その5 魔王幹部、現実世界を調査す
ロッドバルトとオディールは一瞬気を失うかのような感触に捕らわれたが、すぐに自分を取り戻した。
しかし、暗い召喚室から急に明るい中に放り出されたため、目が慣れるまで少しかかった。
ようやくまぶしさが収まり、周囲を見回すと、そこにはたくさんの人間がいた。
いや、人間だけではなかった、獣人、エルフそれに見慣れない魔物のような者たちがたくさんたむろしていた。
人のエネルギーが集中している場所、そう、二人は夏コミの真っただ中に転送されてきたのだ。
まだ開場前の早い時間だったが、猫耳メイドや狼娘、高耳毘売命、機動スーツ・・たくさんの人外に見えるコスプレイヤーたちが、国際展示場の周りで写真撮影をしていた。
そこに転スラの紅丸御一行様が通り過ぎた。
「なんと、あれはオーガ・・いえすでに鬼人ではありませんか。
彼らのようなものまでいるとは・・。
これはどういうことでしょうか、勇者の話では元の世界には人間しかいないということでしたがねぇ」
「お父様、やはり勇者は嘘をついていたのでございますわ」
「うむむ、勇者め、殊勝な顔つきでよくも嘘を言えたものですね、帰ったらただじゃおきませんよぉ。
しかしそういうことなら勇者の証言は当てになりませんねぇ。
オデット、よくよく気を付けなければなりません」
「はい、気を付けるでございます、お父様」
「まずは連中の能力値を確認する必要がありますねぇ。
鬼人となるとかなりの実力があるでしょうからねぇ」
ロッドバルトはそうつぶやくと、向こうに歩いていく紅丸に狙いを定め、呪文を唱えた。
「鑑定!」
しかし何も起きなかった。
「はて、どうしたのでしょうか。
私の鑑定スキルで何も表示されませんねぇ。
本当なら相手の能力値が視覚的に見られるばずなのですが、私の力が弱まっているのでしょうか。
それでは、
ステータス!」
しかし、現在の自分の能力値を視覚的に表示するステータスウィンドウは現れなかった。
そう、この現実世界では、当然のことながら物事はこの世界の物理法則にのみ従うため、魔法は使えない。というより、そもそも現実世界には魔法など存在しないのである。
そんなことを知らないロッドバルトはあせっていた。
「どういうことでしょうか、鑑定どころか自分のステータスも見ることができませんよぉ」
「お父様、わたくしがやってみるでございます。
ステータス!」
やはり同じく何も起きない。
「お父様、なにも表示されないのでございます」
「ふむ、転移の副作用で魔力が弱まっているのでしょうか。
・・しかし、それにしても近くで炎魔法を使っている者がいるようですねぇ」
いろいろ取り乱していた二人は、今になってやっと今いる場所の暑さに気づいた。
普段の彼らは、身の回りを魔法で快適な温度にコントロールしているため、気候による暑さ寒さのことは忘れていた。
暑いというものは、炎魔法の攻撃による熱さしか認識がなかったのだ。
魔法が切れている二人に、日本の夏のじめじめした猛烈な暑さが襲い掛かっていた。
「誰かの攻撃でしょうか。
それにしても周りに緊張の色が無く、むしろみんな笑顔でなにか楽しそうですねぇ」
「お父様、熱いです。
わたくし、なぜか魔法で温度を調整できないでございますわ」
そこにデイバッグを背負い、メガネをかけた小太りな男が数人、カメラを構えて寄ってきた。
ここで筆者による注記:
以下、異世界語は「・・」、日本語は『・・』で表記します。
『すんませーん、写真撮らせてもらっていいっすかぁ』
『それにしてもよくできた衣装ですねぇ』
「きっ、きみらは何を言っておるのでしょうねぇ」
「お父様、自動翻訳魔法が機能してございませんわ」
『おたく達、外国人っすかぁ、何語なんっすかねぇ。
でも、コスってるってことは写真撮っていいってことっすよね』
周りは一斉に写真を撮り始めた。
