八話
鳥。
それも猛禽類の鷲にも似た鳥の頭。頭だけだ。白と灰色の羽毛にくるまれた頭は、首から下がない。断面はなく、綺麗に羽根で隠れたそこは元からないみたいに自然な丸みだった。
大きさは小さな子どもの頭と同じくらいだろうか。鳥だとすれば随分と大きな頭である。
しかも、まるで人間のようにクチバシを器用に動かして流暢な喋りをしている。そしてそのクチバシからは年若い溌剌とした男の声がするのだ。壁の光源に反射する目玉は明々とした橙で、その喋りと同時にきらきらと輝いている。
あまりのことに、咄嗟に悲鳴をあげるよりも驚いた吐息混じりの返事しかできなかった。気を取り直して、ミレイスはそろりと声をかけた。
「あのう、あなたは」
「これは失礼。純真なる乙女の麗しさに見惚れた愚かな恋の奴隷、カイハンと申します。夜の神秘もかくやの瞳を持つお嬢さん、貴女のお名前を聞く栄誉を私めにいただきたく」
頭だけで仰々しくお辞儀のようにゆらりと動いて、ミレイスの前で下を向いたり上がったりとしている。
(この方は、精霊? なのかしら?)
どうみても人間ではないし、魔法が働いて動いているようだ。
かといってミレイスと同類かというと納得しづらい。見た目がというよりも、感覚的になんとなく違うようなあっているような、という感じなのだ。ズヤウのほうがよっぽど自分と近しいとわかっているだけに、判断しづらい。
しかし、気安く話しかけてきて、それも好意的な態度を見せている。その姿を見れば、悪いものではないのかもと、ミレイスに思わせた。
「私はミレイスといいます。あなたは、その、精霊ですか?」
「いいえ、精霊と同じなど。私はそれ以下のしがない小間使いですよ。ミレイス嬢、どうか、カイハンとその魅惑のお声でお呼びください」
鳥の頭でも感情を表すと、このようにくるくると見た目が変わるのだろうか。
片目を閉じてみせてウインクをしたり、目を細めたり丸めたりとおどけてみせる。そうして、ぐるりとミレイスの周りを旋回して、再び正面にきたカイハンは言った。
「そんなことより! 私は貴女を知りたい。ああ、美しの乙女、天上の調べにも及ばんとする清廉なる声は鈴の音のよう。清らかなる遥けき空を湖が映した髪、なんて素敵なんだ」
「ええっと、その、ありがとうございます」
「お世辞ではございませんよ、可憐なるミレイス嬢。私に体さえあれば、今すぐにでも貴女を抱きしめて連れ去ってしまったことでしょう」
こんなに褒めてもらったのは、アセンシャを除けば初めてだった。
ミレイスはくすぐったいような、おかしいような気持ちがわいて、思わず笑いがこぼれてしまった。
口元に手を当てて小さく笑えば、カイハンも軽やかに笑った。
「笑う姿も貴女は愛らしい。まったく、こんなお嬢さんと出会えるならばもっと早くここへ来ればよかったですね」
「カイハンは、どこから来たのですか?」
「私は、ここから一山二山こえた土地から参りました。あちらの方角でしょうか」
ついっとクチバシが斜め右を向いた。それを目で追えば、カイハンは説明を付け加えた。
「偉大なる東の御方、金腕の君様の蔵があるのですよ」
「金腕の……シギ様のこと?」
「ええ、そうです。私にとっては、名前をお呼びするのも恐れ多い方ですので、お呼びはいたしませんが。その通りですとも」
「じゃあ、カイハン、ズヤウは知っていますか?」
「はい、もちろん。愛しの君ですからね」
「まあ! そうなんですね!」
驚いてしまった。
愛しの君、という言葉はよくアセンシャから聞く物語でも出てくる言葉だ。
ミレイスの知識では、恋い焦がれる者同士がつかう呼び名だと認識している。つまり、ズヤウのいい人なのか、そう思ってミレイスはたずねた。
「カイハンはズヤウが好きなのですか?」
