ミライがいない未来
ミライがいなくなるなんて
考えられるわけがない。
吹奏楽部で中高一緒だったし、
帰り道もずっと同じだったし。
でも当たり前が壊れるのは
一瞬なんだと気づく。
高校を卒業して私は就職した。
ミライは彼氏と一緒に大学へ進学。
ミライの事なんか忘れて、私なりに幸せな人生を送っていた矢先、訃報が届く。
“ミライが死んだ”と
焼香の前でずっと正座している人間がいる。
それはミライの彼氏だった。
「俺さ、ミライがいなくなるなんて考えられないよ」
などと彼は言う。
思考が一緒だったので腹が立った。
ミライと私の時間を奪う立場の人間のくせしてその情けない顔はなんだと叫びたい。しかし私だって分別を弁えたレディーだ。そんなことはしない。
骨になって仕舞えば
もう居ないんだって思ってしまって、
すこしつらい。もう出し切ったはずの涙がまた出てきそうになる。
しかし堪える。
なんてったって私は分別を弁えたレディーだ。人前で泣く事なんて出来ない。
だけどあの彼氏は情けない顔で泣いていた。
箸で掴んだ骨を2つに割ってしまうくらいに体に力を入れて強く涙を振り絞っていた。
顔をブサイクに引き攣らせて、惨めな顔で泣き喚いていた。
「彼氏なら泣くな!ミライを悲しませるな!」と言いたいけれど、今は気持ちを抑え込む。
私も同じ立場なら多分泣いていたと思うから。
「逃げよう」
それがミライと私の口癖だった。
私たち2人は色々な事から逃げた。
夏休みの宿題、試験勉強、
先生に、将来の不安。
そして逃げた数と同時に彼女との思い出は増えていった。
なので私たちはとある一種の非行少女だったわけだが
“逃げ”がそのまま幸せに直通していると信じ切っていたので
なにも問題に感じることはなかった。
ミライと私は逃げることに関してはプロの領域だった。
しかし彼女は結局死からは逃れられなかった。
私だけ、こんな世界に生き残ってしまったのだ。
それは、憎たらしい彼氏も同じ。
桜並木を市営バスが通る。
車窓から見る夕焼けに照らされた桜はえも言えぬものがある。
しかし隣にはアホ面彼氏が座っている。
まったく、風情が台無しだ。
帰り道が殆ど同じだなんて知らなかったぞ。
昔、授業を抜け出してイオンのフードコートに行った時、こんな話をミライからされた。
「私ってそんなに美少女かなぁ〜」
恐らく彼氏からおだてられたのだろう。
その時のミライの目は美しく輝いていた。
その時私は、自分は今までの平穏が崩れ去ったような気がした。
今まで私と同じ目をしていたはずのミライが、全く違う目になっているのだ。
今まで居場所がなくて
それでも同じ境遇のミライと一緒にいれば
安心感があったのに
ミライの目は、もう今では私と全く違う。
私のどす黒い目とは対照的に、輝いている。
彼氏という存在のせいで私たちは切り離されたのだ。
それから、ミライは私と会う回数が減っていった。
ミライは受験勉強、私は楽な道を選び、適当に就職すると決めた。
そんなだから、必然的に会話も減っていった。
秋ごろにはもう一緒に帰宅する事も、会話をする事も無くなった。
高校を卒業しても、特に連絡を取る事もなかった。
結局彼女は私をどう思っていたのだろうか。
今ではもう分からない。
けれど、多分彼女は私なんかと付き合うことで幸せから遠ざかるという事を直感的に理解したのだろう。
私なんかよりもミライは彼氏と一緒にいた時の方が輝いていたと思う。
私の入る余地はどこにもなかった。
私とミライはもう、割れたガラスのように元には戻らなかった。
今まで彼氏を寄生虫と思っていたのに、
本当のミライの寄生虫は私だったのかな。
