41.とんでもない提案の果てに
その場の全員が、声の主に注目する。メモを取る手を止めて、難しい顔をしながら首をひねっているルーカに。
「この国の多くの人たちは、祝福の乙女であるリンディを主と仰ぎたい。つまりそれって、リンディを崇めたくて、リンディに見守られたいってことだよなあ」
独り言のように、ルーカはつぶやいている。どうやら彼はこの場でみんなに対して発言しようとしたのではなく、考え事をしているうちについうっかり心の声が飛び出てしまっただけのようだった。
それはそうとして、改めて言葉にされるとめちゃくちゃ恥ずかしいんだけど。
「それって、別にリンディが王にならなくても達成できるような……例えば、王妃とか」
「絶対嫌。あの腰抜け引きこもり王の妻になるくらいなら、今すぐここを飛び出すから」
ルーカが口にした言葉が気持ち悪すぎて、脊髄反射でそう応えてしまう。おっと、ちょっと言葉が過ぎた。
……ところが、みんなもうんうんとうなずいていた。つくづくあの王、人望がなかったんだなあ。
「ああ、そうじゃないんだ。どのみち、今の王様はじき引退だろ?」
さっきまで独り言をつぶやいていたルーカが、私を見て笑う。ひとかけらの悪意も邪気もない、さわやかな笑顔だ。
「だから、リンディが王族の誰かと結婚して、その相手に王になってもらえばいいんだよ。悪くない考えだと思うんだけどなあ」
「きゃっ、それってすっごく名案! リンディ、オルフェオ様と仲がいいし、ちょうどいいと思う!」
すぐさま、エルメアが合いの手を入れた。こちらは邪気まみれだ。面白がるな、話をややこしくするな。
ふと妙な気配を感じて、ばっと振り返る。オルフェオのほうを。
オルフェオは黙って、視線をそらしていた。ちょっとうつむき気味なので、長くてたっぷりしたまつ毛がよく見える……じゃなくて。
彼ときたら、それはもう見事に恥じらっていた。
色白のつややかな頬は真っ赤で、というか耳まで赤い。青紫の目は動揺に揺らいでいるし、唇をきゅっと噛んでいる。困ったように両手を胸のところで握りしめていて……思わず嫉妬してしまいたくなるくらいに麗しい。
「あ、あの、オルフェオ?」
「いえ……どうぞ、気にしないでください。僕では、君には不釣り合いだと……分かっていますから」
うわあ、また前のうじうじモードに戻ってしまっている。ルーカのとんでもない提案はひとまず横に置いておくとして、この後ろ向きを何とかしないと。
「……どうして、そう思うのですか? 不釣り合いだなんて」
そう問いかけたら、オルフェオは暗い顔でこちらを見た。
「僕には知略も武勇も、人を引き付ける魅力もありませんし……」
「でも、勇気はあるでしょう。あの儀式の際、あなたにはとても助けられたわ」
声をひそめつつ、そう指摘する。彼の顔が、ちょっぴり明るくなったような。
「だから、まず大切なのは『あなたがどう思うか』なの」
「僕が、どう思うか……」
「そう。昔のあなたは、王宮という鳥かごに囚われていたわ。でも、最近では好きなように動き回れるようになった。だったら心も、もっと自由になっていいと思うの……」
どうにかオルフェオに自信を持ってもらいたい、その一心で言葉を重ねる。
オルフェオは、苦しげに目を細めて黙り込んでしまった。しばらくして、ゆっくりと深呼吸を一つ。
「……リンディさん。どうか、僕を選んでくれませんか。君が僕以外の人と連れ添うなんて、想像しただけで苦しいです」
……ルーカのあの提案がいつの間にやら採用されてしまっているような……?
