告白
「市ノ瀬もバイトで疲れてるだろうから、手伝うよ」
「先輩はリビングで休んでてください」
有無を言わせない迫力で答える市ノ瀬。
邪魔をするなって言われている。
「はい」
荷物をテーブルに置いて後は市ノ瀬の任せると、僕はリビングにあるソファに腰を落ち着かせる。
横目で彼女を見守る。
市ノ瀬は慣れた手付きで制服の上からエプロンを羽織り、今日使うものだけを残しあとは冷蔵庫にしまっていく。
小気味いい包丁の音。
後ろをリボン結びにしたエプロンの紐と形のいい尻が揺れる。
疲れた身体は催眠術に掛かったかのようにストンと意識を失う。
「うぅ、うぐぐっうぐ」
気づいたらソファで横になって眠っていた。
ただ呼吸がし辛い。
それで起きた。
すっぱいような甘いような不思議な匂い。
「起きました?」
市ノ瀬の声。
視界は暗く、不思議な匂いも続いている。
目の前にある何かがその正体だ。
「……じゅる」
急に視界がクリアになる。
「……っ」
「あ」
ものすごい顔で睨まれてる。
無表情なのがものすごく怖い。
本気で怒っているわけではないのが長年の付き合いでわかるけど、怖いものは怖い。
「すんません」
「とりあえず謝っておけばいいとか思ってませんか?」
「すんません」
「どうでしたか? 女子高生の蒸れたストッキングの味は」
「ごちそうさまでした?」
「じゃあ夕飯はいらないんですね」
「いります! ご相伴にあずかります!」
「ふふっ。早く席についてください」
でも、僕の顔を足蹴にした彼女が悪いと思う。
豪華な食卓というわけでなく、一般家庭の料理。
市ノ瀬ならどんな料理でもできそうだけど。
でも僕はこういう素朴な料理のほうが嬉しい。
「春人さんたちは?」
「母さん迎えにいって、そのまま少し呑みに行ってくるだそうです」
「相変わらず仲いいね」
「そうですね。理想の夫婦だと思いますよ」
市ノ瀬夫妻は月に1,2度二人で外食や呑みに出かけるし、定期的に旅行にも行ってるようだった。
おしどり夫婦という言葉はこの夫妻のためにあるようだと思っている。
「もう夜遅いですけど、泊まっていきますか?」
言われて時間を確認する。
8時をちょうど過ぎたところだ。
夕食が終わって片付けを含めると9時ぐらいになりそうだ。
「そうしよっかな」
「着替えはいつものところにありますので」
「わかった」
勝手知ったる他人の家。
バイト帰りにちょくちょく越させてもらっており、寝巻きや変えの下着類なども準備されている。
変わった関係だなーって思う。
しばらくして食事も終わり、片付けも終わった。
お風呂の準備をしてくると言って市ノ瀬は姿を消していた。
食後のコーヒーを淹れておく。
この辺は好きにしてくれていいと言われているので言葉に甘える。
僕はコーヒー派ではあるのだが、市ノ瀬は紅茶派。
けれど嫌いではないらしいが甘味が入っていないと飲めないらしい。
「コーヒーありがとうございます。……ニガ」
「そっち僕の口つけたやつ」
「すみません。気になるのでしたら交換しますが」
「市ノ瀬の分ミルクと砂糖いれちゃったからそのままでいいよ。間接気にするような歳でもないから平気」
ミルクを入れているのだから薄茶色の液体。
それがわからない市ノ瀬ではない筈。
これが春人さんの言った抜けたところだろうか。
可愛いところもあるもんだ。
「先輩って私のこと市ノ瀬としか呼ばないですよね」
「どうした?」
「いえ、父さんの前でも市ノ瀬と呼んでいたので」
「?」
「私も父さんも反応してしまったので紛らわしいな、と」
そう言えば、初めて春人さんに会った時もそんな反応していたのを思い出す。
今でもたまに二人してこちらを振り向く姿が面白く感じる。
しかし、今日は市ノ瀬の方から話しを振ってくるな。
いつもは僕が適当なことを言ってそれに付き合うような感じなのだが。
ほぼ丸一日一緒に過ごしているからそう思えるのだろうか。
「今更な気もするんだけどな」
「父さんも母さんも名前で呼んでるので、私だけずっと名字呼びはちょっと違和感すごいんですよ」
「そんなもんか」
「そんなもんです」
「夏菜」
「……はい」
「これでいい?」
「はい」
表情は変わらず、いやほんのり恥ずかしいのか視線を僕からずらしている。
恥ずかしがるなら言わなきゃいいのに……。
こういうところは年下の女の子だなって感じる。
「お風呂が湧くまで少し外を散歩しませんか?」
「いいけど」
いつになくやっぱり市ノ瀬は積極的だ。
ただそっちから誘ってきたわりに散歩道では会話もなく、ぶらぶらと歩く。
中学以来だろうか。
自由に出来るバスケットゴールのある公園。
良く一人で練習したものだ。
「久しぶりですね」
「そうだなーって、僕。市ノ瀬……、夏菜とここ来たことあったっけ?」
「なんですかフルネームで。恥ずかしい、早く言い慣れてください」
「悪かったな」
「まぁ、いいですよ。あと先輩とここに一緒にきたことはないですね」
「なんで知ってんの?」
「家の近所ということもありますが、私もよくここに来ていたので一方的に知ってるだけですね」
なるほど。
確かに夏菜の家から然程遠くない。
僕の家から少し離れているけれど、中学時代の下校ルートに入っている。
「また今度1on1しますか?」
「夏菜はほぼ現役だけど、僕はもう1年もボール触ってないからな」
「でも先輩身長また伸びましたし、私3ポイント止めれないと思うんですよね」
夏菜は背伸びをして、僕の頭に手のひらを当てようとする。
「夏菜とやるなら練習してからかなぁー。勝てるビジョンが浮かばないや」
「まだ私に勝ちたいと思ってるんですか?」
「そりゃそうだよ。何一つとして勝ててないからな、せめて一勝ぐらいしたいじゃないか」
「相変わらずですね」
僕から距離を取り、くるっとターン。
制服のプリーツスカートがふわりと舞う。
「私も先輩に負けっぱなしですよ」
「え?」
「気付いてないって顔してますね。今日は結構攻めたつもりなんですけど、今日も私の負けですね」
一歩一歩、夏菜は僕に近づき。
僕の胸に彼女は人差し指を突きつけ円を書くようになぞる。
「惚れたほうが負けっていうじゃないですか」