03. ふたりぼっち
「……外れない……」
枷を外してやろうと試みるも、引っ張っても叩いても壊れるわけもなく。鍵穴はあるが継ぎ目はなく、精巧な技術が窺える。小夜は歯痒い気持ちで諦めた。
鎖で繋がった懐中時計だと思ったものも、よく見ると文字盤に数字はなく、星図や魔法陣を彷彿する細かな模様が刻まれている。
一本の針こそあり、動いた気がしたが静まったままだ。羅針盤みたいなものかもしれないと小夜は思った。
――なんとも落ち着いた子だな
言葉少なく大人しい子供だ。
歪みのみられない、人形のように平均の取れた顔立ちは、可愛らしいが中性的といえる。「おれ」と自身を呼ぶので少年だろう。
黒衣から伸びる足には、装飾的というより、呪術的な印象の模様が描かれ不気味さを感じる。
小夜は裸足が気になって、弁当袋をほどいて縫い合わせた。簡易な作りは足袋とも靴下とも呼べないが、多少の保護にはなるはずだ。非常に不恰好かつ雑なのは、時間がないからであって、決して断じて小夜が不器用なわけではない。
――この子も、もしかして私と同じ状況だったりするのかな。うーん、でもなんか、人見知りというより拙いような……
その間いくつか質問をしたが、いずれもこの場所や少年の手掛かりは得られなかった。
少年はひとりらしい。近くに町があるかどうか、ここがどこなのかも知らない。
同じ歳頃の女の子も、幸か不幸か見ていないそうだ。
「でも、いないとおもう」
「どうして?」
「みたひかり、いっかいだけだから」
「光?」
それが何を意味するかは分からないが、小夜はそうであればいいと思った。響が無事でいてくれると信じたい。
――……響もこの森にいるのかどうか、それだけでもわかればいいのに
じいっと少年は小動物のように小夜を見つめる。大きな碧い瞳はどこか好奇心を持っていて、なんだか愛犬を思い出してしまう。
「……私の名前は小夜。奏 小夜」
「さよ」
「そう。あなたの名前は?」
少年は首を傾げた。小夜は嫌な予感がしてしょうがない。
「なまえ?」
やっぱり。記憶が色々飛んでいるのか、自分もこうなっていたらと考えて、小夜は身震いした。
「さよ。さよ」
少年は憶えたての言葉を口遊んで、満足そうにしている。小夜はなんだか緊張がほどけてしまった。
「……私もここがどこなのか分からないけど、一緒においで。放っておけないよ」
小夜の提案に、少年はまばたきを一度ぱちりとして、にこっと愛らしい笑顔を見せた。
――お。笑った。
小夜も満更でもなく気分が良くなって、少年の頭を撫でてやった。
「……きっと大丈夫だから。なんとかなる」
ひとりでいるよりも心強い。そして、少年を守らなければならない。
そう己を奮い立たせて、小夜は悲鳴をあげる身体を立ち上がらせる。
◆
気を抜くと意識を手放しそうになる。その度に小夜は頭を振った。
――この子が眠れそうな場所を、せめて
それだけが今の小夜を支え、歩かせる。
暗くなっていく森に、近付いてくる恐怖に、足が早まりそうになるが少年がいる。焦ってはいけない。
やがて少し、開けた場所に出た。
ぽっかりと空いた平地は横になれそうだが。
――どうする。これ以上歩いても、もうすぐ何も見えなくて危ない。でも今は自分ひとりじゃないんだ。判断を誤るな
恐ろしい闇の足音が聴こえる。
〝もしも〟の数だけ小夜の頭を重たくして、考えが鈍っていく。
そんな小夜を置いて、少年は気ままに平地に座った。
来ないの?とでも言うように見つめる少年に、小夜はやや考えて、少年の隣に腰を下ろした。
――そうだ、今は自分ひとりじゃない。この子を休ませることも考えないと。体力が私と違う。自分のペースで動いちゃだめだ
ふうっと息を吐いて頭を落ち着けると、小夜は水筒からお茶を注いで少年に渡した。少年はすんすんと匂いを嗅いで、一口飲んだだけで小夜に戻してきた。
「ちゃんと飲まないと」
少年は首を振る。
腐ってはいないと思うが。小夜は気になりつつも水筒にお茶を戻した。もう残り少ない。
代わりに最後のひとつである林檎味の飴をあげると、少年は飴の小袋を手に眺めるばかりだ。
――この子の知識はどこまであるんだろう。記憶喪失にしては幼い
袋を裂いて、飴を摘まむ。あーと小夜が口を開けると、真似して口を開いた少年の口に飴を転がした。
今度はお気に召したのか、嫌がらなかったので小夜は安堵する。
「明るくなったら食べられるものを探そう。今はこれで我慢してね」
少年は小夜を見つめると、ころんと寝転がってあくびをした。
自由だなと苦笑するが、時間が迫っている。急いで手近な枝を集め、火を起こそうと試みたが、結局、焚き火を作ることは叶わなかった。
黒い世界にもうどれくらいいるだろう。
今は少年が近くにいる。いるはずだ。
不安になって、スマートフォンの電源を入れる。
自分の手元と、隣で眠る少年の姿がうっすらと照らされてほっとする。
――もう充電が半分以下だ……
それでも、すこしの間だけと、小夜は写真フォルダを開く。
響と両親の写真はメロと写っているものばかりで、メロ単体では可愛い瞬間から変な寝相や、最高に不細工な寝顔の時が多い。もっと家族で揃って撮っておけばと思ってしまう。
――電波通じればいいのに。そしたら響の無事も確認できる。私のことも、心配しないでって、言えるのに
電源を落とす。再び暗闇が小夜に纏わり付き、胸の苦しみごと膝を抱えた。
「……っ」
何かが手に触ってびくりとしたが、ほのかに温かく、人の手の形をしている。
少年の手だと理解して、小夜は息を吐いた。
「さよ」
少年が小夜の指を摘んでくいくいと引っ張る。
「私は起きてるから」
「どうして?」
「いや、絶対寝るし。見張りしなくちゃ」
「そんなのいらないよ」
子供はのんきだな、と小夜はむすりとした。眠りたいのは山々だ。
「さよ」
つんつんと指を引かれ、諦めて小夜は横になった。眠るな、眠るなと自分に言い聞かせながら。
――……心細いのかなあ。まだ、子供なんだし
小夜は少年より歳上とはいえ、それでも孤独や不安というのは消えてくれない。そんな気持ちなら、痛いほど理解できた。
――……あったかいな……
暗闇の中、手を握ってきたちいさな掌が、小夜の中で大きなぬくもりを持っている。
この森に迷い込んで、初めて小夜は安息を得ていた。
「だいじょうぶ」
それは、何に対する言葉だろう。
尋ねることもできず、小夜は深い安らぎに身を委ねた。