なぜかオデットをローアングルで撮る者が多かった。まあそうだろうけど。
一斉に周りを取り囲まれてロッドバルトは驚いた。
「君らは何をしてるのぉ」
「何かの攻撃でございましょうか」
急いでこの場を逃れたいと思ったオデットは翼をひろげ、大空に舞い・・上がれなかった。
現実世界の鳥は頑丈な竜骨突起についた強力な大胸筋で空を飛ぶ揚力を得ている。
オデットの背中の貧弱な筋肉だけで動く翼では、魔法の力なしに飛べるわけがないのだ。
オデットの翼はゆっくりと力なくパタパタと動いただけだった。
それでもギャラリーには大うけだった。
『すっげー、翼が動いてる』
『凝ってんなぁ』
『どーやってんっすかぁ、背中にくっつけてるだけに見えるっすよ』
一斉に称賛の声が上がり、ますます人が集まってきた。
「お父様、飛べないのでございます」
「どういうことでしょうねぇ。
我々を魔王軍の尖兵だと知って、拘束しようとしているのかぁ」
怯える二人を見て、群衆のうち牛乳瓶の底のようなメガネをかけた者が提案した。
『諸君、二人はどうも嫌がっているみたいですぞ。
勝手に撮影するのはマナー違反ですし、日本のイメージが低下するでござる。
これは遠慮した方がよろしいですぞ』
これに賛同した群衆は、残念そうにしながらもばらばらと解散していった。
『どうも申し訳なかったでござる。
日本人を悪く思わんでくだされ』
牛乳瓶の底メガネの人はそう言って去っていった。
当然ロッドバルトには彼が何を言っていたのかはわからなかった。
「我々が尖兵だという疑いが晴れたのでしょうかねぇ。
とにかく、言葉が分からないとどうにもなりませんねぇ。
ああ、そうでした。
念のため、翻訳の魔道具を持ってきているのでしたぁ」
ロッドバルトは魔道具を取りだすために、アイテムボックスを用いる呪文を唱えた。
しかし、アイテムボックスの口は現れてこない。
「どういうことだ、アイテムボックスも機能しませんねぇ」
「お父様、もしかしてここでは魔法が使えないのでございましょうか。
わたくし、先程は飛ぶこともできなかったのでございますよ」
「ふむ、そういうことかもしれませんねぇ。
そういえば、勇者も元の世界には魔法がなかったと言っていましたねぇ。
てっきり魔法が使える者がいないだけだと思っていましたが、魔法そのものが存在しない世界なのかもしれません」
「お父様、もしそうなら大変でございます。
私たちは、普段の生活で意識せずに魔法を使っていますので、ここでは自分がどこまでできて何ができないのかが分からないのでございます」
「そうですねぇ。
・・・しかしそれにしても暑いですねぇ。
これも火炎魔法ではなく、気候のせいなんですかねぇ。
いや、こんなことをしてはいられません。
魔法が使えないなら、歩いてでもこの異世界を調査しましょうかぁ」
二人は人の流れに乗って、ゆりかもめの駅の方に歩いていった。
しかし、途中の歩道橋の上で係員に止められた。
『すみませーん、コスプレのまま一般道に行かないでください』
二人に言葉の意味は分からなかったが、止められていることは分かった。
「他の方はあちらに行っているのに、なぜ私たちだけ止められるのでございましょうかぁ」
「ふむ、あちらには機密エリアがあって、我々が魔王軍の尖兵であることがバレているのかもしれませんね。
こちらの人間の感知能力はあなどれないようです」
しょうがないので、二人は暑い中、どぼとぼと元の場所に戻ってきた。
その間も、夏コミ周辺の焼けたコンクリートは、容赦なく輻射熱を二人に注ぎ込んでいた。
「お父様、わたくし喉が渇いてきたのでございます」
「そうだな、飲み物ならここに・・・
あっ、アイテムボックスが開かないので、装備は何も取り出せないということになりますねぇ。
これは困ったことになりましたぁ」
「ああっ、なんということでございましょう」