「僕は君のためなら強くなれる。綱渡りのような危険な調べ物も、罠で満ちた禍々しい広間に向かうことも、少しも怖いとは思えませんでした。僕の努力が君の力になる。そのことが、ただ嬉しかった」
私の戸惑いに目を向ける余裕すらないのか、オルフェオはいつになく早口で語り続けている。
「君が心安らかに過ごせる日々を手に入れるためなら、僕は王にだってなってみせます」
まだほんのりと頬を染めたまま、オルフェオはまっすぐに私を見る。普段のおっとりと柔らかな表情ではなく、凛々しい顔で。
どうやら彼の思いは、私が予想していた以上に大きく膨れ上がっていたらしい。とても純粋で熱いその思いは、ただまっすぐに私に向けられている。
「……ルーカの提案がどうなるか、分からないけれど……もし採用されてしまったら、その時は……あなたに協力してもらうかもしれない……」
対する私の返事は、何ともあいまいで、格好のつかないものだった。だって、オルフェオのことは大切に思っているけれど、いきなり結婚だなんだ言われても実感がなさすぎて。
「その言葉を聞くことができた、僕はそれだけで十分です……」
しかしオルフェオは、私の返事を聞いて心底嬉しそうに微笑んだ。ほっとしたのか、かすかに涙まで浮かべて。
「あ、で、でも……私としては、ルーカの提案自体に反対だから。そもそも、誰かを選ぶような事態がこないよう、全力で抵抗するから」
オルフェオの喜びっぷりがくすぐったくなって、あわててそんな言葉を付け足す。照れ隠しもあって、ちょっとつっけんどんな物言いになってしまった。
「はい、それでも……嬉しいんです」
しかし彼は少しも暗い顔をせずに、やはりにっこりと笑ったまま答えた。立ち直ってくれたのはいいのだけれど、なんだか不思議な余裕を漂わせちゃってない?
…………オルフェオのペースについつい振り回されて、色々失言した気がする。これは何が何でも、ルーカの提案を没にする方向に持っていかないと。
口を開きかけたその時、またあらぬほうから声がした。
「ふむ……確かに今の提案、筋が通っていると言えなくもないな。過去には、平民が王妃となった例もあるし……人々の尊敬を集めた祝福の乙女であれば、全く問題ない」
ちょっ、レオナリス!? なに真剣に検討しちゃってくれてるのかな!?
「……私があの儀式を阻止するために何をしたのか、あなたは知っているはずだけれど」
大あわてで、レオナリスにそうささやきかける。
あの儀式の時の彼は、それはもう悔しそうだった。豪快に儀式をぶっ潰した私たちに対して、多少なりとも恨みのようなものを抱いているに違いない。
だからそこを突っついてみたのだけれど、レオナリスはゆったりと頼もしくうなずくだけだった。あ、嫌な予感。
「あの時は、大いに憤ったものだ。だが時間が経つにつれて、考え直した。貴殿らは一つの国の一つの歴史を終わらせた。それも、とても見事に、鮮やかに。感服するに足るものだと、私はそう思う」
やけに満足げに、レオナリスが語る。その場のみんなが思わず注目せずにはいられないような、朗々たる声で。
「その力をこの国の中枢に置くことができるのであれば、多少の私怨など忘れるべきだ。この国を守り育てる者の一人として、私はそうありたい」
すかさず、エルメアが小さく手を叩く。ああああ、煽るなっ!!
しかしそんな私の声なき叫びは誰の耳にも届くことなく、次々と拍手の音が重なっていく。やがて、広間には割れんばかりの拍手が満ちていた。
……本格的に、逃げ場が、なくなってきている。
あまりのことにめまいを感じて、ふらりと後ろに下がる。すぐに、カティルとオルフェオが支えてくれた。
「いずれは君が、この国の王妃か。兄代わりとして、とても感慨深いな」
「勝手に決定事項にしないで、カティル……もう、私の味方はいないのね……」
ぐったりと力なくつぶやいたら、すぐ近くから張り切った返事が聞こえてきた。
「何があろうと、僕は君の味方ですから!」
うん、そうだね、オルフェオ。分かってる。でもその結果、私は余計に追い込まれてるんだけどね……。
もう言い返す気力もなく、広間にあふれる拍手をただぼんやりと聞いていた。視界の端にちらりと見えたナージェットの得意そうな顔に、ちょっぴり殺意を覚えながら。




