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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

転生したら禁忌の罪を負った

作者: 矢野 奈津子

異世界転生した女主人公が、父親に媚びようとして失敗する話です。

近親相姦的表現があります。直接の濃密な性的描写はありません。


母は可愛らしくて可哀相な人だった。


光輝く水鳥の羽根のように柔らかい金色の髪と透き通る白い肌。けぶる睫毛に縁取られた彼女は夢のように美しく繊細で、小さな白い顔は妖精のごとき美貌であったけれど、夢の中の花のような美貌にふさわしく、現実を生きる胆力や決断力を持ち合わせていなかった。お伽噺の中の宝石姫のように、いつまでも少女のような人だった。


120%の政略結婚により、十代で嫁いできた王族の姫君である母は、いつまでも【お姫様】という印象であり、強くなれなかった。すぐに病身となった。緩慢な自殺であったのかもしれない。この屋敷で、彼女は一体何を見てしまったのだろうか。


自分を産んだ当時ですら、現代でいえば女子高生ほどであり、死の床につき、娘である私――セレスティアがようやく物心つくころも女子大生程度年齢であった母にセレスティアは深く同情していた。

身分や教養、この上ない血筋はあっても、美しく血筋が良く、政略的に目標達成がされた後に必要な子供が出来れば用済みの箱入り娘など、あんな夫が相手では精神的に死ぬ。他国とはいえ王家の姫君だ。普通ならば飾りとしておいておくが、用済みだと見なされたのだろう。政略結婚ならば、親子ほど年の離れた口の臭い醜男と結婚しなければいけない場合もあるからこそ、姿が良く、武勇も高く政治手腕もある夫をきっと最初は喜んだであろうに。


どこか暗い屋敷の中で、あの人形じみた使用人と会いに来ない夫に耐えかねて鬱状態になっていた。引き連れてきた使用人も既におらず、大人しく内気で、女らしい繊細さがあるだけに、一度落ち込むと深く沈み込み中々戻ってこられない性質であった。現代ならカウンセリングや対処法も薬もあるし、SNSで世界を覗けるし気晴らしも出来る。何よりこんな悲惨な結婚など中々にないから離婚も出来ただろうが、だけれど政略結婚が当然のこの世界で彼女に戻るところなどなかったのだ。


――母の泣き声がきこえる。


夫にすら怯えていた彼女であるが、娘である自分がベッドに乗り上げて懐いた素振りを見せると、縋るようにギュッと抱き締めてきた。

幼い子供以外、他に頼るものもよすがが本当になかったのだろう。可哀相な人である。血筋から殺されることはないのだから、ついて行ってあげるから、静養名目で田園生活でもすればいいのだ。でも、それすら言えないようだった。ただ、政略結婚で産んだ子供に対しても、時折怯える素振りはあったけれど、気分が良いときは子守唄を歌ったり本を読んでくれたりもした。


そんな可哀想で可愛らしい母が死んだ。


いつかこうなるとは思っていたので、悲しくはあるが覚悟は出来ていた。問題はこれからどうするかだ。無論、王族の血を引き、継承権まである子供ということで面倒を見てはもらえるだろうが、生き方という問題がある。流されるままではいけないと思っていた。


前世に読んだ流行りの定形からすると、父親が真実愛する妾が異母妹連れてやってきて蔑ろにされるのかと思いきや、そんなことはなかった。

というか、父にそんな相手がいなかったというべきか。

顔立ちはヴィランを演じるハリウッド俳優のように端整で冷徹、どこか退廃的な雰囲気を知性が引き締め、薄い唇には拭い切れない酷薄さがあった。まだ若く、こういうどこか毒のある美しい男を好む女は幾らでもいる。大層ご婦人には人気であろう。しかしながら、人間性には問題があり、貴族の差別心というレベルではないほどに強烈で、人を人とも思わない。なまじ優秀だからこそ他人を平気で見下していた。その冷血さが逆に戦場では優れた戦闘指揮官でもあるのかもしれない。サイコパスは政治家や軍人に向くと言うし、下手に共感して同情しないほうが合理的な判断を下せるのだろう。


海外ドラマの知的な連続殺人鬼かマフィイアの首領のような雰囲気のある父は、【お父さん】というよりは、どこまでも遠いように感じられた。まだ悲しんでいる母の方が共感することができた。正直、親だとも家族だとも思えたことがない。


