閑話 身代わり山羊
ゴウト家の大姉あるいは大兄。それは実力だけで選ばれる。選定基準は家の誰よりも強いこと。草食だと馬鹿にされないためになどといわれているが、本当は違う。
あらゆる魔物を屠った山羊獣人の英雄が、一度だけ頭を垂れ、首を差しだし友のために許しを請うた。
相手はその心意気に感心し、その角を一つ折るだけで許した。
この逸話は、後々にも継がれることになった。
ゴウト家で一番のものが、誰かのために許しを請う。それは、許さねばならないという形に変わって。
その日、ゴウト家には竜族からの使者がやってきた。
もう遅いと当主は嘲笑う。しかし、その顔はすぐに隠し、穏やかな微笑みを浮かべる。私が相手をしようと部下たちに伝え、特別な部屋を用意させた。
竜族の使者が、竜人であることはあまりない。あらゆる一族が仕えているため、足の速いものがよく使われる。竜人も翼あるものは早いが使用人のようなことをすることを嫌うらしい。その誇り高さは驕りと同じとなり果てて長い。
まあ、長命種からすれば、この数年程度の認識かもしれないが。
使者は大きな男だった。肌の鱗を隠さず見せているところから、かなり上位者のように見えた。
部屋には給仕をしていた老メイドがいた。ちらりとそちらに目線を向けて、小さく頷いてから使者へと視線を戻した。
「お待たせいたして申し訳ありません。
当主のベイルです。先ぶれもなく、どのような急用でしょう?」
少し眉を下げた困り顔は、ムカつくくらい同情をひくらしい。姉と慕っていた彼女がそう言っていたのだから役に立つと極めた。
相手は少しばかりひるんだようだった。小さい生き物をいじめているような気持ちになるらしい。
「急な訪問申し訳ない。
当主ドラウスの命により手紙を届けにきた。すぐに返信をいただきたい」
少しばかりやりすぎたのか、おどおどしながらそう告げられた。彼らからすればみな短命ですぐに死んでしまいそうに思えるところがある、らしい。
それを知った姉代わりはバカにした話ですよねぇと言っていた。それを聞いていた彼女の養母は油断させておいてぶっさしてやればいいんだよとカラカラ笑っていた。
あいつら、根っからの戦闘民族だとベイルは震えあがった。
それにより同じ土俵に上がることは間違いだとベイルは早々に武人として大成する夢を投げ捨てた。
大兄になる代わりに当主になるつもりは、なかったのだが。
「お手紙いただきますね」
中身はベイルの予想を超えないものだった。
思ったよりも白虎の本家が怒っていた。詫びのために大姉をお借りしたい。謝礼は出す。
要約すればそのようなものだ。
そりゃあ、怒るだろうなとベイルは思う。末端とはいえ、いいように使い捨てられ、悪く言われている。非があれば、多少は飲み込んだだろうが、今回の件は非がない。
ゴウト家か家門のどの家かが同じ扱いを受ければ、ベイルでも殴り込みを検討する。
白虎の一族は、短絡的に解決せずにきちんと計画を立てている。ベイルにも静観するなら、現状維持という怖い手紙が来ていた。
そもそも、ほかの一族たちも竜族については思うところがあった。現当主はその座について長い。長命種の間ですら、近年、専横が過ぎると言われている。
年を取ると判断を誤る。あれは精神が限界を迎えた結果とベイルは思っている。竜はそう簡単に害されない頑強な肉体と精神を持っているが、それでも、近しいものがすべていなくなったあたりから変調をきたす。
なにかに憑かれたように執着するのはその前兆といわれる。だから、ヒトの娘を拾い、囲って妻にしたという時点で要観察となっていた。
歴代大姉や大兄が竜族についていたのは、その動向の監視も兼ねていた。ただ、本人に言えば考えが筒抜けしそうで黙って働けという体で送り込んだが。
それも歴代であるから、大姉・大兄というものは政治的な何かに向かないのだろう。
うーむと唸ってベイルは使者へ視線を戻した。
「うちには今は大姉はいません」
「メイナ殿は?」
「嫁に行きました。いやぁ、薄情ですよね。結婚したから、と置手紙だけですよ。
