13. 初仕事
「カノンさん、おはようございます」
「おはようサヨ! 今日もいい天気になりそうよ!」
白じむ空が朝陽を迎える少し前、小夜は起床した。
横でまだ眠るアリアを起こさないよう寝癖を整え、店の台所へ向かうと、既にカノンが準備をしていて焦る。
「遅れてすみません、代わります」
「鍋を回しているだけだから大丈夫よ。それより、ちゃんと眠れた?」
「はい。お蔭様でばっちりです。えっと、お仕事は何からすればいいでしょうか。体力には自信があるので、力仕事も任せてください」
小中高と運動部一筋だ。頑丈な肺と健康な脚は自慢できる。ふんと腕をまくる小夜に、カノンはあっはっはと大きく笑う。朝から元気な人だ。
「頼もしいわ。アリアもおはよう!」
「おはよ」
小夜が振り返る前に、手にぬくいものが触れる。
「寝ててもいいよ」
「おきた。さよおはよ」
「おはよう」
むにゃむにゃと首を振るアリアに、小夜も否定しないでおく。クラヴィール夫妻や生活に慣れてくれるならその方が良い。
「サヨ。やる気があるのは喜ばしいけれど、先に朝食を食べてからになさい。どんなに忙しくても、元気がなくても、ご飯はきちんと食べることがうちの決まり。アリアもよ」
「……ありがとうございます。いただきます」
湯気立つスープを出され、小夜とアリアは素直に席に着く。
魚肉と海藻たっぷりの温かいスープは、プルミエールのものとも風味が異なる。魚介の良さを損なわず、それでいて海で働く人たちを考えてか、味が濃くしっかりした食べ応えだ。鼻腔と空っぽのお腹を刺激され、並んだパンも合わせて朝からぐんぐん消化する。
「ところで、ディールさんの姿がありませんが」
「調達に行っているわ。バルカローレは漁業が盛んでね、夜の船が戻って来る早朝から新鮮な魚が買えるのよ」
「ええっ。お、起こしてください」
仕事は掃除や洗濯、食事処も兼ねているので、注文取りや買い出しとは聞いていた。しかし朝から仕入れがあるとまで知らされていなかったのだ。
「疲れていたんでしょう? 寝かせてあげようってあの人も話していたの」
「う……初日から気遣わせてしまって……」
「いいのよ。朝の仕入れは夜明け前になるし、まずは街の地形にも慣れてからね。バルカローレは広いから」
「はい! 頑張ります!」
あとでディールにもお礼と謝罪を言おうと決めて、明日はちゃんと起きようと小夜は思う。仕事できるアピールはするに越したことなし。
食べ終えた小夜は、客室の寝具を入れ替え、掃除をし、洗濯をせっせとこなした。両親が共働きで日頃から行っていたので、苦労は少ない。
とはいえ、料理はまったくだ。異世界の調理法が分からないのではない。小夜は料理が苦手なのだ。
食べ物を炭にしたり、塩と砂糖を間違えるような典型的間違いは一通り経験し、初めての料理が失敗に終わったこともややトラウマである。
両親を労おうと、小夜はある日おいしいご飯を作ろうと考えた。当時小夜は八歳、響は四歳の頃だ。
幼い妹と台所をモザイク地帯にした末、帰って来た母親に二人して泣きついた。惨状を見た母はそれはもうかんかんに怒った。でも母が真っ先に怒ったのは、散らかしたことではなく、大人の居ない状況で火と包丁を使おうとしたことだった。
怪我はないか心配してくれる母にまた泣いて、改めて台所の片付けを命じる鬼の形相が怖くて、さらに泣いた。
小夜はおいしい料理を作ってくれるすべての人にしみじみ感謝し、昼のお使いへ出掛けるのだった。
◆
「こんにちは。お世話になっております、かもめの羽休め亭の者です。商品の受け取りに参りました」
