれません」
「……っ!?ああ、わかりゃいいんだ。ちっ腕が痛みやがる」
「取引をしませんか偽正者さん。応じてくれるのであればあなたの傷は即座に治して、特星側であなたを追うことはやめましょう」
「ほう?面白いことを言いやがる。で、どんな恐ろしい対価を要求するつもりだ?」
「実は、特星のことを知る信仰生物が地球に増えていると耳にしましてね。対価の一つは信仰生物についての情報をできる限り提示すること。もう一つはあなた自身から特星関連の記憶を消すことです」
話を聞く限りでは、偽正者という男はどうにも特星に関心がないように思える。悟君や雑魚ベーさんとの接触さえなければ、特星と関わることすらなかったかもしれないのだ。それに彼は仲間に裏切られたようなことも言っていました。仲間を失ったこの男であれば、特星と関わらない道を選んでくれるかもしれません!
「けっ、なにが取引だ!記憶を消せば俺を無力化したも同然じゃねえか!情報だけ引き出して、その後に俺を始末することだってできる!誰が飲むかよそんな条件!」
「ぐっ……。ですが特星の情報を持ったあなたは脅威なんです!例えその気がなくとも、必ず特星内ではあなたが特星に関する情報を流すのではという疑念が生まれてしまう!記憶を消さなければあなたは追われる身ですよ!」
「追手だぁ?はっ、上等だ!死の恐怖のすべては不可逆にこそある!不老不死の真似事をしてる連中がいかに脆いか、不可逆の象徴たる俺様が教えてやるまでさ!」
「この状況でまだそんなことを……!」
「しかしだ正安。目先の条件だけなら信じてやらなくもねえ」
「なに?ど、どういうことですか?」
「つまりよぉ、腕の治療と信仰生物の情報提供!この交換条件だけなら応じてやってもいい!取引が終わり次第、相手を仕留めればいいのさ!お前が死ねば追手が来るまでの時間を稼げる!俺が死ねば特星の情報流出はしなくなる!互いが完全勝利を狙える死の取引っつーわけだ!」
「命の奪い合いをする気ですか……!」
「そのくらいのことは覚悟して俺を追っているんだろう正安!俺様は常にとりかえしのつかない事態に事を運ぶ覚悟があるんだぜ……!俺の命を取り逃せばジエンド!一般人を巻き込むことで、テメーにとりかえしのつかない恐怖を植え付ける!」
一般人を巻き込むだって!?そんな話、良心のある人間ならば行動に移す人はいないでしょう。ですがこの男、偽正者ならば……きっとやりかねない!
今の彼の完全勝利というものを考えるならば、私に折られた腕を完治した上での逃げ切り!自分本位のこの男なら、自分のために赤の他人を攻撃するし、仲間の信仰生物の情報だって平気で売るはずです。私との争いのために他人を傷つけるというのなら、野放しにはできない……!
「話に乗るとして、先に条件を提示するのは」
「もちろんてめえが先さ!情報を話し終えた俺を葬るのは容易い。だが、俺様が回復したところでてめえを葬るには手間がかかる。約束破りをされたときにより不利なのは俺様だ!てめえは俺様をボコればとりかえしがつくだろうが!」
「……まあ、いいでしょう。折れた腕を治しますから見せてください」
「いや先に腹を治しな。こう見えて、心臓が止まりそうなほど痛みやがるんだ。腕よりもダメージが相当きていやがるぜ」
ああそうか。波動検知で見たときも内臓までダメージが広がっていましたね。腕を最初に治療すると刺してきそうですし、腹部を先に治すとしましょう。
「ではお腹から治します。いきます、波動」
[どすっ!]
「う……!?ぐっうううぅ……!」
刺された?ば、バカな……!正者が今、私に突き出しているあの腕は……完全に骨折しているはずなのに……!なぜ動く……っ!?
「っくく、腕は折れてても動くんだよぉぉっ!」
[ずばあぁっ!]
「ぐああっ!せ、生命波動……!」
「させるかっ!」
[ずばっ!]
二撃目は体を反らして軽傷で済んだが。な、何かがおかしい。どういうことだ……?治癒能力を高めるはずの波動が、傷口にまで届いていない!今さっきの軽傷ですら全く傷が治らないなんて!
