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第35師団

「今日午前過ぎ頃、掲示板に皇族を侮辱する書き込みをしたとして、43歳無職の佐藤房治容疑者が不敬罪で逮捕されました。警視庁は余罪も含め……」


「こういうのってだいたい4、50のおっさんだよな」


テレビに映る公共放送のニュースキャスターを観ながら、ビールが来るのを待っていた友人は言った。


「いいじゃないか、こういう気概のあるのが最近の日本は少ない」


「ネットに悪口書くのが気概のあるやり方か?何も失うもん無いからこういうこと出来んだよ」


いよいよ3日後にアメリカ派遣を控えた自分は、大学の政治研究会メンバーで同窓会を兼ねた出兵祝いをしていた。


注文してすぐにやって来た生ビールを手に乾杯をした。


「いやーそれにしてもこうして集まるのも久々だなぁ」


「まあ言うて一年だけどな」


「6年あっという間だって良く言うけど、その通りだったよ」


18で徴兵、20で大学、24で社会人、この6年で人生の方向が決まると高校の頃に何度も言い聞かされていた。


「でもさ、徴兵経験してからまた軍に入ろうって奴中々いないよ」


確かにそうだ、高校卒業してすぐに徴兵されて本当に苦痛だった。


体育会系集団にシゴキ回されて、尻を叩かれながら走った軍隊になんて二度と入りたくないと思った。


だが結局軍隊に入ってしまった。


「そうだよ、なんで再入隊なんかしたんだ石原」


「さぁ何でだろうな……」


一口飲んだビールが歪み透明に変色したのに気付いた時、自分は実家に居た。


「ほら宗一郎、ぐっと行けぐっと」


あぁすいませんどうもと頭を下げながら酒を飲む自分は、心がここになかった。


「宗一郎君!しっかりお務めを果たすんだよ!わかったね!」


「はぁがんばります」


酒に酔った親戚ほど達の悪いものはない、なんたって無下には出来ないからだ。


鯛や煮物が並ぶ食卓は、洋食に慣れきった舌に懐かしさを感じさせてくれた。


「父さんも昔は戦争に行ってたんだよな、孫にアドバイスでもしてやりなよ」


祖父はフィリピン戦争の経験者だった。


1955年から1975年まで続いた泥沼の戦争を初期から生き抜いた歴戦の兵士だった。


「あぁ……もう何十年も前の話だよ。フィリッピンの時は所属も諜報部だから歩兵さんとは畑が違う」


「それでも戦争に行ったんでしょう?なんかあるでしょー」


親戚家族一同、祖父へ期待の目を向けている。


軍人としての心構えだとか、死線を潜り抜けた武勇伝を聞きたがっていた。


「…………子供は信用したら駄目だぞ、手榴弾投げてくる」


祖父の虚ろで遠い目と同じ目を次に見たのは、ロサンゼルスに到着してからだった。



ロサンゼルス駐屯地にて



7式回転翼機が垂直離着陸モードに移行し、ヘリポートに降り立った。


「全員降りて三号棟兵舎に行け!0900時に掲揚台前に集合!」


ヘリの機影から出ると、照り付ける日差しが髪の毛を熱く照らした。


本土よりも強い光とアスファルトに跳ね返る暑さが、暑がりな自分には堪えた。


「この暑さなら、替え着が幾つあっても足りないなぁ」


「全くだ、満州育ちには堪える。おっ航空機博物館も良いな」


岡田は観光パンフレットを読み歩きながら、地図に印を付けていく。


赤丸が囲ってある場所は、どこも二次大戦中の激戦区だった場所だ。


岡田は徴兵時代の頃からこんな調子で、いわゆる軍事マニアって人種の人間だった。


ベッドで眠る前でも、演習中に塹壕を掘っている時でも、高機動車に乗って移動してる時でも構わず話し掛けてくる。


お陰で勝手に詳しくなってしまい、今やアマチュアレベルには明るくなってしまった。


「俺達公務で来てんだぞ、観光に行けると思ってんのか?」


「オーストラリア赴任の時は休暇があった。こっちもあるさ」


「豪州ほど西米は治安が良くない」


「80年代まではな、まぁ戦争でも起きない限りは大丈夫だろ」


そうこう話してる間に、弾痕残る古びた兵舎に入る。


確か占領統治時代は、反政府ゲリラや中部アメリカ合衆国のコマンド部隊なんかが攻撃を仕掛けていたと聞いた。


この外壁の傷はその時のものだろうか?


