02 ある帝国貴族の没落、あるいは父の思い出
連邦国家である我が国は、皇帝陛下に忠誠を誓った各地の領主が、帝国全体の防備と福祉にお仕えするという形で成立している。ファーンデイル伯爵領は、国土の東北部に位置した。帝都と比べて雪の多い地方である。もっとも、トマスと結婚していた十年ほどの間、私は、伯爵領を一度も訪れたことがない。それどころか、帝都を一歩も出たことがなかった、という方が正確である。
ただ、これは、貴族の妻としてさほどめずらしいことではなかった。
帝国は、各地の諸侯の反乱を防ぐ方策として、帝都に屋敷を構えさせ、正妻をそこに住まわせると同時に、領主と血縁の近い一族の人間に、兵役を課していた。領地経営のため、帝都と領地を行き来しなければならない領主にとって、帝都に残す妻やその子ども、そして帝国軍に所属する近親者が人質となり、むやみに反乱を起こせないというからくりである。そのため、ひとたび貴族の正妻となってしまえば、気軽に帝都を離れることはできなかった。
貴族の正妻が帝都から出るには、その行き先が領地とは関係のない旅行だったとしても、気が遠くなるほどの申請書類を提出する手間と時間、それから莫大な袖の下を費やして、宮廷発行の旅行許可証をもぎ取るしかないのである。ましてや、貴族の正妻が領地に向かうことを許可すれば、人質の意味がなくなる。
帝都で縁組された貴族の正妻にとって、婚家の所領はいわば月面の大地ほど訪れることが難しい土地となるのである。結婚を機に生まれ育った実家の帝都屋敷から嫁ぎ先の帝都屋敷へと引っ越すだけで、婚家の領土を一度も訪れることなく帝都でその生涯を閉じる夫人方の方が一般的と言えた。
私は、パインウッド男爵の姪という、貴族社会ではいわば底辺の、ごく気楽な環境で生まれ育った。
父の兄である伯父が家督を継ぎ、父は宮廷に兵役で仕えていた。伯父には子どもがいなかったが、健康で若いうちはまだそのうち世継ぎが生まれるだろうと楽観的でいたようだ。そうも言っていられなくなってからも、後継ぎをどうするかという話は伸ばし伸ばしにされていたらしい。
だがその矢先、私が十歳のころに、伯父夫婦が流行り病によって相次いで急死した。その結果、もっとも近い血縁者であった父に、望みもしなかった家督が転がり込んだのである。
以来、父の生活は一変した。
急に降ってわいた財産と責任に、父は自分を見失った。
もともと、さほど身体が強くなかった母は、そんな父といさかいが絶えなくなったが、その心労がたたったのか、次の年の冬、伯父夫婦と同じ流行り病にかかってあっという間に病状が悪化し、亡くなってしまった。
そのころから、父は、捨て鉢のように酒と賭け事にのめり込んでいった。
私は十三になったら、貴族の慣例に従えば、寄宿制の帝国女子学院に通うはずだった。だが、父がそんな状況である以上、私の学問のことなどに気を配ってくれる人間は誰もいなかった。今にして思えば、当時から我が家の財政はもう火の車であったのだろう。男爵家の令嬢として恥ずかしくないレベルの学園への寄付どころか、規定通りの授業料ですら、納付するのは困難だったはずだ。
私はどこに行く当てもなく、書斎にあった、伯父の遺した蔵書で勉強した。父が売ってしまうため本が減っていき、それもままならなくなると、午前中は帝国図書館にいって勉強し、午後は家で絵の練習をして過ごした。
絵画は伯父夫婦の共通の趣味で、彼らのお気に入りだった私は、男爵邸の絵画室に入り浸っては、伯母に手ほどきを受けて水彩画を描いたものだった。その頃、男爵邸の壁には沢山の絵画が掛かっていたが、それも、父に代替わりしてから、櫛の歯が欠けるようになくなっていった。
使用人も一人減り二人減り、私は孤独だった。
このままではまずいということは漠然とはわかっていたが、まだほんの十代前半だった私には、父を止めることはできなかった。
そして、あの、運命の日がおとずれたのだ。
父はその前の晩、夜遅くまで帰ってこなかった。そんなことはもう度々で、私は慣れっこになっていた。
戸締りをして一人で就寝した、あくる日の明け方のことだった。勝手口のドアをどんどんと叩く音で私は目を覚ました。
その前の週までは、それでも辛うじて残っていてくれた侍女が、来客に対応してくれたのだが、良い奉公先が見つかったと言って暇をとったばかりだった。まともにお手当も出せていなかった状況では、引き留めることもできなかった。