「こ、これは!?偽正者……!いったい私に何をした!?」
「伝家の宝刀を抜いたのさ。異電波刀……電気と波動に完全耐性を持つ曲刀。この異世界のマジックアイテムは、正者が電子界に残していった忘れ形見っつーわけだ!」
「兄の形見!?波動に完全耐性ですって?」
「こいつに切られた傷口には完全耐性が伝染する。少しの間だけどな。だが人間っつーのは出血だとか脳への電気信号が途切れただとかで容易く死んじまうものだぜ!ええっおい!」
「く、波動回路!」
出血箇所の手前から波動による血流ルートを作ります!波動耐性のある個所を避け、皮膚と空気中を通ることで血液は循環する!皮膚より波動の判定が優先されるため血液が詰まることもありません!
「波動の血管だと?なら片っ端からその血管をぶった切って……。いや、このケガだと俺の方がヤバいか。俺様が生きている限り不可逆の悪夢が終わることはない!この俺を取り逃すことが、最もとりかえしのつかない事態だ!はーっはっはっはっは!」
「え!?に、逃がしません!波動ワープ!」
[ずばあぁ!]
だ、ダメだ!波動ワープで逃げた偽正者に回り込もうと試みたものの、波動を切られてしまった!それに偽正者が向かったのは人混みの方向!偽正者の行先がわからない以上、波動ワープで先回りしようとすれば必然と人混みの中になってしまう!走って追うしかない……!
「っと、もう波動耐性は消失したようですね。生命波動!そして波動レーダー!」
傷は治った!そして偽正者は波動の通じない曲刀を持っているから、恐らくレーダー上のこの人物でしょう。曲刀を途中で手放す可能性もあります。見失わないようにこの反応を追いましょう!
正者のレーダー反応を追って辿り着いたのは、駅。今の地球で主流のペタリニア車両による県移動!それが偽正者の目的のようです!
「レーダーによると、偽正者が乗り込んだのはこの列車のはず」
私が今いる北界県から……瞑宰県への直行列車!?瞑宰県からここまで逃げてきたはずなのに、再び瞑宰県に戻るつもりですか!一体何を考えているんだ?
[ぴぃーっ]
げぇ!まだ切符とか買っていないのにドアが閉じてしまった!く、こうなったら仕方ありません。人目につかないところから急いで波動ワープで列車内のトイレに乗り込みましょう。列車が動いてからだと波動ワープできなくなってしまう!
「波動サーチ!」
ええ、大丈夫。トイレの使用者はいません。リニアの上に乗ることにならなくてよかった……。そしてこの辺なら人はいませんね。では、波動ワープ!
「……よし!潜入完了!」
さて、トイレの外は……結構な人が乗ってきていますね。個室制の列車なのか、各人が別々の部屋に入っています。さすがに今ここで偽正者と遭遇することは避けた方がいいでしょうね。無益な犠牲者が増えるだけです。
とりあえず……鍵を閉じておきましょう。
さてと。特星から地球に来たときにはおなじみの生理現象ですが、実はお腹の具合がよくなかったんですよね~。北界県の寒さなら、とっくの前に便意を感じていてもおかしくはありませんでした!では、ペタリニア特設のおトイレで用を済ませるとしましょう。
「ああーぁ……波動で便通をよくするとか、まだ試してないなぁ……」
[どんどんどん!]
「おらっ誰だこら!人様のトイレをいつまでも使ってるんじゃねーぞ!」
「……っげ」
こ、こ、この声は偽正者ーーーっ!?な、なんで!?なんで用を足し始めたばかりのこのタイミングで来るんですか、もおーっ!え、というかこれはヤバいのでは?用をすぐに足したとして……外に出たら私が乗ってることがバレるじゃないですか!戦えば、乗客に被害が出てしまう!
一か八か、波動ワープしてみますか?いえ、動いている乗り物にワープを通すのは危険だと、大勢の方から言われています。なら止めておくべきだ。
[どがん!どがん!]
「聞こえてんのか、ええっ!?返事もできねーのかよぉ!」
ドアを蹴っているな……。何か手を打たなければ、蹴破って入ってきそうな勢いです。し、仕方ありません。今、思いついた方法で場をしのぐしかない!
生命波動……波動で私の体を女性へと改変する!後遺症の残らない程度に!
