22.仲良くなってもいいんだものね
私はオルフェオを連れて、王宮の厨房にやってきた。広い厨房のあちこちでは、そろそろ晩ご飯の仕込みをし始めている料理人たちの姿が見える。
「あっ、リンディ様。それにオルフェオ様まで」
「リンディ様、さっきのケーキ、喜んでもらえましたか?」
「ええ。きちんと全部平らげてくれたわ……気に入ってもらえたみたい」
私が料理人たちとそんな会話を交わしている間、オルフェオはぽかんとしていた。
「あの、リンディさん。僕をここに連れてきて……何があるのでしょうか?」
戸惑いを隠せていない彼に、にっこりと笑いかける。
「私、あなたにも差し入れを作ろうと思いました。……でももっと、特別で面白いことを思いついてしまって……あなたさえよければ、一緒に……どうかしら」
「一緒に、ですか?」
「ええ。一緒に、お菓子を作りませんか? 自分で作ると、さらにおいしくなるの」
これまた、リンディらしからぬ言動だ。リンディは今は貴族の娘としてここにいるのだから、家事に手を出して怪しまれるようなまねをすることはない。
でもあの毒殺未遂事件を経て別の記憶がにょっきりと生えてきた今の私なら、お菓子を作るくらい簡単だ。
「……リンディさんは、お菓子を作れるのですか?」
「ええ。簡単なものばかりですが」
さっきからオルフェオは質問ばかりだ。にぎやかな厨房の中をぼんやりと眺めながら、私の回答に目を白黒させている。
「驚きました……君は素晴らしいですね、でも僕は料理など……」
「最初から全部私が教えますから……大丈夫」
自信たっぷりにそう言ったら、オルフェオはぽかんとして、それからちょっぴり泣きそうな顔になった。
「君が、僕のためにそこまでしてくれるなんて……」
「私たち、友達? みたいなものだと思っていましたが……あなたが喜んでくれるのなら、これくらいどうということはありませんから……」
「とも、だち……僕のことをそう言ってくれるのですか……とても嬉しいです!」
友達、と言われたとたん、オルフェオは考え込むような顔をした。けれど次の瞬間、全身で喜びを表現している。分かりやすいなあ。
たぶん、『友達』ではほんのちょっぴり不満だったのだろう。でもすぐに、思い直したようだった。友達から、少しずつ距離を縮めていけばいいのだと。
そして私も、あることに気づいた。そっか、ひとまず全員友達なんだって、そう宣言するという手があったんだ。
それなら私の気持ち的にも間違ってないし、ラブ方向にむやみに話が進んでしまうのを防げる……たぶん防げるし。
この世界とここに暮らす人たちに正面から向き合うことにしたけれど、それでも継承の儀式が終わるまで、というか儀式をぶっ潰して生還するまでは、他のもめ事に巻き込まれたくないし。
いいことを思いついたなと上向いた気分で、ひとまず準備に取り掛かることにする。
「……といっても、もう夕食の準備が始まってるし……隅のほうを借りましょう」
料理人たちに交渉して、端っこのかまどを一つ借りる。材料は好きに使っていいとのことだったので、二人で一緒に隣の食糧庫をのぞきにいった。
「これだけあるなら、あれが作れるわ……」
「あれ、とは何でしょうか」
「ふふ、できてからのお楽しみです……」
くすりと笑って、二人で必要なものを運び出す。二人分のおやつだし、材料もほんのちょっぴり。
小麦粉を水で溶いて、果物を切って洗って、生クリームを泡立てたら準備は完了。
「刃物なんて、初めて扱いました……」
オルフェオは感動している。しかし彼、初めてにしては妙に包丁さばきがうまかった。色々教えてみたら面白いかもしれない。
「見事な包丁さばきでした。それじゃあ、最後の仕上げ……」
言いながら水溶き小麦粉の生地をフライパンに薄く流し込み、焼けたら皿に取る。要するにクレープだ。二人分だし、四枚もあればいいかな。
そう思いつつ一枚焼き上げたところで、オルフェオが興味津々といった様子で私の手元を見ていた。やってみたそうな顔をしている。
「オルフェオ様も、やってみます……?」
「いいんですか?」
「ええ。失敗しても、飾りつけでどうにでもなりますから」
今作っているのはクレープだし、派手に破れたとしても皿に盛りつけてデコレーションしまくればいい。
そんな私の思いを感じ取ったのか、オルフェオが張り切った顔で生地の入ったボウルを手にする。そうして、お玉で少しずつ生地をフライパンに。