建物の外見から垣間見える歴史の一部に思いをふけようともしたが、立ち止まって隊列を乱す前に兵舎へ入らなければならなかった。


部隊ごとに振り分けられた大部屋に入ると、強烈なデジャヴを感じた。


鉄パイプのベッドと足元に置かれたRVボックスは、ここがアメリカである事を忘れるぐらいに本土で見た光景だった。


「訓練生時代を思い出す」


「再入隊してから1年経つ癖にか?」


「京都の駐屯地はもっとマシだった」


私物をボックスに押し込んだ人間から、掲揚台へぞろぞろと向かって行く。


これから駐屯地司令の訓示に傾注しなければならない。


部隊ごとに隊列を作り、姿勢も表情も直立不動の状態を保ちながらただ待つのだ。


青く澄んだ空に2機のヘリが旋回している。


襟に三つの星と黄色い線の入った軍服を着た男が、日章旗の前に立った。


くたびれた顔をしているが、上に立つ者特有の笑わない目を我々に向けていた。


「司令の東大佐だ、これから2年間嫌というほど見る顔になる。私の顔が夢に出てくる前に無事祖国へ戻れることを祈る」


第1空挺師団の交代で派遣された我々第35師団はこの日、地獄への片足を突っ込んだ。


「在米日本軍の役割は日々重要性を帯びている。西米の防衛及び治安維持は我々無くしては成し遂げられない!」


俺は国粋主義ってのが嫌いだ。


こういう自分が何でも正しいと思ってる奴らが、やれ英霊だの国家への奉仕をしたり顔で語るのだ。


この司令も同じ口かと思った。


「諸君、フィリピンでの失敗を忘れてはならない」


フィリピン……それは日本軍の歴史史上最も忌まわしき悪夢だった。


南フィリピン解放民族戦線との戦争で息切れした挙げ句、撤退したのだから。


「我々は第二次大戦の勝利にあぐらをかき、アジア諸国で暴虐無人な行いをした。その結果、現地人のゲリラ化を招いた」


「我々はフィリピンと違うことをここで証明しなければならない!」


こんな帝国軍人が居るとは、軍隊も案外捨てたものではないかもしれない。




ロサンゼルス市にて



ここに来て最初の活動は、市街地を高機動車で走ることだった。


前任の第1空挺師団に代わり、新たに配属された35師団を覚えてもらう為らしい。


「どうだ石原、手は震えてないか?」


「はい大丈夫です!」


「市内は安全地帯だから気楽にな、安全装置も掛けておけ」


井内曹長は従軍経験の長い古参兵で、いわゆる叩き上げってやつだ。


決して怒鳴ったりせず、至らないところがある時は誰も見ていない場所で諭すように注意する。


この人の下なら、地獄だってマシになる筈だ。


「銃身が長いと車に乗るのが大変だ」


「あぁ、早く20式を持ってみたい」


今持っている銃は、長い銃身と備え付けの二脚が特徴的な89式小銃という武器だ。


岡田曰く、満州の広い戦場での使用を想定して設計された銃で、防衛戦向きなライフルだというらしい。


満州に大挙して押し寄せてくるであろうソ連軍をタコツボを掘って待ち伏せし、機関銃のように攻撃するのが目的だった。


「出発だ」


軽装甲機動車を先頭に中隊の車列が動き出して駐屯地の正門を出た。


アスファルトの絨毯に沿って食料品店が建ち並び、ガラスに映画のポスターやらスローガンを貼り付けている。


ロマンスの純情2 1121反政府デモ開催!


