六話
頭部に生えた立派な角は、目が眩みそうな結晶体が長く伸びて枝分かれしたもの。どんな宝飾品よりも素晴らしい。
碧眼は見事な玉のように爛々と光り、頬まで裂けた大口の周りには豪奢に薄金の毛が囲み、それが靡くさまは輝きを纏っているように映った。
偉容を形で現せばこうなのかという龍の姿に呆気にとられてしまう。
巨体だというのにその速さはミレイスたちが落ちる速度よりも優れている。ぐるりと旋回した龍には、頭部と体の上の部位にくっついている三対の腕が見えた。あの、シギの仮宿で見たそのものの姿だ。
つまり、これは、シギが龍となった姿だろう。
六つの腕の一つにミレイスたちを拾うと、シギは一直線にまた飛び上がり、どこかへ向かいだした。
シギの手は鋭い四つのかぎ爪を持った鋭利なものだったが、手のひらの部位は暖かく、意外なほど快適だった。見れば、手のひらの開いた場所にはアセンシャの部屋に置いていた、ズヤウやミレイスの鞄が転がっている。
「平気か? 気分は? 怪我は、していないな」
慎重にミレイスを離して、こちらを伺うズヤウにうなずく。
ほ、と息を吐かれてまた抱きしめられた。そしてそのまま、恨めしそうにズヤウは手の主に向かって呟いた。
「シギ様、聞いているでしょう。説明もなく行動を起こさないでくださいと何度言えばいいのです」
虚空から木霊した男の声が返ってきた。
「拙速は大事だという、私の親切心からの教えだ。聞くがズヤウ、過去の自分の甘さによるツケを払わないでいいとでも? お前の対を害した輩を放置できるか?」
返事をしないが、ぐう、とズヤウが唸る。思うところがあるのか、黙ったままミレイスを抱きしめる腕に力が入った。
「なにより、人の子たちがわちゃわちゃとしている様子を特等席で見たいのでね。今なら間に合うぞ。私は物作りも好きだが、破壊も好きだ」
ズヤウの表情が落ちる。なんとなくミレイスには、シギに対して文句を言っているのだろうなと分かった。
二人のやり取りを聞けば聞くほど、アセンシャよりも自由な方だと思わずにはいられない。ちょっとした慰めをするつもりで、そろりと背中を撫でる。疲れたように息を吐いて、首元に頭が寄せられた。
甘えられているのだろうか。本当に、素直になってきたズヤウの行為はうれしい半分戸惑ってしまう。頬どころかそこから熱が伝って、赤く染まってしまいそうだった。
「ほら、じきに着く」
シギの声に、残念さと安心を抱きながら地上を見る。遥か下、暗い雲があるあたりだろうか。明らかな悪天候の唸りをあげて、時折雷光を放っている。
それとはまた別に、違った音が聞こえる。大地が震動する音だろうか。唸りをあげた人の声にも聞こえる。
くん、と吊り上げられたかのごとく急に上がったかと思うと、少しの間を置いて、急降下が始まった。
「シギ様!」
苛立ったズヤウの声と共に、シギは暗雲へと突き込んだ。ふわりと体が浮きそうになって、ズヤウの先導によってシギの指を掴んで耐える。肩を抱かれて、ぶつかる雲と風に目をつぶった。
わずかな時間で雲間を抜け、肌に乾燥した冷気が当たる。
目を開ければ、視界いっぱいに広がったのは曇天を上に仰いだ水上都市がある。
水の国王都、ミクノニス。
もともと平らな陸地が少なく森林と水資源が豊富な国である水の国は、陸地と陸地を繋いだその上に町々を浮かべた。岩石や鉱石で土台を作り、町を造ったのだ。その最たる都は、常ならば周囲に水をたたえた美しさと称されていたことだろう。
今はその影もない。
厚い雲により陽は遮られ、暗くなった都はどこかおどろおどろしさすら感じる。その都から外の土地へ向かって伸びる幾つもの立派な大橋からは、黒々とした塊がゆっくりと脈動しているかのように進んでいた。
進行方向には、都のために均した大地。そこには、旗を靡かせ待ち構えている集団がいる。
(あれは……カヒイの都の旗だわ)
正式には旧水の国王家の旗。テネスナイの紋章を掲げている。
空気を伝搬して、微かに声が届く。
――国を汚した化け物どもを蹂躙せよ! これは、正統なる浄化のための戦である!
