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36.愚かなしきたりはもう終わり

 私の声を聞いて、王ははっきりと顔色を変えた。もちろん、レオナリスも。


「そなた……エルメアではないな? その声、もしやリンディ・ルーン……」


「なぜ貴殿がその衣装を着ている!? エルメア殿は、どこにいるのだ!」


 憤った様子のレオナリスが、私につかみかかろうとした。


 けれど彼は、それ以上動くことはできなかった。カティルがするりと彼の背後に回り込み、両腕を拘束して動きを封じてしまったから。


 それと同時に、私も動いていた。ヴェールを脱ぎ捨て、王に向かって投げつける。


 それを目くらましにして、椅子に座ったままの王の背後まで一気に歩み寄った。そして袖の中に隠していた暗器、毒をたっぷりと塗った小さな針を彼の顔のそばに突きつけたのだ。


「動かないで。これは毒針。うかつに触れれば、そこから肉が腐っていくわよ……強烈な激痛と共にね」


 言いながら、針に塗られた毒をわざと王の服に垂らしてみせる。じゅっ、と小さな音がして、白煙と共に小さな穴が空いた。


 ひいっ、と悲鳴を上げる王に、小声で命じる。


「まずは、周囲の兵士を下がらせて。あんなのがいたら、話し合いにならないから」


 既にこの時、異常を察したらしい兵たちがじりじりとこちらに近づきつつあった。オルフェオを守るように、テーミスとシャルティンが兵士たちに向き合っている。


 やろうと思えば、あれくらい無力化できる。ただここで派手な立ち回りを演じたら、民たちがパニックを起こすかもしれない。それは困る。民たちにはこの場に立ち会ってもらって、色々見届けて欲しいのだ。


 祭壇の周囲の民の中にはナージェットの配下たちも紛れ込んでいるから、いよいよどうしようもなくなったら手を貸してもらえる。ただ、そっちはそっちでぎりぎりまで隠れていてもらいたい。ここから何が起こるか分からないし、その時に備えて。


 という訳で、王様を脅迫、じゃなかった王様にお願いすることにした。そして王様は、すぐに私のお願いを聞いてくれた。レオナリスがものすごい顔でこちらをにらんでいるけれど、無視だ無視。


 王に毒針を、それも民から見えないように突きつけながら、ゆったりと民たちのほうに向き直る。


 最初に祭壇に上がったエルメアは、顔を隠していたし一言も喋っていない。民たちは、私こそが祝福の乙女だと思っているはずだ。


「私は祝福の乙女として、祭壇の地下深くにある儀式の間に向かいました」


 それをいいことに、知らん顔して祝福の乙女のふりを続ける。柔らかく優しい声で、穏やかに民たちに呼びかけた。


「けれどそこは、継承の儀式という名からは想像もつかない、恐ろしい場所でした」


 空いたほうの腕を、民たちに向かって差し伸べる。袖にはざっくりと大きな切れ目が入っていて、私の血で赤黒く染まり、固まりつつあった。若い女性のものらしい悲鳴が、民たちの間から聞こえてくる。


「壁から飛び出しこちらに襲い掛かってくる槍、上から落ちてきて私を狙う刃……どれも、私の命を奪うに十分な、凶悪なものばかりでした」


 そうして、近くに立っているテーミスとシャルティンに視線を移す。兵士たちが下がったこともあって、二人は神妙にたたずんでいた。


「ここにいる者たちが、私の身を命を賭して守ってくれました。そうでなければ、私はあの儀式の間で命を落としていたでしょう」


 正直、あの儀式の間の罠はすごかった。オルフェオがある程度前もって調べてくれていて、かつみんなで分担して壊せたからこそ、どうにかこの程度の負傷で済んだのだし。一人きりだったら無理だった。


「陛下。答えてはもらえませんか。この継承の儀式とは、あの儀式の間の禍々しい有様は、いったいどういうことなのでしょうか」


 もちろん、その答えを私たちは持っている。オルフェオが私たちに加担している時点で、王たちもそのことに薄々気づいているかもしれない。


 でもここは、どうにかして王の口から言わせたい。継承の儀式の、最低な事実を。そのほうが、民に与えるインパクトが大きくなりそうだし。


「……たった数名で、あの罠を逃げ延びた、だと……?」


 あ、王の様子がおかしい。何もない空中をじっと見つめて、私の話なんてほとんど耳に入っていないような様子でぶつぶつと何か言いだした。


「あり得ない……あり得ない……こうなったら誰でもいい、誰かの血をあの石に捧げなくては……」


 もうろうとしたようなその声は、最前列にいる民には聞こえてしまったようだ。前のほうにいる民たちが、はっきりと困惑の表情になった。よし、もうちょっとつついて崩せば、いい感じに自滅してくれそう。


「あの石は、もうないわ。私が砕いたら、砂になって消えてしまったから」


 そう告げた時の、王の表情ときたら。さっきまで青ざめてうろたえていたのに、いきなり真っ赤になった。


「そなた……! なんということをしてくれたのだ! あの石が何なのか、分かっているのか!?」


 突きつけられた毒針をものともせず、王は立ち上がり私をにらみつける。いきなり大声で叫び出した王に、また民たちが動揺した。


「あの石は、代々の王の記憶を保存するためのものなのだ! 祝福の乙女の血を代償に、私にその記憶が受け継がれるはずだった!! そなたは、それを台無しにしたのだな!」


 王の両手が、私の首元に伸びてくる。ちょうど、首をしめようとしているような形だ。


 すっと手を伸ばしてその腕をつかみ、遠慮なく投げ技をお見舞いしてやる。石でできた祭壇の上に、王がぺたんと叩きつけられた。


 王が逃げないように抑え込みながら、もう一度声を張り上げる。


「王たちが記憶を受け継ぐために、代替わりするたびに祝福の乙女をいけにえとして捧げてきた。そういうことね……」


 さらに民たちがざわついてきた。でもそれも、気にならなかった。今の私には、どうしてもこの王に言ってやりたいことがあったから。


「あなたも王なら、堂々と自分の力で国を治めてみなさいよ!!」


 その叫び声に、その場の全員が私を見た。でもお構いなしに、さらに続ける。


「いけにえを『祝福の乙女』なんて言葉で飾り立てて、こっそりと殺して。そうやって力を得ないと何もできない自分を、恥ずかしいとは思わないの!?」


 もう、辺りは大混乱だった。今聞いた言葉が信じられずにおろおろする民たち、隙をついて王とレオナリスを奪還せんとじりじり近づいてくる兵士たち。


 毒針をわざとらしく王の首元らへんでゆらゆらと動かして、そんな兵士たちを牽制する。そのまま、じっと待ち続けた。その時がやってくるのを。


 そうして。


「さあさあ、号外、号外だよ!!」


 軽やかで明るい、場違いなことこの上ない声が辺りに響き渡った。それも、突然に。

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