ひどく冷える日で、私は袖丈がつんつるてんになってしまっている夜着の上に母のお下がりのショールをきつく巻き付けて、勝手口を細く開け、覗いて訪問者を確かめた。
そこにいたのは、制服の警察官だった。この近くを担当している巡査だったら顔見知りのはずだが、見覚えのない男だった。繁華街のある地区に勤務する巡査だと名乗った後で、事務的な口調で彼は言った。
『昨夜、スノウシャペル地区で荷馬車に接触する事故にあってお亡くなりになった方が、周りの方々の証言によると、こちらのご主人であると。身元を確認してもらいたいのです。侍女殿から、お身内の方に取り次いでいただけますか』
まさか彼も、粗末な木綿の夜着の上からショールを巻き付けただけのみすぼらしい娘が、男爵家の令嬢だとはゆめゆめ思わなかったのだろう。
私は急いで身なりを整え、他の誰に頼むわけにもいかないので、彼について遺体収容所に向かった。そこで、変わり果てた父と対面したのである。
◇
ファーンデイル伯爵邸にほど近い街の宿屋の居間は、私たちの一行が到着するときにはすでに居心地のいい温度になっているよう、あらかじめ準備されていたようだった。暖炉の中では、太い薪がパチパチと音を立てて、威勢よく炎をあげていた。ちらちらと、小さく火の粉が踊る。
私は古びたコップの水に、絵具で汚れた筆を立てると、小さくため息をついた。
印象を忘れないように描きとめるスケッチとしては、十分な出来映えだと思う。
先ほど馬車の中から見えた、美しい赤い橋がたたずむ雪景色の絵だ。
強く印象に残ったイメージは、こうして描きとめてしまわなくては、気が落ち着かない。
私の身の回りのことに私より良く気がつくサンディが、手回り品をまとめてくれた小さなボストンには、小さなスケッチブックと鉛筆、固形絵具がきちんと収められていた。私のこうした気性も、旅先で見慣れないものを見るたびに私が絵を描きたい衝動にかられるであろうことも、彼女は先回りして予測してくれていた。
そのサンディは、使用人の休憩室に軽食をとりに行っている。絵を描いている間は彼女の手を煩わせることもないので、下がらせたのだ。
テーブルの上では、私のために用意されたミルクティーとスコーンが、すっかり冷めてしまっていた。
申し訳ない気持ちになりながら、私はそれを口に運んだ。スケッチを描きたい衝動のほうが強くて、後回しにしてしまったのだ。温かいうちであれば、きっともっと、おいしかっただろう。だが、冷めていてもふんわりと香るバターの香りや、素朴な小麦の味わいは、控えめながらほっとするもてなしだった。
ミルクティーの優しい味わいが、かみしめるほどに滋味にみちた小麦の焼き菓子を喉の奥に運んでいく。これ以上こってりしたものを出されても、えんえんと続く馬車の振動に耐えてきた私の脆弱な胃腸では、持て余してしまっていたに違いない。
帝都から伯爵領の本邸に向かうときは、ここで従者や馬に軽く休憩を入れさせつつ、早馬を本邸に送って、屋敷の使用人たちが出迎えの準備をする時間を作るのだという。
冷めた紅茶でのどを潤し、ようやく一息ついた私は、辺りを見回した。そこは、こじんまりと実用的なしつらえながら、品の良い家具や最小限の装飾が好もしい、居心地の良い居間だった。今日のように、領主や、おそらく格式の高い来客が本邸に到着する前に立ち寄る場所でもあり、本邸に泊める程の格式でもないが気をつかってもてなしたい来客を滞在させるような宿でもあるのだろう。
暖炉の上に掲げられた、緻密な刺繍のタペストリーが私の目を引いた。
ファーンデイル領の重要な特産品の一つが、刺繍をほどこした手工芸品である。
よく見ようと、立ち上がって近づいた。
深紅の小鳥が二羽、雪があちこちに積もるモミの木の枝で寄り添っている。この地方に生息する、バーミリオンという種の小鳥である。刺繍は名人の手によるものであろう。最近ようやく庶民階級にまで普及し始めた写真にも劣らない精緻な表現に、うっとりと見入ってしまった。
『ファーンデイル領はファーン刺繍の本場なのだ。ほかのどの地方にも、あの鮮やかな色遣いと写実的で繊細な表現のできる刺繍技術はない』
夫の誇りに満ちた口調が脳裏に蘇った。
また、喉の奥にちくちくとした痛みが居座った。