ロサンゼルス市民は自由主義をいつも通り謳歌していた。


占領初期こそは軍政を敷いていたが、1960年の一斉デモをきっかけに日本は占領地での反乱を恐れ政策を穏健なものに切り替えた。


それに伴い、表現規制の緩和が行われ、政府に唾を吐き掛けたり、もう終わりだよこの国なんて言っても逮捕はされなくなった。


そのおおらかな風潮の風は日本本土に30年遅れで吹き付けた。


外交官や軍人の子供達が、親に連れられ西米で暮らすことになると、その自由さを体験してもう戻れなくなった。


子供達はやがて政治家となり、日本国内の表現規制撤廃へと動き始めた。


保守派の反発を押し切って作られた法案は、性表現から思想の自由に至るまで憲法を巻き込んでの一大論争となり、国会が最も荒れた時期となった。


議論の甲斐もあってか、春本を検閲しようとするのは子供の教育にうるさい母親ぐらいになった。


しかし、この表現規制の緩和は様々な問題も引き起こすことになった。


「見ろ、平和主義者共だ」


プラカードを手に車列の前に立ち塞がる彼らは、大声で帰れ帰れと叫んでいた。


「クソ邪魔だな、轢き殺してやりたいぜ」


「冗談に納めとけよ、やったら軍法会議だ」


車を運転している岡田の顔に向けてレーザーポインタが照射される。


「聞いてた通りだ!小賢しいことしやがる」


これが規制緩和の弊害だ。


西米内に潜伏していた共産主義者が、大手を振ってデモに参加するようになった。


彼ら活動家達は平和主義者だと名乗ってはいるが、実際のところは共産主義者だとも言われている。


ソ連の工作員も紛れ込んでいて、人権を盾に軍の活動を妨害しているのだ。


道路を塞ぐ活動家達をロサンゼルス警察が大盾で押し退ける。


「気を付けろよ岡田、ゆっくりだゆっくり進め徐行だぞ!」


活動家の群れを突破すると、先程の騒ぎとは違う、街の喧騒へと変わった。


排ガスを撒き散らすガソリン車のエンジン音、渋滞にイラついた運転手が鳴らすクラクション


全て耳障りで環境に悪いが、人の叫び声よりはずっといい。


「隣見てみろよLAVがいる!」


「M2も付いてるぞ!カッケー」


渋滞で足止め食らっていると、隣に止まったスクールバスからそんな声が聞こえてきた。


子供が先頭を行く軽装甲機動車を指を指してはしゃぎ立てている。


「隣のガキ、なんて言ってやがる?」


「カッコいいだってさ」


英語がわからない岡田に変わって通訳をした石原は、大学に居た頃を思い出していた。


皆がドイツ語を選択する中、自分は敢えて英語を選んだ。


第二次大戦でアメリカとイギリスに勝って調子に乗り始めたナチスドイツは、ドイツ語以外の言語を滅ぼそうとした。


世界の共通語になったドイツ語の軍門に下ろうとする周りの学生達と一緒になりたくなかったのかもしれない。


逆張りで選択した英語が、まさかこんな形で役に立つとは思いもしなかった。


「中隊長から全車に通達、これより友軍支配地域から出る」


車内無線からの連絡によって、観光気分から一転して緊迫したものに変わる。


「安全装置を解除しろ、薬室に弾が入ってるかもちゃんと確認しとけよ」


ビニールテープを巻いた89式の槓桿を半分だけ引く。


薬室の中には真鍮製の5.56mmx45mmCETO弾がちゃんと入っていた。


第二次大戦で仕留め損ねたソビエト連邦に対抗するべく、ドイツは東ヨーロッパ条約機構という軍事同盟を作り上げた。


共通の敵に対抗すべく、ソ連と敵対する全ての国がドイツが造り規格化したCETO弾を使うようにした。


日本も例外ではなかった。


主義主張や人種、住む場所も違うというのに、同じ敵を殺す為に僕らは握手を交わしている。


見える範囲でこれなのだから、きっと見えない部分はもっと酷いと世界だ。

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