転生していた
この記憶を思い出したのがあまりにも急だったから、私、というか俺は戸惑った。ここまで生きてきた十年分の記憶に急に別の人間の記憶が乗っかったのだから、当たり前だ。
俺がこの体で覚えていることを少し整理しよう。まだちょっと混乱してる。
ロベリア・ヒューゼン、ヒューゼン公爵家の御令嬢。顔立ちは繊細にできており、大きく垂れ目気味の目、スッと通った鼻筋、光を全て吸ってしまうように黒い髪、薄い唇を持った小さい口に、小さな顔が乗っていて、彫刻家がその生涯をかけて生み出した美だとかなんとか言われている。しかし、美人薄命とやつなのか体が弱い、それを気にした父親が剣術をやらせようとして、この馬鹿みたいに広い庭に俺を連れて行き、剣を持たせた。それがきっかけでマルクとしての記憶が蘇ったのだろうか?輪廻転生というやつなのかなんなのか、ただ、俺にマルクとしての記憶があることだけは確かである。
ロベリアとしての記憶が逆にちょっと思い出せなくなってるな。表面的というか、大きめな出来事しか思い出せな
「ロベリア、構え方はこうだ、そうそう体に対して剣が真っ直ぐになるように」
父親のガイルがそんな俺の思考を遮るように、後ろに回り込んで抱きしめるようにしながら剣の構え方を教えてくる。
名前と関係性は覚えているのだが、どうも記憶がはっきりしていない。とりあえず、ガイルは若そうでイケメン、俺の嫌いなタイプ。しかも、マルクとして知り合ってから五秒で後ろからいい歳の野郎に抱きしめられる不快感はもの凄い。
マルクだった時、俺は剣を両手に持っていた。それを兎に角ぶん回して、叩き斬るという表現がぴったりと当てはまるような剣筋だった。対して、今ガイルが教えようとしているのは、基本に忠実な剣だ。
基本というのは優れている。というのが傭兵の仕事を十歳から始めて、そこから十五年間を生き抜いた俺の持論だ。他国の精鋭部隊というのと何度かやり合ったことがあったが、どいつもこいつも厄介だった。特筆すべきは持久力だ。基本というものは、無駄を省くために作られたものだから、無駄な力が入っておらず、長く戦うことができるのだ。強者同士の戦いで、疲労というのは命取りだ。疲労は身体も感覚も鈍らせる。基本の剣というものを習ったことがない俺は、疲労しない身体をトレーニングによって作ることで、それに対処したのだ。
「そうだ、そのまま体ごと押し込むようにして切る。いいか?離すぞ」
ガイルが俺から離れた瞬間、とんでもない重さを感じる。
なんなんだこの剣は、マルクだった頃の俺がトレーニングの時に使っていたどの重りよりも重い。
「ぐぬぬぬぬ」
支えるので精一杯、ここから振り上げるなんて考えられない。
これを軽々と支えていたガイルはまさかとんでもない強者なのか?だが、ここで剣を振れなければ剛剣の名前が泣く、力を振り絞るんだ俺!
カラン。
剣が落下した。
「うーん、ロベリアには重かったか。軽い剣を作ってもらって剣術はまた明日にしよう」
ガイルは少し困ったような顔をしながらそう言った。
自分の情けなさに、放心状態の俺は自分の部屋に戻ろうとしたのだが、微妙に思い出せない。
確か、そうそうこの別棟みたいなところのどこの部屋だっけ?
別棟に入るとまだ若い、今の俺と同い年程ののメイドが掃除をしていたので、尋ねてみることにした。
「俺の部屋ってどこ?」
「ひっ、ロベリアお嬢様、申し訳ありません、どうかお許しを、私には病気の弟がおりまして、ここでクビになると弟の命が持たないのです」
使用人は俺からの視線を腕で隠した。前世で何度も見た恐れの感情だ。
「すまねぇ、ビビらせる気はなかったんだ。クビになんかしないから、部屋を教えてくれ」
「すっすみません、ありがとうございます。ごっ、御案内致します」
にしても、なんでこんなにビビられてんだ?前世の俺ならこんだけビビるのもわかるが、今の俺はか弱いお嬢様だぞ?
「こちらでございます」
「おお、あんがと」
俺の部屋の前には、少し年配の女性の使用人座っていて、俺に気がつくと、立ち上がって一礼をしまた椅子に座った。
「失礼します」
メイドは案内の時も俺とは目を合わせず、何も触れてこなかった。
あんだけ怯えてるってことは俺が何かしちまったんだろうが、全く記憶にない。今の俺は殆どマルクだな、ロベリアの記憶はおまけ程度で、行動理念は完全にマルクだ。
部屋の中をぐるりと見渡して逆に苦しくなってきた。
広すぎだろ。
マルクだった頃は仲間達と、厩舎の藁の上にギュウギュウに詰めて寝たものだ。それが今はどうだ、天蓋付きの、成人男性が十人は間違いなく眠ることができるレベルのベッドが大して部屋を占有していない、八個くらいならまだ置けそうだ。
そして内装は何かよくわからないが、おそらく年相応のものなのだろう、少しだけ幼さが残っている。
色々な問題が散乱しているが、まずは一番身近なこの問題から解決しよう。
俺、あの女の子の使用人からめちゃくちゃ嫌われている問題。
いや、そもそも俺はどの感覚で動いてたんだろうか。なんか性善説とかそういう哲学みたいになってきたが、大事な気がする。
俺の感覚で動いてたら、あのメイドがビビってる理由もわかる。俺の小さい頃なんて、モラルなんてなかったから、露店で万引きなんて普通にしてたし、人を殴る躊躇もなかった。親父から毎日のように殴られてたから人を殴るという行為のハードルが低かったとか、環境的な問題が大きいのかも知れないが。
次は全く別の、ロベリアは根っからの悪人、いわゆる悪役令嬢というやつの可能性。
俺は鏡を見て今の自分の姿を確認する。
いや、ロベリアの性格が悪いってことはないんじゃないか?こんなに可愛いんだし…… 自分で言ってて気持ち悪くなってきたな、二十五歳の男性が言うセリフじゃない。
それはどっちでもいいか、取り敢えず、俺がこの家でどんな風に振る舞ってたのかを調べることにしよう。
「あの、名前は?」
部屋の前に座っている年配の女性の使用人に声をかけてみる。
「す、すみません、ロベリアお嬢様、呼び鈴に気が付かず」
確かにベッドの隣にハンドベルが置いてあって、それを使えば来てくれるのかもしれないが、庶民感覚の俺としては非常に申し訳ない気持ちになるので使わなかっただけだ。
「いやいや、鳴らしてないから気にしなくていい、名前は?」
「私は生活が苦しくて、この仕事を続けられなければ来月からどう過ごせば良いのですか?」
「そんなことしないそんなことしないから」
もしかして、使用人全員から怖がられてる?
早く、早く百合を書きたい。でも、こういうところを丁寧に書かないと、物語に深みが……いや、まぁいいやそんなん。多分、次話から少し入れます。