変装……!それも用心深い偽正者をなんとか騙し通すために、女装するしかありません!ええ、大丈夫……!私は飼い猫であるゲージの女装姿を何度か目撃している!擬人化していたとはいえ、猫であのクオリティ!人間の私なら……それを超えることができる!
超振波動……波動で私の衣服を改変する!上着はスカート、シャツはパンティ、革靴はバッグ、ズボンとシャツの袖は帽子へ!壁の材料を少し用いて、ガラスっぽい高級靴を作ります!
通常、変装するなら性別を変えないほうが上手くいくでしょう。しかし、私のような衣服に無頓着な人間だと、変装にも普段の癖が出てしまう!知ってる衣装のバリエーションが少ないですから!だから……ここは私以外の、ゲージのセンスを頼るのが最適解でしょう……!
吸収波動……衣服の着色料を落とします!なるべく清潔感のある白い衣装へ!着色料は洗面台に流して証拠隠滅です!
「てめえ、俺様が叫ぶだけだと思ってやがるな……!?上等だっ!ならこの通路に俺様の糞尿ぶちまけて、無事に出られなく」
[ざざざざざぁ!じゃああああぁ!]
「……お?」
[がらがら]
ブラフでトイレを流し、洗面所で着色塗料を流しつくしてからドアをスライドさせる。目の前には、今まさにウェットスーツみたいな衣服を脱ごうとしている偽正者の姿が。……こんなところで何をやっているんですか、この男は。
「ごほん。し、失礼しました。少し……お腹の具合がよくなかったのです」
「な……?」
……え?なんですこの微妙な反応?鏡がなかったから確認できてませんが、まさか……相当酷い変装をしてしまったのでは?声も、年のせいかプリティさというか張りがないですし。万が一正体がバレたら……女装趣味だと思われる!?
「っくく、ぎゃはははははっ!」
「う……」
「おいババア!てめえいくらブサイク面だからってよぉ!人前出るなら髭の手入れくらいはした方がいいぜーっ!あはははははーっ!」
「は?」
……し、しまった!生命波動による生体変化が弱かったか!体に負担を掛けたくないとはいえ、こんなミスに気が付かないだなんて!
「くくく、つっても俺様もファッションに詳しい方じゃねえけどな!……って、もしかしてそういうファッションが流行ってんのかぁ?ええっおい!」
え、ここで世間話!?嘘でしょう?まさか、バレていないんですか!?な、なんでバレていないかはわかりませんが、これはチャンス!
「そ、そうですの……私たちの世代で流行りで」
「けけけっ、そいつぁ素晴らしいファッションじゃねえか!醜いものほど前面に曝け出すスタイル……本性と素顔を明かしてしまう不可逆性……仮装して気取ってる連中より、よっぽどいいってもんだ!」
「は、はい?」
「善人面してる連中に、てめえの精神を流し込んでやりてえもんだ!」
[がらがらがら]
な、なんだかよくわかりませんが……やり過ごせたようです。偽正者はトイレへと入っていきました。にしてもあの男、よくもまあ女装に気づかずにいてくれたものです。あるいはすでに気づいていて、何らかの策略を考えているのか……?
「トイレは男女共用……ですよね」
いっそ、そこが男子トイレだったら諦めもついたのに。なにか、本当にバレていないという確証が欲しい……!また不意打ちで刺されそうで、正直怖い。
ひとまず他の車両に移りましょう。いつまでもここにいては偽正者に怪しまれてしまう!
いくつか車両を渡り、荷物のない空き個室を見つけることができました。全個室が埋まっていなくてよかった。個室制のリニア列車で通路に突っ立ってたら怪しいですからね。
[がらがらがら]
「ああっ?てめえはさっきのババア!」
「いぃっ!?」
に、偽正者ぁっ!?まさか……ここは彼の予約していた個室ですか!?まずいまずいヤバいっ!怪しまれる前にここを離れなくては!
