2.風向きがおかしな方向に
ゲームのヒロインであるエルメアが、姿を消した。……どういうこと?
「リンディさん、お聞きの通り僕は行かねばなりません。君はここで体を診てもらってから、ゆっくり休んでください」
「いえ……私も連れていってください。エルメアがどうなったのか、知りたいの……彼女は、この国での数少ない……友達だから」
ゲームの記憶も、倒れる前の記憶もあいまいな私としては、せめて現状くらいはきちんと把握しておきたかった。
だからとっさにそんな言い訳をこしらえたのだけれど、オルフェオはすぐにうなずいてくれた。
「そうですよね。分かりました、僕についてきてください」
オルフェオ、いい人だなあ。少しだけほっとしながら、彼に連れられて円卓の間に向かう。
円卓の間は、大き目の会議室くらいの広さがあった。
床いっぱいに絨毯が敷かれ、窓には豪華なカーテン。王宮の他の部屋と同じように豪華で、そしてそれ以上に歴史を感じる場所だった。
そしてその部屋のど真ん中に、やけに大きな円形の机が置かれている。上に布団を敷けば三、四人くらいは余裕で寝られそうな、とんでもない大きさだ。なるほど、これがあるから円卓の間なのか。
その大机の周りには椅子がずらりと並べられ、たくさんの人たちが腰かけている。オルフェオも椅子に座ったので、そのすぐ後ろに控えて辺りを見渡した。
ここに集まっているのは、私以外全員男性だった。そして。
……圧倒的、イケメン率……!!
乙女ゲームって、サブキャラも割と魅力的なのが多いからなあ。下手するとモブや悪役までイケメンだったりするし。そのせいで、ここにいる人間のうち誰が攻略対象なのかがさっぱり分からないんだけどね。
あっちの大臣も、こっちの神官も、みんなイケメンで。うわあ、すごい光景。
あの騎士も……あ、あれは攻略対象だ。妹の推しだったから、彼に関してはそこそこ覚えている。
名前はテーミス、黒い髪に明るい緑の目の、物憂げな雰囲気の青年だ。
彼は表情をほとんど変えないし、好感度が低いと塩対応。でも仲良くなると、無愛想なふりして甘やかしてくるのだとか。
きょろきょろと辺りを見渡していたら、渋いダンディが部屋に入ってきた。それを合図にしたかのように、全員のお喋りが止む。
ええっと、彼にも見覚えがある。リンディの記憶によれば、彼は王国の重臣レオナリス・トーディだ。
それに、妹も何か言ってたような気がする。なんだっけ……ああ、ゲームの進行役だ。王様からの命令を伝えてきたり、エルメアたちにあれこれと指示を出したりしてストーリーを進める役目のキャラ。
あれこれと思い出しているうちに、レオナリスは一番奥の席に着いた。それから重々しい表情で、みんなを見渡している。
「みなも聞いていると思うが、エルメア殿が行方不明になられた」
その時の状況を説明するレオナリスの声を聞きながら、頭の片隅でさらに記憶をたどる。妹の話と、リンディの記憶、その両方を。
このヒルンディア王国では、新たな王が即位すると『継承の儀式』が行われる。その儀式の中心となるのが、国中の乙女たちの中から選ばれる『祝福の乙女』だ。
そうしてこのたび、町娘のエルメアが祝福の乙女として選ばれた。彼女は王宮で暮らしているうちに、様々な男性と出会い、恋をして、死ぬ。以上。
……改めてまとめてみると、何てストーリーだ!! ちなみにノーマルエンドの時は、継承の儀式で死ぬんだったかな? その途中で、リンディに暗殺されるエンドもあったような。
「……そしてエルメア殿の部屋には、このような紙が残されていた」
苦悩するような表情で、レオナリスが一枚の紙をすっと円卓の中央に向けて押し出す。みんなの視線が、そちらに注がれた。
王宮の客室にでも備え付けられていたのだろう、上品で繊細なデザインの便せん。そこに大きく、殴り書きがされていた。
『死にたくないので逃げます エルメア』
「これは……」
「どういうことでしょうか……?」
彼女のメッセージが理解できないらしく、ほとんどの人間はただざわざわするだけだった。そうだよね。いきなり『死にそう』とか言われても、ね。
すると、オルフェオが凛とした声で口を挟んだ。
「先程、エルメアさんと歓談されていたリンディさんが、お茶を口にしたとたん毒に倒れられたようです。幸い、すぐに回復されました」