堂々とした女の声に続いて、雄叫びが方々から上がる。ここまで届くのだ。勢いは激しく、気圧されそうなほどの意気だった。
「では、私は見守るので、お前たちががんばりなさい。マネエシヤ様はアセンシャがしばらく相手をしているみたいだからね、その間、面白い様になることを期待しよう」
そう言って、シギはミレイスたちがいる腕を振りかぶり、地上に向かって放り投げた。
*
「構え! 矢放て!」
世が世ならば、立派な勇者として立つ器量だ。
かつての出来事を思い起こしてカイハンは笑う。かつての風の国の血を引き継いだ女は戦の才能がある。これで老齢だというのだから、全盛期はどれほどの力量だったのだろう。彼女を信奉する軍や師団が多いのもうなずけた。
カイハンは現在、女帝のごとく君臨したテネスナイと傍に控えているイマチの護衛代わりに、戦場に立っていた。幾久しい戦の空気は、忘れかけていた五感を思い起こさせた。
王都ミクノニスからは、かろうじて人の形を保った魔物が緩やかな足取りで押し寄せてきている。兵士からはてはドレスを着た人物、獣を無理矢理人の形に押し込んだものまで様々だが、どれほどの犠牲を払ったのか。
(そろそろ御方々が強制的に破壊しにくる程度にはやらかしてしまったのだな)
残念だ。
カイハンが民草を託したとき、損得勘定が得意で義理堅いからと選んだ一族だったのだが。時間とは残酷なものだ。いつかは風化してしまう。
しかしながら、嘆くまではしない。かつてのカイハンのように立ち上がる者たちがいる。民たちを助けるべく動くよう、別働隊である第二王子たちに指示を出してまでいるのだ。水の国の民はどうとでも生きていけるだろう。
(それに……ああ、来たな)
矢の雨を放ち、さらに第二射を準備していた最中のことだ。にわかに、空を仰いで誰とはなしに呟きがした。
「――龍だ」
「神の使いだ」
好奇と動揺。
緩んだ空気をすかさずテネスナイが発破をかけて引き締めた。
「天も我らの味方ぞ! 御方々に、無様を晒すでない!」
風の魔法で広域にテネスナイの声を送り込む。それくらいの補助は、カイハンにとって容易いものである。
イマチはその様を、第二王女コンハラナの身隠しの魔法を使われながらも目に焼き付けていた。昂揚や興奮ではなく、ただ真摯に見ている。賢い子どもだとカイハンはイマチを買っている。
空を舞う龍がこちらにくる様に浮き足立ちもしない。
曇天の下を急落してきた鈍色の龍は、軍団の上空を猛烈な勢いで飛び泳ぎ、また駆け上がる。その最中で、二つの腕が大事に抱えている姿があることをカイハンは見つけた。その姿が見えたのは、一瞬のこと。
水面を思わせる青から白へと変わる美しい髪。透き通るような肌。柔らかで静謐を讃えた青黒い瞳が潤んだ様は、少女とも艶やかな女性とも思わせる。思わず目を引く美しい娘が宝だとでもいうかように、龍の両手の内にいた。
(……背に乗せるではなく、抱えるとは!)
