39.さあ、第二…第三? の人生だ
こうして正式に、私はヴェノマリスとの縁が切れた。と同時に、ルーン伯爵家の娘という仮の身分も失った。つまり、ただの平民になった。
蓄えはたっぷりある……要するに、今までの暗殺の報酬なんだけどね……から問題ない。これが尽きる前に、仕事を探そう。
今度は、まともな仕事がいいな。ごく普通の町娘として暮らしていくのも悪くないなあ。顔が割れてるから城下町では暮らせないけど、どこか遠くの町でなら何とかなると思う。
ところが、うきうきしながら王宮を立ち去ろうとした私を、みんなが全力で引き留めてきた。
「頼む、俺に稽古をつけてくれ! 君なら、女騎士にだってなれる!」
やけに熱心にこう言い出したのはテーミスで。
「あなたが差し入れてくれたものは、とても美味でした。王宮の厨房で、料理を考案される役職につくのはいかがでしょう?」
シャルティンも、妙に一生懸命に食い下がってきた。
「町娘として生き生きと暮らす君を見てみたいとも思うが……気軽に会えなくなるのは面白くないね。どうだい、私の妻にならないかい? そうすれば、働く必要など」
一気にそこまで言ったナージェットに、オルフェオの氷点下の視線が突き刺さる。
「妻……というのは先走りすぎですが、ひとまず今まで通りに僕の客人として留まってはくれませんか? 王宮の中にもたくさん仕事がありますし……それに、君と離れるのは……辛いです」
そしてオルフェオは、一転して悲しげな目で私を見た。捨てられた子犬のような、そんな目で。
「……分かったわ。お言葉に甘えて、そうさせてもらう……」
そう答えた時の、みんなのほっとした顔といったら。これはもう、あきらめて王宮勤めになるしかないんだろうなあ。
「……と、いうことがあって」
「何それ面白い、わたしもその場で見たかった!」
「オレもオレも!」
私の報告に、エルメアとルーカが笑い転げている。
その一幕から数日後、私は変装して新聞社の寮を訪れていた。当然ながら、がっちがちに変装して。私が素のままで歩いたら、たぶんあっという間に人垣ができる。目的地には決してたどり着けない。
紫の髪を一時的に黒く染めて、上質だけれどおとなしめのワンピースを着て。裕福な商人の家の娘、といった感じに仕上がっている。暗殺者だった頃、変装して潜入するのを得意としていたけれど、こんな形で役に立つなんて。
「特に、面白いものではないですよ? 僕たちがそれぞれ、思うところを述べただけで。……侯爵さんについては、黙っていて欲しかったですが」
隣のオルフェオが、どす黒いオーラを放っていた。思い出し怒りというやつかな。
もちろん彼も、ちゃんと変装していた。いつもの王族らしい上等な服装ではなく、かなり地味な貴族の普段着だ。
その結果、彼はあまり位の高くない貴族、でも歴史ある家の令息といった感じになっている。どうやっても、彼の品の良さは隠せなかった。
そうしてエルメアたちと話しているオルフェオは、とっても楽しそうだった。
そもそもこの外出、オルフェオが提案してきたものだった。
彼は王族だから、自由に王宮を出ることはできない。そういう決まりになっている。
しかし彼は、あの騒動を経て思ったのだそうだ。決まりに縛られ、やりたいことをやらない。そんな生き方で、本当にいいのかと。
そうして彼は、お忍びで城下町に遊びにいこうと思い立ったのだった。
民の暮らしを知ることで、自分が王族としてこれからどう生きていくべきなのかについての手がかりを得られるかもしれないと、そう考えたのだとか。
色々理由をつけてはいるけれど、オルフェオは外の世界に興味を持っているらしい。いいことだ。
ただ彼は、城下町のことはまるで知らない。そこで、私に変装の指南と付き添いを頼んできたのだった。
「それにしても、あなたたちが二人して遊びにくるなんてね。その変装、似合ってるよ」
向かいに座ったエルメアが、ちょっぴりにやにやしている。彼女は、今も新聞社の寮で暮らしている。それも、新聞社の社員として。
彼女は読み書きはかなり得意だし、あふれる愛嬌を駆使して取材も見事にこなす。新人ながら、中々に重宝されているのだとか。
「そうだ、せっかくだから取材させてよ! 王宮が今どんな感じなのかとか、祝福の乙女様のこととか! 乙女様が今どうしているのか、みんな知りたがってるんだよ」
「オレからも頼む! あの時に号外を作ったのが楽しくて、忘れられないんだよな」
エルメアとルーカが、交互に頼んでくる。……前から思っていたのだけど、この二人、結構似た者同士なところがあるような。
「どうしましょうか? 僕は構いませんよ」
オルフェオが、いつもと同じように穏やかに微笑む。ただその目は、隠し切れない期待に輝いていた。
どうやら彼は、取材を受けてみたいって思ってるようだった。私はそういうの、興味ない……というか、全力で辞退したいのだけど。だいたいエルメア、『祝福の乙女様』って……他人事だと思って……元々はあなたが祝福の乙女だったくせに……。
「あ、そうだ。もうお昼時だし、食べながらの取材はどう?」
エルメアがうきうきと提案すると、ルーカがさわやかに笑った。
「いいな、それ。じっくり腰をすえて話せるいい店、知ってるんだ。情報をくれるなら、飯はおごるよ」
「え、あの……? その、自分の分は自分で払いますから……」