「わ、私……、個室を間違えたのかも。それでは失礼」
「おい待ちやがれ!」
「な、なにか?」
「ここ、多分あんたの個室で合ってるぜ。俺様はちょっと特別でよぉ。予約なしで乗ることが許されているのさ。……早く座りやがれ!」
「……はい」
予約なし?……そうか、偽正者は私から逃げるようにこの列車に乗り込んだんでした。つまりこの男は無断乗車をしているのか!まあその点に関しては、私も似たような事情ですけど。
「はっ、あんたも災難なこった。こんなにいい個室を取れたってのに、腹を下したんだか何だか知らねえが、今更になって入室とはな!加えて、予期せぬ相席ときたもんだ!さっきトイレでドアを蹴られたときなんて、さぞ驚いたんじゃねえのか?ええっ?」
「いえ、まあはい」
「くくく、それが俺様の本性なのさ!怯えているあんたの個室に居座ることもあえてだ!あんただってわざわざ素顔で出歩くだろう?本性を見せつけるっつーリスクあるやり方とか、俺らは似た者同士さ!あんたにとって逃れることのできない……不可逆じみた定め!そいつが俺様を寄せつけたってわけだ!」
いやいやっ、あなたと一緒にされたくはない。要するに、何かしらの電波とかフィーリングを感じたってことでしょう?こっちは女装がいつバレるか気が気じゃないんですよ!早く、一刻も早く帰ってくださいって!く、このまま直視されたら変装に気づかれそうで……。
「あの私は……その、困ります」
「そーだろうぜっ!くくくくくくく!なんせ俺様はあんたの困った顔が見たくて仕方ねえんだからなぁ!どうしたよっ、ええおいっ!?もっと素顔で戸惑って震えて、可愛く不可逆に屈しちまったらどうだっ!?ええっ!」
ほほ、本当にバレていないんでしょうね?いくらなんでもこの男でも、普通はこんなテンションで一般人の方たちと会話するわけないと思うんですけど!なんかもう首元とか触ってきてて、今にも絞め殺されそうで滅茶苦茶怖いんですけどっ!
「一体、何を考えて」
「くくくく、要するに俺様はあんたに惹かれちまったんだよ!澄み切った水に汚れが浸透するように、あんたの純粋な心が不可逆の本能と共鳴しているように感じるのさ!」
「……ん?」
いや待てよ……さっきからのセリフにこの言いまわしって、あれ?なんかまるで……いや、なんか私ナンパされてんじゃね!?
ええ?は?な、……何を考えているんだこの男!うっそでしょ、あなた正気ですか!?いくら波動の力で女体化しているとはいえ、素体は私なんですよ!な、何考えてるんですか正者っ!脳みそバグってるんじゃないですかあんたは!
「あああの…………」
言葉が出ない!私に何を言えというんですか!私にどうしろというんですか!?………………ヤバい、思考を放棄して寝てしまいたい。考えたくない。本当に寝てしまおうかな……。
……いやダメです。意識を失ってはその間にもっと大切なものを失いかねないですし……、その後に正体がバレようものなら、あらゆる方面でとりかえしのつかない事態になりかねない。そんな最悪で不可逆な事態は回避しなければ……。理性と知性は……頑張って働いてほしい。
「す、ストップ……。ダメ、なんです」
「けっ、達者な英語話しやがって!駅までまだまだ時間はあるが、逃げ場はねえんだぜ!俺にもわかるように語ってみやがれよ!その流暢な英語を享受してみなっ!」
ヤバい……女性として好意を持たれていると思うと、とんでもなくキツイ……。ただでさえ、偽正者相手に女装して振舞うだけでも気が気じゃないというのに、なんで……なんでこんな男に好意を持たれなきゃならないんですか……っ!
ホント心を病みそうですし、話をするのも聞くのも辛い!ほんの10分前には命を奪おうと決意を固めた相手ですよ!悪事を働く偽正者がどうしてナンパみたいな真似しているんですか!悪役なら悪役らしく悪いことだけしててくださいよ、もおぉ!……あ、今なんか悟君みたいなこと考えたな私。
あああっ、もうわかりました!いいでしょう!100年以上掛けて教職に人生を費やしてきたこの私が!現代でも通じる女子トークでこの場をしのげばいいのでしょう!?人気のないところで戦うまでの辛抱です……やってやりますともっ!
