その2 魔王、王国に侵攻す
勇者たちを捕えた後、魔王は早々に四天王と会議を行い、ナーロッパ王国を攻略する計画を立てていた。
「して魔王様、ナーロッパ王国を殲滅するという前提で戦略を検討すればいいのですか」
魔導士スティラクスの疑問に魔王カスチェイは笑いながら答えた。
「いや、違う、違う。
ナーロッパ王国攻略はただの手段だよ。
ボクの目的は、第二第三の勇者の出現を予防することなんだ」
「とおっしゃいますと?」
「勇者はどこか他の世界から召喚されたんだろ。
だから、たとえナーロッパ王国を滅ぼしても、どこか他のところで誰かがまた勇者を召喚するかもしれない。
つまり、勇者のいる元の世界をなんとかしないと、根本対策にならないんだよ」
「なるほど」
「ナーロッパ王国には勇者を召喚した人物と設備があるはずなんだ。
それを確保して召喚方法を手に入れれば、勇者の世界の調査ができるようになる。
その調査結果次第で、その世界を殲滅するか、あるいはそこからの召喚方法を封じる方法を探すのかを考えるつもりだ」
「おおー、魔王様の深慮遠謀、感服いたしました」
「だから、ナーロッパ王国はなるべく無傷で手に入れたいんだ。
そのつもりで戦略案を立てるようにな」
「ははー」
魔王によるこの基本方針にもとづき、その後数日かけて魔王と四天王は何度も会議を行い、ナーロッパ王国と自軍の国力を比較しながら、攻め方を検討してきた。
残念ながら魔王軍には知能が高い者が少なく、四天王をはじめとする一握りの幹部しか知恵を持たない。
その分、戦闘員は魔力や筋力に優れ、戦闘力は人間に比べて極めて高い。
さらに、魔王への忠誠心が高く、命令系統は徹底しており、たとえ死を命ずるものであっても躊躇なくこれを遂行する者ばかりである。
これら自軍の特性を考慮し、綿密な攻略計画を立て、臨機応変さに欠ける末端をカバーできるよう指揮系統を再構成した。
攻略計画が一段落し、これに満足した魔王は、獄吏担当の幹部に尋ねた。
「ところで勇者たちの様子はどうだ」
「はい魔王様、健康上の問題はありませんが、精神的にはかなり憔悴しているようです」
「うむ、予定通りだな。
それではナーロッパ王国への攻略計画を実行に移すぞ」
「はっ」
幹部一同は明るく返事し、それぞれやるべきことに向かった。
一方、こちらは地下牢の勇者たちである。
この地下牢に閉じ込められた4人は精神的にかなり参っていた。
8畳程度の広さの石造りの地下牢一室にまとめて押し込まれ、この数日を過ごしてきたのだ。
硬い地面で寝ること自体はこれまでの冒険で慣れており、特にダンジョン内では当たり前のことだった。
また、食事もそれなりに栄養価のあるものが提供され、特に不自由はなかった。
しかし、魔王に捕えられているという事実は、勇者一行にとっては大きな精神的ダメージをもたらすものである。
そしてさらに・・トイレの問題があった。
多くの作品では排泄の問題は無視され、例えば長期間縛られたままという描写であっても、排泄についてはスルーされている場合が多い。
しかし、現実的には人間は数時間に一度排尿が、そしてほぼ一日に一度は排便が必要なのである。
この地下牢においては、奥の隅に一か所穴が開いており、ここをトイレとして使うことになっている。
奥と言っても全体がせいぜい8畳程度の広さである。
音も聞こえるし、臭いだってすぐ近くから漂ってくる。
「ああっ、もう私は聖女ではないのよ」
限界まで我慢した結果、先程とうとう耐え切れずに例の穴に爆撃をしたオデットは、両手で顔を覆って身もだえしていた。
「オデット、今までよく耐えたわ。
私はあなたを尊敬する。
あなたはいつまでも聖女様よ」
オデットの肩に手を添えて慰めているシルフィードも、やつれた表情だった。
エルフであるシルフィードは自身の代謝をある程度コントロールできるため、今は腸の蠕動を抑制してなんとか耐えているが、オデットの二の舞になるのも時間の問題なのである。
穴と反対の隅で耳を押さえてしゃがみこんでいたヒロシとジークフリードは、オデットになんと言えばいいのか分からず、小さくなったままである。
彼らは紳士なので、少し喜んでいたなどということは、決してないのだ。
重く気まずい空気が流れている地下牢に獄吏が現れ、4人は手を縛られたままつながれ、外に連れ出された。
いよいよ死刑になるのかと覚悟したが、周囲が鉄格子になっている馬車にまとめて押し込まれた。
馬車の中にオマルを見つけたオデットは絶望的な気持ちになって叫んだ。
「この馬車、外から丸見えじゃない!
