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神様の手先の手先  作者: わやこな
夏のはじまり
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七話



 ちらちらとこちらを伺いながら浴室に入っていったミレイスを見送ってしばらく。

 ズヤウはため息を盛大に吐きたい気持ちを堪えて呟いた。


「シギ様。見ているでしょう」


 すると、どこからともなく声が響く。場所に、というよりズヤウの頭に直接響く声は、高価な弦楽器を低く艶やかに鳴らしたかのような魅力的なものだ。しかし、ズヤウはその声にうっとりするでもなく、むしろウンザリとした顔をしてみせた。


「ああ。私の愛しい片割れとは入れ違いになったようだが、君には素敵な出会いがあったのではないかな?」

「どこがです」

「ミステリアスで純粋な少女だ。神々に愛されるべくして生まれたような存在じゃないか」

「どこがです」


 辛辣に返してみても、軽やかな笑い声が頭内に響くばかりだ。ズヤウは改めて、だからこの用事を受けたくなかったと独りごちた。

 そもそもズヤウがここに来たわけは、師であり、恩人でもあるシギに言われたからだ。

 急に「アセンシャに可愛い養い子ができたらしい。見に行ってくれ。ついでに品物も渡すと良い。この鞄にいれた。よろしく」と矢継ぎ早に告げられて、放り出されたのだ。

 でなければ、どうして東から西へ大移動をするものか。

 さらに言えば、場所もズヤウにとっては忌み地に近い。できれば近寄りたくもない場所にアセンシャたちは仮の住まいを構えて住んでいた。知らず、目元の布きれに触れる。

 ズヤウの目元を覆う布きれには、中央に滲むように紅いインクが浮き出て目玉の形を描いている。シギの目がわりとなる魔法が掛けられた覆い布だ。普段使いの目隠しとは別にシギがよこしたから怪しいとは思っていた。


「本当に、彼女はアセンシャ好みの子だ。私の言いたいことがわかるね? 丁重に扱ってあげなさい。できるだろう?」


 ズヤウが黙っても、楽しそうな調子でシギが語りかけてくる。姿は見えないが、ニヤニヤと笑う美丈夫の顔が浮かんで口元が引きつる。


「さあ、よくない気も迫っている。王子様、お姫様を助けに行きなさい」

「……わかって言っていますか」

「もちろん」


 そう断言して、ぷつりと声は途切れた。

 ああ、だからこんなこと請け負いたくなかった。ここへ、この国へ来たくはなかった。

 舌打ちをして周囲の気配を探る。元々得意だった探査魔法は、シギの元で過ごすうちに磨きがかかり、容易く広範囲を見聞きすることができるようになった。家の内部を超えて外周り、さらにその外へ。

 すると、シギ曰くのよくない気とやらがいくつか引っかかった。

 それは一直線に、群れをなしてこの家を目指している。進行速度は小型の獣が走るくらいだろうか。


(思ったより近い)


 どういうわけかは知らないが、本来加護があるはずのアセンシャの家に真っ直ぐに向かってきている。悠長にしていれば、家の中に迎え入れることになるだろう。

 シギが片割れと称するアセンシャの仮宿を汚すのも後が怖い。

 親身に接してはくれるが、シギはああ見えて偏屈で気まぐれ屋だ。そういうところが人らしくないのだが、言ったところでどうにかなるわけがない。通り雨や嵐のような自然と同じようなものである。

 ソファに放っていた荷物をひったくって、ついでにミレイスの荷物も取る。ミレイスの荷物は台所の椅子に置きっぱなしだった。彼女にはズヤウが盗んだり悪さを働くまでは考えなかったのか、ひどく不用心だ。

 あとは本人だが。

 ミレイスが向かったドアを開いて、一歩。

 魔法で拡張された洗濯場と手洗い場が見える。そしてその奥にドアがもう一つ。

 サアサアと流れる水音を探査魔法が拾う。鼻歌まで聞こえそうになって、慌てて外に注意を戻した。相手が精霊とはいえ、見た目年頃の少女を覗きまがいのことをするのは品がない。


(しまった。浴室だったか……いや、今は非常時。責任は巻き込まれたこっちがとる必要はない。ないはず)


 それに目隠しをしているからとごまかせば良い。

 自分に言い聞かせて、ズヤウはすう、と息を吸って吐いて、呼吸を整える。

 シギから預けられた荷物にはこういうときに使えといわんばかりに用意されている掛布があった。さらには着替えまで。

 絶対わざとだ、と思いながらとりだす。

 そうして、覚悟を決めて浴室のドアを開け放った。


「おい、すぐに出るぞ。仕度をしろ」




***





 勢いよくドアが開いたと思ったら、ズヤウが淡々とした口調で「出るぞ」と言うと同時に布を投げてきた。

 ミレイスはぽかんとして、湯を雨のように降らす魔法道具の下に立ったままズヤウを迎え入れた。体を隠す暇もなく、いきなりだ。

 普通、こういうときは叫べば良かったのだろうか。いや、アセンシャの話ではここで男女が語り合うこともあると聞いたから、変なことではないのかもしれない。

 だがミレイスの器の奥底にある掠れた記憶がおかしいわ、と叫んでいる。

 頭から長い布をぶつけるように被らされ、それに反応するよりも早く肩に担ぎ上げられて荷物のように運ばれていく。


「あ、あのっ、ズヤウ? 私、服が」

「鞄に詰めたから後で着ろ。それと舌を噛みたくないのなら、黙れ」


 まだ濡れた体に張り付いた掛布にくるまって肩の上で揺られる。まるで芋虫にでもなったかのようだ。腹部が圧迫されて苦しいのと、追いつかない感情を持て余してしまうのとで、頭がぐるぐると混乱した。

