26.寝耳に水の舞踏会
そうしてレオナリスの呼び出しも無事にやり過ごし、ほっと一息つく……暇すらなかった。
なんと今度は、舞踏会へ出席するように言われてしまったのだ。王の命令で。
それはまあ、一応伯爵令嬢という設定だからして、ドレスも一応持ってきてはいるけれど。まさかこれを着ることになるとは思わなかった。
という訳で舞踏会当日。王宮のメイドたちの手を借りてぱぱっとドレスに着替え、さて会場である大広間に向かおうと、部屋から一歩踏み出そうとしたその時。
「やあ姫君、迎えにきたよ」
「リンディ殿、護衛は俺が」
扉の向こうには、ナージェットとテーミスが立っていた。
ナージェットは華やかに装っていて、何というか色気がすごい。なるほど女たらしだ。しかしその顔に浮かんでいるのはでれっでれの笑み。
対するテーミスは美しい鎧をまとって、きりりと顔を引き締めている。やる気に満ちあふれた、とっても生き生きした表情だ。
「ああ……なんて美しいんだ。さすがは姫君、どことなく孤高の三日月を思わせる神秘さと、透き通った儚さを備えていて……手が届かないと分かっていても手を伸ばさずにはいられない、そんな風情だね」
「……ナージェット様。人前でそのような物言いはお控えになられたほうがよいかと」
「なんだ、テーミス君。無粋なことを言わないでくれるかな。君だって理解できるだろう? 今のリンディ君が素晴らしく美しいということは」
「は、はい。俺は美辞麗句のたぐいとは無縁ですが……それでも、リンディ殿は白いバラに似ておられると、そう感じます。早朝の庭園に咲く、香り高いバラに」
「ほう、君も中々いい例えを持ってくるね。褒めてあげよう」
「……光栄です」
しかも二人ときたら、私を放置してそんな会話を始めてしまった。そのこそばゆいべた褒めの嵐、恥ずかしいんですけど。
しかもしかも二人の背後では、カティルがこっそりと私を見てうっとりと微笑んでるし。
この舞踏会、無事に終わるのかな。ふとそんなことが、心配になってしまった。
そうして私とテーミスとナージェット、あと隠れてついてきているカティルの四人で大広間に向かっていった。
「……でも、どうしてこんな時に舞踏会なのかしら……継承の儀式の準備で忙しいはずなのに……」
いつも大量の書類と格闘しているシャルティン、彼の仕事がさらに増えてなければいいのだけれど。そう思いながらつぶやいたら。
「この舞踏会は、君を祝福の乙女として正式におひろめするためのものだと聞いているよ」
相変わらず情報通のナージェットが、すかさずそう答えてきた。
「……おひろめなんて、必要でしょうか」
「あなたはこの国の未来のため、なくてはならない存在です」
ちょっぴり緊張した表情で、テーミスも口を挟んでくる。綺麗なドレスを着られるのはちょっぴり楽しいけれど、舞踏会……ちょっと気後れしてしまう。
仕方ない、ひとまず猫をかぶって乗り切ろう。リンディとして身につけた演技の技術を駆使すれば、何とかなるだろうし。
そう腹をくくって、大広間にたどり着いた訳ですが。
思わずたじろいでしまうくらいに、そこはざわざわした空気に満ちていた。微妙に歓迎されていないのを感じる。あっちこっちからちらちら見られて、どうにも落ち着かない。
さて、どういうことなのだろうか。無言で首をかしげていたら、久々に思い出した。妹が騒いでいた内容を。
『ゲームの主人公であるエルメアは、ただの町娘なのに祝福の乙女に選ばれて王宮にきたんだよ。だから王宮では彼女のことをよく思っていない人もいてね』
で、その続きは。
『そのせいでちょっとした嫌がらせをされたりとか、そういうイベントも起こるんだよ。もちろん、攻略対象たちがかばってくれたりする訳だけど』だったかな。
かばってもらって仲良くなったら、結局そのイケメン死ぬんじゃん! って全力でつっこんでスルーした、そんな記憶もよみがえってきた。
私はエルメアではなくリンディだけれど、立場として祝福の乙女にはあまりふさわしくないという点では大体ゲームの主人公と同じだ。
エルメアは町娘、私は他国の貴族。とすると、周囲の視線がとげとげしい理由は……よそ者が何様のつもり、といった感じかな。
あと、テーミスとナージェットが両側に張りついているせいで、令嬢たちに思いっきり嫉妬されている気もする。両手に花ならぬ両手にイケメンだし。
