第4部分 「清楚」ってなんなのさ
第4部分 「清楚」ってなんなのさ
そもそも筆者が求める清楚な女性がそんな商売を営業している訳もなく、逆に幾百千男子の性処理を商売のネタにしてきたオンナなど、潔癖症の筆者としては議論の余地なくそっぽを向く感じになってしまうだろう。
ん?
ちょっとまって!
じゃ清楚って何なんだ?
筆者が求める清楚って… なに?
これは辞書をネタに考えてみるか。
『(飾りけもなくて)すっきりと清らかなさま。』
ほう… でもなんか、すっきりしない気がする。
じゃあ清楚系ならどうか?
『清楚系とは、控えめで清潔感のある容姿や、謙虚で慎ましい態度全般のことを指す言葉。 「派手」という言葉の逆だと考えておくと良いでしょう。 清楚系女子は落ち着いた服装を好み、メイクや髪型も控えめです』
派手ってのは遊んでそう、つまり処女性やら清純とは対極的なイメージがあるワケだ。
なぜ清楚系がモテるのか?
『恋人になると、一途そうだから』
ふむ、こっちの方が納得できる気がする。
ちかごろツイッターというSNSを少々齧ってみているが、この辺で出現する画像や動画には驚かされる。
昔なら大変な騒ぎになったであろう映像が、別に臆することも無くやたらと転がっていて目を背けて… いや嘘ついてスミマセン、目が釘付けになってしまう。そこにはいかにも…という感じの派手なオネェチゃンから、まさかと疑ってしまうような一見清楚系のお嬢様までがあられも無い姿を無修正で曝し、自身の痴態であるべきはずの全身を全世界に向けて発信しているではないか。もうあと晒してないところなどは、内視鏡とか顕微鏡映像しかないのではないか。
これではもう、お嫁に行けなくなってしまう… というのが奥ゆかしき旧き日本人の考え方だったはずだ。
いやいや、これはもう痴態という常識そのものが誤っているのではないか。
たとえばちょっと前までの常識でいう「破廉恥」なことであるにしても、破廉恥とされる場所はもともとは生殖行為に関わる場所であり、常態ではないにしても生物として当然あるべき姿なのだ。おかしなことに法律上はニンゲンひとりひとりがそれぞれ破廉恥かつ猥褻な場所を常に携帯しているのである。むろん隠しておけば罪に問われることはないが…
水着や下着のラインがギリギリかもしれないが、手や顔と同じ皮膚の連なりであることもまた事実である。
生物として「生きる」ということは、自己の生存と成長を図り、次いで次世代の生殖を企図するということである。だから本能に操られるままに生殖行為に励むことはむしろ推奨すべきことなのである。
しかし動画の中に映る行為は「生殖を目的」とせず、かといってどちらかと言えば快楽も二の次であり、実のところカネと知名度アップを目的としたものであることに疑う余地はない。
筆者が憧れ求める清楚なお嬢様はこういった映像を世間に広めたり、作品に「出演」するなどあり得ないワケで…
このように視点を変えるだけで、清楚なお嬢様が「清楚系」を商売のネタとする売春婦に一転することになるワケだ。しかしまたまたこの論理に破綻が生じてしまう。
行動例を清楚合格〇と非清楚確定✖に分けてみよう。
・二人きりで痴態を愉しみ、子作りに励む 〇
・二人きりで痴態を愉しみ、子作りに励む様子を撮影する… まああるあるだね 〇
・二人きりで痴態を愉しみ、子作りに励む様子を撮影し、それを二人でみて愉しむ んんん 〇
・二人きりで痴態を愉しみ、子作りに励む様子を撮影し、それを数人でみて愉しむ えええ △
・二人きりで痴態を愉しみ、子作りに励む様子を撮影し、不特定多数に公開する ✖かな
・二人きりで痴態を愉しみ、子作りに励む様子を撮影し、男が勝手に公開してしまう えッ!
これはオンナノコの同意なしだよね。これってどうなんだ?
すると、公開の同意のあるなしで清楚か非清楚が分岐するということなのだろうか。
これだけでは納得いかないな。
ならば非清楚の条件はなんだろう。
・いいねとかカネとかを目的にして破廉恥を撮影、公開、販売する これは✖
まず自らの意思やカネ次第ってのは非清楚決定ね。それにお相手もプロとか、恋人以外でもOKとか、とても清楚とは言えないだろうな。
じゃあもし、相手が恋人だったり、いま付き合っているとかいうヒトだったらどうなるのだろう。撮影はともかく、いくらカネのためとはいえ、「二人だけの秘め事や破廉恥」を全世界に公開するオトコやそれを好ましく思うオンナノコも、清楚ではないだろな。たったいま知り合ったとかナンパされたとかだったら、恋人がいないにしてもオンナノコ自体が「一途」とは言えんな、うん、非清楚決定。
じゃあ何? 観点はこんな感じだろうか。
・目的(カネ目当てや売名目当ては非清楚)
・相手(不特定多数や複数相手、非恋人は非清楚)
・公開(OKは非清楚)
・撮影(恋人以外は非清楚。もちろんカメラマン相手でも恋人以外に裸体の御開帳など非清楚!)