「あ、破れてしまいました……」
「気にしない。巻いたら分からなくなりますから」
「……今度は分厚くなってしまいました」
「それはそれで食べ応えがあっていいんです」
「……次こそは……あっ、うまくいきました!」
「おめでとう……」
考えてみたらおかしな光景ではあった。仮にも王族が、隣国の伯爵令嬢と二人して、王宮の厨房で何やら作っているのだから。
「あとは、これで果物やクリームを包み込んで……」
できあがったクレープをナプキンに包んで、さっきまで持ち歩いていたバスケットにしまう。
それから今度はオルフェオの案内で、厨房を飛び出していった。料理人たちの妙に優しい視線に見送られながら。
そうして、王宮の庭の一角にあるあずまやに腰を落ちつけた。
オルフェオによれば、ここは季節の花が咲き乱れて美しい場所なのに、王の居室が近いせいかほとんど人がやってこないのだとか。オルフェオが一人でくつろぎたい時は、よくここに来るらしい。
白い花をたくさん咲かせた生垣があちこちに設けられていて、周囲からの視線をさえぎっている。うっとりとするような甘い香りに包まれたあずまやで、バスケットの中身を取り出す。
「ここに誰かと来たのは初めてなので、その……どきどきします」
頬を赤らめて少年のようなことを言っているオルフェオに笑いかけて、クレープを一つ渡す。
「その最初の一人になれて、光栄です……はい、どうぞ」
「あの、リンディさん。とてもおいしそうなのですが、皿もフォークもなしに、どうやって食するのでしょうか?」
「このまま、こうやってかじればいいんです……不慣れでしょうけど、面白いから」
そうしてさっそく、クレープをかじる。甘酸っぱいイチゴとふんわりした生クリームに、しっかりと優しい甘みのハチミツ。生地がちょっと厚めだから、さっきオルフェオが焼いたものかな。うん、おいしい。
せっせと食べている私をぽかんとした顔で見ていたオルフェオが、恐る恐る自分の分のクレープにかみついた。
そうして、とっても柔らかな、子供みたいに透き通った笑みを浮かべた。
「……本当です。おいしいだけでなく、とても楽しいですね」
やっぱりこうしていると、彼が闇を抱えているなんて思えない。もし本当にそんな一面が彼にあるのだとしても、こうやって温かな思い出をたくさん作っていけば、闇落ちすることもないんじゃないか。
そう、前向きに考えたい気分だったりする。だって今、こんなに楽しいのだし。
とても安らかな気分で、またクレープにかぶりついた。
そうやって二人でクレープをおいしく食べていたら、ふとオルフェオがまっすぐにこちらを見た。
「……あの、リンディさん。一つ、ぶしつけなことを尋ねてもいいでしょうか」
「ええ、どうぞ」
「……なんだか、君の雰囲気が変わったような、そんな気がするんです」
思いもかけない言葉に、食べかけのクレープを手にしたまま首をかしげてしまう。
「以前の君はもっと、よそよそしかったというか……何かを警戒しているようにも見えました」
ぎくり。それはまあ、ちょっと前まで私はデッドエンドを全力で警戒し続けていたし。
攻略対象かもしれない人たちとうかつに仲良くならないように気をつけていたから、それが態度に出ていたのかもしれない。もっとも、その努力はことごとく空回りしていたけれど。
「でも今のあなたは、とても自然に笑いかけてくれているように思えます」
言われてみれば、そうかも。開き直ったせいで、彼らとの交流をためらわなくなったのだし。
「ただ、僕は……そんな君だからこそ……守りたい、と思ってしまって……」
オルフェオはそこまで言って、ふっと口をつぐむ。
「いえ、忘れてください。そしてできるなら、今の君の明るい笑顔を、どうかこれからも見せてくれると嬉しいです」
今彼が一瞬見せた表情は、とても私に何か害をなそうとしている者のそれには見えなかった。むしろ何か、心底気遣ってくれているような感じだ。
私のことを守りたい。それは、どういう意味なのだろう。気になるけれど、今さら尋ねることもできなさそうな空気だった。
まあいいや、私のことを消そうとしていないのなら。今はこの平和を、存分に満喫しよう。
そんなことを考えてしまうくらい、空は青くて、花々は美しく、クレープはおいしかった。