「一日ぐらいなんでもないと考えていましたが、この状態で一日耐えるのは大変かもしれませんねぇ」
言葉も通じず、移動も制限されている中、二人は所在なく座り込んでいた。
そして暑さが急速に二人の体力を奪っていった。
歩きながらペットボトルの水を飲んでいる人を恨めしげにオディールが見ていると、上から声が掛けられた。
さっきの牛乳瓶のメガネの人である。
500mlのペットボトルの水を2本、差し出している。
『先程は失礼したでござる。
これはお詫びと言っては何ですが、受け取ってくだされ。
このままでは熱中症になるでござるよ』
「お父様、どういうことでございましょうか。
このお水を下さるように見えるのですが」
「そのようですねぇ。
この際ですから、頂くことにしましょう」
言葉がわからないので、水を受け取ったオディールは感謝のしるしににっこり笑顔を返した。
『おおっ、これはなんとも素晴らしいご褒美でござる。
水ごときで値千金の笑顔を下さるとは、感激ですぞ』
極限に乾いていたオディールは、牛乳瓶の言葉など聞いてはいなかった。
一刻も早く水を飲みたかったが・・・ペットボトルの開け方が分からなかった。
「この容器、すごく綺麗でございますが、どうやって開けるのでしょうか」
つぶやきながらペットボトルをあれこれ見ていると、牛乳瓶が開け方を教えてくれた。
『こうやってふたを開けるのでござる。
しかし、ペットボトルの開け方を知らないとは、どこの国からこられたのですかな』
フタをが開くと、オディールは急いで水を喉に流し込んだ。
ロッドバルトも娘にならって、あわてて水を飲んた。
冷たい水は、二人にはこれまで飲んだどの飲み物よりも甘露に感じられた。
『喜んでいただけて良かったでござるよ。
では拙者はこれで』
牛乳瓶はそう言って去っていった。
「異世界人にも良い人はいるのでございますね」
「ふむ、しかし考えてみると私も不注意でしたねぇ。
いくら喉が渇いていたとはいえ、敵かどうか分からない者が差し出したものを、確認もせずに飲んでしまうなどとは」
一息ついて正常な判断力を取り戻したロッドバルトは反省していた。
一方、オディールの興味はペットボトルの容器に移っていた。
「でもお父様、この容器はどういうことでございましょう。
ガラスのように透明ですが、軽くて柔らかいです。
どう見ても魔道具としか思えないのでございますが」
「そうですねぇ、この世界に魔法がないのだとしたら、奇妙なことですねぇ」
「これは重要なサンプルでございますので、持ち帰ることにいたしましょう」
ただ、持ち物はアイテムボックスに入れておくのが当たり前の生活だったので、ずっと手に持ち続ける必要があるのはとても面倒なことだと感じた。
いつまでも直射日光の下にいるわけにもいかないため、二人は日陰に入るため、奇妙な形の建物に近づいていった。
すると、建物の入口から、涼しい冷気が流れてきた。
二人はその涼を求めて、建物に入っていった。
「お父様、この中は氷魔法かなにかで温度が制御されているようでございますわ」
「確かにそうですねぇ、温度を下げるなど、魔法以外では考えられませんねぇ。
しかもこの大きな建物全体の温度を下げるとなると、かなりの実力を持つ魔導士がいるのでしょう。
魔法が無いと言っていた勇者はやはり大ウソつきのようです。どうしてくれましょうかぁ」
「それならどうしてわたくしたちの魔法は発動しないのでございましょうか」
「そうですねぇ、魔法の波動周波数が異なるなどのなにか理由があるのでしょうかねぇ。
次回は魔道技術者を連れてくるべきかもしれませんねぇ」
「とにかく、この建物の中なら暑くないので、この中でできる調査をするべきではございませんか」
「そうですねぇ」
こうして二人は建物の中を調査することにした。
