五話
「そんな顔をするな。べつに、怒っていない。ただ、思うところがあるだけで……もういい。気にするな。そういえば、お前、泣いてなかったか」
「え、ええ」
ミレイスが気にしていると気遣ってくれたのだろうか。あからさまに話題が変わる。戸惑いながら肯定すれば、ズヤウはわずかに目を瞠ってから黙り、それから少しの間を置いてさらにたずねてきた。
「僕がいないと嫌だとか、必要だとか、言ってなかったか」
「あ、あの、ズヤウ? 起きてたの?」
驚いて質問に質問を返す。またズヤウが溜息を吐いた。顔を片手で抑えて、伏せている。「幻聴じゃなかったのか」なんて聞こえたが、さっぱりわからない。
どうしたのだろう。オロオロとうかがっていると、ゆっくりと手を戻して顔を上げたズヤウがじいっとミレイスを見た。
「……念のため。確認のために、聞くが」
「はい」
「お前は、僕が好きか?」
「えっ? はい。私、ズヤウが好きです」
深く考えずに答える。
沈黙。ズヤウは、半信半疑でこちらを見ている。わからないながらも見返せば、互いにじっと見ているだけの奇妙な時間となってしまった。アセンシャの話で聞く、男女の心の機微が動くような甘やかなものではなく、どちらかというと見定められているような気がする。
しばらく見合って、ズヤウは「わかった」と言った。何かを決意した、そんな様子だった。
「僕も腹をくくろう」
そして、ぼやっと見るばかりだったミレイスはズヤウに腕を取られて、抱きしめられた。
「ミレイス」
熱の籠もった声で呼ばれた名前に、ぞわりと耳から熱が伝搬する。おずおずと相手の背に手を回せば、さらに強く腕を回される。
「お前は、僕らの被害者でもある。魔力の実験は、僕らの代からだ。だから、元を辿れば風の国が、僕らが、お前を苦しめたとも言える」
「……でも、ズヤウたちが悪いわけではないでしょう? それは違うわ」
「違わない。徹底的に破壊していれば、今ここになかった産物だった」
温かい。
とくとくと鳴る心音が二つ。ぴたりと重なったみたいに、心地よい音がする。
「なあ、ミレイス。だけど、お前を離してやるなんてことは、もうできない。したくない……知らなければよかった。こんな、どうにもならない感情なんて」
「私は、知れてよかった。とても、素敵な気持ちだわ」
知らなかった。
こんなことは、気持ちは、今のミレイスでしか知り得なかったことだ。かつてのあの少女だった頃の自分が得られなかったことだ。
だから、いいのだ。ズヤウが気に病むことはない。
それに、研究を運び出したのはミレイスたちの水の国で、ズヤウたちばかりが悪いわけではない。放置していればそのまま朽ちていったことだったはずだ。
「僕が、お前を傷つけて泣かせてしまうことも、嫌な気持ちにさせてしまうこともあるだろう」
「大丈夫です、ズヤウ。ズヤウにされて嫌なことはなかったわ。それに、私、打たれ強いんですから」
「それでも、嫌だ。僕が見たくない。なのに、なんでだろうな。それでも離れたくない。お前を望んでしまう。思い返すんだよ、ずっと、いつの間にかお前のことばかり……」
抱きしめられているというのに、縋られているようだ。ズヤウの頭がミレイスの肩口に当たる。
先の決意した様子は、隠すことをやめたということだったのだろうか。どこか後悔や後ろめたさを匂わせる言葉たちに、ミレイスは決してそんなことはないと込めて反論する。感情があふれたかのように、言葉がつぎつぎと投げかけられた。
満たされていた。安心できる相手に包まれている状況が。少しでも相手に届くといいと、顔を上げれば間近に真剣な表情と見合う。
「好きだ、ミレイス。お前に、僕の傍にいてほしいと、願うんだ」
熱い。
