身近な人の言葉ほど、毒にも薬にも。
「あ、ささくれだ。ささくれって、親不孝らしいね」
そう言った友達の言葉を、ささくれを見るたびに思い出している。それは何気ない一言で、その友達はもう言ったことも覚えていないだろう。
ただ、私だけが覚えている。
特にこの冬の時期に。
気づいたらできたささくれを見て。
頭も気立もよい金銭的にも余裕がある友達は、たしかにささくれなんてできたことはなさそうだった。そもそも家事なんてしたことがないから、そういう話をした時に「えらいね」と素直に褒めてくれていた。
一方ひねくれて、親は共働きだから弟のために夕飯を作るような私は、別に勉強がすごく得意とか好きとかもなく、ただ日常を適当に過ごしていた。でも洗い物をしていると、指先が乾燥しやすくなるのだ。
友達はそんなことも知らない。
でも、この子の方が親孝行ではある。
怒られたことも私の方が多いだろう。
ささくれの原因はいくつかあるけれど、不摂生や夜更かし、あとはストレスによるホルモンの崩れなんかがいけないらしい。親の幸福が子供の健やかな成長なら、確かに親不孝極まりない。
ただ1つ思った。
皿洗いもしたことない人に言われたくない。
けれども人生とは残酷だから、この子の言うことは正しいと何回かは思ってきた。あの日の一言は毒だ。毒を、私は私に打ち続けている。
だけど毒は薄めれば薬にもなるのもわかる――今こう思うのは、私が余裕がないからなのだろう。心のゆとりがあれば、これを戒めとして前向きに親孝行しなきゃなとか思えるのだろう。孝行らしい孝行をしていない自分はそう思う。
けれど、ささくれは、ハンドクリームなんかで保湿したら防げるのだ。
それができないのはどうしてか。
友達は考えもしないだろう。
そして、そういう人の方が親孝行だ。
考える前に行動できることや、こんなことを気にも留めない精神の方が健全なのだろうから。社会に求められるのはそういう人で、ささくれを新しく剥いているのは私自身だ。
それにしても、せめて10年来の友達の言葉とかでなければ、軽く受け流せただろうに……身近な人の言葉ほどよく覚えてしまうものだなと思う、冬の今日この頃。
結婚した友達の指には先日ささくれがあったから、今の友達ならもう言わない言葉だろうなと思った。