・開拓4日目(夜) 酒場女リンネ
そのとき、防壁の上では一騒動があったらしい。
「な、なぁ……お、俺、ヤベェもん見ちまったかもしんねぇ……」
「なんだよ、脅かすんじゃねぇよ」
「あそこ見てくれ、あそこをよ……っ! こ、子供が……裸の子供が海、歩いてねぇか……?」
「はっはっはっ、子供が海の上を歩くだぁ? んなことあるわけ――ンゲェッッ?!!」
「ゆ、幽霊じゃねぇか、あれっ?!!」
「幽霊ぇぇっっ?! ゆ、ゆゆゆゆ、幽霊って、海とか歩くのかよっ!?」
「わかんねぇよそんなのっ! とにかく人間じゃねぇのは確かだろ!?」
「な、なら……なら矢とか撃ってみるか?!」
「や、止めろよっ、もし祟られたらどうすんだよっ!」
「そ、それもそうだな……。じゃあ……じゃあここは、何も見なかったことにするか……?」
「それがいい、それしかねぇ、そうしようぜ……」
「ありゃ、溺れた子供の幽霊か何かかね……」
「かもな……。なら、祈っておこうか」
「そうだな……。ああ、可哀想に……」
「可哀想に……」
発見されていたのに、見張りからの矢が飛んでこなかったのは、そういうことだったらしい。
荒野の土で築かれた海の道は、朝になって彼らが調査した頃には波に削られて姿を消していた。
・
大きな貿易港を抜けるといかにもな歓楽街があった。
店の外では綺麗な女の子が呼び込みをしていて、中に男たちが引きずり込まれてゆくのもちらほら見れる。
当然そういう店は避けて、歓楽街の中心を離れると、まだまともそうな酒場宿を見つけた。
「部屋、開いてる?」
「ん……? どこから迷い込んだんだ、坊や。ここはお子様がくるところじゃねぇ、帰りな」
「どいつもこいつも……ほら身分証を見ろよ、これでも一応18だ」
「……ほぅ、たまげたな。どこで偽造したんだい、坊や?」
「だから違うって言ってるでしょ。それより部屋を」
「満室だ。ママンところに帰りな」
「だーかーらーっ、母親は海の向こうの墓の下だしっ、俺はもう成人してるんだってばっ!」
ムカついたんで目立つこと承知でカウンターに銀貨を叩き付けた。
マスターは眉をしかめるだけで、銀貨に目もくれなかった。
「うちはガキは泊めねぇ、よそ行きな」
「……わかった、邪魔したね」
ピオニーと一緒に夕飯を食べるのが楽しみで海を越えてきたのに、この扱いは悔しい。
とはいえこの店主にも、彼なりのルールというものがあるのだろう。たまたま今回はそれが一致しなかったのだと思おう。
「待って」
しかし店を出ようとすると、酒場女の1人が俺の手を引いていた。
「こんな時間に男の子が一人歩きしたら危ないわ。よかったらうちにきなさいよ」
彼女は長い赤毛を飾りたてるようにアップにしていて、胸を露出する派手なドレスを着込んでいた。酒と化粧品の匂いもする……。
「リンネ、またそうやって厄介ごとを――」
「だったら泊めてあげたら?」
「盗賊の手下かもしれん……」
「そんなわけないわ。アタシもう上がるから」
「む……」
「当然でしょ。このまま外に出したら、この子を誘拐してくれって言っているようなものよ」
自分が守ると言わんばかりに、リンネは俺の背に手を回した。
「いや誤解だ。俺は子供じゃ――」
「可哀想に、お母さんを亡くして、新大陸に連れてこられてしまったのね……。さ、こっちにいらっしゃい」
「いや俺の話を聞いてくれ、俺は成人――」
「もう強がらなくてもいいのよ。アタシと一緒に帰りましょ」
「やれやれ……」
酒場女リンネが俺を抱き締めると、マスターが諦めたようにため息を吐いた。
この様子だと、こういうのは今回が初めてではなさそうだ。
俺は彼女に手を引かれて、この歓楽街に上がったところにある彼女のアパートへと連れて行かれた。
・
「偽造ね」
「だから、本物だって言ってるだろ!」
「もう夜中よ、大きな声出さないで」
「あ、すまん……。じゃなくてさ、本当に18だって、どうしたら信じてくれるんだよ……」
最初は裏があるのではないかと俺も少し疑っていた。
けれどそれを差し引いても、リンネはとても良い人に見えた。
アパートに戻ると彼女は楽なシャツとズボンに着替えて、現在は食事を作ってくれている。
彼女は見ず知らずの少年を助けた。それも仕事を投げ捨ててまでして。この時点で十分過ぎるほどに尊敬できる人間だ。
