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第12部分  結局、根本はルックスなのか

第12部分  結局、根本はルックスなのか



前回の後半に以下のような文を載せた。

「オマンコ様に大差がない以上、なぜモテルモテナイの差ができるかは明らかだ。つまりは、それこそがオンナノコが顔や容姿、性格や習い事、特技に性技等の「上げ底」を余儀なくされる理由なのではないか。つまり上げ底の理由はオトコの「無意識的な選別」が大きな比重を占めることになる」と。


生物の本質が「種族の維持」、すなわち「自己生命の維持」と「自己複製」である以上、本来愛だの快感だのの要素は二の次三の次であるべきだろう。

本来の目的であるべき「強い子孫をたくさん得る」ために必要な「親としての」資質に

ⅰ)疾病等による損失または選別を回避するための抵抗力を備え、

ⅱ)天敵による捕食を免れるための体格と体力と運動能力を持ち、

ⅲ)同種同性との競争に打ち勝つ体格と体力と運動能力に恵まれ、

ⅳ)ⅱ、ⅲと同様な目的としての経験と知能と判断力と性格を具備する

などを挙げることができるだろう。


ヒトだって生物なのだから、こうした「遺伝子の頚城くびき」の例外ではありえないのだ。

無論「運」の要素はとても大切ではあるが、要因としては不確定過ぎて、ここで論じることはできない。


つまり「個体の美しさ、特に顔やスタイル」だの「清楚」だのの要因が入り込む余地はほぼないように思われるが、今まで生きてきた実情としてそんなことはぜんぜんない。



なぜだろう。要因ごとに軽く評価をしてみようか。


ⅱ)については、ヒトが社会生活を営んでくる中での比重は軽減の一途をたどってきた。比較的大型の動物であり、集団で動き、家などに護られながら休む生活では、天敵の脅威としての割合はゼロに等しい。


ⅲ)についての評価は難しい。「ただ生きていく」ことだけを考えると野生生物と同じになってしまうし、特にヒトの場合は年代、民族、宗教、そして集落の伝統や慣習に縛られてきたケースが多いからである。

また例外はあるにしても、「家」同士の縁戚関係が重視されたり、結婚するまでは夜這い的な乱婚が許容されたりと、そうそう単純な図式で割り切ることは難しすぎるからでもある。いや結婚してからさえも、例えば「祭り」の際には不倫的関係すら黙認される慣例だったらしい。


ⅰ)の要素の比重が小さくなってきたのは西洋医学と抗生物質が普及して以来のことだが、その影響は甚大じんだいだった。それまでは子々孫々を遺すために「強くて丈夫」という観点が重視されたからだ。女性の場合、これに「多産」という条件が付加される。逆に医学が発達しすぎた昨今では、子供がウソのように死なない。

やれ熱、それ咳、あら下痢… 明治初期以前の子供はちょっとした病気でコロコロ死んだものらしい。ちょっと育ったからといって油断はできない。天然痘に狂犬病に日本脳炎、赤痢、歯痛、単なる下痢による脱水症状や外傷や腫物が化膿しての敗血症で亡くなることも珍しくなかったのだ。大きくなってからも油断できない。結核やペスト、破傷風だけでなく戦国時代からは梅毒、幕末になるとコレラが流行ったりしたワケだから、還暦を迎えるのは「本気でめでたい」位に幸せだったことなのだ。



さて要因候補ⅰⅱⅲが無視できるくらいに小さくなると、相対的にⅳの比重が大きくなる。ⅳだって公正公平な評価はなかなか難題だけど、例えば学歴や就職先、そしてポストや評判などは目に見えて分かり易い指標になることだろう。


「優しい」という言葉は褒めコトバである。しかしそれは一般論であって必ずしも褒めているとは言えないのがややこしいところだ。優しさの裏返しは「厳しさが足りない」であり、それだけ相手に舐められやすいことを意味している。女性が求める優しさ…とは当該女性だけに対する優しさ、つまり甘やかしや寛大さや気前の良さであって、他の女性にも「優しい」ことを許容するとは限らない…でしょ?