おおよそ生まれてこの方『おごり』などという文化とは無縁だったに違いないオルフェオが、しどろもどろになっている。
「気にしないでよ。新聞社の経費で落とすから」
「は、はあ……」
やる気満々の二人に連れられて、やってきたのは城下町の中心部から少し外れた静かな通り。
そこに、その店はあった。どうやら庭にテーブルが出ているようなのだけれど、道沿いに植えられた木々がわさわさと茂っていてよく見えない。確かにここなら、話し込むにはちょうどよさそう。
「ルーカ、注文お願いね。わたしは二人を席に案内するから」
エルメアがそう言って、私とオルフェオを一番奥まった席に連れていく。ここの庭、道側だけでなく庭の中にもたくさん木が植えられていて、客同士の視線もいい感じにさえぎられているのだ。
「素敵な場所ですね。周囲には建物がひしめいているというのに、ここだけとても静かで……王宮の中庭を思い出します」
「ええ。すぐ近くに、他のお客さんもいるのに。不思議なくらいに静か……」
席についた私とオルフェオが口々にそんな感想を述べると、エルメアが楽しそうに笑って答えた。どことなく、得意げでもある。
「この席、わたしたち新聞社の人間のお気に入りなんだよ。このお店ね、いるのは大体常連さんで……それぞれに、お気に入りの席があるんだ」
「おーい、エルメア。料理運ぶの、手伝ってくれよ」
その時、ルーカの声がした。木々の向こうに見えている、白い小さな可愛い家。どうやらあそこで、料理を作っているらしい。
「今行く! ……ここね、場所が素敵なだけじゃなくて料理も素敵なんだよ」
うきうきした様子で私たちにそう告げて、エルメアは小走りにルーカのもとに向かっていった。
そうして運ばれてきたのは、ゆでたジャガイモに溶かしたチーズとコショウをかけたもの、ベリーソースをかけたミートボール、平べったいパスタにトマトソースやミンチ肉を重ねて焼き上げたもの、などなど。
微妙に統一感がないような気がするけれど、どれもおいしい。
「この気取らない感じ、好きですね……」
オルフェオが幸せそうな顔で、せっせと料理を口にしている。ちょっと線の細い彼だけれど、見た目に反して中々の食べっぷりだ。
私も気づけば、すっかり料理に夢中だった。王宮の料理もおいしいのはおいしいんだけど、テーブルマナーのせいで肩が凝るんだよね。
「それで、王宮はどんな感じ? というか、あなたはこれからどうするの?」
ある程度食事が進んだところで、エルメアが前のめりになって訪ねてきた。仕方なく、現状をそのまま話す。
私はもうただの平民の娘だし、何か仕事をするべきだ。ただ、王宮に残ってくれとみんなに引き留められてしまったので、どうしたものか困っている。そんなことを。
「ふーん、祝福の乙女様として、あがめたてまつられるのじゃ駄目なの?」
「……一服盛られたいようね、エルメア……?」
「わわっ、冗談だってば。でも、王宮でできる仕事で、あなたに向いたものかあ……」
小首をかしげて考えていたエルメアが、ふと何かを思い出したような顔になる。
「だったら、薬師はどう? リンディは毒の知識だけじゃなくて薬の知識も持ってるし、人体にも詳しいでしょう?」
「え、ええまあ、一応。毒と薬って、似たようなものだから」
思いもかけない提案にちょっと口ごもっていると、オルフェオとルーカが顔を輝かせた。
「リンディさんが薬師ですか、それはいいですね。賢くて度胸もあるリンディさんにはとてもよくお似合いです」
「時々町の人たちも治してやったら、もっと民たちの支持を得られるんじゃないか? 既に今でも、祝福の乙女様は王様より人気があるし。乙女様が次の王様になってくれればいいのになって、みんなそう言ってるぞ」
「うげっ……」
ルーカの発言に、つい変な声が出てしまう。
「私、もうこれ以上目立ちたくないんだけど……ひっそりと、平和に暮らしていたい……できることなら、どこか遠くへ逃げたい……祝福の乙女の顔が知られてない、どこかへ……」
「ああそれ、どう考えても無理だよ。あの儀式の時のリンディ、すっごくかっこよかったもの」
「だよな。神々しいって言えばいいのかな? 祝福の乙女のからくりを知ってたオレですら、思わず背筋を伸ばさずにはいられないくらいに」
「ええ、僕もです。リンディさんがまぶしくて……見とれてしまいました」
三人して口々に、あの時の私を褒めてくる。それだけでもこそばゆいのに、エルメアが恐ろしいことを口にした。
「で、最近、祝福の乙女様の絵姿が出回ってるんだよね。どうもあの場に、絵心のある人がいたみたいなの」
「オレも見たけど、結構似てたぞ。もう、他の町にも回ってるんじゃないか?」
「……それ、欲しいです。もし入手できたら、譲っていただけませんか?」
頬を染めているオルフェオとは裏腹に、私は血の気が引くのを感じていた。逃げ場なし。私、有名人。なんてこった。
これなら、王宮に引きこもっているのが一番楽かもしれない。仕方ない、覚悟を決めよう。
薬師、か。それなら私の持つ知識と技術をフル活用できそう。元暗殺者の薬師というのもちょっとどうかと思わなくもないけれど、これはこれでありかもしれない。
「……帰ったら、みんなに相談してみるわ」
そうつぶやくと、三人が満面の笑みで同時にうなずいた。




