17.黒幕がめんどくさい
そうして、夜遅く。
私はカティルと共に、王宮の屋根の上をひたひたと走っていた。カティルはいつもの闇にまぎれるための仕事着で、私はしばらく悩んだ末にいつもの格好で。
昨晩、カティルは裏町にいるという親分のところを訪ね、彼らに依頼をしてきた人物を聞き出した。……というか、強引に口を割らせた。
そして今私たちは、その依頼主、すなわちあの件の黒幕のところに向かっているのだった。
「……黒幕が、王宮の中にいる貴族……想定内では、あったけれど……」
「ひとまず、早いところ片付けてしまおう。エルメアをどうするか、ヴェノマリスが受けた依頼をどうするかという問題はあるが、他の勢力にごちゃごちゃ動かれたらこちらもやり辛い」
音もなく走りながら、カティルがささやき声でそう言った。と、その声が苦々しそうなものに変わる。
「だいたい今は、姫が祝福の乙女なのだからな。代理とはいえ。それに君は、我らがヴェノマリスの毒姫だ。そこらの貴族が姫に危害を加えようとは……千年早い」
大げさな言い方に、ついくすりと笑ってしまう。けれどカティルは、むすっとしたままだ。その黒幕とやらに、よほど腹を立てているのか。
「カティル、その黒幕って……誰?」
「……会えば分かる」
ううん、気になる。まあ、もうじき明らかになるか。
そう考えたその時、カティルが足を止めた。……この辺って確か、客室が集まっている棟だったような……。
「……目的地はこの下だ。そこの尖塔の窓から中に入ろう」
カティルはそういうなり、かがみ込んで屋根のふちに手をかけ、空中に身を躍らせた。それから窓枠の外に足をかけて立ち、細い針金で窓を外から音もなく開けている。するりと廊下に入り込み、こちらに合図した。
泥棒みたいではあるけれど、暗殺者たるもの、目的の場所にこっそり侵入する技術も必要なのだ。
私は演技や変装で潜入して、時間をかけて隙をつき仕事をするタイプだけれど、カティルは身体能力を生かしてさっと忍び込みさっと片付けてさっと撤収するタイプだ。
……それはそうとして、ここって。嘘でしょ。
彼に続いて建物の中に入ると、そこは見覚えのある部屋の前だった。えっと、この部屋の主が黒幕だというのなら、私、会いたくないんだけど。
そうカティルに抗議しようとしたまさにその時、部屋の扉が勢いよく開いた。
「姫君、待っていたよ!」
満面の笑みを浮かべたナージェットがいきなり飛び出して、ぎゅううっと抱きしめてきた。
いや、ここがナージェットの部屋の前だってことには気づいていたよ? でも何、この行動。予想外すぎて、回避しそこねた。せめて殺気を放っていてくれたなら、脊髄反射でぶちのめせていたのに。
「おい、離れろ!」
すかさずカティルがナージェットの肩に手をかけ、強引に私から引きはがした。ふう、助かった……って、ちょっと待った。これって、私とカティルとの関係をあれこれと探られる流れじゃ……。
いやいや、本当に待って。ナージェット、今『姫君』って言わなかった? そんな風に呼ばれるの、初めてなんだけど。
「おっと、これは失敬。嬉しさのあまり、つい、ね」
カティルのいでたちと不自然なまでの素早い身のこなしにも、私とカティルが明らかに旧知の仲であることにも全く動じることなく、ナージェットは朗らかに笑っている。
なんだこの笑顔、さわやかすぎて逆に気持ち悪い。ものすごく裏がありそうな感じ。
「と、廊下で立ち話というのもなんだから、ひとまず入ってくれたまえ、さあさあ、遠慮せずに!」
有無を言わさぬ強引さで、ナージェットは私たちを部屋に招き入れる、というか押し込んでくる。
大混乱しながら、仏頂面のカティルと二人、ひとまず勧められた椅子に腰を下ろした。
ナージェットはさほど強くない。というか、成人男性にしては弱いほうかも。そしてこの部屋には、兵士などは隠れていない。気配で分かる。
対するこちらは、暗殺者が二名。しかもカティルは手練れだ。だからまあ、命の危険は感じていないのだけれど。
「ようこそ、ヴェノマリスのお二方。こんな時間ゆえに凝ったものを出せないのが心苦しいが、どうぞ存分にくつろいでくれたまえ」
ぞわぞわするほど上機嫌のナージェットが、いそいそとお盆を持ってくる。そこにはワインと干しブドウ、それにチーズが載っている。夜中のちょい飲みセット的な。
って、だーかーらー、なんで正体がばれてるのよ!! それなのに、なんでもてなしてくるのよ!!