当主の意向など全く無視。
次期大姉、大兄はまだ候補であって正式なものは一人もいません」
これは意図的ではあった。この数年のうちに何かやらかすと思ったのだ。それに付き合わされる若い者がかわいそうだ。
メイナも何か理由をつけて引退させようとしていたのだから、結婚は都合はよかった。巻き込まれずに済んでほっとしていてもよいくらいだ。
しかし、ベイルとしてはなにかもう腹が立つことだらけだ。すべてが万事、腹が立つ。あの誇り高き姉がわりが、あらゆる一族に頭を下げることになったことも。その原因が、へらへらと笑って娘の結婚を祝っていることも。
見知らぬ男が、その夫となることも。
「そ、それでは先代の」
「我が一族に属するもの誰一人、あなた方のために折れる角は持ち合わせておりません」
お引き取りくださいとベイルは告げた。
「いいえ。
連れて帰れねば、主に合わせる顔がありません」
そういう使者の肌には鱗が目立つようになった。先ほどまで静かだったしっぽが揺れる。
すっと動いたかと思えば、老メイドの腕を取っていた。力づくでも、というわけか。ベイルはにっと笑った。
「暴力は好まないが、ご婦人。ご同行いただこうか。見れば立派な角をお持ちだ」
「やめたほうがいい」
それはベイルの心からの忠告だった。
それを聞かず使者は老メイドの腕をひいて連れ出そうとした。しかし、一歩も動くことなかった。怪訝な表情の使者へ老メイドは逆に手をかけた。そのまま薄っすら笑みを浮かべて、華麗な膝蹴りを披露する。
「なっ」
慌てて腕を振り払い使者は後ろに飛び退った。
「おやおや、勘はいいみたいだね」
「沈んでおいたほうが楽だったのに」
「そうだねぇ。ちょっと疲れちゃうからおばあちゃんの出番はないといいと思ったんだがね」
「そう言いながら、楽しそうじゃない?」
「そりゃあ、殴り放題がやってきたんだから」
その老メイドに化けていたのは、先代の大姉である。大けがもせず、角も折らず、百年君臨した猛者。竜種といえど、簡単に捕らえられるものではない。
それだけでなく、この部屋は先祖が作り出し、現在も改修をしている特別製だ。
「変化できない!?」
鱗としっぽ以外に変わったところもない。竜眼すら発動しないだろう。無理を言ってきた者を案内するのはこの部屋だ。
この部屋の中では一定以上の変化を行うことはできない。そうなるには細かい理屈があるらしいがベイルには理解できなかった。わかるのは力ずくということはできない。圧倒的強者である竜種ですら、その影響を免れることはできない。ということだ。
同程度の強さであるならば、そのあとは相性と技術の問題だ。
「ミイナさん、気が済んだらちゃんとお返しするんですよ?」
「りょーかい」
うきうきした声に戦闘狂怖すぎとベイルは思いつつ部屋を出た。
使者を送り返すときにつきつける書状の準備が必要だ。
それとこの機会に白虎の一族とも親交を深めていくのもいいだろう。
「……それにしても」
相手の男については少しばかり疑問に思うところがある。わざと、辺境に追いやったように感じた。この地に残して、ひどいと訴える役割を振ってもいいだろうに。
ベイルは噂と資料でしか知らないが人が良いという印象だった。駆け落ちした相手を悪く言うこともなく、幸せになるといいよねと笑うような性根。それならば、傷心の末に逃げても。
なんだかしっくりこない。
ベイルは何か見落としているような気がして落ち着かない。改めて調査させることにした。
大事な憧れの大姉の夫である。調べまくってもおかしくはないだろう。
変なのがあったら、あとで、離婚させてやる。
そんな過激派がいるということはメイナは知る由もなかった。
「ぞわっとしましたね。なんか、今」
「風邪ですか?」
「悪寒。……お熱が」
「……平熱ですね。お薬飲んで、夜更かしせずに寝てください」
「か、看病……」
「寝るとき背中トントンしてあげますか?」
「ぜひ!」
「なんか子供みたいですね……」