7.選択肢ミスには定評のある私
「ははっ、君は面白い女性だね」
私の手首をつかんだまま、ナージェットはうっとりとした目でこちらを見つめてくる。え? 何、その表情とセリフ? 毒入りワインも訳が分からないけれど、この展開はもっと訳が分からない。
戸惑う私の手からワイングラスを取り上げて、ナージェットはまたこちらに向き直る。
「君は、このワインに何かが入っていることに気づいているね? 香りをかいだ時、一瞬不可解だと言わんばかりの顔をしたから」
「……それは、ただ……なじみのない香りがしたからです……」
「だが君は、そのワインを飲もうとした。それも私の意図や、ワインの中身についてじっくりと考えた上で」
どうして考えが読まれているのか。私、これでも暗殺者だし、演技についてもみっちり叩き込まれてるんだけど。
「ああ、どうして考えが分かるのかっていう顔だね。簡単な話さ。ちょっとした視線の動き、かすかな表情の変化……そういったものに注目していれば、自然と分かってくるんだ。私はそうやって、他者の考えを推測するのが何よりの楽しみでね」
解説ありがとうございます……じゃない! そんなものに負けただなんて、暗殺者として結構悔しい! あと、悪趣味!
「普通の女性は、ためらいなく毒入りワインを飲んでしまうのだよ。私に気に入られたいからなのか、それとも警戒心が薄いのか」
そしてナージェットは、とうとうと語り始めた。探偵ものの解決編みたいなノリで。探偵もなのだけど、犯人ってなぜか語りたがるよね。
「ああ、毒といっても大したものではないよ。少しめまいがする、その程度の可愛らしいものだ」
うん知ってる。しかもこの量だと、一時間くらいで治るってことも。そして私には、まったくもってこれっぽっちも効かないってことも。
「たまに、違和感を覚えている女性もいるようなのだけどね、そういう女性はどうにかしてワインを飲まずに済ませようとする」
それはそうだろう。女たらしと名高い侯爵が、なんだか普通でないワインを勧めてきたら普通は警戒する。
「しかし君は、ワインを飲もうとした。私が何か企んでいることに気づいていながら、あえてその筋書きに乗ることにしたようだった」
そもそもその毒が効かないから、飲むことにしただけなんだけど。
「その胆力、おそれいったよ」
胆力って、つまり度胸があるってことだよね。違うんだけどなあ。でも本当のことは言えないし。
その代わりに、ずっと気になっていたことを口にしてみる。
「ナージェット様……あなたは、どうしてそのようなことをするのですか……ワインに、毒など……?」
「そうだね、ちょっとしたいたずら心、かな」
きざっぽく笑って、彼はさわやかにそう言い放った。
嫌な答えだー!! 本気だったらこの上なく厄介だし、本心を別に隠しているとしたらそれはそれで面倒くさい!
どんどんナージェットに対する警戒心が膨れ上がっている私とは裏腹に、彼はとっても楽しそうだった。
「……これで先日の事件について、ようやっと納得のいく説明ができる」
「先日の、事件……ですか?」
「ああ。君が茶に毒を盛られ、気を失ったというあの事件だ」
彼の思考回路はよく分からない。私に一服盛ることと、あの日の事件の説明と、どう関係するのか。共通点って『飲み物に毒』ってことだけだし。
「あのお茶から検出されたのは、致死性の毒だったと聞いている。しかしそれを口にした貴女は、すぐに回復した。そのことがおかしいと、ずっとそう思っていたのだよ」
流れるように語って、ナージェットは軽く身をかがめる。上目遣いに、こちらを見つめてきた。恋愛慣れしていない女性なら一発で惚れそうな、フェロモン全開の笑みだ。
「貴女は、茶に毒が盛られていることに気がついた。そうして、茶を口にするふりをして、そのまま倒れる演技をしたのではないかな?」
たぶん違う。その事件直前の記憶が飛んでいるのではっきりしていないけれど、あのお茶は間違いなく飲んだ。毒が体に回ってる、そんな感じがしていたし。
「それにより、エルメア君に『狙われている、気をつけろ』と警告したのではないかと、私はそう考えているんだよ。まさかエルメア君が、そのまま逃げてしまうとは思わなかったけれど」
「いえ……そのようなことはありません……私は、ただエルメアと、お茶をしていただけ……」
静かにそう答えつつ、心の中でこっそりと首をかしげる。……ナージェットの中のリンディ像が、おかしなほうに育ってない?