瞑宰県の県境付近の駅にて、ようやく……ついに地獄のような個室から解放されたっ!列車はすでに去り、私と正者は他の乗客に押されるように肩を並べて駅に降り立つ。ここで降りる乗客たちは地下都市に行くことが目的らしく、地下都市に下りるためのエレベーター施設に向かっていきます。
そう時間が経たないうちに、駅にふたりぽつんと残されてしまう私と正者。結構な時間列車に乗っていたこともあって、私はとても疲労しています。周りが暗いのは日が落ちていることだけが原因ではなく、精神疲労だったり、これから正者と対峙することへの不安があるからでしょう。
「ちっ、月が出ていやがるな」
「ええ……」
「……てめーには信じられねえ話かもしれねえが。こう見えて俺様は、少し前まではこの日本を征服できる立場にあったんだ。バカを操って、地中の実権握らせて、今や日本各所が地下都市に移行して!いずれは俺様が全てを乗っ取る予定だったのさ!」
「それは……失敗に終わったんですか?」
「けっ、そうさ!宇宙人が邪魔しやがってよぉ!手を組んでた奴らはどいつもこいつも宇宙人に贔屓した挙句、俺様に歯向かいやがった!」
宇宙人に贔屓?手を組んでたというのは、黒天利さんと誘拐犯のテーナさんという方なのでしょうけど。彼女たちはどちらかといえば特星と敵対してる感じですよね。正者……じゃなくて偽正者も私たちの対立を知ってるはずなので、完全に裏切られた八つ当たりですねこれは。
「宇宙人……というのはよくわかりませんが。一般的には私たち地球人は宇宙人を怖がるものじゃ」
「まああの連中は人間じゃ……。けっ、それに地球生まれだろうが星を捨てていくクズみたいな連中もいやがるんだ!どっちも地球に蔓延る害虫だがな!」
「そ、それは言いすぎでは」
「地球がなくても困らねー奴らなんだよ!なのに俺様の星で好き勝手しやがる!だがな、俺様がこの星を支配した暁には連中全てを不可逆カーストの最下位においてやるぜ!とりかえしのつかない事態が飛び交い、心を病む、まさに地獄の宴ってわけだ!てめーら地球人は普通に取り返しがつかないだけのカースト上位だから喜びな!」
「は、はあ」
何というかこの男、やっぱりすごい嫌なやつですね。私たち特星移住者をクズだの地球がなくても困らないだのって。挙句の果てには地球を自分の物扱い!……いやそれは最初からか。きっと狭量なこの男には私たちが同じ地球人には見えていないのでしょうね。あなたなんかよりはずーっと地球のことも考えて行動してますよーだ、べーっ。
……もう私の疲労もかなり溜まっています。早く駅を離れて決着をつけましょう。ただリニア列車内での会話や今の話で思ったのですが、どうやら私はこの男を過大評価しすぎていたようです。この男が殺してまで止めるほどの人物には到底思えない。ぶっちゃけ殺人はしたくありませんし、ここはやはり気絶させて特星本部に引き渡すとしましょう。
とりあえず騒ぎに気づかれない場所に移動しなければ。
「あの、もしよろしければ月のよく見える場所を歩きたいのですが」
「んだよ、地下都市に行くんじゃねえのか?瞑宰県の地上にはなんもねーぞ」
「しばらく地下生活になるので……見納めたくて」
「くくくく、まあ二度と地上に上がれなくなるかもしれねえもんな!俺様の不可逆話を聞いてりゃそう不安に思うのも仕方ないってわけだ!いいだろう!てめえの土臭い生活を記念して、世界に不安を覚えちまうような素晴らしいものを見せてやる!来なっ!」
「な、なにを見せるつもりで?」
「見ても理解できねえものだ!」
え、マジで何を見せる気なんでしょう?まさか脱ぐ気じゃないでしょうね?うーん、今なら背後から攻撃することもできそうですが……。ま、まあ素晴らしいものとやらを見てからでもいいか。うん。
真冬の夜空の下、なんの変哲もない場所で正者が立ち止まりました。離れた場所には地下へのエレベーター施設がありますが、私たちのいる場所には特に何かがあるようには思えません。なぜ彼はこんなところで立ち止まったんだ?
「ここは?」
「ここはウサギの穴つってな。このタイルの下にある穴から異世界みたいなところに通じてるのさ」
「異世界なんて、本当に?」
「ああ。ちょうど俺らの家の裏庭あたりだな」
「へー、あの裏庭にそんなものが。……はっ!?」
「て、てめええぇぇ……!正安てめええぇぇっ!」
あ、やべ……っ!え、いやなんで!なんであんな引っかけ質問したんですか!?事故?いつバレたんだ!?私の変装はバレようがないほど完璧だったはずです!いやそうでもない!