 ズヤウは乱暴にドアを開けて、さらに早足で部屋を横断する。

 水に濡れた肌が風に当たって冷えていく。よほどの早さなのだろう。いつもより高い位置に揺さぶられる視界がぐんぐんと変わっていっている。

 居間を超えて入り口へ。かと思えば、家の外、さらに暗がりの道へ。

 飛び飛びに変わる視界が、どうやらズヤウの魔法で家から遠ざかっているのだとミレイスが把握する頃には、見たことのない建物の中に落ち着いたところであった。

 すぐ近くでズヤウが短く息をしている。やや息が整っていないのは、何度も繰り返して集中を要する魔法を使ったからだろうか。

 驚きすぎたこともあって、現状を意外と冷静に把握できているのかもしれない。ミレイスはズヤウの肩の上で辺りを見回した。


 古い建物だ。

 石造りのブロックを規則的に並べて敷き詰めた床と壁。壁の分厚い窓の不透明さは、元々の素材だけではなく放置による曇りで外の景色はよく見えない。

 天井には長く掃除がされていない証拠とばかりに蜘蛛の巣がいくつも見つかった。古びた梁はヒビが入って折れていたり、たわんできしんでいたりと経年の劣化がわかる有様だ。現在ミレイスたちがいる周りにある長椅子も随分と年季を感じる代物だった。

 ちょうどミレイスの向く方向、真正面には台座と思わしきものにこれまた古びた厚い赤布がかけられている。その背後にはそれに見合わぬ石像がある。なめらかな石の肌をした像は、壁に掛けられたランプにうっすら照らされて、不思議と目が惹かれる見事な造形をしていた。

 石像は大きく長い蛇が身をくねらせて鎌首をもたげているものだ。ただし、普通の蛇と異なるのは鎌首から下、胴の上部分から真ん中にかけて三対の腕がついており、それぞれ道具や武器を携えていることだろうか。


「よし、着替えろ」


 ぼうっと像に見入っていたら、視界が急に下がる。

 ことのほか丁寧に床へと足が着地するように下ろされたのだ。ズヤウは顔を逸らしたままミレイスの前に鞄を差し出した。アセンシャからもらった鞄だ。

 ずい、と押しつけるように渡されて受け取る。


「中に着替えを移し入れてある。シギ様からだ。ありがたく受け取れ」

「シギ様から?」


 なぜ見も知らないはずのミレイスに着替えがあるのだろうか。

 不思議に思いながら鞄を開いて腕を入れてみれば、それらしき衣服に靴まで入っていた。そのまま取り出せば、簡素ではあるが質の良いワンピースとタイツ、ブーツ、さらには肌触りの良い下着まで入っていた。


「下着まで……」


 つぶやくと、居心地悪そうに身じろぎをしたズヤウは後ろを向いた。


「この場所はシギ様の仮宿の一つで、ただの人間はまず入ってこない。僕は外を見回ってくるから、その間に済ませろ」

「あの、ズヤウ? いったい何が」


 質問を背中に投げかけたが、返事はなく分厚い木と金属で出来た扉を開けて、ズヤウは出て行った。

 そしてすぐに、古びた木が軋む音と重たい金属と石床がこすれる音を立てて、扉が閉じた。

 鞄と取り出した衣服たちを抱えて、無機質な扉へ駆け寄る。押しても引いても、さらには叩いても、うんともすんとも反応はない。


(と、閉じ込められた……?)


 ミレイスの認識としては、湯浴みをしていたら急に乱入してきたズヤウに布でぐるぐる巻きにされて抱えられ、何処ともわからないこの場所に連れてこられてしまった、ということしかわからない。

 まったく説明がないままの現状に、何故、どうして、何のためにと考えても、一つも答えが浮かばない。


(アセンシャ様のお話で聞いた、人攫いのようなもの?)


 頭を捻りながら、仕方なしに衣服を着替える。

 今が夜でも暑い時季でよかった。冬であったなら、すぐに凍えてしまっていただろう。

 魔法で体や髪を濡らす水気を飛ばして、服を着る。白と紺を基調とした衣服は清潔で着心地が良い。魔法でもかけられているのだろうか、不思議とサイズはぴったりで、気温の暑さを遮断する機能もついているようだった。

 近くにある長椅子に腰掛けて、最後にブーツを履いたところで、か細い風が鋭く通るような音がした。


 ヒュウ。

 ともすれば、口笛のような甲高い音。

 ヒュウイ、ヒュウ。


 連続して吹く音は、近かった。ミレイス一人だけの部屋の中ではよく響く。

 音は、あの石像のほうからだ。腰を浮かして様子をうかがうと、台座の辺りから何かが飛び出した。丸い物体だろうか。すごい勢いだ。

 咄嗟に身構えたミレイスに向かってきた物は、あっという間に間近へと迫ってピタリと停止する。

 そして、おもむろに話しかけてきた。


「やあ、美しいお嬢さん! その珠のごとく輝く柔肌を覗いてしまった罪深き私を赦してくれたまえ! 抗えぬ誘惑に、つい魅入ってしまったのです。かくなる上は、責任を持って、貴女をお守りしましょうとも!」







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