彼の声が円卓の間に響き、みんなが一斉にこちらを向いた。
「すると、もしかしてその毒は……」
「エルメア殿を狙ったもの、だったのか……」
さっきとは違うざわざわが、また円卓の間に満ちていった。レオナリスが大臣たちと顔を突き合わせ、あれこれと話し合っている。
私は私で、その便せんの下のほうが気になっていた。そこには日本語で、何やらちっちゃく走り書きされていたのだ。どうやらそれが文字なのだと気づいているのは、この場では私だけみたい。
えーと、なになに……『何をどうやっても死ぬとか、こんなクソゲーやってられるか』と。
うっそ。こんなことってあるの。
エルメアの言葉に、今度は私も呆然とする。
……エルメアも、私と同じようにあのゲームについて知っている人間のようだった。私がリンディになったのと同じように、誰かがエルメアになっている。
で、死にたくないので逃げ出したと。うん。それは当然だよね。私だってエルメア役になってたら、なりふり構わず逃げるし。
「ひとまず、あらゆる手を尽くしてエルメア殿を探してくれ。それも、大至急だ」
レオナリスがそう言って、またみんなを見渡して……なぜかその視線が、私のところでぴたりと止まった。
「だが、万が一エルメア殿が見つからなかった場合に備えて、別の手を打っておく必要がある」
彼の言葉に、みんながうなずいている。というか、彼の視線を追いかけるようにして、一人また一人と私のほうを見始めた。座っているオルフェオではなく、その後ろに立っている私を。
なんだか居心地が悪い。というか、この上なく嫌な予感がするんだけど。
「継承の儀式において、祝福の乙女の存在は必要不可欠だ。エルメア殿が戻られないのであれば、代わりを立てなければならない」
うわ。やだ。それって。
「リンディ殿、その代わりをお願いできないだろうか」
ほら来たー!! 来るなーっ!!
「あの……どうして私、なのですか……?」
ばりばりと頭をかきむしりたいのをこらえながら、精いっぱい上品に尋ねる。
「祝福の乙女は、若く美しく、そして純粋な心を持つ者。誰にでも務まるものではない」
それは遠回しに褒められているのかもしれない。ちょっと照れる……って、照れてる場合じゃない。
「そしてもう一つ。この国の乙女たちは『自分が祝福の乙女ではない』ことを知ってしまっている。新たに身代わりを立てるとなると、この状況を一から説明しなくてはならない。無駄に事が大きくなってしまうし、混乱も増すだろう」
確かにその通り。国中の乙女を……どうやってるのかは知らないけれど……審査して、そして最も祝福の乙女にふさわしいとされたのがエルメアだったのだから。
私はこの状況を知っている唯一の女性で、しかもエルメアの友人でもあった。祝福の乙女の代理を務めるとなると、最適だよね、認めたくないけど!
「頼む、リンディ殿。我らには君の協力が必要なのだ」
そう言って、レオナリスは頭を深々と下げる。それにならって、他の人たちも。席を立ってひざまずいている人までいる。
継承の儀式が、この国において重要な儀式らしいということは分かった。隣国の小娘に、こうやってみんなして頭を下げるくらいに。
でも、祝福の乙女の地位を引き受けるということは、私がヒロインとしての座に就くことを意味するのかもしれなくて。
そうなると、エルメアのために用意された数々のデッドエンドが、私に向かって牙をむく訳で。
嫌だ、絶対に嫌だ。誰が何と言おうと嫌だっ!!
「僕からも、お願いいたします、リンディさん……」
すぐ近くから、そんな声が聞こえてきた。オルフェオが切なげに眉を寄せて、上目遣いにこちらを見つめている。
彼だけではない。部屋いっぱいのイケメンたちが、すがるような目で私を見ている。
うっ、イケメンパワーに圧倒される!
これだけの期待を裏切るのも……いや、でも、エルメアが戻ってくるまでの間だけだし……ただの町娘のエルメアが、王宮の全力捜索から逃げ切れる気もしないし……。
うん、そうだよね。ちょっとだけなんだから。
「……分かりました。エルメアが戻るまで、なら……」
そう答えた瞬間、辺り中から一斉にため息が聞こえてきた。よかった、何とかなりそうだ。そんな、安堵のため息だ。
でも、なんか取り返しのつかない失敗をしたような。そんなもやもやした後悔を押し込めて、ただ上品に微笑んだまま立っていた。