29.恐れる乙女の命乞い
私に抱きついてきた……というかタックルしてきたのは、エルメアだった。彼女からは以前のふわふわした雰囲気は消え失せて、まなじりをきりりと吊り上げている。
一見すると怒っているようにしか思えないその表情も口調も、彼女が抱いている恐れを隠し切れてはいなかった。
「売った? 私が、あなたを……?」
思いもかけない言葉に動揺しながらそう問い返すと、エルメアは涙目で見つめてきた。
「だってだって、いきなり寮に兵士たちがやってきて、無理やりここに連れてこられたんだもの!」
よほど怖かったのか、エルメアは震えながらも声を張り上げている。明らかに、私を非難している表情だ。
ひとまず、誤解を解かないと。
「……それ、私の差し金じゃないわ。だって継承の儀式には、私が参加するつもりだから。……あなたじゃ、危なすぎるもの」
ナージェットやオルフェオの調査のおかげで、少しずつ儀式の裏側――祝福の乙女が祭壇の地下で出くわすもの――について明らかになりつつあった。
そしてそれらを知れば知るほど、絶対にエルメアをここに放り込むことはできないなと、そんな思いを強くするのだった。たぶん彼女だと、三秒と持たずに死ぬ。
「そのためにも、あなたには儀式が終わるまであそこに隠れていてもらおうって、そう思ってたの。だから、そっちに顔を出すのを止めたのに……」
彼女を見つけた時と、その後カティルを連れてお喋りにいった時。それ以外に、私は彼女が暮らしている寮を訪ねてはいない。というか、王宮から出てすらいない。
「尾行されても適当にまく自信はあるけれど、どこで誰に何を見られるか分かったものじゃないから」
カティルの尾行だけはまけそうにないけれどね、とそんな言葉を心の中で付け加えた。
「……あ、それで、全然来なくなってたんだ。リンディがうまくいってればいいんだけどなって、そう思ってたんだけど……」
ようやく納得してくれたらしいエルメアが、一転してしょんぼりした顔でつぶやく。私の袖をしっかりとつかんだまま。
「だったら、どうしてわたしが見つかったのよ……やだあ、死にたくないよ……」
「あの、それなのだけど」
一つ、納得のいかないことがある。どうして今さら、エルメアが連れ戻されなければならないのか。もう、私が祝福の乙女なのだと正式におひろめされてしまっているのだし、ここで元祝福の乙女を引っ張り出してくる必要がなさそうな気がする。
そう説明したら、エルメアはやっぱり涙目のまま考え込んだ。
「え……そうなの? でもわたしを捕まえにきた兵士たちは、『祝福の乙女殿、ご同行願います』って言ってたけど……」
「となると、あなたをここに連行したのはやっぱりレオナリスの手の者ね」
エルメアから視線をそらし、考える。レオナリスの動向について、ナージェットが教えてくれたこと。
『継承の儀式が近づいて忙しくなっているのはシャルティンだけではなく、レオナリスもだからね。彼はエルメア君を探したいところだろうけど、そちらに人手を割いている余裕などないよ。だから、そこまで警戒しなくても大丈夫じゃないかな』
ナージェットは、前にそう言っていた。確かにシャルティンの仕事は日に日に増えていって、私が差し入れをする回数もどっと増えていた。
というか、王宮全体が緊迫した雰囲気に包まれていた。あの舞踏会以来、のんびりしている人たちの姿を見ることがなくなったし、廊下を行く文官や侍女たちも、常に急いでいるかのような早足だった。
「……エルメア、あなたがどうして見つかったか、は後にしておきましょう。今は、祝福の乙女がどちらになるのかについて、はっきりさせないと」
「ありがとう、リンディ! お願いね! ああ、助かった」
またしても表情をくるくると変えるエルメア。私がどうにかして乙女役を引き受けるのだと、かけらほども疑っていない。
彼女は前からこんな感じではあるけれど、今はその態度が引っかかって仕方がなかった。
私は生き延びる。彼女も死なせない。そう決めたのだし、ろくに頼れるもののない彼女が私にすがってくるのは当然だ。そう分かっているのに、何か腑に落ちない。
どういうことだろう。しばらく考えて、ふとあることに思い至った。
「……あなたは、生き延びるためなら何でも利用するって、そう言っていた。その『何でも』には、私も入るの?」
そうつぶやいた私の声には、かすかないら立ちが混ざっていた。エルメアがはっと息を呑む。
