4.悩める私と爽やかな神官様
祝福の乙女代理というとんでもない立場を押し付けられた、次の日。私は、王宮の一室に呼び出されていた。
ちなみにテーミスも、当然のような顔をしてついてきている。
彼は朝一番に私のところを訪ねてきて、控えの間にずっと詰めていたのだ。「全力をもって、リンディ殿を守る」と張り切った様子で。
私たちが通されたのは、異様にごちゃごちゃした部屋だった。
誰かの執務室っぽいのだけれど、執務机にもソファの前のローテーブルにも、書類がどっさりと積み上げられている。なんなら、その辺の椅子にも書類の山ができている。どれだけ仕事が多いんだ、ここの部屋の主は。
「ようこそいらっしゃいました、リンディ様」
そうしていたら、私を呼び出した張本人が姿を現した。山のように本を抱えて、おっとりと微笑んでいる。
「わたくしはシャルティンと申します。神官の一人でございますが、このたびあなたの教育係を拝命いたしました。どうぞ、以後よしなに」
言うが早いか、彼は手にした本を一冊、私に差し出してきた。
「貴方にはこれより、祝福の乙女として必要な教養を身につけてもらうことになります。心配なさらなくても大丈夫ですよ、わたくしが何度でもお教えいたしますから」
「あ、は、はい」
にっこりと笑うシャルティンは、乙女ゲーらしくばっちりイケメンだった。
柔らかい金の髪、明るい水色の目。テーミスよりも線が細く、かといってひ弱ではない。絶妙のバランスだ。それに物腰もおっとりとしていて、口調はとっても丁寧だし、ぱっと見た感じは、さわやかな王子様っぽい。
……なのだけれど、何だか違和感。見た目通りじゃない何かがありそうな、そんな予感。
こっそり首をかしげつつ、勧められたソファに腰を下ろす。ローテーブルの上の書類の山を崩さないように気をつけながら。
そうして向かいのソファに、シャルティンがそろりと座った。テーミスは私の背後に抜かりなく控えている。前方のイケメン、後方のイケメン。
「それでは、説明を始めますね」
などとくだらないことを考えていたら、さっそくシャルティンが話し出した。
話を聞きながら、ふと思う。彼が教師で、私が生徒。テーミスが保護者だとしたら、ちょうど授業参観みたいな感じだなあ、と。
正直、そんな脱線をしたくなるくらいには辛い時間だった。
だって、人前での立ち居ふるまいに王国史、それに継承の儀式の手順とその意義など、正直興味の持てないテーマばかり学ばされたのだもの。
礼儀作法がらみのあれこれについては、リンディとしての記憶のおかげで何とかなりそうだった。
でも儀式の話は正直、何が何だかさっぱりだった。儀式がらみのデッドエンドもあったはずだし、詳しい話が聞ければと思っていたのに。
なんでも、祝福の乙女が祭壇とやらで儀式を行うことで、王は何だかスーパーな力を手に入れ……とかなんとか、そんなふんわりしたことしか教えてくれなかったのだ。
そして王国史……リアル日本史や世界史ですら好きではなかった私に、どうしろと。
「リンディ様、リンディ様」
ゆさゆさと肩を揺さぶられて、我に返る。……はっ、私寝てた!?
「あ……ごめんなさい」
顔を上げたら、すぐ近くにシャルティンの顔があった。苦笑している。
申し訳ない。彼が話している内容に興味が持てなかったとはいえ、話の途中で寝てしまうなんて。
しかしそれはそうとして顔が近い。イケメンはそれでなくても圧がすごいのだから、適切な距離を保って欲しい。オルフェオといい彼といい、その辺りはわきまえて欲しい。
ところがそんな私の戸惑いに気づいていないのか、シャルティンは私の顔をのぞき込んでくる。なんでここまで顔が近いのかと思ってよくよく見れば、いつの間にか彼は私のすぐ隣に座っていた。
「さすがに、これだけ一度に話すと混乱してしまいますね。分かります」
あ、分かってくれるんだ。ちょっぴりほっとしたのもつかの間、彼は目を輝かせてにっこり笑った。ひとかけらの曇りもない、でもなぜか不穏な予感のする笑顔。
「ですので、もう一度最初から説明いたしますね。今度はもっと丁寧に、さらにゆっくりと! あなたのために、わたくしも頑張りますので」
……ああ。やる気だ、この人。なるほど、王子様系と見せかけて熱血系だった。ギャップが見事。それはそうと、誰か助けて。
後ろのテーミスをちらりと見たら、申し訳なさそうな表情で視線をそらされてしまった。うう、逃げ場なし、救いの手なし。
ゲームの中でまで、勉強とかしたくなかった。遠い目をしつつも覚悟を決めて、シャルティンの話に耳を傾け続けた。
その日の夜、夕食やらお風呂やら着替えやらを済ませ、ようやく一人になって。ベッドに大の字になって、うめき声を上げた。
「はあ、疲れた……」