しかし、異世界転生の定番としたら『冷徹な父に媚を売ったら溺愛された』とかが定番だろう。庇護者はもはやこの父しかいないのだ。

母の葬儀の場で父の硬質な指を小さな手できゅっと握ってみたところ、片眉をあげたが、参列者の目があるからか振りほどかれることはなかった。それでも子供が自分に懐いているのだと勘違いしてくれているほうがいい。進んで悪感情を抱かせることはない。

父は相変わらず強権的であったし、溺愛の欠片もなく、セレスティアは流れるように皇太子の婚約者として決定した。独立色の強い領土の正統性を主張し、国の利益のために王室にその血筋が必要であるからだった。


しかし、政変が起こればどうなるかわからない。王侯貴族でもいつ排斥されるかわからないのが政治というものだった。もっとフワッとした牧歌的で平和なファンタジー世界が良かったのだが、ここはどこまでも現実で、昨日の敗者が明日の勝者になることは、前世の歴史からもはっきりとあり得る事態であると戦々恐々としていた。

セレスティアは、なるべく良い子でいることに努め、知識を身につけるようにし、観察も怠らずにいるしかない。父の教育は、礼儀作法やダンス、音楽、刺繍、乗馬、外国語に教養といったものであり、良き王妃、良き宮廷女性として賞賛を集めるためのものであって、一人娘であるというのに帝王学の類は施されていなかった。この時代ではこんなものであるのかもしれない。だからセレスティアは、自分で本を読み、耳を澄まし、考え続けるしかなかった。


ただ、母方の血筋に関する錬金術とも魔法ともつかない、これだけは不思議な力でファンタジックなので気に入っていた。厳密に言えば魔法ではないが、北方には特にこういう不思議な力を持つ人間が多いのだという。庶民でも買える柘榴石を二つを使い、純度の高い美しい柘榴石を作り、石炭の一部が金剛石となるのは楽しい作業で、薬を作るのも嫌いではなかった。姫君らしくなくても勉強させてくれた。父のために必要だと判断されたからだろうが。


ある時、皇室主催の狩猟会で、社交も兼ねて連れて行かれた。

まだデビュー前ということで礼儀作法を教えてくれた伯爵夫人に案内されて、もう社交界から引退した老貴婦人たちやデビュー前の令嬢が集まる無難なお茶会に参加させてもらい、皇太子とも挨拶をした。2,3歳年上の皇太子は金髪で甘い端整な顔立ちをしていた。愛想が良く、適度に遊んでいる噂もあるがこの結婚を大切なものにしようと考えているらしく、妹にするように優しくしてくれた。皇帝は青灰色の瞳でこちらを見定めていることがありありとわかったが、それはこちらとて同じなのだから文句はない。


帰りに馬車の中で向かい合わせではなく、父のそばに座った。

もう父に期待はしていなかった。少しでも父親の愛情を求める娘に見えて情が移ればいいと思っている程度であった。名前を呼ばれ顔を上げると、唇に柔らかいものが触れた。





詳しくは知らないが、親が親愛のキスくらいおかしくない。

あの父がやるとは信じ難いが情を抱いてくれたならば、それでいいけれど、どうしても違和感が拭えなかった。そしてそれは勘違いではなかった。


父が戦争から戻ってきた頃だ。戦場での戦いは一段落し、これからは政争になるのではないかと薄々は感じていた。屋敷に来る貴族や軍人たちの話しぶりからして、戦争をしている際は国の内部も一種の戦争状態にあるのだとわかった。かつて海外ニュースなどや報道番組、ドキュメンタリーでは目にしていたが現実にすると、なんともいえない居心地の悪さがあったが、テレビもラジオもないせいか屋敷内にも戦争への緊迫感が無く、むしろ不機嫌な父のほうを警戒していたように思う。


苛立っている父に手紙や茶を持っていくようにしているのは、情報収集と媚を売るためだ。使用人もストレスを抱えている冷酷な当主に会いたいはずもなく、むしろホッとしているようだった。この頃から、自分は使用人や周囲とのクッション役のようなことをしていて、そうすると家宰が自分に話を通そうとしてくるようになっていた。セレスティア自身、それは好都合であるし、なるべく無知でいたくなかったし、他の貴族や軍人にも顔を売っておいたほうがいいとも思っていた。


「お父様、お茶をお持ちしました」

「使用人のような真似はしなくていいと言っているだろう」

「私が、お父様にお会いしたくて」


眉間に皺を寄せていた父はそれ以上、咎めようとはしなかった。

警戒心を解いて、当たりを柔らかくしてくれればそれでいい。叱られて食事抜きも頬を打たれることも少なくなったように思う。愛情は相互作用で、自分が愛されていると思って、手加減をしてくれるようになったのだろう。適当に愛情の形だけ与えておけば、この娘は従順なのだと勝手に勘違いしてくれるならば、それでよかった。