思わず笑う。漏れ出た笑いに、周囲の目が向けられても気にせずにカイハンは笑う。
気分が良い。アセンシャの命令で見守っていたが、二人がいないのなら程々にと思っていた。だが、これは盛大にお祝いがてら派手にしなければ。
(道は空けてやろう。まずは、軽い手向けだ)
龍が泳ぐ先、その前方に飛ぼうとする魔物たちに向かってカイハンは勢いよく魔法を放った。
*
シギから地上へ落とされた直後、龍へと転変したズヤウに抱えられてミレイスは飛んでいた。
おそらく軍の首魁がいるあたりにカイハンらしき人物を見つけたが、向こうは気づいたのだろう。王城へと続く大橋に固まっていた魔物の塊が、空へと飛び上がるところを大風が吹いて邪魔をしたのだ。
カヒイの都で感じた、大荒れの風の日を思わせる。しかしその風は、ズヤウの飛行を邪魔するでもなく背中を押していた。敵は妨害し、こちらを補助するような動き。明らかに作為的な風だった。
「カイハンがしてくれたのかしら」
龍の腕に抱かれながら、ミレイスが見上げて口に出せば、「そのようだ」とズヤウから返答があった。
「ズヤウ、痛みはない? 大丈夫?」
「非常に癪だが、シギ様のあの実のせいで前よりは楽だ。ミレイスこそ、不便はないか」
「はい。私も、調子が良いの。ズヤウの代わりに、私が向かってくる魔物をなんとかするわ!」
ミレイスを抱え込んでいるせいでズヤウが得意の切り裂きもできないはずだ。噛みつくだとかそういうことはあまりしてほしくはない。そう考えて気合いを入れて言えば、不機嫌そうな唸り声が返ってくる。
「お前は僕が止めてもやるんだろ」
「はい!」
「頑固者め」
また唸り声まじりだ。ズヤウはミレイスが戦うことに不満らしい。だが、ミレイスが引かないということもわかっているのだろう。
「……僕の目であいつらを留めておく。やるなら思いっきり流してやれ」
「はいっ、任せて、ズヤウ!」
許可してくれたことが嬉しい。威勢良く請け負って、ミレイスは祈りながら集中を始めた。
水上都市、すなわちたくさんの水がある。それに曇天で、この場所は水気に満ちている。水の精霊であるミレイスにとっての絶好の場所だった。
(水。天から落ちてくるくらいの水。下からも突き上げるほどの、たくさんの水)
上空から、水面から。ズヤウが飛んでいる下の辺りに、小さな水の粒が寄り集まって平たく伸びていく。やがて、王城を中心に広大に展開して水鏡となって地上を映す。
(魔物は、魔法は流水に弱い。思い切り流して……でも、人や害のないものは流さないように)
意思を持った巨大な水が宙で渦を巻く。
薄い水面にさざ波が立ち、回り始める。
(綺麗にする。洗い流す。悪いものを、ぜんぶ。善いものを、残す)
「――幸い給え。守り給え」
祈りの言葉を呟く。正真正銘の、呪いではない、祈りのためのもの。かつてのように無差別に魔力は吸わなくても、ミレイスの内からは次から次へと力が溢れてきた。
魔力を含んだ水が光る。輝く水は一際大きくうねると、地上に向かって一斉に落ちていった。
天地をひっくり返したかのような、大雨だ。
大粒の雫が地にへと還っていく。
ごっそりと汚れをそぎ落とすように魔物たちのみを流して巻き込んでいく。魔力を糧に体を保つ魔物たちは、ズヤウの目の力によって縫い止められたように動かない。流れに逆らうように留まり、水に削がれ、小さくなっていった。
水が捌けて地上から水上へとしたたり落ちるころには、空からは雲が晴れ光りが差し込み辺りを照らしている。
すべての魔物が完璧にというわけではないが、辺りにはすっかりと綺麗になった王都が現れていた。
「ミレイス」
「はい」
「よくやった。行くぞ」
ぐるりと上空を飛んでみせて、ズヤウは言うと王城へと尾をしならせて飛んだ。
日光に照らされ白銀に輝く鱗を下から人々が見上げていた。何かを言われている。だが、それは、恐怖ではなく畏敬だ。
こちらにむかって祈る仕草を次々にしてみせる人々に目を瞬かせる。
それを振り払うように、ズヤウは飛び、そして勢いよく王城上層部を破壊して侵入した。