しかし、ぞろぞろと人が入っていく同人誌即売会会場に入ろうとした二人は、参加証が無いため、訳が分からないまま制止された。
「ここは重要な機密がある場所なのでございましょうか」
「そうですねぇ、中から出てくる人は重要書類と思しきたくさんの薄い本を大切そうに抱えてきますからねぇ」
「でもお父様、中はすごい熱気でムレていて気持ち悪いです。
それに私が入ったら、なんだか自分が腐ってしまう気がするので、入るのはいやでございますわ」
「たしかに何か不健康な感じがするので、無理に入るのはやめておきましようよぉ」
「あら、こちらはなんでございましょうか」
二人は男子トイレに入って行った。
オディールが入ってきたのに気づいた男たちはあわてていた。
『わー、なんで女が入ってくんだよ』
言葉は分からなかったが、構造からなんとなくトイレであることが分かり、あわてて出てきた。
二人が入ったのがたまたま男子トイレであったのは、まだ幸いであった。
もし入ったのが女子トイレの方だったなら、ロッドバルトを連れていたため、もっと面倒なことになったであろう。
ちなみに、あとでオディールは女子トイレを利用し、ウォシュレットで飛び上がることになる。
魔王国公式記録にはその際のオデットの衝撃が詳しく記載されているのだが、尾籠な話なのでここでは省略する。
その後、空腹のままに入ったレストランで指をくわえることになったり、売店にある萌えグッズの数々に首をひねったりしてるうちにいい加減歩き疲れ、即売会場前のベンチに二人は座り込んでしまった。
そのベンチの正面には100インチスクリーンがあり、新作映画の宣伝を表示していたため、二人の目はそれに釘付けになった。
文字も言葉も分からないが、特撮映画などのハイライトシーンが次々上映され、そこには怪物と戦う戦車や戦闘機、悪者をバッタバッタと倒す特撮ヒーローなどが登場していた。
「お父様、これは・・。」
「むう、この世界のどこかの戦場を魔道スクリーンで中継しているようですねぇ。
なんという高精細と迫力。
これだけの映像を大画面で表示できる魔導士は、魔王様以外に見たことがありませんよぉ」
「それもありますがお父様、この戦いの内容がまたすざましくてございます。
あの火力、すごい爆裂魔法でございますよ」
戦車や戦闘機の火力を見ているのである。
「どうも兵士の中に強力な魔導士がたくさんいるように見えますねぇ」
「あっ、今度はお父様、あのオレンジ色の服を着た者が単独で相手を次々となぎ倒してございます。
ああっ、カメハメなんとかという呪文を唱えてすごい火炎魔法を放ちました。
これは私でも勝てるかどうかわからないでございますわ」
「あの者は将軍職か何かでしょうか、恐るべき戦闘力ですねぇ。
そういえば勇者ヒロシは、自分は元の世界では平凡な人間であったといっていましたが、そこは正しいことを言っていたのでしょうねぇ。
もし召喚されたのがこのような者であれば、わが魔王軍は大変なことになっていましたよぉ」
などと二人が戦慄に震えていると閉館時間となり、建物を追い出された。
二人はその夜、建物の陰で暑い夏の夜を汗をかきながら一睡もできずに過ごした。
朝からペットボトル一本分の水しか口にできず、暑さと渇きと空腹でみじめな思いだった。
魔王軍の幹部の彼らとしては、こんな思いをしたことはなかったのだ。
長い夜が過ぎ、帰還時間よりもずいぶん早く転送場所に戻った二人は、ひたすら転送される時を待ち望んだ。
「お父様、まだでございましょうか」
「そのセリフは何度目ですかオディール。
さっきそう言ってから、まだそんなに時間は経っていませんよぉ」
「ああっ、なんて時間の歩みは遅いのでごどいましょうか」
二人が耐え切れなくなる直前、黒い穴のような影が現れ、例の感触と共に元の世界に連れ戻された。
自分たちの世界に戻るや否や、二人は声をそろえて叫んだ。
「水を!」