「信じないわ。さ、だいぶ遅いけど夕飯にしましょ」
木製のテーブルにベーコンとトマトのパスタと、小さくて硬そうなバケットが配膳された。
そういえばあれっきり何も食べていない……。
目の前に湯気を立てるプリプリのパスタは、久々に見る文化的な食事だ。
「だけどあなた、どうやって街の入り口を抜けたの? 新人の開拓者は、過酷な奥地に追いやられるものだけど……」
「海の方から回り込んできたんだ。……いただきます」
トマトパスタはオリーブオイルと干した貝の味がする。
とても美味しい。ピオニーに食べさせてあげたくなるほどに美味しいパスタだった。バケットの方は、少しカビたような残念な風味だ。
「そう、そういう人たちはここでは珍しくないわ……」
「そうなのか?」
「そうよ。荒れた土地では食べていけないから、みんながこのダーナにやってくるの。純粋なここの市民なんて、半分もいないんじゃないかしら……」
「だとすると、もしかしてうちの土地の周囲に、人っ子1人いなかったのは……土地を捨てて逃げたからなのか?」
「わからないけど、土地の状態次第では十分にあり得るわ」
あの辺りといったら大地はカサカサ、資源は枯渇していて家を建てることも叶わない。
あそこでビルド&クラフトの加護が覚醒しなければ、俺も根を上げて逃げていただろう。
「……名前は?」
「ノア・ウィンザーラッド」
「え……っ。あなた、もしかして、貴族なの?」
「なぜそう思う?」
すると彼女の長く細い指がパスタに向けられた。
「私生児にしては食べ方がお上品。それに、どこか大人びているわ」
「18歳だからね」
「嘘よ、信じないわ」
パスタを半分、バケットを半分平らげて食事の手を止めた。
ピオニーからすれば生殺しだろう。目の前に美味しそうなトマトパスタがあるのに、出てこれないのだから。
「……それなんだけど、俺が16以上の貴族であることを、貴女に証明する方法を思い付いた。少し驚くことになるかもしれないけど、試してみていいかな?」
「あら面白そうね。いいわ、アタシを驚かせるものなら脅かしてみて」
ここまでやり取りして確認した。この人は立派な人だ。
それに自分がこの見てくれである以上、業者に足下を見られないだけの協力者が必要だ。その点だけで見ても、リンネさんは自立心があって頼りになる。
俺は立ち上がると、街の人間には見せるつもりのなかった秘密中の秘密『インベントリ』を表示させた。
「えっ……?! その光るガラス、どこから出したの……!?」
「これが俺の加護、ビルド&クラフトだ。この力は地形や資源をキューブ状に変換して、このインベントリの中に収納することができる。そして、これがピオニー」
「ピオニー……?」
「その、俺のとても大切な友達なんだが……見た目がちょっと、変なんだ。これから目の前に現れても、どうか人を呼ばないでほしい」
「猛獣か何かかしら?」
「いや、ドット絵生物だ」
パネルを操作して、ピオニーを自分の隣に配置した。すると――
「あらかわいい!」
「聞きましたか、ノアちゃん? リンネさんは、ピオニーをかわいいと言ってくれましたよー? 初対面のときのノアちゃんとは、大違いですねー?」
「それに喋るのね! アタシはリンネ、よろしくね、ピオニーちゃん」
「よろしくお願いします、リンネさん! ……で、早速ですけどー? ノアちゃんのパスタ、もらってもいいですかー?」
「いいわ、アタシの分をあげる。フフ、確かにこれは驚きだわ!」
おかしいな……。通常の感性をしていたら、ピオニーにぶったまげたり、悪魔の化身だのと震え上がると思っていたのに……。
ピオニーは遠慮なしに俺の席の方に腰掛けて、俺のパスタとバケットにがっついた。
「俺としては、もう少し驚いてほしかったんだけど……」
「とってもかわいくて驚いたわ。素敵なガールフレンドね」
「大変です、ノアちゃん! このパスタッ、ほっぺた痺れるほど美味しいです! リンネさんっ、これの作り方、教えて下さいっ!」
「ええ、喜んで」
のほほんとした空気に仕事の話をする気になれず、しばらくはソファで休ませてもらった。
【恐縮なお願い】
もし少しでも
「楽しい!」
「続きはよ!」
「マイクラやってみたい!」
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