07. 町と灯りと
起きてから熊モドキの肉をたらふく食べて、小夜とアリアは出発した。
肉は癖が強く固かったが、とにかく豊富な量が有難い。食べきれない分は他の獣が処理してくれるだろう。
昨晩からしっかりとした食事と睡眠を補たからか、それとも森を抜けられる希望からか、小夜はなんだか足が軽く感じた。
「あ……」
だんだんと霧は薄くなり、鬱蒼とした森に光が見える。
思わず駆け出し、木々の遮った陽射しの下へと小夜は踏み入れた。
眩しさに包まれ、何度かまばたく。一面に広がるのは青空と、森のくすんだ色とは異なる緑を、風が撫でている。
太陽はこんなにも明るく暖かいものだったのだと、初めて知ったような気がした。
「アリア! 外だ! 外だよ!」
溢れる光の中、小夜は喜びに振り返る。
「……アリア?」
少年は森と光の境界線で立ち竦んでいた。
何もない足元を見つめ、厚い壁でもあるみたいにその一歩を踏み出さない。
「どうしたの、おいで」
小夜が声を掛けると、アリアは緩慢な動きで顔を上げる。
「さよは、それをのぞむ?」
「……言ったでしょ、放っておけない。それともアリアは森に残りたいの?」
表情を一切変えないアリアに、怪訝に小夜は尋ねる。「わからない」とアリアは他人事のように呟いた。
「私も何も持っていないし、この世界の知識もほとんどなくて、これからどうなるか不安だよ。でも私は生きたいし、帰る方法を探したい。その中で、あなたの手掛かりも見つかるかもしれないよ。私といっしょに行こう アリア」
アリアは小夜を観察するように眺めると、一度足元を見て、前へと歩み出す。
陽の下で見る碧い瞳は、森の中で見るよりも深く、煌めく海色をしていた。
「行こう」
確認するようにもう一度声にして、小夜はかすかな希望の光が、込み上げてくる不安に消されないよう歩き出した。
◆
流れる川に沿ってふたりは進む。時折小高い丘やちいさな森が点在する、なだらかな緑が続いていた。
「たべられる?」
突然しゃがんだかと思うと、アリアは野苺を摘むのと変わりない動作で、蛇の頭を掴み上げた。一度噛まれたら外れなさそうな深ーく長ーい牙に、どこか恨めしそうな眼が小夜を睨む。
「……善処する」
口に入れるまでに様々な葛藤があった小夜だが、淡白で食べ易かったので一メートルほどの蛇はぺろりと胃袋に収まった。
アリアは相変わらず小夜が食べると後に続くが、極端に少食である。
量で言えば、幼児用のお椀一膳分といったところで、妹も少食な方だったがその半分以下なのが小夜は気になる。
「さよ、それひつよう?」
「うーん、売れたら良いなあと思って」
蛇の皮を洗いながら小夜は答える。
夢の中で見た街並み、露店には毛皮やなにかの鱗を売る店もあった。
半透明の鱗は淡いエメラルドグリーンをしていて、なかなかに綺麗だと小夜は思う。装飾品向けでなかろうか。
「じゃあ、まだいる?」
「いや、お金になるか分からないし、荷物になるからいいかな」
要ると言えば、アリアはそこら辺の蛇を根絶やしにしそうな気がした。
休憩を挟みながら、体感として五キロは歩いただろうか。
小夜の目にも町並みを確認して気持ちが浮上するが、自分の姿に視線を落とす。
――……怪しまれないかなこの恰好
溶けたり破けたりした箇所を鋏で切り、縫い、膝丈スカートはミニ丈に。長袖はノースリーブになった。
制服で進学を決める生徒もいるデザインは、小夜も気に入っていたのだが。小夜はナメクジと熊が嫌いになった。
――アリアは……何とかなるかなあ
所々弛んでしまった箇所を直してやろうと、小夜はアリアの黒衣を解く。
改めて、奇妙な出立ちだと思う。マントですらない一枚の大きな布は、漆黒だが光にあたると薄っすらと模様があると気が付く。凝ってるな、とよくよく見れば、アリアのタトゥーに似ていた。
――こういうの、実は家紋か何かで血筋がわかる……とか都合良すぎかな
首から下を模様が埋め尽くすアリアは、肌着すら身に付けていなかった。
持ち物といえるのは、この布と枷だけだ。
子供の首に枷があるのはあまり良い気分がしなくて、小夜はスポーツタオルをマフラー代わりに巻いて隠した。
◆
「わあ……」
夢で見た風景に似た、石畳の道と屋根に小夜はほころぶ。
水が豊かで水路が多く通り、大小様々な水車があちこちで回っている。花壇もよく目立ち、季節の花が彩る大きくはないが穏やかな町並みだ。
ただ小夜の姿はやはり目を引くらしく、通り過ぎざま視線を感じるし、町に入る際も声こそ掛けられなかったが、門番が不審そうにしていた。
アリアもきょろきょろと周囲をよく見渡しては道を逸れていく。
しかしそう遠くは離れず、満足すれば小夜の元に戻って来たので迷子の心配はなさそうだ。
「お嬢さん、旅の人かい? 見事な赫髪だね」
バザー通りらしい一角で、呼び止める声があった。
赤い髪の人間は小夜しかいないので振り向くと、陽気そうな中年の露天商がいた。
「そんなところです」と苦笑して、小夜はその店の品物に目を向ける。反物と装飾品を主に扱っている雑貨店らしい。
「その髪、染めた色じゃないだろう。切る予定があるなら買い取るよ。どうだい?」
「髪が売れるんですか?」