あ、ひそひそ声が聞こえ出した。聞こえないように喋っているつもりなのだろうけれど、私は盗み聞きの訓練もしているのだ。ふふん、参ったか。
ふむふむ、『たかが伯爵家の人間のくせに』『テーミス様とナージェット様を従えて、ずうずうしい』『足を引っかけて転ばせてやろうかしら』『よろめいたふりをしてドレスを駄目にしてやるのもいいわ』か。
古典的だなあ。でもそちらがその気なら、こちらも華麗にかわしてあげよう。好き好んでこんなところに引っ張り出されたんじゃないのに、その上嫌がらせまでされるなんて冗談じゃないし。せいぜい空回りして悔しがってもらおう。
と、意気込んでいたものの。
「……二人とも、ありがとう……」
令嬢たちは、そもそも私に近づくことすらできなかった。周囲の不穏な気配を察したテーミスとナージェットが、きっちりとガードしてくれたのだった。
「いえ、あなたを守るのが俺の役目です」
「役目ねえ。つまり彼女が祝福の乙女でなかったら、君は彼女を守らない。そういうことかな?」
「あ、いえ、それは」
「ははっ、面白いくらいに動揺するねえ、君は」
ナージェットはすっかりテーミスにちょっかいをかけるのが癖になってしまったらしい。テーミスには申し訳ないけれど、そうやっている間は私がからかわれずに済むので、ちょっと助かっているかも。
というか、さっきめまいを起こしてよろめいた令嬢、あれはカティルの仕業だな。小さな針のような吹き矢を、どこかから飛ばしたのだと思う。あ、ほら、また一人。
そんなこんなで、気がつけば私たちは他の参加者たちから微妙に距離を置かれた状態で、何となくぼんやりと大広間をふらふらしていたのだった。
「……いつまで、こうしていればいいのかしら……」
確かこの舞踏会は、私のおひろめのために開かれているはず。なのに特に何も起こらず、ただひたすらに待たされている。
他の人たちも退屈しているのか、てんでにお喋りを始めた。合間に、やはりちらちらと突き刺さるような視線をこちらに向けながら。
「退屈かね、姫君。君の憂いが晴れるような、愉快な話でもしようか」
そう言ってナージェットがさらりと私の腰を抱き。
「ナージェット様、人前でふらちな行いはお止めください」
すかさずテーミスがナージェットの手を外し。
「この程度でふらちとは、初々しいねえ。ああ、それとも君が姫君のお相手を務めたいと、そういうことかな?」
めげることなくナージェットが切り返す。
真面目でちょっと無愛想な堅物のテーミスと、にこにこしているのに目が笑っていないくせ者のナージェット。真逆の二人だけれど、おかしくなるくらいに息ぴったりだ。
「ふふっ……」
つい笑ってしまったら、二人が同時にこちらを見た。テーミスはちょっぴりほっとしたような顔で、ナージェットは面白がっている顔で。
「テーミス、どうやら姫君は私たちのやり取りを楽しまれているようだよ。少し話につきあいたまえ」
「拒否……する訳にはいきませんね。どうぞ、ナージェット様。どこからでもかかってきてください」
「テーミス、手合わせじゃないんだから……ふふ、おかしい……」
そうやって和やかに話し込んでいたら、誰かが近づいてきた。
「お待たせしました、リンディ様。それにテーミス様とナージェット様も」
シャルティンがそう言って、ぺこりと頭を下げる。着ているのはいつもの神官の制服に似てはいるものの、もっと豪華なものだった。
彼はテーミスとは昔なじみだけれど、今はそれぞれ立場があるので『様』をつけているのだろう。彼らしいなと、ちょっと微笑ましく思ってしまう。
「これより、陛下のもとに案内いたします。どうぞこちらへ」
「ああ、よろしく頼むよ。……ところで君は、どうして彼女がこんなに待たされたのか、その理由は聞いているかね?」
声をひそめて、ナージェットがシャルティンに尋ねる。シャルティンは困ったような顔をして考え込み、周囲をはばかるようにして短く答えた。
「……陛下が、寝坊をされたそうです」
「ふうん? 従者は何をしていたのだろうね」
「それが、『眠いから起こすな』と命じられたとかで……」
なんだそれは。これだけの人間を集めておきながら、本人は寝坊? というか、過失じゃなくて故意だよね、それ。
胸の中にわき立ってくるいら立ちを押し込めつつ、神妙な表情でシャルティンの後に続いた。