「もう子供部屋は小さいだろう。用意させるから部屋を移りなさい」


本邸でも広い部屋は元々一族でも高貴な貴婦人が使うような部屋であったのだろう。壁紙は女性的な花柄であり、優美な曲線の調度。窓枠の一つ一つにも精緻な細工が施されており、前の部屋の三倍ほどで、寝台も何人眠れるのかという広さで、逆に落ち着かないほどだ。

母は父に怯えており、また身体を弱らせていたため静養の名目で離れに追いやられていた。先代当主夫妻はすでに亡くなっているのでここは何年も主不在であったことになる。


ぼんやりと果実や花を彫り上げた天井の装飾を眺めていると、キィと小さな音を立てて、隠し扉が開いた。その時に感じたものが何だったのか、数年経過してもわからなかった。悲しみのような諦観のような、恐怖のような、軽蔑のような。その全てが異なり、全てが当て嵌ったような気もする。


「セレスティア」


自分にのしかかってきた男の体臭と重み、息の熱さに、異世界だろうとこの父親だろうと男なんて同じだと場慣れした女のようなことを思った。





父がどうして皇后にする予定の娘に手を出したのかわからない。前世の戒律が厳しい宗教のように純潔を守らなければ石打ちというほどではないし、シーツについた血で証明などしないけれど、王侯貴族の娘の婚前交渉は喜ばれるものではなく、ましてや近親相姦など醜聞中の醜聞だ。それなのにどうして、肉付きも十分ではなく、女というには年の足りない実の娘を抱くのか。


よほどストレスが溜まっていたのだろう。見慣れない煙草を口にし、あの時期は毎日のように抱かれていた覚えがある。手紙を運んだ時に、明るい時間から長椅子に押し倒されて弄ばれたこともある。教え込まれて、命じられて、前世の知識もあり、奉仕も足の絡め方も、父が望むことは一通りできるようになってしまった。そして、失敗をすれば行われていた折檻が淫靡な色合いを帯びるようになっていた。

成熟した大人の男性の欲望に応えるのだから、あからさまなキスマークなどなくとも身体の痣や寝台の痕跡で使用人は察しているかもしれないが、何も口にされることはなかった。ただ、避妊作用があるという薬湯を飲むことが日課に含まれただけだった。


大丈夫だと、所詮、血の繋がっているだけの他人だと思って、冷徹な男の愛人になったと思えばいいと納得しているつもりであったけれど、胸の空っぽになったような感覚はなんだろう。耳の奥で、母の泣く声が鳴りやまない。だけれど、それと反比例するように社交で出かけるようになると貴公子に声をかけられ、令嬢に読書会やお茶会に誘われることが増え、男女問わず、恋文も送られてきた。皇太子からは度々贈物や手紙が送られてきた。


王侯貴族御用達の避暑地は一大社交イベントでもある。


皇太子は外遊中であったが、皇帝陛下はいらっしゃっている。美しい湖が多く、冷涼な避暑地であり風光明媚な場所であった。表面上は身分に関係なくということになっており、また治安も良く、散歩程度ならばすることを許されていた。人を監視するような屋敷の人間の目も少ない。ベールつきの帽子を被り、庭園を散歩する。真っ赤な夕暮れの中をこの地方のものだという鳥が一斉に羽ばたいていた。この程度のお忍びをする人間は他国の王族でも多いようで、気が付いても指摘しないことがルールであった。


パンッと頬を打たれ、冷然とした目が向けられる。


「お父様」

「誰が勝手に出歩いていいと言った」

「…………ごめんなさい。お父様がいなくて、ひとりだから」


適当に持ち上げるようなことを言っておいたが「言い訳は聞いていない」とピシャリと突き放され、寝室に続く奥の扉を示される。夜に呼び出されたからにはこうなるとわかっていたのだ。父はその場で、身に着けているものを全て脱ぐように命じた。

拒否などできるはずがない。この数か月で、拒絶すれば更に淫靡で暴力スレスレの激しいセックスで足腰も立たなくされるのだということを教え込まれている。セレスティアはショールを落とし、身に着けていた夜着を抜いた。性分化前の未成熟な少女の白い身体が露わになる。


