第20部分 いわゆる『愛』の本質とは…⑴
第20部分 いわゆる『愛』の本質とは…⑴
ずいぶん長い間、この原稿を作成していなかった。
けど、かといって忘れていたのではなく、事故があったワケでもなく、ネタが尽きたワケでもない。
むしろ書き残したいことはたくさんあるのに、1つには自説の正当性に我ながら疑義を抱いたこと、2つには特定の社会層の方々に不快な念を齎してしまう危惧を感じたこと、3つにはやがては文明論にまで発展しそうなこと… で、要するになんとなく怖くなってしまったことで筆勢が弱ったことに気付いたからである。
こうして距離を置き、冷却期間を経ている間に、また別の感慨を抱くようになってきたので、今日はそれを書いてみようかと思っている。
それが『愛』というひどく大上段のテーマで、しかもその本質を探ろうという大胆極まりない試みの話で、読者の方々に思わずお茶を吹き出させてしまいそうだが… 当方はいたって真面目な気持ちであるので、ぜひ御理解御高察をいただければ感謝感激であります。
還暦過ぎまで生きてしまうと、好むと好まぬとに関わらず『愛』とは何か… みたいな教訓やドラマ、流行作家が私生活とか想像の中で描いた様々な『愛』という定義や比喩に接してきたワケで正直食傷気味なテーマに陳腐化してしまってるのに気付く。そしてそのどれもが当てはまっているようでいて、しかし微妙にズレたり食い違っていたりする気がして仕方がないのだが… いかがだろうか。
芸能界やアニメの世界にはトンと疎い私でさえ、その手のフレーズならいくらでも思い出すことができる。
いわく
『愛は勝つ』
『愛とは信じること』
『愛こそがすべて』
『キミこそが愛』
『それが愛』
『全身全霊を賭けてアナタを愛します』
まあそれだけ普遍的な感情であるからこそすでに陳腐化しているにも関わらず人類全体の変わらぬテーマに成るワケだし、今後もそう有り続けるのだろう。
ただこう書いとけばおバカな視聴者がレコード(当時)買うだろ… という皮算用からか、
『♪愛は空 愛は海 愛は鳥 愛は花 愛は星 愛は風 愛は僕 愛は君♪』
などとやたらに濫用するのはいかがなものだろうか… まあ空と海そして僕と君は理解できなくもない。しかし鳥とか花なんてちゃんと考えたらおかしな話ではなかろうか。愛とは烏とかニワトリとでも等号で結ばれる存在なのか。ドクダミやヒガンバナの花、就中スギやブタクサそしてセイタカアワダチソウ等の花粉を飛ばす元凶であってももちろん愛というのだろうな、このヒトは。
星なんて単に数億年前に母なる星を出発した光だし、風だって気圧の高低に従って無風から微風に始まって台風や颶風に至るモノスゴイ強い風までも含めて『愛』という…そういう理屈でなければ道理が通らない。
でもそういうことでしょ? それともこれが薬ながら得た悟りだとでもいうのですか… ねぇ丼上どの。
そんなこんな、寝食は惜しむけどふとした機会に柄にもなく考え続けたテーマ、それが『愛』だ。そして『憎』であり『嫉妬』でもある。近頃特に『愛』と『恋』を混同して表現する向きが多いが、この両者の違いは明らかである。私の辞書において『恋』の類義語は『憧れ』である。どちらもその相手に要求する報酬や対価は特になく… 期待程度の淡い願望はあるだろうけど… そういう意味では自分からの「一方的な好意」で構成されている気がする。
それじゃ”『愛』には報酬が伴う”と私は主張しようとしているのだろうか。
然り、愛には何らかの報酬が付随しているはずだ… それが今の私の仮説である。
無論『無償の愛』等の言い回しだって知ってるけど、対価を要求しないにしても感謝とか名声とか自己満足とか、相手や周囲には理解できなくても、当人自身には納得な理由… つまり喜びや報酬を得ているような気がするんだよね、『愛』って。
では同様に『愛』の類義語… いや『愛』と『憎』と『嫉妬』の類義語、つまり本質はなんだろうか。
ここ数か月、このテーマを何回考え、推敲を重ねてきたことだろうか。
私の『愛』の本質に関する仮説、それは…
あ、今回はここで… 思わせぶりに引っ張ってみよう。
皆様は何だと思いますか?
ワタシはこう思う… という御意見を久々に広く募集してみます。
見解が違うのは当たり前だし、ワタシはこう思うということなれば、『愛は虫』であっても構いません。
理由はあってもなくても歓迎いたします。
あ、私も「仮説」が後出しできないように、すでに本文中にこっそり潜ませておきました。
特に正解があるテーマというワケではありませんので、奮って『感想』欄に御意見を御寄せください。