「……どうして私たちが、ヴェノマリスの者だと思ったのですか? 私、ただの貴族の娘で……?」
正直、頭をかきむしりながら叫びたい気分だった。それでもどうにか、平静を保ったふりをして尋ねる。
「貴方がたは強すぎる。それも、高い身体能力を持ち、闇を味方につけ、毒を自由自在に操る。こんな存在が、他にいるだろうか」
……ナージェット、若干うっとりしてない? 初対面から訳分かんない人だなと思ってはいたけれど、拍車がかかってる。
「そもそも私はとある目的のために、とある人物をおどかしたかった。この王宮から出ていくように仕向けたかったのだよ」
唐突に、ナージェットが話を変えた。まあ、しばらく待っていればどこかで話がつながるだろう。彼は回りくどいけれど、頭はいいから。
「だから、城下町の中でも有名な闇組織に声をかけた。でも彼らは、あまりにもあっさりと返り討ちにされてしまってね」
そうして、彼は私とカティルを交互に見た。思わせぶりな目つきで。
「闇の中を自在に駆ける男と、恐ろしい毒を使う娘。一応この王都やその周辺では最も強い闇組織の人間が、手も足も出ないくらいに強かった」
愉快そうに笑って、ナージェットがカティルをまっすぐに見る。
「そちらの君、名前をうかがってもいいかな? 私の名は……名乗らなくても知っているだろう?」
「そうだな、ナージェット・ケルス。……私はカティルだ」
苦虫を噛み潰したような顔で、カティルが答える。いつもの彼なら、名乗り返しはしない。たぶん、やけになってるのだろうな。ナージェットのこの勢いに飲まれて。
「君が闇組織の親玉に会いにいった直後、私のところに知らせが飛んだのだよ。対象を襲おうとしたら、返り討ちにされたのだと」
そしてナージェットは、ゆっくりと視線を私に向けた。う、嫌な予感が。
「人相風体を尋ねてみたところ、その片方は間違いなくリンディ君だった」
ちっ、襲ってきた連中の口をきちんと封じておくべきだったか。死にたくないし殺すのも正直嫌だけど、そのスタンスがこんな形で跳ね返ってくるなんて。
「その報告を聞いて、私はどれほど嬉しかったか……」
は? なんでそこで、感動しているような顔をしてるの? 意味不明。
「暗殺組織ヴェノマリス。私はずっと、彼らに憧れていたのだよ」
憧れ……絶句しながら隣を見たら、カティルも呆然としていた。「こいつ、何を考えているんだ?」と顔に書いてある。
「リンディ、君はかの高名な『ヴェノマリスの毒姫』だね? それなら、私が差し出した毒入りワイン程度にひるまなかったのも納得がいく」
ああああもう、完璧にばれてるよ。もういいや。話そう。それで今後の任務に支障が出るようなら、今度こそぶちのめすなり何なりすればいいだけだ。しらを切るのも面倒になってきた。
「……ええ。私があのワインを飲もうとしたのは『それがほとんど効かないと知っていたから』ですから。別に私は……思慮深くも、面白くもないわ」
ああ、ようやっとナージェットの勘違いを解ける。買いかぶられるのって、さすがにこそばゆいんだよね。
「いや、君はやはり思慮深く、面白い。困ったな……君をもっと知りたくなってしまった」
うわああ、もう駄目だ。こっち来るな。陶酔し切った視線を送ってくるナージェットから視線をそらして、そばのテーブルに置かれたお盆を見る。
ワインに干しブドウ、チーズ。それらをちょっとずつ味見して、カティルにうなずきかける。これ、毒は入ってない。
「……ひとまず、飲みましょう」
「そうだな。我ながら情けないが、頭が痛い……」
ナージェットを無視して、カティルと二人でワインを一気飲みした。この状況で、飲まずにやってられるか。どうせこの世界では、十五歳から飲酒可能だしね!
あ、このワインおいしい。もっとも、毒が効かないのと同じように、アルコールもほとんど効かないんだけどね。
ふうと息を吐いて、ナージェットに向き直る。できればこのまま現実逃避していたいところだけど、そうもいかない。まだ一つ、謎が残っている。
「……ところで」
恨みがましい目でナージェットを見据え、静かな声で問い詰める。
「さっき『対象を襲おうとしたら』とか、そんなことを言っていた……その『対象』って、私のこと?」
私を襲おうとした黒幕を追いかけていたら、なぜかナージェットのところにたどり着いてしまった。そこのところを、はっきりさせて欲しい。
「ああ、すまないね、私は『祝福の乙女』をおどかすように命じていたのだよ。そのせいで、君を巻き込んでしまった」
ナージェットは何一つ悪びれていない顔で、そんなことを言い放った。