「こちらに来なさい」


自分を招く父の声も、欲望に擦れて濡れていた。




折檻の意味もあるのだろう、途中で飲まされた酒のためか頭が痛い。生理的な働きからなのか把握できない感情からか、とめどなく溢れる涙を見やっていた父がキツク目隠しを施した。手さぐりで探そうとしたセレスティアの華奢な手を骨張った大きな手がとる。それは父の手ではなかった。思わず引こうとしたのを押し留め、むしろ力の入らない裸の身体を抱き寄せられた。「悪いようにはしないから、大人しくしなさい」と低い声で耳元に囁かれた。


まさか、と背骨が氷の柱になってしまったような悪寒がして「おとう、さま、おとうさま」と探すと、子供がむずがるのを面白がるような小さく笑う声。


「侯爵、娘になつかれているな」

「おそれいります」


ヒクッと咽喉が震えた。この声も、こんな物言いを父に言う存在も一人しかいない。父よりも優しい手付きだったけれども、身体を暴く手はとまらない。目の前のそれへの反抗は賢いことではないとわかっていたけれど、先ほどまで散々に抱き潰され、抵抗など出来ない身体は寝台に引き戻された。身体に触れる唇と手が増える。言い聞かされて教え込まれた身体は動いて、男を受け入れた。父に抱かれた時に、もうこれ以上、傷ついたりしないと思った。自分は大丈夫だと言い聞かせた。だけれど、父にまだ期待を抱いていた自分に驚いた。この夜は、生まれたことも悪い夢でないかと思ったし、はじめて父に縋ったのにその指は絡め取られて、寝台に押し戻された。





別に積極的に死のうとしたわけじゃない。でも、母もこんな気持ちであったのかもしれないな、とふと思った。


熱を出して寝込んで、そして目覚めて、別荘近くの橋が架かった泉を見た時にふと「ここに沈んだならば、もう余計なことを考えずに済むのではないか」と頭に浮かんで、気が付いた時には泉の中に入っていた。寒いはずなのに熱があるせいか、思ったよりも冷たいと感じなかった。意識が遠のいても、ただただ、もう何もしなくていいのだと安堵した。


だからこそ、引き上げられた時には落胆すら覚えた。


自分を覗き込み、水を吐かせたのは随分と綺麗な少年だった。

衣服はどこかの使用人であるのに、外見的な美を重んじる宮廷の馬鹿雀共よりも整った顔はいっそ玲瓏と美しく、髪は冷たい銀髪で目は金色だった。アルビノめいた白さであり、北方の出だろうか、母もそうだったがあちらの人間は透けるように白い肌を持つという。だが、その目は奥底に冷たさとゆらゆらと炎のように揺れる昏さが垣間見えた。白いかんばせの下に底なし沼を隠しているような二面性を感じさせたのだ。


あぁ、この子供は魔力があるのだな、と思った。


「どこの家中の、」

「旦那様に拾われた者です、セレスティア様」


今度こそ、セレスティアは黙り込んだ。自分の家の使用人を全て把握しているわけではないが、こんな目立つ、キャラ立ち激しい美しい少年がいたならば、さすがに覚えていただろう。それをできなかったのは、最近あまりに注意散漫なのだと言外に指摘されたような気になったからだ。自分を探しに来たのならば、死んでいた場合、この少年がどんな目に合うかわからない。見捨てるわけにもいかなかったのだろう。


きゅっと赤い唇を両端にあげて造花の笑みを浮かべた少年がそれをどう考えているのか、表面上からはうかがえなかった。


見たところ魔力はかなり強い。魔力を持つ者は引きあうといからセレスティアにもわかる。これほど美しいのはその影響があるのかも知れなかった。これほど魔力が強い人間をセレスティアもはじめてみる。それなのに貴族の使用人をなぜしているのか謎だった。使用人にしては気品があり過ぎるし、顔立ちに卑しさもなく、歯並びもしっかりしている。

さっさと出て行って、同じように魔力を持つ人間の元に行くか、そういう人間が尊重される国に行けばよい。この国も公式に迫害されるわけではないが、表に出るほど強い魔力の持ち主は気味悪がられることも多く、個人で高い能力を持ちすぎる魔術師を皇室は敵対しないまでも煙たがっている。知らない裏側ではもっと酷いことが起こっているのだろうと伺い知れた。


セレスティアは首にかけられていた紅玉のネックレスを外し、水中でも外れていなかった髪飾りをとった。


「命を助けてもらったようだから、これをもって賢者たちの住まう場所に行くといい」


目の前の少年はニコニコとして受け取らない。


頭が悪いようには見えなかった。そして他の使用人とも絶対的に違うこの少年がどうして受け取らないでいるのかわからなかった。お世辞にも、あの屋敷は居心地のいい場所ではない。まともな倫理観を持って告発しようという使用人は始末されている。そもそもそんな精神性を持った人間はあの屋敷で耐えられない。母のように。