あの後みっちりシャルティンの説明を聞いて、理解できたか口頭でテストして。ひとまず合格点はもらえたものの、また後日改めてお話をいたしますねと笑顔で言われてしまった。
なんでも、まだまだ覚えるべきことはあるとかで……うわあ、面倒くさい。
ふうとため息をついて、身を起こす。寝ようと思ったけれど、疲れすぎて目が冴えてしまっていた。
何か、眠れそうなこと……あ、そうだ。
帰り際、シャルティンは復習用にと言って、分厚い紙束を渡してくれたのだ。それを手に、またベッドに戻ってくる。
「これを読んだら、眠れそうな気がする……」
などと失礼なことを考えつつ、紙をぺらぺらとめくっていく。彼の字で、今日話したのと同じことがみっしりと書き込まれている。
「……これ、いつ書いたんだろう? インクの色が新しいように思えるのだけれど……あんなに忙しそうなのに、わざわざこれを書いてくれた……のよね」
そうつぶやいた時、紙束の中から何かがぱさりと落ちてきた。拾い上げて見てみると、どうやら何かの書類のようだった。しかも、締め切りが明日になっている。どうやら、何かの拍子にまぎれ込んだらしい。
「……急いで返したほうがいいよね、これ」
少しだけ迷って、ガウンを羽織る。テーミスは「夜間は絶対に部屋を出ないでくれ」と言っていたけれど、大丈夫だろう。たぶん。
私も一応暗殺者だし、戦い方は知っている。もっともリンディとしての記憶頼りだから、いざと言う時にきちんと動けるか自信はないけれど。
隣の部屋で控えているメイドたちに気づかれないよう部屋を出た……とたん、警備の兵士に呼び止められた。
「リンディ様、このような時間へどちらへ?」
「シャルティンのところよ……忘れ物を届けにいくの」
「でしたら、私たちがお届けしましょう」
「大切なものだから……私が行くわ」
どうせなら、ついでにちょっと散歩したい。ごねる兵士たちを無理やり振り切って、大急ぎで廊下を突き進んでいった。追いかけてきた兵士の一人を、うまいことまいてから。
「ああ、わざわざありがとうございます」
その足でシャルティンの部屋を訪ねたところ、なんと彼はまだ仕事中だった。さすがにちょっと疲れた様子で、机に向かって書き物をしていたのだ。
「こんな時間まで、仕事ですか……昼間、私が時間を取らせてしまったせい……ごめんなさい」
「いえ、いつもわたくしはたくさんの仕事を抱え込んでいるので。もっと遅くまで仕事をしていることも、珍しくないんです」
とんでもないことをさらりと口にしながら、それでもシャルティンは穏やかに笑う。
「それに今は継承の儀式の準備もありますから、余計に忙しいんです。でもこの国の未来のためですから、これくらいどうということはありません」
その一点の曇りもない笑顔に、一気に罪悪感がつのる。そんな事情があると知っていたら、もうちょっと真面目に勉強するんだった、と。
「それでも、謝罪させてください……昼間の私、いい生徒ではなかったから」
「謝罪が必要なのは、わたくしもです。エルメア様が姿を消されたことで、少し焦っていました。今後は貴方の負担を減らせるよう、日程と内容を再考することにいたします」
そうして、二人でふふっと笑い合う。よかった、ちゃんと分かり合えた。
……じゃなくて。今の状況、ちょっぴりまずい気がする。
私は、誰が攻略対象なのか知らない。かろうじて覚えていたのはテーミスだけ。
だから確かなことは言えないのだけれど、この顔面偏差値、さわやかなオーラ、礼儀正しくもぐいぐいくる押しの強さ、間違いない。
シャルティンは、攻略対象だ。そして今、おそらく好感度的なものが上がった。
ああ、やっちゃった。テーミスに懐かれて、次の日にこれか。もっと塩対応をするように心掛けないと。
「……それでは、失礼します」
できるだけ表情を消して、突然話を打ち切る。けれどシャルティンの笑みは、変わることがなかった。
「ええ、もう夜遅いですから。貴方に安らかな眠りが訪れるよう祈っていますよ」
その穏やかな言葉に、冷ややかな態度が揺らいでしまう。結局私は、「あ、はい」などとしどろもどろになりながら退室したのだった。
「……ちょっと仲良くなっただけだから。恋には落ちていないから。まだ大丈夫、まだまだ大丈夫……」
静まり返った王宮の廊下を、そんなことをもごもごとつぶやきながら足早に進む。
「でも、こういうちょっとした積み重ねが、そのうちとんでもないことになるんだし……ほんのちょっと食べ過ぎただけなのに、気づいたらウエストのお肉が、みたいな……」
誰も聞いていないのをいいことに、好き勝手に一人で喋り続ける。
と、意識に何かが引っかかるものを感じた。
危険だ。
そう思った次の瞬間、目の前に不吉に輝く銀色の何かが現れた。