「そちらさんじゃあまりない風習かな? ここらでは普通だよ。珍しい色や質の良いものなら、かつらや装飾などに使われるのさ。あんた、それだけ手入れされた綺麗な髪だ、長さによっちゃ三万クラウン出せるよ」
――三万、クラウン……じゃあ、やっぱりこの文字は
数字だ。読み方は地球と同じく、単価が高いほど桁が増えていく。
花一輪が一から二桁。魚一匹が二桁から三桁。三桁の数字を並べた店は食堂、四桁ともなると店構えの規模からして恐らく宿場。
見掛ける看板が示すこの世界の文字は、英数字と形がよく似ているので、憶え易い。
――……というより、知っているんだ
運搬を生業としている青年、風の吹くまま旅をする老女、書き取りの勉強をしている最中の女の子もいた。
夢だと思っていた、彼らを通して見ていた文字、言葉が、小夜の中に蓄積されている。
「……褒めてくださってありがとうございます。でもそこまで言ってくれるなら、もうちょっと弾んでもらえると嬉しいかな。それから、他にも買い取れそうなものを見てほしいのですが」
お金は多いに越したことはない。小夜の商魂逞しさに、店主は一瞬目を丸めたが大きく笑って承諾してくれた。
「それにしてもその恰好といい、何処から来たんだい」
「……ちょっと森の方から……」
引き攣った笑みで小夜はごにょごにょ答える。
鋏で処理し、穴を縫い塞いだ制服はすっかり憐れな状態で。今もっとも困る質問である。ナメクジめと小夜は内心でもう一度罵っておく。
「森? まさか、帰らずの森を抜けて来たのかい? こりゃ驚いたな」
「帰らずの、ですか」
「あの広大さと魔物の棲家だと言うじゃないか、磁場を狂わせる妖精もいて、まず生きて帰れない死の森と言われているよ。やあ、ますます気に入ったね」
商人のおじさんは買取価格に少し色を付けてくれた。
小夜は生きているって素晴らしい!と背筋を冷たくしながら思う。戻って来たアリアの頭をわっしゃわっしゃと存分に撫でておいた。
◆
店主に礼と別れを告げて、すこし潤った財布から、小夜は古着だが一番値段の安いチュニックと子供服、靴を買った。
着替えも兼ねて宿を取り、小夜たちは改めて町を巡る。
「アリア、なんで黙っているの」
慣れない靴を気にしながら付いて来るアリアに、尋ねるも応答はない。
小夜の髪が短くなったことに驚いたらしく、ずっと口をつぐんでいる。胸下までの髪がショートボブになり、小夜自身はさっぱりしたものだ。サバイバル中は邪魔で仕方なかったので、案外未練はなかった。
――そう簡単にはいかないか
プルミエールというこの町を、暫く拠点にしようかと考えていた小夜だが、どうにも晴れやかではない。
目に付いた飲食店などに入っては交渉してみるが、中々雇ってはもらえないのだ。
明日、もっと大きな街へ行く馬車が出るらしいので、さてそれに乗るかどうか。
「なんだろう?」
通りも奥まったところで、人集りが出来ている。
何か催し物でもあるのかと、小夜も好奇心につられて近付く。
「さあさあ張った張った!」
男の声が招く光景、小夜は人影の合間に見えたそれに絶句した。
手足に枷を付けられた女性が、生気のない顔で立っている。
その背後にも若い男性と、子供といえる姿の者まで、皆同様に自由を奪われていた。
人集りからは千、三千と数字が上げられていく。
――競売だ。商品は、人間
それを理解して、小夜は唇をわななかせた。
「さよ?」
はっと小夜は碧い瞳と視線を合わせる。
労わるように手を握って来るアリアに、よほどひどい顔色をしているらしいと理解して、小夜はその手を握り返すとすぐに通りを抜けた。
◆
宿に戻り、とうとう屋根のある部屋と寝台で身体を休ませることができる。
だというのに、小夜は先程見た光景が頭から消えない。
――あれは、奴隷というものなんだろうな
反対側の寝台で、ふかふかの感触をつついて遊んでいるアリア。
買った服にも着替えて、普通の子供に見えるというのに、その首には重たい枷が掛かっている。
――アリアは奴隷から逃げたのか、何かの理由で森に迷い込んだ……または、すてられた、のかもしれない
記憶を失った理由も定かではないし、憶測でしかないけれど。
――森から出るのを躊躇ったのは、そのせい? 記憶が戻るのは、アリアにとって本当に良いこと?
アリアは魔法が使える。おそらく、非常に強力な。
そんなアリアにとっては、食料にも困らず、危険を避けて森で生きる方法もあったのだろう。この選択は正しかったのか、小夜には分からない。
「さよ」
「うわっ!?」
突然間近で顔を覗き込まれ、小夜は仰け反った。
危うく寝台から落ちそうになるが、腕を掴まれて引き戻される。細い腕のどこにそんな力があるのか。
「んえっ?」
アリアはじいっと碧い瞳で見つめると、小夜の頬を両手で挟んでむにむにと揉んだ。
――な、慰めているのかこれは?
呆気に取られて好きに弄ばれているうち、ふっと小夜はちいさく吹き出した。
「ごめんね。大丈夫だよ」
気持ちを切り替えて笑顔を作ると、小夜もアリアの頬を軽くつまんで、撫でた。
「よし。アリア、ご飯食べに行こう! この世界のご飯は初めてだから楽しみだなあ。その後はお風呂! お風呂もやっと入れる!」
小夜はなんだかわくわくして来た。
不安ももちろんあるが、悩むより楽しんでしまった方がいい。
小夜の笑顔を見て、アリアもようやく笑うと喜びを表すように額をくっつけた。