今すぐ私を死なせて!」
オデットの抗議は魔王軍に黙殺され、この馬車を先頭に魔王軍は進軍を開始した。
「ううっ、こんなことなら、地下牢ですませておけばよかった」
馬車の中でシルフィードはつぶやいたが、後の祭りである。
さて突然ですが、ここで筆者による注記です。
この異世界では馬車は普通の馬に引かれています。
なにを当たり前のことと思われるかもしれませんが、多くのなろう作品では、異世界の人間は地球上の人類と同じであるにもかかわらず、なぜか馬は騎竜や恐鳥類などの架空の生き物となっていたり、野生生物についても角のついたウサギなど、安直な組み合わせの変な動物となっていることが多いです。
なぜ人間だけ同じで他の動物は地球と違うのかについて不自然さを感じている筆者としては、この作品内の異世界生物を次のように定義しています。
まず、一般の生物は地球の生態系とほぼ同じものです。基本的には人間も野生生物も植物も地球のものと変わりません。
ただし、この世界には魔族がいます。魔族は生物の一種ですが、種族ごとに様々な形態を持ち、地球の生物とは明らかに異なります。
エルフ、ドワーフ、亜人などは種としては魔族の分類になりますが、歴史的経緯から人間側に立つ者もいます。
さらに、この世界には魔法が存在し、人も魔族も魔法が使えます。この点は地球の人類とは異なりますが、地球人の勇者もこの世界では魔法が使えますので、魔法は人の物理的機能に基づくものではなく、この世界の法則に基づき存在するものとします。
魔法の強さは体力と同様に個体により大きく異なり、また訓練等により向上もします。
魔法を付与された道具も存在し、それらは物理的な特性以上の能力を有することとなります。
以上、注釈はおしまいで本編に戻ります。
さて、ナーロッパ王国との国境までは魔王軍の進軍速度は早かったが、ナーロッパ王国に入ると急にゆっくりなものとなった。
街道上の国境や関所などで守備隊との小規模な戦闘はあったものの、魔王軍はこれを簡単に制圧したため、進軍速度には影響しておらず、速度低下は意図的なものである。
王都への経路には、人間や獣人やエルフなどが混在した村が点在しており、それら村々において数日滞在するなどの悠長な動きであった。
捕らえられている勇者一行の目に奇妙に映ったのは、魔王軍は全ての食料を本国からの補給で賄い、村からの略奪や徴用は行っておらず、むしろ村民への施しを行うことすら行っているようだった。
魔王軍を恐れる必要が無いと感じた村民の一部は、好奇心に負けて軍列に近づき、勇者が収監されている馬車に気づいた。
その後は噂が広がり、村民たちは入れ替わり立ち代わり勇者たちを拝むためにやってきた。
虜囚となった情けない姿を村民にさらすのは勇者たちにとって苦痛であったが、見に来るなとも言えず、せめて村民たちに排尿している姿をさらすわけにいかないため、女性のみならず男二人も極力水分を控えるようになり、脱水ぎりぎりの状態でますますやつれていった。
こうして魔王軍は抵抗らしい抵抗を受けることもなくナーロッパ王都の入口に達し、その頃には、勇者たちが魔王軍の捕虜になっていること、魔王軍は民間人には手出ししないこと、などの情報が王都全体に広まっていた。
魔王軍は前面にオーガや竜族などの見かけが恐ろしい魔族を立てて町を取り囲み、町の守備部隊と対峙した。
ここでも魔王軍はそのまま大きな動きをみせず、緊張する守備部隊とは対照的に、包囲したままのんびりと野営していた。
数日間その状態が続き、町の守備部隊の緊張がピークに達したころ、魔王カスチェイがつぶやいた。
「そろそろかな」