そして現代的なヒトの生活の中では今まで書いてこなかったアレの比重が大きく…どころか独占的なまでに巨大化してきたワケだ。


アレってなんだと思いますか?


そう、アレなんですね。

ⅴ)社会的地位の象徴として、しかも保持や相続が可能な「金」や「財産」がある。


これだ。

ⅰ~ⅳの要因は、いわば遺伝子的な相続であって、しかも相続自体はあくまでも「期待値」でしかない。産んでみて、育ててみて初めて結果が見えるものであって、期待以上の資質を持って産まれることもあれば、親から見てさえアカン子孫が誕生してしまうこともあるワケだ。かと言って捨てたり産み直すということもできない。

そもそも現代では親の血族的または宗教的帰属意識も低下していて、いまさら未来の子孫だの自分より早く死ぬことが確定的な父母なんぞのことを杞憂するより、自身の生活水準と現在の刹那的な楽しみを優先する傾向が強い。しかも「カネ」というものはいろいろなものに随時換算や交換ができる。そして持ち主だけでなく配偶者や子孫にも「確実に相続できる」ということが最大のメリットではないかと思う。

「カネで買えないものはない」というと「いやいや愛だけは買えない」と反論を食いそうだが、実際のところあからさまには言わないけど、「たいていの愛は買える」んじゃないかと思っている。正確には「カネで買えない愛もある」と言い直すべき…そんな感じじゃないのかな。



あらあら、それじゃあんなに惹かれる「個体の美しさ、特に顔やスタイルなどの要因」だの「清楚」の要因はどこにあるというのだろう。


ないじゃないか。

ここまでのⅰ~ⅴには直接的な「スタイル」とか「ルックス」とか「清楚ピュア」とかの要素は見つからない。とすると、これらの要素は遺伝子戦略の想定外とでもいうのだろうか。



そんなはずはない。

サティはルッキズム、つまり見た目重視でニンゲンを評価する人間ではないし、むしろ自身の見栄えの劣等感も手伝ってルッキズムにはどちらかというと反対の立場をとってきた。少なくとも周囲の男子に比べてそういう傾向は少なかったし、子供の頃の極端なケースを除いて気味が悪いとか思ったこともない。極端な、というのは、例えば先天性梅毒を疑ったケースであるが、それが正当か否かは、大人になった今となっても判別しがたい。



ただほぼ毎回やらされた学級委員とかの立場で、他の人と同じようにそういう人々と接するとどうなるかはだいたいわかっている。

つまりそういう容姿面で嫌われそうな(嫌われている)方からは、

「サティは私に優しい」

となにかの勘違いをされて頼られたり、淡い想いを寄せていただいたことも多い。


それが両想いならば何の問題もない。

が、意中の女性が別にいる場合は実に都合が悪い… としか言い様がないでしょ。



さて、そういうサティの意中の人であるが…

やはり可愛いが多かったなぁ。

そう、美しいヒトもちろんキライではないが、例外なく「話して明るく楽しく可愛い娘」だったな。


いやいや思い出話をしてるワケじゃない。

幼稚園や小学校といった餓鬼ガキだったころから、すでに

「美人だの可愛いだのという概念がありますよね、みなさん」

と言いたかったのだ。



で、改めて伺いたいのですが…

「平安美人って本当に美人なんですか?」ということを…


子供は正直だ。忖度そんたくということをしないガキが多い。

自身が子供の頃から、いわゆる平安美人というものを美人だと思ったことがない。

いやむしろ反対だ。


いま平安美人という単語をググってみよう。

・切れ長の細い目

・キメの細かい白い肌

・ふっくらした頬

・サラサラした艶のある黒髪

・体型もふくよか

・大きな顔

・鼻筋が通った小さな鼻

・おしとやかな口(おちょぼ口)

平安時代の美女といえば小野小町だけど、彼女もそんな顔だとすれば…

ちなみに世界3大美女と日本人は言うけど、彼女の名を何人の外国人が知っているだろうかww


紫式部日記に見える美人像

・肌が白い

・顔のパーツが整っている

・頭の形や額つきが美しい

・髪が長くて美しい

・太っている

他に笑った顔が美しいとの記載もある。



また、「顔立ち以上に重要視されていた絶対的な美人の大前提が【たっぷりの艶ある長い黒髪】であり、枕草子の中では、つまり清少納言は「うらやましげなるもの」として「長くて綺麗な黒髪」を挙げているという。



確かに我々の世代は、幼少の頃から西洋というか欧米の文明をたっぷり浴びて育ってきたし、それを否定することはできない。しかし…

どうですか、みなさん。そこまで美的な価値観て変わるものなんでしょうか?