「はーい! お世話になってまーす!」
香ばしい匂いの漂う玄関を潜ると、穀物の袋詰めをしていた少女が元気良く振り返った。
「わっ!? 赫い髪の子! お母さーんちょっと来てー! すごーい本当に真っ赫ね! どこから来たの? その子は弟? ああごめんなさい怖がらないでっ!」
少女は凄まじい食い付きを見せる。池にパンくずを投げた時の鯉の争奪戦を思い出し、小夜は勢いに圧倒され、アリアはその背中に引っ込んだ。
「おやま可愛らしいのが! しかもお嬢ちゃん赫い髪じゃないか」
「は、初めまして。今日から仕事をさせてもらうことになりました。よろしくお願いします」
「おねがいします」
少女の母らしき人もまた、少し驚いたようだった。気を取り直した小夜がお辞儀するので、後ろで服を掴んでいたアリアも真似てぺこりとした。
本日何度目かの髪色に対する反応だ。みんな一様に親しげにしてくれるので、小夜も悪い気はしない。
「ははは! 可愛らしいお客さんが増えて嬉しいよ。それにしても鮮やかだね、むかーし外国の人で見て以来だ。綺麗なもんだったけどね、ここまで真っ赫じゃあなかったさ」
「そうなんですか。私はまだ、自分以外の赤い髪の人は見たことがないです」
「あたしも! 初めて会えたわ!」
「珍しいからねぇ。ここらでいうと、王都の第二だか第三だかの騎士団長さんが、赫い髪のご先祖がいるそうだよ。一見分からないほど暗い色だけども、陽の下だと深みのある赫をしているね」
「すんーっごく美形なのよ! ちょっと無愛想なんだけど、そこもまたイイっていうか!」
ご利益がありそうだと豪快に笑う女将と、お喋り好きそうな明るい娘から、商品を受け取る。小麦にあたるグラという穀物らしい。
懇意にしている店とのことで「今度お話ししましょうね!」と言ってくれた娘に、小夜は首を痛めそうなほど頷いた。
この世界に来て、初めて同じ年頃の女の子と話せたのだ。もちろん仕事は忘れないが、友達になれるかもしれないと、抑えようのない喜びに胸が高鳴る。
「わ。ぽんぽん菓子みたいでおいしい。こういうの好きだなあ」
仲良くお食べと、煎った穀物のお菓子まで頂いた。シロップが掛かっており、表面は薄い飴状でカリカリ、その歯触りの先に香ばしいパフが待っている。素朴だが、噛む毎に豊かに広がる穀物の香ばしさは、次々に手が伸びるおいしさだ。次はお客さんとして買いたい。
アリアも相変わらず感想はないが、甘い物は好きなのか完食していた。
「えーっと、受け取り忘れはないかな?」
メモ紙片手に荷車を押しながら、小夜は白い石畳を踏む。
クラヴィール夫妻の営む〝かもめの羽休め亭〟は朝一番と、昼の仕込み休憩の合間で、一日二回の食材の調達があるという。
漁業と外交が盛んな港街であるから、船の出入りと共に市場に並ぶ品揃えも変わることがあり、鮮度の高い魚も手に入るからだ。
「……アリア?」
よいしょと緩やかな坂を登り、宿屋の扉を開けようとして、宿と建物の隙間にアリアは入って行く。
「さよ」
「どうし……あ、可愛い」
近付くと、空樽の陰で白黒ブチの猫がしっぽを揺らしていた。
「男爵って感じだなあ」
「だんしゃく?」
「この口の模様とか、髭みたいで」
飼われているわけでないらしく、毛並みは良いとはいえないが、ちょび髭模様が愛嬌がある。
「〝だんしゃく〟っていうの?」
「いや、これは猫……えっと、ミゥムリウムって生き物。大人しい子が多いみたいだから、噛んだりはしないと思うけど気を付けて」