「ええ、とっても。私、美しいものが好きなのです。もちろん、偉大なる御方々も、ミレイス嬢も好きですとも」
笑い混じりに返されて、なるほど、とまたミレイスは頷いた。
ミレイスが知らないだけで、世界は色々なことがあるのだ。人同士が番ったり好き合ったり以外にも違う形があるのだろう。
「美しいものが好きって、アセンシャ様ともカイハンは趣味があうかもしれません」
「ふふ、それは光栄なことです」
ひとしきり和やかな空気を過ごしたところで、ミレイスは思い切って聞くことにした。
これほどまで気楽に話してくれるのだ。シギのとこから来たとも言っている。だから、何が起きているのかも知っているのではないか、そう思ったのだ。
「カイハンは、どうして私がここに連れてこられたのか、知っていますか?」
「それはズヤウが貴女の美しさに見惚れて独り占めにしようとし」
「あまり口が過ぎるようなら、処分してやろうか」
声で温度が変わるのなら、極寒。寒々しく鋭い口調で割り込んだズヤウは、カイハンの頭を鷲掴み指先に力を込めて握った。
「おや、ズヤウ! それはひどい。痛いではないですか!」
「黙れ、口先ばかりの鳥頭。お前、痛覚はほとんどないくせに」
「君の気持ちが籠もった愛が痛い……って、ちょっとしたお茶目な冗談ですよ」
「来ると予想はつけていたが、何故中に勝手に入った? 外に居るとわかっていたはずだ」
「美しいお嬢さんがいるとなれば、垣間見したいと思うのが男の性では? とても良いものが見られました。ズヤウはもう見たのかい? あ、待ちたまえ、砕ける。私の頭が砕けます」
「いっそのこと砕けてしまえ。今のお前に相応しい頭の軽さになるだろうさ」
ずいぶんと遠慮のない間柄なのだろう。応酬が飛び交っている。早口になるズヤウに鷹揚に応えるカイハンを眺めていると、徐々にカイハンの頭を掴む指先に力がこもっていくのが見えた。手先を隠している手袋がぎぎぎと鳴る。身じろぎしながらカイハンはわめいているが、それに冷たく返したズヤウは部屋の隅に向かって投げつけた。
鋭角に飛んだカイハンが見事に角の柱にぶち当たり跳ね返って地面に落ちる。痛そうな音だと、ミレイスは思わず身を竦める。
くるりとズヤウがミレイスのほうを向いた。
「何もなかったか」
「ええと、カイハンとお話した以外は特に」
「そうか」
「あ! この服、ありがとうございます。とても素敵です」
「……そうか」
じ、と見られている。頭の先から足先まで確認するようにして、ズヤウは沈黙した。
どこか変だったのだろうか。もしかしたら、似合わなかったのでは。
そう思って、スカートの裾をつまんだり捻ったりと自分でも見てみる。
「お前、その姿」
「姿?」
ペタペタと顔を触ってみるが、なんの変哲もない。
「西の御方か。それだと街では目立つな、お前」
言われて、ああ、と声を上げた。アセンシャによる魔法が解けたのだ。湯浴みをしたときに魔法の道具で洗い流してしまったからだろう。
姿変えやまやかし、魔法の類は、時間制限もあるが水流にも弱い。
理論はミレイスにはよく解らないが、清い水に流す、曝す、という行為は呪いや魔法における基本的な解除方法になるのだ。保護魔法も解けてしまうが、その間呪いなどの攻撃もよほどのことがない限り受け付けない。この世界で魔物を追い払うときに清めた水を流すのもそのためだとか。何故かは神のみぞ知ることだ。
(目立つ……髪のことね)
カイハンの言葉を借りるなら、空を湖面が写した髪は、御空色。澄んだ薄青が毛先に行くにつれて明度を増す様は光に反射する湖畔を切り取ったよう。ズヤウの言う通り目立つ髪色だ。
街中へ出たときも様々な色合いの髪をした人々がいたが、ミレイスのような色を持つ者はいなかった。珍しいのだろう。