裸の王様を見て

「はだかだっ!」

と口に出して主張したのは子供でしたよね。


女性がいたとして、サティは欧米の女性に対して、美しさは感じても性的魅力を感じない!

アフリカや中東アラブ、東南アジアも謹んで遠慮させていただく。

やはり極東(アジア系)の女性には惹かれる。ただ中国語チャイニーズや朝鮮語を話し出したとしたら、性的魔力セフレは別として、恋愛感情が雲散霧消することは請け合える。

やはり日本人だよな、うん…

これって本能なのだろうか。それとも学習(慣れを含む)の結果なのだろうか。



もうひとつ考慮すべきことがある。

これはどこにも見当たらない視点だったが、いわゆる「平安美人」というのは、紫式部視点または清少納言視点の価値観であるということだ。もう少し枠を広げて「平安女性貴族」の視点だといっても良いかもしれない。

裏返してみると、「平安美人」自体を論じる情報として「男性の視点」と「平民の視点」が欠けていることになる。でもこういう要素って実はとても大切なんじゃないだろうか。


これは現代でも充分言える観念だが、女性の言う「カワイイ」と男性の言う「可愛い」は意味が異なっているように感じている。男性の「可愛い」は、容姿の美しさも含むし背丈や笑顔のあどけなさ、関心や言動、演出なさげな「天然な」態度、初心ウブな笑顔、話の面白さ等を意味しているが、女子が女子に対して使う「カワイイ」にはとりあえずこう言っときゃおけば無難かな、みたいな… はっきり言えば男性から見てなんだこりゃ、というかあまり可愛くない場合も多かった気がする。女子がライバルを褒めるワケがないと言えばそうともとれるし、あどけなさや演出なさげな態度というのは同性である女子には見え透いた小芝居にしか映らないのかもしれない。


また貴族か平民かというのも大きな価値観の違いを内包している。お互いの顔もよくわからん状況から恋文ならぬ架空の和歌をつらつらと眺め、返歌しては進展させた挙句に夜ごと通い婚のように進展させる貴族男性にとっては、肌触りと栄養状況と和歌を詠める教養と財産さえあれば確かに顔は二の次で良いのかもしれない。ちなみに日本人女性の「白い肌」は餅肌であることが多く、これは例えようもないくらいに素晴らしい触感を伴っている。こんな肌で構成されたおっぱいならいつまでも… おっと。



対して平民はどうか。当時は電灯などないし、荏胡麻えごま油を用いたあかりなどもってのほか、せいぜい頑張ってクサイ魚油でも燃やしてすすだらけになるような手段しかないから、太陽おひさまと共に起き眠る生活だったはずだ。男女とも互いに子供のころから見知っており、水汲みもするし物々交換にも出る。さらに村にはいくつもの共同作業があり、互いにほとんど兄弟のように育っていたかもしれない。当然互いの器量ようしは承知の上で、示し合わて野原や入会きょうどうの山で出会って交合まぐわったのだろう。


また年頃になれば、親は娘を出入口に近い部屋に寝かせ、村の若者が夜這いをしやすくしてやったものだという。無論複数の男を受け入れる娘もいるが、そんなことは想定のうちである。ただしひとたび妊娠みごもれば、娘は意中の男をつまとして指名し、指名された男はまず逃げることはなかったという。逃げたら村八分的扱いをされるからである。

その際、本当の父は誰だとか、そこんとこは不問に付されたものらしいが… そりゃそうか。そんなことより村に産まれた子供は村全員の子供だという共同体意識が強かったのだろう。


だとすると、平民は平民の性的魅力の観点は貴族と異なっていてもちっともおかしくはないが、なんせ証拠がない。たしかに庶民はそんな文学を書く暇も動機も教養もなかったに相違なく、無理もない話だが…