魔王は魔法を発動し、都市上空に巨大なスクリーンを作って自分の姿を映し出して、ナーロッパの人々に呼びかけた。
「ナーロッパの諸君、ボクが魔王カスチェイだ。
なぜボクが今ここにいるのか。それはナーロッパ国王が勇者に命じ、我が国を侵略させたからに他ならない。
ボク達魔族はこれまで平和に暮らしていた。
それを一方的にナーロッパ国王が踏みにじったのだ。
責任は全てナーロッパ国王にある。
国王の手先である勇者どもはすでにこちらが逮捕した」
ここで映像はやつれた勇者たちに切り替わった。
勇者が捕らえられたという噂が映像により証明され、国王をはじめとする支配層は凍り付いた。
「魔王カスチェイの名においてナーロッパ国王アモナスロに選択の機会を与えてやろう。
ここで無条件降伏するなら、ナーロッパ国すべての者に命と財産の保証をしてやる。
しかし、徹底抗戦するというなら、ここに国があったとは誰も信じられない焦土が出現することになるであろう。
明日の太陽が最も高くなる時間まで返事を待ってやる。
ナーロッパ国王が再び愚かな選択をしないことを期待しているぞ」
王国首脳部はハチの巣をつついたような騒ぎとなった。
早急に国王は対応を決定するための御前会議を招集したが、そこでは降伏派と交戦派に分かれて、激しい議論が行われた。
「勇者でも敵わなかった魔王軍に勝てるわけがない。
あの圧倒的な陣容を見てみろ。
ここは素直に降伏するべきだ。
彼らは命を保障してくれているのだ」
「魔王を信用できるものか、約束を反故にして皆殺しになるだけだぞ」
「魔王軍がこれまで通ってきた村の情報は入ってきている。
彼らは紳士的で、殺戮や略奪は行っていない」
「よしんばそうだとしても、魔王に屈するということがどういうことかわかっているのか。
大儀を失った世界で生きていく価値はないのだぞ」
「大儀などというそんな抽象的なことのために民衆の命を失わせることはできない」
結論など出るはずはなかった。
世界は違えど、主戦派は命よりも大切なものがあると主張し、反戦派は命以上に大切なものはないと主張するものである。
両者が合意することはあり得なかった。
議論は平行線のまま時間だけが過ぎていったが、いつまでも不毛な議論を続けるわけにはいかない。
最後は国王の判断にゆだねられることとなった。
ナーロッパ国王アモナスロは、概して言えば優れた政治的手腕を持った人物である。
為政者として充分平均以上であり、民衆に理解ある統治を行ってきた。
ただ、この世界の住人の例にもれず、魔王に対する恐怖と嫌悪は深層心理に植え付けられており、勇者信仰も篤い。
具体的な魔王からの実害はまだ無かったものの、潜在的なリスクを回避するため、勇者を召喚して魔王討伐に踏み切ったのだ。
しかし今ではその行為が、藪をつつきながら虎の尾を踏むものであったことに気づき、深く後悔していた。
自分は責任を取りどうなっても構わないが、民衆を救うことを第一に考えるべきだと判断した。
「降伏しよう・・民衆を犠牲にすることはできん」
「アモナスロ王よ!」
賛成派も反対派も一斉に王の名を呼んだが、両者の意味合いは大きく異なる。
しかし王は毅然として続けた。
「今戦えばほぼ確実に王国は滅びるのじゃ。
しかし、屈辱の中でも生き延びることができれば、いつかは魔王軍を打ち払う機会もこよう。
これは国王による決定事項である」
「ははー」
王の決意を受けて全員は平伏した。
しかし、この決定に納得できない者もいた。
魔王に対する嫌悪が染み付いているこの世界の住民としては当然の反応である。
その筆頭が、王都防衛の責任者でもある将軍ラダメスである。