「い、いつ気づいたんです!なぜ気づいた!?答えなさい正者!」
「……っはああぁ~っ!ふぅ~~~。まずはよぉ、その下手な変装やめたらどうなんだ、ええっ!?」
「くっ、いいでしょう。生命波動!」
波動で変化させていた体を元に戻し、正者……もとい偽正者に向き直る。正者は驚いたように表情で顔を引きつらせており、すぐに自分の額を片手で鷲掴みにする。
「ほとんど変わってねえじゃねえか。くそっ、こんなのに俺は騙されてたってのか……!?だがこういうとりかえしのつかないミスは……むしろ……俺にとっちゃ糧でしかねーんだよおぉっ!くそが!」
「いつ気づいたんですか!こっちは列車で死ぬほど苦痛だったんですよ!」
「駅に着いてからだよっ!乗客がいなくなったのに気配が消えねえから変だと思ってたんだ!まさかと思って探りを入れりゃあてめえ、本当にババアに女装しやがって!」
「気配?」
「俺は正者の記憶と能力の一部を引き継いでんだ!その能力のせいで、てめえが近くにいると気配を感じるんだよ!気味悪い血筋してやがるぜてめえらよぉーっ!」
そういえば、私も特星で何度か兄の気配を感じたことがあったような。あれは気のせいではなかったというのか。だがだとしても目の前の正者からは兄の気配は微塵も感じません。なのに彼が一方的に私の気配を感じ取ることができるなど……彼はどのくらい兄に染まっているのだろうか。
「騙していたことは謝ります。ですがあなたの処遇は特星本部がきっちりと裁決するでしょう。地球の法に捕らわれない悪事はここまでですよ、正者っ!」
「いい子ぶってんじゃねーぞ侵略者風情が!てめえがこの星の何だってんだ!てめえは結局のところ地球外生命体で、やろうとしてることは拉致と私刑でしかねーのさ!あぁ……!くくく、そういや拉致といえばよぉ、巨大隕石接近の数年後にこの辺のガキどもが」
「っ!波動波ーっ!」
「おっとぉ!」
反射的に波動による巨大光線を放つも、光線が去った後にはケガ人とは思えないほどぴんぴんしている正者が曲刀を構えていた。
こちらの焦りを感じとったのか、正者の顔つきがどんどん活き活きとしていく。まさか……今になってあんな大昔のことを……どうしてこんな男にっ。
「ぎゃはははっ!図星だったようだなぁーーーっ!ええっ正安さんよぉ!わかるぜぇ……てめえが触れられたくない不可逆な核心に俺様が踏み込んだことがよぉっ!はーっはっはっは!地球に害しかねえ人攫いどもが偉そうにしやがって!」
「ち、違う!あれは人攫いじゃない……!私も、私の仲間たちも……ちゃんと本人に合意をっ」
「ガキを誑かして合意だぁーっ?笑わせんじゃねえ!正者が日本をぐちゃぐちゃにして法が整ってねえのをいいことに攫ったんだろーがよ!いやつーか、その時期だともう法は整ってるか。てめーらは犯罪行為と知りつつこの周辺のガキどもを攫ったのさ!自分たちの星を潤すために、地球のガキどもをな!」
「ぐ……っ!」
この話は……地球で一番触れられたくない話題だ。言い方はともかく……彼の言うことは事実だからっ。当時の地球はエイプリル事件の復興も随分進んでいて、悟君たち学生が通える中学校もあって、当然法律だって新しく作られていた。それを承知の上で、特殊能力やベリーの科学力を駆使して特星に渡ったのは……事実だ。特星のことは地球に秘密で、移住のことだって秘密裏に行ったから、当然親の許可は取っていない。
そして何度も地球に足を運んでいる私は知っています。日本において、特星に子供たちを移住させたことが、失踪事件として取り上げられていたことを。特星製作に関わった人たちにも伝えたから……あえて触れようとはしませんが、みんなわかっているんです。地球に私たちの居場所はなく……地球人とはもはや修復不可能な関係になってしまった。
とりかえしのつかない事態……不可逆……この男がいかに恐ろしいものを冠しているのか、今わかった気がする。そんなものをバカみたいに笑ってありがたがる目の前の男が羨ましい。私も本当は、悪いことなんか気にしなくなって、……こいつみたいに楽になりたいのに。
「本当に反省してるっつーなら、自害しやがれ正安!いきなりガキを失った親どもの中には、首吊ったやつくらいいただろーよ!ならばてめえら誘拐犯の一員として、てめえひとりくらいは命を捧げて贖罪すんのが筋ってもんじゃねーのか!ああっ!?」
「うぅ………………なら……ええ、わかりました」
「ならばとっとと波動とやらの力で自分の命を断つんだな!てめえのような卑怯者は決心が鈍ると自分の罪なんか忘れちまうからなぁ!今まで図太く生きてきたみたいによー!」
「いいえ?私は悪い校長です。だから罪の清算なんてしませんよ」
「……んだとぉ?」
ええ……大丈夫。悪いことは覚悟の上で移住計画を立てたんです。気づいたら悪者だったなんてことはない、実際は……当時の私は地球と敵対してもいいと思っていた。100年もの間のいつの日からか、地球は単なる故郷になっていたけど、もしも地球の誰かが乗り込んできて問い詰められたら、……私はこう返すつもりだったんだ!