「…おい、おいおい、何泣いてんだよ」
と、隣の彼氏が私に言う
「あ…あれ…もう涙出ないはずなのに…」
止めどなく溢れる涙。頬に伝ってそしてこぼれ落ちて、そのリズムは徐々に早まってゆく。
これだけ泣いてもミライは戻ってこないし、
ミライは彼氏を好きになって、成長して、私を忘れた。その事実は消えない。
なのになんでこんなに涙が出るんだろう。
突然頬に柔らかい物が当たる。
それは奴のハンカチだった。
「…貸すよ。俺はお前になんて思われてるかわかんねえけど…まあ少なくとも良くは思われてなさそうだけどな…とりあえず、まずは落ち着け」
私はそのハンカチで思い切り顔をふく。
「…ありがと」
「うん」
彼は胸ポケットにハンカチをしまった。
その胸ポケットには赤色の見事な刺繍が施されていた。
「それ…」
「ああ、この刺繍?これはね、ミライが縫ってくれたんだ。ミライ刺繍得意なんだよ。知らなかった?」
「…そ、そうなんだ」
ミライは手先が不器用なものだとばかり思い込んでたので、驚いた。
「縫い物をする時、決まってくしゃみをするんだ。おかしいだろ?」
笑いながらそう呟く彼氏。どんどん知らない事実が彼の口から放たれてゆく。
そこで私は気づいた。ミライはもう私とは完全に違う世界の住民だと言う事を。いや、気づかないフリをしていたのだ。またミライと一緒に幸せな毎日を送れると信じていた。願っていた。
しかしもう彼女はすでに私の側から離れ、私との関係以外の居場所を彼氏に見出し、そしてついに天国にまで旅立ってしまった。
私は心の安寧のため、その事実に気づかないふりをして逃げた。私の人生は逃げてばかりだ。
「もう、逃げるのは嫌だ」
私は覚悟を決める。
「…え?」
親友のミライは現実から逃げなかった。なら私も同じ道を歩きたいと思うのは当然だ。私はもうミライがいない現実から逃げ
たりはしない。
さようなら、今まで楽しかったよ
だからその分別れるのは辛いけど
きっとまた、違う世界で会えたらいいな
私はミライがいた世界から別れを告げた。
バスが赤信号で止まる。外の桜吹雪は一層勢いを増し、灰色の地面をピンクに染め上げる。窓の向こうの夕焼けは、ピンクの街並みを温かく見守っている。ミライがいなくなった世界は何一つ顔色変える事なく、死にかけの太陽に寄り添っていた。
「私、頑張るよこれから」
「…そうか、なんだか知らんが、応援するぞ」
「ねえ、ミライの彼氏くん」
「ん?」
「ミライのこと、本当に好きだった?」
「う…うん、まあね」
「今でも愛してる?」
「当たり前だろ」
その答えを聞いて、安心した。
私は笑顔が溢れる。
「…絶対にこれからも忘れない?」
「忘れないよ、忘れるわけがない」
バスが減速する。バス停が近くなったのだ。
このバス停は私が降りる所。
「…忘れたら死刑ね!」
「え…はあ…!?どういう意味…」
そう私は彼氏に言い捨てると、何も言わぬままバスを降りてしまった。
バスは発車する。私の意図を測りかねた彼氏は窓からジェスチャーで何か私に質問を次から次へと投げかける。
でも私はそれが面白くってたまらくて、答えないままそのバスが見えなくなるまで見守った。
桜が雪のように道の脇に降り積もっている。それを私は思い切り蹴り飛ばす。なぜか、面白くもないのに、私は笑い出す
この先どうなるかは分からない。また終わりのない悲しみが世界を覆うかもしれない。けれども、世界が真っ暗になったとしても私は1人で生きていけると思う。
ミライからもらったあまりにも多くの大切なものは、ミライがいない未来でも、ずっと永遠に残り続けるだろうから。