負け犬
こりゃダメだな。
木にもたれかかって、改めて自分の状態を確認する。両腕は残った肉で辛うじて繋がっていて、右足はもう無い。胴の方も何やら太い紐のようなものがだらしなく広がっていて、呼吸をする度に切り口が開いたり閉じたりしている。
剣で生きると決めたあの日から、俺は何年も剣を振り続けてきた。そうして得たのは剛剣の名前だった。荒々しく、力任せで、美しさはどこにも無い、ただ、俺は生きている。傭兵なんてものを語るのならそれでいい。
「マルク!」
この少女の名前はクラセチカ、この国の姫だった。可憐でいて、類稀なる頭脳を持つ。才能というものは己も狂わすが、他人も狂わす、そうしてこの結果である、クラセチカの才能を恐れた第一王子陣営はまだ九歳の少女に反乱の恐れありという大義名分の元、軍を出した。そしてこの国の王はそれを止めなかった。王もまた、クラセチカを恐れていたのだ、産まれて半年で言葉を発し、二歳の時点で国のお抱え学者に比肩する頭脳を持っていた。ただ、クラセチカはやはり天才だった、兄と父が自分を殺しに来ることはわかっていた。そしてそれに対処することは十分可能だった。部外者の俺に、クラセチカの周りの騎士はそう教えてくれた。
だが、クラセチカは対処を辞めたらしい、何もせず自分が一人死ねば全てが収まる、ここまで人を恐れさせた自分が悪いと、全てを諦めていたのだ。
ただ、本気で国を思う騎士の一部はクラセチカを守って国外への脱出を決めた、命をかけた騎士たちのことを無下にできるわけもなく、クラセチカはその提案を受け入れた。
そして、俺たちに声がかかった。
ムドリック傭兵団。
この国で一番大きな傭兵団だ、そして俺はそこのトップのマルク。
俺たちは金さえ貰えば何でもやる訳では無い、そこに大義があればこそだ。これを決めたのは、何も俺が良い人間だからという訳では無い。
俺たちは傭兵団だ、産まれも育ちもゴミ、誇れるのは自分の腕っぷしくらいだった。ただ、心までゴミになっちまえば、俺たちは駄目になる気がした。俺たちの中にちっぽけでもいいから誇りを作りたかった。そしてそれを守りたかった。だから、どんなに金を積まれても間違っていると思えば手を貸すことは無かった。
そんな俺らはこの依頼を受けた。この国最大の傭兵団とはいえ人数はたかがしれている。この国の軍とやりあえる訳がない、要するに負ける依頼だった。でも、俺も俺の仲間達も誰も首を横に振らなかった。
進め進めと駆けていく。ただ、流石のアルセチカでも予想できないことはある。襲撃の体勢を整えられる前に逃げ出した俺達ではあるが、登山道の土砂崩れは半ば賭けのようなこの逃避行において最大の障害になってしまった。
土砂崩れの解消を待つという選択肢などない俺たちは馬を捨てて森へ入ったものの、早さを優先していたため食料も最低減しか持ってきてはいない、更にその食料の運搬には馬を使っていた。そのため、食料の確保や野宿が必要になった。
「ねぇ、マルク、貴方はなんでこの依頼を受けたの?」
クラセチカは先ほど取った猪に火を通している俺に向かって尋ねて来た。
「アンタが正しいって思ったからだ」
俺は言葉を包まずに言った。学なんかない俺は姫様に敬意を持った話し方を知らない。ただ、クラセチカのことを尊敬していない訳がない。九歳で既に自分のことよりも他人のことを優先している、それだけで人として尊敬に値する。クラセチカ相手に粗雑な言葉遣いをしていた俺のことを側使いの兵士は鋭い眼で見ていたが、要するに大切なのは人間の奥の方だ。姫の側使いまで登り詰める奴がそこら辺を見抜けない訳がない、しばらくしたら視線を向けてこなくなった。
「正しい……ね。マルクは正しいって何だと思う?」
「自分がそうしたいと思ったことだろ」
「直ぐに行動の方で考えるのがマルクっぽくて良いね」
「何か馬鹿にされてる気がするんだが」
「してない、してないよ」
嫌に真面目な顔をしてクラセチカが言った。
「悪い悪い」
「本当にそうだね、正しさって行動だ」
「敵襲!敵襲!」
見張りを担当しているドザムの声が聞こえる。
「逃げるぞ!」
俺はクラセチカの腕を強く掴んで駆け出した。