勘が鋭くて機転の利く、度胸もある切れ者の女性。どうも、そんな風に思われてしまっているような気がしてならない。
「おや、謙遜かな?」
駄目だ。彼のこの表情からすると、だいたい私の推測が当たってしまってるっぽい。
どうしたものかと頭をフル回転していると、ナージェットはとびきりの笑顔を向けてきた。
「リンディ君。どうやら私は君のことが、かなり気になってしまっているらしい」
「……は、はあ……」
「いたずらを仕掛けたことは謝罪しよう。だからどうか、これからも君と話をすることを許してはもらえないか?」
あーあ、まただ。明らかにナージェットとの好感度が上がっちゃってる。『何かおかしいと思いつつも、差し出されたワインを飲もうとした』という、たったそれだけの行動のせいで。
毒が入っていると気づいてしまった時点で、ワインは飲めないと辞退するのが正解だったのかな。そうすればナージェットは、私をただのビビりだと判断して、興味を持つこともなかっただろうし。
「大丈夫か、リンディ君。顔色が悪いが」
ちょっと考え事をしていると、ナージェットがするりと歩み寄ってくる。心配してくれているのはいいけれど、近い。
「色々と驚かせてしまったかな。自室でゆっくり休んだほうがよさそうだ」
あ、ようやっと解放されそう。ラッキー。
「またいずれ、ゆっくりと言葉を交わそう。もうワインに毒は入れないから安心してくれ」
う、この感じだとまた相手をすることになりそう。アンラッキー。
なんてことをぼんやりと考えながら、ナージェットに手を引かれてよろよろと立ち上がったのだった。
そうしてナージェットの部屋を出たとたん、テーミスの心配そうな声が降ってきた。
「どうした、リンディ殿!?」
「……大丈夫……少し、疲れただけ、だから」
本当に疲れた。デッドエンドだ攻略対象だといったことを抜きにしても、ナージェットは苦手なタイプだ。魅力的ではあるんだけど、なんというか、濃い。
「ならば、すぐに部屋に戻ろう」
そう言って、テーミスが私の手を引こうとして……すっと視線を動かした。彼が見ているのは、私の手を取ったままのナージェット。
「彼女は私がきちんと送り届けよう。下がってもらえるかな、騎士君?」
ものすごく得意げな声でナージェットが宣言すると。
「いえ、俺は彼女の護衛ですから。あとはお任せください、侯爵様」
一歩も引かないぞという強い意志を込めた声でテーミスが反論する。
「あの……私、部屋に帰りたいのだけれど……」
そうしてその間で、私は困り果てていた。だって気がつけば、右手をナージェットに、左手をテーミスに握られてしまっているのだから。動けないんですけど。
二人ともさわやかな笑みを浮かべながら、互いに見つめ合っている。うえっ、テーミスのそんな顔初めて見た! 笑顔なのに、一周回って怖い!
しかも私の手を握る力が、どんどん強くなっている。これってあれだね、先に手を離したほうが本物……何の本物だっけ?
結局このにらみ合いは、たまたま通りがかったシャルティンが二人を引っぺがすまで続いたのだった。
「お二人とも、リンディ様が困っておられますよ。女性には優しくしないといけません」
「女性に優しく、というところについては私も同意するよ。だから……」
「おい、離せ……」
恐ろしいことにシャルティンは、いとも簡単に二人を私から引き離し、そのまま腕をひねり上げてしまったのだ。
「離してはもらえないかな、シャルティン君……?」
「くっ、さすがにこの状況で抜剣は認められないか……」
「駄目ですよ。このまま、少し反省してください」
シャルティン、ものすごく強かった。侯爵のナージェットはともかく、騎士のテーミスまで抑え込めるなんて。
「本当に、お前はどうして騎士にならなかったんだ」
どうにかこうにかシャルティンの腕から逃れたテーミスが、ため息をついている。
「わたくしは、書類と向き合っているほうが性に合うのです。心を強く保つため、体を鍛えはしましたが……元々、争いごとは苦手で」
「などと言いつつ見事な動きだったよ、神官君」
ようやっと解放してもらえたナージェットが、後ずさりしながら器用に肩をすくめている。
「穏便に片を付けるには、強さも必要なのですよ。ええ、やはり平和が一番です」
にっこり笑ったシャルティンに、つい勢いよくうなずいてしまう。
「平和が一番……その気持ち、分かります」
デッドエンドなんてどこにもない、平和な世界。憧れるなあ。あ、でも私一応暗殺者なんだった。元々、平和とは一番遠い存在だった。半分くらい忘れてたけど。
「ああ、分かってくれますか!」
そしてシャルティンが、きらきらした目でこちらを見つめてきた。
いけない。またしても、やっちゃった。
今のシーンは、無言でやり過ごすのが正解だった。ついうっかり余計なことを言ったせいで、今度はシャルティンとの距離が近く……。
そっと彼から視線をそらし、ばれないように歯ぎしりする。
どうして、どうして普通に過ごしているだけで追い込まれていくの、私。そんな愚痴を呑み込みながら。