夢の中で、十匹以上も手懐けている人がいたなあと小夜はぼんやり回想する。地球の猫とは容姿も生態も、大きな違いはなさそうだった。
アリアは猫というより、動くしっぽに釘付けで、無遠慮に腕を伸ばしたために走り去ってしまった。
「急に手を伸ばしたからびっくりしたんだよ。仲良くなったら、触らせてくれるかも」
ふうん、と興味があるのかないのか曖昧に応えて、アリアは猫の消えた道を眺めている。
――仲良くなれるといいね
共に過ごす中で、アリアは物事への関心が薄いわけではないのだと小夜は気付いた。
単純に飽きっぽく、好奇心の対象が移ろいやすい。だからアリアの感性に任せよう、と小夜は気楽に構えることにした。
小夜が海を綺麗だと思っても、アリアもそう思う必要はない。ただ、この移り気な少年が、熱心になれるものが増えると良いと小夜は思う。
◆
「お疲れ様。どう? 働いてみた感想は」
一日の仕事が終わり、片付けを終えた夜食の席でカノンが問い掛けた。
「はい、まだ至らない所もありますけど、おふたりも優しいですし、身体を動かすのも好きなので楽しいです。なによりご飯がすっごくおいしいです」
「あら、まったく可愛いわ。おかわりいる?」
ちゃっかり料理のおかわりを頂きつつ、小夜は胃袋も心も充実を感じていた。
わけもわからず森を彷徨い、漠然とした不安に包まれた夜は、もうない。
「アリアも何かあったら、遠慮なく言っていいのよ?」
水差しから並々とコップを満たしているアリアの頭を、カノンは優しく撫でる。
今日一日の様子を見ても思ったが、人前でのアリアは極端に口数が減ってしまう。小夜の後ろに大人しくくっつく様子は、ちいさい頃の妹によく似ている。人見知りが激しいのかもしれないな、と小夜は頭の隅に入れた。
「どうしてアニマがふたつあるの?」
じいっとカノンのお腹を観察して、アリアは尋ねた。夫妻は顔を見合わせ、小夜はすこし慌てる。
「驚いた、魔力が見えるのかしら?」
カノンは顔を綻ばせて、お腹を撫でた。慈しみを感じる優しい手だ。
「ええ、そうよ。ここには命が宿っているの。こうしてお母さんのお腹で育って、生まれてくるのよ」
アリアには知らない単語ばかりだろう。きょとんと首を傾げている。
「すみません、アリアはまだ色んなことを勉強中で」
「そう……いつか分かる日が来るわ。今はまだ早いかもしれないけれど、たいせつなひとができた時、きっとかけがえのないものが見つかるでしょう」
あなたにもね。とカノンは小夜の頭も撫で下ろす。
――……会いたいな
家族に会いたくなって、小夜は胸がきゅっと詰まった。
「さよ」
「んんー……?」
寝台の中でうとうとする小夜に、アリアは囁く。
「さよも、おかあさんから、うまれたの?」
「……そうだよ」
あんまり話したくない話題だと小夜は思う。アリアの出生は不明だし、家族の話題は小夜もどうしたって淋しくなってしまう。
だけどアリアは言葉を続けなかった。
「……――――」
代わりに夢に落ちるまで小夜は歌った。子守唄を。波の音も届かない静けさも、アリアの空白も埋まればいいと思いながら。
「ありあは、ひとりでうまれたよ」
歌も途切れて眠りついた小夜の背中に、そっとアリアは寄り添った。
その日、小夜は久しぶりに、地球での夢を見た。夢の中の誰かではない、小夜が小夜として生活している夢だ。
お父さんとお母さん、響に愛犬。家族団欒でご飯を食べて、朝には制服を着て、登校し、友達とお喋りをして。
これといった事件も起こらず、謎も残さない、ささやかな夢だった。
けれどしばらくは、小夜の胸にちくちくとした痛みを残していた。