敵襲があった時にどうするかは決まっている。とにかく逃げられるやつは逃げる、それもなるべくまとまって、ただ、もう逃げられないという判断をした奴から殿に回る。
「じゃあな、マルク!」
聞き馴染みのある声が何度もこの言葉を発した。
ずっと走り続け、太陽が出てきて、森から抜けた時には傭兵団と兵士は最初の三分の一程になっている。
全員が満身創痍という有り様であり、次の襲撃が来たら逃げられない。しかし、国外まではもう直ぐで、希望は見えている。
「十分の休憩後にまた出発する」
兵士達は何か言いたげに俺を見てきたが、木にもたれかかって俯いているクラセチカの方を見てから俺から目線を切った。傭兵団の仲間たちはただ頷くだけだ。
「クラセチカ、前を向け!」
「でも、私のせいでみんな……」
クラセチカは膝に顔を埋めていて、籠った声で言った。
「お前のせい、なんて思ってるやつはここには居ない。自分でお前についていくことを決めたんだ。正しさってやつでここまで来てんだ。だから振り返るな。前を向け」
涙でどろどろになったクラセチカの顔にははっきりと意思が宿っていた。
俺はそれを見届けてからマーチスのところへ向かった。マーチスはムドリック傭兵団のナンバー2。
「マーチス、次の襲撃は俺が殿をやる」
マーチスはいつも通り、飄々とした表情で「そうか」と言った。
後もう少しで国外、万が一を極限まで減らす為に俺が出るしかない。側使いの兵士が残らなかったら、俺たちみたいな奴らが姫を支えなきゃ行けなくなる。強いのは俺たちだが、強かなのはあいつらだ。そして姫様に必要なのは強かさだ。
敵の攻撃を凌ぎきった後には、どんな奴でも油断する、ましてや集団で動いているのだ。緩みがない訳がない。
軽装備の数人がクラセチカの元に向かっていく。恐らく暗殺の類を専門とする奴らだ。緻密且つ隠密、計画のズレがない。
俺は足に力を集中させる。俺の剣には美しさはない。だが、俺が剛剣の名前で知られるようになったのは鍛え上げた体だ。唸りをあげ、風を切り、俺の体がクラセチカと暗殺部隊の間に入る、そしてそのまま俺はそいつらを切り伏せた。
「ありがとう、マルク」
「まだだ、そのセリフはここを乗り切ってからだ」
間違いない、囲まれている。一点突破で抜けるしかない。ただ、その陣形を整える前に相手が突撃をして来た。
入り乱れる白兵戦。
クラセチカの近くにいる俺は真っ先に狙われる。
「クラセチカ、動くなよ」
クラセチカは体をを震わせながらコクリと頷いた。
力任せに剣を叩きつけて敵を薙ぎ倒していく。それを何度も何度も繰り返し、血が自分のものなのか相手のものなのかもわからない程に体に纏わりついている。
二百は超えた所だろうか、俺の体のバランスは急に崩れた。右足が無くなったのだ。
「マルク!」
クラセチカは不安そうな声で俺の名前を呼んだ。
その瞬間、俺の目の前にいた敵が倒れて視界が開けた。
「今のが最後だ」
マーチスが敵を後ろから切ったのだ。
「生き残りは?」
「俺と、側使い兵の隊長と、お前は……」
「マルク、私ね」
「ぁぁ」
「あなたの事が好きになった」
「そうか、俺はお前みたいなちんちくりんは駄目だな、だからな、生きろ。生きて、いつか会う時があればもう一度そのセリフを言ってくれ」
「うん、次に会うときには立派な王様になってる」
「あぁ、夢ができたなら良い、ただ、背負いすぎるなよ。お前ほどの奴なら、一緒に背負ってくれる奴がきっと見つかる。俺もお前の国で生きれたら良かったな」
クラセチカは泣いていた。その涙は誰からも必要とされていなかった俺にとっての宝だった。
「マーチス。頼んだ」
「わかった」
マーチスは俺と顔を合わせなかったが、体が震えていた。震えを隠すためかいつもより早口だ。
走っていくクラセチカ達を見ながら、少しずつ薄れていく意識の中で、俺は祈った。クラセチカとまた会うことを。
覚えた方がいい人
マルク 主人公、傭兵部隊の隊長。名前は変わりますが覚えておいてください。
クラセチカ 今作のヒロイン
マーチス マルクの所属する傭兵部隊の副隊長
久しぶりの人は久しぶり、初めましての人は初めましてです。またTS百合ものです。お願いします。