「継承の儀式、その中で祝福の乙女は死ぬ。それは、ほぼ確定しているみたいね。……私も色々調べてもらっているけれど、私の身体能力をもってしても、儀式を切り抜けるのはかなり苦労しそう」
私は自分一人で立ち向かうのではない。少なくともカティルは、こっそりと儀式の場に合流してくれるだろう。
「私は死にたくない。誰も死なせたくない。そんな思いでずっとやってきたけれど……少しだけ、思ってしまうの。あなたはただ隠れていれば生き延びられるのにね、って」
エルメアよりも、私のほうが圧倒的に恵まれた状況にある。そのことも、よく分かっている。
でもこの状況を作り出したのは、私だ。私が逃げずに王宮に留まり、周囲の人たちと関わって友好関係を築いてきたからだ。……ちょっと感情のベクトルが違いそうなオルフェオと、昔からのお兄ちゃんであるカティルは除いて。
……最初は、彼らを避けていた。でもついうっかりが重なって、彼らと親しくなってしまって……その結果、今の私がある。デッドエンドとやらに、真正面から立ち向かえるかもしれないと、そう考えている私が。
一方のエルメアは、もう一つの記憶がよみがえり、ここがとんでもないゲームの中かもしれないと思ったとたんに逃げ出した。
それが一番賢明なやり方だと、分かってはいる。でもちょっぴり、釈然としないものを感じずにはいられなかったのだ。
もしかしたら彼女も、もっと別の道を選べたんじゃないか。逃げ隠れするだけではなく、自分の手で未来をつかみ取っていくような、そんな道を。そんな気がしてならない。
エルメアも私のそんな思いを感じ取ったのだろう、困ったように眉をひそめた。
「あの、えっと……それは、ね……」
戸惑いがちに口を開くエルメア。しかし彼女がそれ以上何か言うより先に、別の声が割って入った。
「申し訳ありませんが、あなたには祝福の乙女としての責務を果たしてもらいます、エルメアさん」
扉が開き、入ってきたのはオルフェオ。ひどく険しく顔を引き締めている。
彼の後ろからは、心配と不安を隠せずにいるルーカと、いまいち状況が呑み込めていない顔のテーミスとシャルティンが続く。
さらになぜかカティルが普通に姿を現していた。さらにさらに不思議なことに、ナージェットまで連れて。
エルメアが驚きに目を見張り、それからあわててオルフェオに向き直った。
「な、なんでそんなこと言うのよ!? あなただって、一度はわたしを見逃してくれたでしょう!」
「ええ。ですが、考え直したんです。儀式の真相について知り、僕は決断しました。リンディさんをそこに向かわせる訳にはいかないと」
いつもおっとりと穏やかなオルフェオは、ぞっとするほど冷静に返している。
「ですから僕は、レオナリス殿にあなたの居場所をこっそりと教えました。あの方は、あなたこそが祝福の乙女だと考えていますし、陛下を説得することもできるでしょう」
「どうして……そんな……祝福の乙女にされたら、わたし、死んじゃうのに……」
呆然と、エルメアがつぶやいている。唇は震え、顔は青ざめていた。
オルフェオの意外な一面に、何も言えずに彼を見つめる。
かつて、エルメアが教えてくれたことがあった。オルフェオは普段の彼からは想像もつかない顔を持っていて、自分の手の届かないところにいってしまいそうになったリンディを殺すという非情な決断をするのだと。
その時は、とても信じられなかった。それからも彼と接していったけれど、そんな裏の顔はかけらほども感じられなかった。
だからずっと、こんな風に思っていた。エルメアが語ったゲーム中の彼と、私が接している彼は別の存在なのだと。
「ああ、ご存じだったんですね。リンディさんから聞いたのでしょうか? 申し訳ないのですが、それでもあなたに祝福の乙女になってもらわなければならないんです」
けれど今、エルメアに死ねと告げているオルフェオを見ていたら、ようやく納得がいった。彼はこんなにもあっさりと、既知の仲の人間に死の宣告をできる人だったのだと。
ただ、なぜか怖いとは思えなかった。混乱もしなかった。意外なくらいにすんなりと、私は彼のそんな一面を受け止めていた。
「お前、ふざけるなよ! オレが、エルメアを死なせはしないからな!!」
ぽかんとした顔で話を聞いていたルーカが、いきなり飛び出してオルフェオに殴りかかった。