・恋人(複数とか非清楚。むろんパパ活だの愛人だのも非清楚)
・経験(時期は別でも複数の恋人【性体験あり】とかどうしよう。5人とか人数で決める?)
ううう~ん、頭が痛くなってきた。
つまりは国境みたいに「ここまでは清楚、ここから先は非清楚」と定義できるものではなく、あくまでも見た目もしくは立ち居振る舞いの、しかも印象だけで決めるもので、このあたりは「処女」と「非処女」の境のような明確さとは質的に異なるものなのだろう。もっとも「処女」と「非処女」の境界は、女子が自身で勝手に創り、なにげなく喧伝するものであり、真実かどうかは神のみぞ知るところだ。
そうか、見た目の印象… だからオンナノコは服とか髪とか化粧とかにあんなにこだわるのか…
ついでに言うと英語や英国にまつわる地名等にはやたらと「ヴァージン」とか「エセックス」とかいう単語が多くて閉口してしまう。ま、「ヴァージン」の方は某有名な女王さまに因んだ命名だと言うが、女王の身になってみれば
『そんなに「ひとつき」にこだわりたい?」』と文句を言いたくなるのではないか。
それはあくまでも公称であって、本当のことは本人とその性交渉相手しか知らないでしょが、ったく。だいたい国を問わず、王族皇族を頂点とする上流階級が乱れているのは常識でしょ!
そうそう「清楚」のことだった。
PC上などで見る限り、なんでこんな可愛い娘が… という「清楚系」が多いのに、行動はちっとも「清楚」ではない。これだけ美しく可愛いければ、就職でも恋愛でも結婚でも、9割方は思い通りになるのではないか。つまり僅かな報酬や売名のために痴態を晒し撮影を許しこれを広く世に広めるなどという行為をする必要は無いのではないか。
おかしい。
これは矛盾だ。
いや、そんなことはないかも知れない。
筆者が生活してきた年代にとっては、ポルノ女優など世間的には落ちぶれたアイドルの起死回生をかけた最後の一手、または新進女優が売り出すための衝撃的手段として蔑まれながらもその美しさと姿態だけは「オカズ」として憧れの対象になっていた。美容整形も「親からもらった身体を改造する」ような、ある意味背徳的な意味を持っていたのである。そして娘には処女性が何よりも尊ばれ、裸の写真どころか誰かと手を繋いで街中を歩いたりすることさえも閉鎖的な地域コミュニティの中では「お嫁に行けない」ほどの致命的なマイナスポイントになりかねない世の中だった。
さらにうっかり妊娠でもしようものなら、怪しげな堕胎医に頼らないとするならば、結婚か夜逃げか自殺かを選ばねばならないようなリスクを背負う必要があったのである。ま、たいていが男の「先っちょだけだから」というセリフにだまされ流され、または騙されたフリをしただけで、あらかじめそこまで考えてセッ久スしたとも思えないが…
思えば信じがたいほどの封建的な世の中でもあった。そしてそれは日本に限った話ではなかったはずだ。
しかし… 世の中は変わったのだ。
整形はファッションの延長で日常のことになり、ポルノ女優はAV女優を経てセクシー女優と名を変えてテレビにも姿を見せ、逆に女優さんもあっさり脱いでいたりしてその境目がファジーになっているくらいで、ちょっと検索を掛ければ「若き日の過ち」的ヌードだってすぐに見つけることができる。いまではJKがセクシー女優のSNSをフォローし、流行やファッションのリーダーとして憧れている時代なのである。いやいや、江戸時代でも「京都の島原」や「江戸吉原の花魁」はある意味ファッションリーダーだったらしいが…
しかし現代では仮に出身地域で悪評が立ったところで、都会に行けば人間関係はリセットされ、一度立った悪評や若き日の過ちのデジタルタトゥーなども溢れる情報の大洋の中ではゴミクズほどの意味しか持たない。そしてあんな前歴こんなゴシップを抱えた人が普通に、いや幸せそうな生活を送る様子を見ては「お嫁に行けなくなるよ」という言い回しはすでに意味を持ってはいない。そして性行為に付き物だった性病は医療と抗生物質によって、妊娠は避妊具の使用や経口避妊剤、または最近解禁された緊急経口堕胎剤のお世話になれば避妊具なしの「中田氏」さえも常習的に愉しむこともできるのだ。
さらに「結婚」の持つ意味さえも大きな変貌を遂げている。
昔は「家と家」の結びつきが重視されたが、今それは本人第一になって結構気軽に離婚できたりする。その離婚さえも以前には「家庭生活失格者」の烙印だったが、今ではバツ2的な、いわば「ノリ」に変化しているではないか…
…とすると?