「それともう一つ。私は悪い校長だから……まあ不良なわけです。だからあなたを今からぼこぼこにして口封じします。それがこの星のルールだっ、正者!」
「てめえ開き直ったか正安!……ちっ!」
[ガァン!]
私が波動の構えを取ると、曲刀の刃先で足元の金属タイルを跳ね上げる正者。彼の正面に落下していくタイルに注意を向けているその間に、突如、視界の端に映っていたはずの正者が黒く変色していく。視点を戻すと、そこには衣服ごと影のように染まってしまった正者らしき姿があった。
「な、なにっ!?」
「くくくく!脅し合いはてめえの勝ちだぜ正安よぉ!だが命の奪い合いは引き分けだ!覚えておきな!俺様の命運ある限り、てめえには常にとりかえしのつかないリスクが付き纏うってことをよぉ!ぎゃーはははははははーっ!」
「させるか、波動波!」
巨大な波動の光線が正者を飲み込んでいく。しかし波動の光線が過ぎ去った先には、彼が着ていたであろう緑色のウェットスーツがボロボロの姿で残っているだけだった。
「に、逃げられた?」
正者の立っていたところに駆け寄り、タイルの剥がされた足元を覗き込む。そこには片腕が入るかどうかというサイズの穴が開いていた。穴の中は一見闇だが、暗闇の奥からはわずかに冬の空気に似つかわしくない温風が吹いてきている。
「ウサギの穴と、彼は言っていましたね」
この穴の中に腕を突っ込むべきかと一瞬考えるが、彼の曲刀が見当たらないこともあってやめておくことにした。腕一本持っていかれる可能性もありますからね。
「……波動人形!」
代わりに波動の人形を生成して中に送り込もうとするが、何かに弾かれて入れそうにない。試しに脱いだ靴を上から落としてみるが、穴の入り口にぶつかった瞬間にはじき返される。続いて波動で分析を試みるも、特に何かがわかるわけではなかった。
「そうかですか。逃げられたのかぁ」
残念がるつもりで言った独り言だが、自分の耳にはなぜか安堵しているようにも聞こえる。今回はいつも以上に私のダメなところが出てしまいました。正者に対する印象は二転三転して、私自身の思いも二転三転……私自身の優柔不断さが特星に居るころより色濃く出てしまっていた感じか。これが特星の精神安定効果を受けていない、本当の私の姿なのでしょう。
「まあ……これはこれでいいかもしれません」
正者は……地球には戻ってこないでほしいけど、私の見えないところで生きていてほしい。それが正直な想いです。だから私にとってはベストな結果。皆には迷惑かけちゃいましたし、後で特星本部ですっごく怒られるでしょうけど、なんかそれでもいいかなって気がします。
今度、天利さんに反省の演技指導でもしてもらいましょう。悪い校長だって自覚が出てきたことですし、ずる賢い面がひとつくらいあってもいいはずです。……って、今度は悪ノリする癖が。
「……周り暗くない!?」
そ、そういえばリニア列車から降りた時点で結構な時間が経っていたような。こ、これはいけない!他のみんなが戦っているのにこんなところで何ぼーっとしているんだ私は!で、でもさすがにもうみんな戦い終わっていますよね?みんな無事でしょうか。
「私がいなければみんな帰れないはず。迎えに行かなければ!波動ワープ!」
皆さん、どうか……無事でいてください!あとできれば迎えが遅れたけど機嫌を損ねないで!