彼は結局、いくら言っても聞かずに自分を背負って別荘に戻った。

ずぶ濡れで戻ってきたセレスティアの姿に父親は使用人である少年に怒りの矛先を向ける前にセレスティアが父の前に立った。


「わざと泉に落ちたんです。死にかければ、お父様が心配してくれると思って」

「……馬鹿なことを。身体を温めてから着替えなさい」


気を引こうとしたのだという言葉に、溜息を吐いた父が頬を撫でてから屋敷に戻るのに着いて行く。ちらりと少年はやはりニコニコと笑って――嗤っていた。





自分は皇室に嫁いだならば、皇太子と皇帝、どちらの子を産むことになるのだろうか。


皇太子はますます好意的で、一緒に皇城の庭園や離宮を歩くと東屋で「君と結婚できる日が待ち遠しい」と抱き締められたことも口付けてくることもあった。瞳孔の開いた瞳をしていて、それは見慣れた目であった。自分に欲情をする男の目だ。皇太子が処女でないから怒るかどうかはわからない。姫君にも性の手ほどきのようなものはあるという。娼婦や宮廷の夫人と遊び慣れた王族男性相手に初心な姫君が苦労し、子づくりに怯えるのを防ぐためにそういうこともあるらしいが、どこまでするかは知らなかった。

セレスティアが自主的に裏切ったわけではないが、不貞であることには違いない。この皇太子は知ったら私を軽蔑するのか、罵るのか、見て見ぬ振りをするだろうか。現皇帝が崩御した後にどこかに幽閉するのか、病気ということで毒殺でもするのか。いっそ、公になってしまって全て終わってしまえばいいと思うこともある。


皇帝にはその後、何度も抱かれていた。全て父も了承済みであった。


愛人もいるらしいが、事あるごとに抱かれていた。未来の皇太子妃にと贈物も山と届いた。どうしてか「皇室に嫁いでくるのが楽しみだ」と言っていたが、それはどういう意味であるのか。息子の嫁に息子よりも先に手を付けるのが楽しいのだろうか。


もうすぐ皇室に嫁ぐことになる。


自分よりも周囲の方が盛り上がっており、皇太子との婚儀は華やかなものになると訪ねてくる貴族の令嬢や婦人たちが褒めそやしていた。それもまるで遠い世界の話のようだった。そんなある日、屋敷中の人間が皆殺しにされた。

政争による大貴族同士の殺し合いにしては静かで、他国からの襲撃にしてもあり得ない。ただの暗殺者ならば、これほど一気には殺せないだろう。この屋敷は機密性のために、貴族の令嬢や近隣の娘の行儀見習いを受け入れていないことが唯一の救いだ。

父は殺されてはいなかったが、咽喉を潰され、手足は動かない状態だった。もうすぐ失血死をするのだろう。ショック死でなかったのがおかしいくらいの大怪我をしているのが素人目にもわかった。殺しても死なないような人間でも死ぬのが現実だ。


「しかたがない方だなぁ」


父に対する感情を集約するとこれであった。寂しいような悲しいような怒っているような。恨みに思っているけれど、憎悪というほどではない不可思議な感情。きっと転生しなければ、こんな感情を抱くことは無かっただろう。いっそエロ漫画みたいに快楽堕ちして、父を心から愛せれば、こんな感情を抱く事もなかっただろうか。


今まで散々非道なことをしてきたのだからこの死は自業自得であるのだろう。そしてその恩恵で生きてきた自分も同じだ。若い娘が敵に捕まれば、どうなるかわかりきっている。だかれど、逃げる意味も見いだせなかった。父の側に座り込んで、ネックレスの蓋を開ける。


調合しておいた毒薬。いつか自分で飲もうと思っていた。これで父を毒殺する度胸もないから、こんなことになるのだと苦笑する。苦しまずに死ねるはずだが、あまり期待はしない方がいいだろう。だけれど、これから死ぬとわかっていて、心底ホッとした。こんな有様では時間が戻ってやり直しなどできないだろうし、そんな疲れることはしたくない。婚約破棄からの処刑でもあるまいし。


「そんなクズと心中なんて、ダメですよ、セレスティア様」


指先で摘まんだ丸薬がサラサラと塵になって消える。

そして手首をそっと取られて、立ちあがらせられた。目の前にいるのはかつて出会った美しい少年で、今は絶世の美青年となっていた。


揺らめく炎のような金色の瞳は、他の男と同じように瞳孔が開いて、欲望を宿していた。


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