そうか、想像した目的がすでに違っているのではないか… というより、そもそも前提が誤っているのではないか。
つまり、清楚なオンナノコなど存在しないのだ。
お嬢様は居る。確かに存在する。生家にカネがあり、ある程度の教養を持つ親が居て、まあまあまともな教育を受けている、あまりにお下品でなければ…という程度で良い。
そして誰もが性交渉の際には「乱れる」し、チャンスがあれば、そしてバレさえしなければ、そのチャンスを逃すなんて野暮はしないものだ。
ここまで考察してきたとおり、「清楚」というのは思いのほか難しい。
もう一度整理しよう。
「清楚な女性」のイメージとして、
・教養があって礼儀正しく、言葉遣いや立ち居振舞いに品がある
・公共の場では不平不満を表に出さないなど、精神的に大人である
・性格もファッションも比較的落ち着いていて、清潔感がある。
・そして見た目がほどほど可愛い、または綺麗な女性である。
最後の条件はまさにルッキズムだが、口には出せなくても実は外せない大事な条件のはずだ。そういうことを世間様の前ではグッと自制して語らないこともまた、清楚の条件である。
といった共通点があるように思えるが、これを男性の視点から裏返すと、ノリや雰囲気で浮気をしない、という1点に集約できそうな気がする。
とことが、ぎっちょんちょん
そうはいかない、ぎっちょんちょん
そんな女性がモテないワケがないではないか。
考えてみてほしい。簡単だ、女性を男性に置き換えてみれば、すぐにわかることだ、
・教養があって礼儀正しく、言葉遣いや立ち居振舞いに品がある
・公共の場では不平不満を表に出さないなど、精神的に大人である
・性格もファッションも比較的落ち着いていて、清潔感がある。
・そして見た目がほどほど可愛い、またはハンサムな男性である。
これでモテないオトコはよほどの悪条件をもっているに違いない。そんな男を女が放っておきますか?
もしあなたがそういう男だったとしたら、彼女一途でいられますか?
即答で無理でしょ?
いや、オンナノコが元々清楚な性質を持っていたことは認めるが、でもそれは徐々に成長し変質して、いつの間にか清楚な雰囲気を演出するあざといオンナに変わっていくのだろう。
それは少女がオバサンに変質していく一環でもあるのだ。
よく言われる言葉がある。「オバサンは図々しい」と。同じ個人であったはずなのに、そんなことはあるのだろうか。これは2つの観点で考える必要がある。
1つには「少女がずうずうしく変質する」という1面である。
あるオバサンが言っていた。
妊娠や出産の過程で、あるいは痔の手術とかで見ず知らずの医者の前で大股開いて診察台に載る。載った挙句、ゴム手をハメたフィストでぐいぐい何やらされている。そういう経験を積むと、「もう、なんでも来い」みたいな気分になる、と、そんな1女性としての変質。
そしてもう一つはあなた、または他人からの視点の変化である。
たとえば見知らぬ妙齢の綺麗な女性が突然話しかけてくる、とか
「すみません、ねぇ、あの山をバックに写真を撮ってください」
「ああ、いいですよ」
「じゃ取りますよ、3,2,1、はい」
「ありがとうございます」
写真を撮ったあとでも、なぜか良い気分になっているし、そこに図々しいイメージなどほこりほども残らない。
ではそれがオバサンだったらどうだろう。
「すみません、ねぇ、あの山をバックに写真を撮ってくださいな」
「ああ、いいですよ」
このとき、若い女性に突然話しかけられたトキメキはない。
むしろオバサンに話しかけられ、自身の歩みを止められたうざったさがあるかもしれない。
「じゃ取りますよ、3,2,1、はい」
「ありがとうね、ほんと、ありがと」
んんん、比較になってるかなぁ…
しかし…オバサンは元々は少女だったのである。だから、という目で見てみると、少女だって結構図々しい。それをわれわれがどう受け取るか…そんな問題は、しかしまあ、どうしようもない。
なぜかというと、少女のやることなすことは可愛いし、すこしでもお近づきになりたいという深層心理が働くからだろう。オバサンは、というと、嫌悪感は感じないまでも、まあどっちでも良いし… とりわけの感慨も関心もない、というのがもっとも近い気がする。
まとめてみると、こっちの見る目という主観が変わる上に、少女自体も変質してオバサンになっていくのである。つまり歳を重ねるに連れて、可愛く映る要素は減り、そうでない要素は増える。これじゃオバサンは浮かばれまい、ということだろうか。