容姿の比較対象は身近にいたのがアセンシャなので、真っ先に目立つとは髪色のことだとミレイスは理解した。
「君がそんな花のように儚く可憐だなんて思わなかったよ……くらいは言わないと失礼では?」
「黙れ、鳥頭」
いつの間にか戻ってきたカイハンがミレイスの肩の辺りに並んでいる。舌打ちをせんばかりにズヤウは言って、カイハンを掴んでまた投げた。
ひとしきりズヤウをからかうような言葉を投げかけては、物理的に投げられるを繰り返したカイハンを見届けることしばらく。
長椅子に腰掛けるように促されたミレイスが座れば、ズヤウもそこに一人分空けて座った。
それから何をするのかと見ていると、ズヤウは自分の鞄から次々と道具を取り出した。
最初は小鍋。次に焚き火台、ナイフ、昼に狩って処理済みの鳥肉、野菜と思わしき葉、木の実。最後に固そうな長い形をしたパンを取り出して、パンだけはミレイスに投げてよこした。
「それでも食べて待ってろ」
「えっ」
「食べるのが好きだろ、お前」
そういうわけではないのだが。
初めて会ったときに、ミレイスがたくさん食べている様子を見られていたからだろうか。両手でパンを掴んでいる間に、ズヤウはナイフを使って器用に小鍋に落として調理を始めた。間もなく魔法の火で炒めた良い匂いがただよい出す。
「ミレイス嬢。ズヤウなりのお詫びですよ、笑顔で受け取ってあげると喜びます」
「ひっ」
耳元に冷たいものが当たる。カイハンのクチバシだ。
カチカチと小さく囁いて、テキパキと作業をしているズヤウのほうへと視線が動く。当たった耳元を手で押さえてその視線を追う。
「そうでした。先ほどの質問、貴女がここに来たわけについてですが」
「カイハン、なにか知っているの?」
「私がわかるのは、なんとなくの範囲だけということです」
曖昧な答えだ。
そう言うカイハンは鳥の頭だというのに不思議と穏やかな顔をしているとわかった。ミレイスがわからないという顔をしていると、優しく続けられた。
「知らないということは、救いでもあります」
「どういうこと?」
「ミレイス嬢。先ほども言った通り、私は察することしかできない無力な可愛い鳥なのです。ただ、私たちは御方々に頼まれただけ。君に会ってくれ、戻るまで見守れ、とね。ズヤウが気を遣ったのでしょう? 貴女を付け狙う魔物、まだ見ていませんか?」
「魔物? 私を狙う?」
「はい。うまく撒いてここまで避難できたみたいですね。虫のように湧いていましたが、久方ぶりに見ましたよあれほどの……ね、ズヤウ」
「……口が過ぎるぞ」
「ほらね」
こそこそと話していても、ズヤウは把握していたようで不機嫌そうに呟いた。
何度も壁や床に向かって投げつけられても懲りていないのか、それとも慣れたものなのか、軽い調子で言ってみせる。そして、空中を泳ぐようにズヤウの手元へと周り、またミレイスのほうへと戻ってきた。
「ああ! ズヤウは器用なのですよ、ミレイス嬢。東の御方の下にいただけはあって能力は優秀ですとも。きっと貴女も気に入ることでしょう」
言われて見れば、すっと目の前に木の器に盛られた料理が手渡された。次いで突き匙も。
パンを膝において両手で受け取る。良い香りだ。
簡単に炒めただけに見えたのに、美しい肉の焼き色に熱が通った葉野菜の緑が映える。振りかけられたのは木の実を細かく砕いたものだろうか。黒と白の粒が散って、それがまた香りの効果を上げている。
料理を前に、ズヤウの腕前はミレイスよりも遙かに上だとわかった。食べずとも、視覚、嗅覚の情報でこれは美味しいものだとすぐにわかる。
どうりでミレイスが振る舞ったとき異様に渋い顔をしていたわけだ。思い返しては、申し訳なく思えてしまった。
ちらりとズヤウを伺えば、また一人分空けた長椅子の端に腰掛けて食べ始めていた。