話を戻そう。

さきほどの平安貴族の美人の条件を頭、顔、身体の順に上から並べ変えてみた。

・髪が長くて美しい、サラサラした艶のある黒髪

・頭の形や額つきが美しい

・切れ長の細い目

・大きな顔

・鼻筋が通った小さな鼻

・ふっくらした頬

・おしとやかな口(おちょぼ口)」

・顔のパーツが整っている

・白い肌、肌理きめの細かい白い肌

・体型もふくよか、太っている


では現代ではどうか。

・髪の量や美しさは加工しだいでどうにでもなる。長さやカールはお好みで。

・頭の形は髪型で修正できる。額が小さいと「ネコ」とか言われるが、それもまたよし。

・目については余程の吊り目以外は問題なし。むしろ二重が異常なほどの人気。整形もできるし…

・小顔が人気だが、大顔でも本人以外は別条なし。

・鼻の大きさ、鼻の穴の大きさと向きはバランス次第。

・スリムが人気でぽっちゃりは敬遠されやすいが、不思議なことに”デブ専”とかいう固定ファンもいる… らしい。

・おちょぼ口とは言っても、あれは化粧でしょ。あんなフグみたいな口は今も昔もリアルでは居ない。

・福笑いの原理で、整っていても位置とバランスで印象は一変する。

・白い肌、肌理きめの細かい白い肌ってのは、ずばり身体を重ねたときとかおっぱいを弄って揉みまくったときに気持ち良いからでしょ。

でも小麦色も健康的で悪くない。あ、でもサティは腋臭わきがだけは、たとえどんなに好きなヒトであっても、どんなに肌触りがステキでも、生理的に無理。

・体型もふくよか、太っているってのは、なんかやっぱり無理。感極かんきわまる摺動ピストン時に深い三段腹がたぷたぷ揺れたら、サティの性欲は一瞬でケシ飛ぶだろう。あ、これは個人的感想だわ。

現代では度を越えた肥満は理解されにくい。

そもそも風呂に入る習慣がなく、髪を洗うのも年一回程度とも言われているので、垢まみれで体臭バリバリ、しかも運動不足でぶよぶよの白い肌に武者ぶりつく蛮勇ゆうきはサティにない。しかも自慢の髪も誇り…どころかほこりだらけであったと思われ…

こうなると、これは性交まぐわいというより拷問くぎょうである。

やっぱ真っ暗でオナニー代わりにオマンコ様だけを目当てに通った平安貴族男性は、自身もニオイを撒き散らしながらそんな腹には目もくれずに(どうせ月の灯だけで真っ暗だし)ひたすら腰を振ったに相違ない。

ああ、業平なりひらさまのイメージが…


そういえば夜明けを迎えてからおブスさまを抱いていたことに気付いて逃げた話がどっかにあったっけな。当然後朝きぬぎぬの文は貰えなかったことだろう、可哀そうに、やられ損だ。


なんか気になったので、とりあえず源氏物語だけ調べてみたけどこれが出典ではなかったみたいだ。


それにしても…

なんか「源氏物語の三大不美人」とかいうカテゴリーがしっかりあってさ、空蝉うつせみ花散里はなちるさと末摘花すえつむはなの三人なんだとか。どうせ仮想上の文学なのにさ、そこに美醜びしゅうでランク付けるとか、いったいどうゆう神経してるんだろ? 

まったく余計なお世話だよ、ね


そうだ、重要なこと2つも忘れていた。

その1つめは位置とバランスである。髪おでこ目鼻耳口アゴのライン。うなじ肩胸腰足や足首…それら1つ1つのの長さや曲線も大切であるが、その配置とバランスも同様に重要な要素である。その証明は… そうだ、一度「福笑いゲーム」をやってみればすぐに納得できるだろう。どんなに部品パーツは優秀でも… わかりますよね。

その2つめ、それは「美しい子、可愛い子は何を着せても着せなくても、どうやっても美しくて可愛い」のである。

そしてそれはおそらくいにしえの人々も同様だったに違いない。これは確信を持って言えることだ。

なに、根拠? そんなもん、この件に関しては要らないでしょ、ね。



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