全身がカッと燃えたようだった。
「わ、私も」
震える唇を動かす。
「好き。ズヤウが、好き。大好きです」
好き。好き。それ以外言葉が出てこなくて、繰り返す。
そうしていれば、ふ、と息を漏らして笑ったズヤウがミレイスの顔に影を落とした。鼻先が触れあって、秘め事を話すみたいに静かに囁かれる。
「十分、知ってる」
至近距離に映る夜明けの瞳。宵闇から暁光を抱いた色は、今まで見たどんな風景よりも美しい。首筋に腕を回して頭を預けて、今度はミレイスからぎゅうと抱きつく。
幸せなこの光景を、今日を、きっとこの先忘れないだろう。そう思いながら。
アセンシャの片割れであるシギの影響なのだろうか。
その弟子であるズヤウは、ミレイスが思った以上に愛情深い人だった。もともと優しい人物だと知っていたし面倒見もいいことから予想はついていたが、それ以上だった。
告白で箍が外れてしまったからか、ミレイスを見る目がとても柔らかく愛おしげで、落ち着かないのだ。
嬉しい。
嬉しいが、それとはまた別に、むずがゆくてつい恥じ入ってしまう。
頬や頭を撫でられて、快さに流されそうになっては自分を律する。そんなミレイスとはよそに、その姿を見て満足そうなズヤウばかりが楽しそうだった。こちらはどぎまぎしたり、顔や体が熱くなってしまうというのに。
ズヤウは何故平気なのだろう。そう思って不満を伝えてみれば「まあ、耐えるのは慣れているから」と言って、ひどく優しい目をされた。よくわからないが耐えているらしい。一体何かと思いつつも、がんばってと励ませば、頬を弱くつままれた。
他愛もないやりとりをして、部屋を二人で出る。
居間には、立派な体格をした男がくつろいでいた。
驚くミレイスの前にすばやく出たズヤウが、ピタリと止まった。時間が凍ってしまったかのように、見事に固まっている。
ズヤウの背中から、相手を観察する。
金髪碧眼で褐色の肌の、立派な体格をしている男だ。ただ、服装は一風変わっていた。
まるで、町の職人みたいな格好だ。よれて着古した灰色の作業着に黒い長靴、ばらつく前髪を避けるために巻いた赤いバンダナで額をあらわにしている。そんな格好で、居間のソファに長い足を遊ぶように組んで座っていた。
だが、それでも美貌が完璧に衰えてしまったというわけでもない。
服装を気にさえしなければ、後光が差しそうな美しさである。
「おや、もういいのかな」
男が顔を向けると、輝く金糸がさらさらと落ちる。均一な褐色の肌に、涼やかな一重の碧眼に整った鼻筋、薄く大きめの口から漏れ出る気怠げな声色は低く美しい。
アセンシャに並び立つかのような。そこまで考えて、あ、と声が出た。
「シギ様、なぜ、ここに」
極力冷静を装うズヤウに、シギと呼ばれた男が気安い仕草で片手を上げて微笑んだ。
「やあ、ズヤウ。可愛い弟子の愛を見届けにきたよ」
いと賢き強大なる金腕の君。東の御方。アセンシャと同じくして造られた神の配下。そして、ズヤウの師匠という立ち位置にいる人外。
慌てて腰を低くして頭を下げようとしたところで、ズヤウに止められた。
「しなくていい。仰々しい扱いは面倒がられる方だ」
そうなのだろうか。ちらりとシギをうかがえば、鷹揚にうなずかれた。
(そういえば、アセンシャ様もへりくだった対応は嫌がられていたわ。似ていらっしゃるのね)
納得して軽く頭を下げるだけにとどめる。にんまりと唇に弧を描いて笑われた。切れ長の目も愉快そうに細まり、碧眼が光っている。
「ふむ。こうして実物を見れば、なかなか……さすがアセンシャ。相変わらず趣味が良い。それに、お前も」
意味ありげにズヤウを流し見たシギが言う。対するズヤウは、決まり悪そうだ。だが、それでもミレイスの前に立ち、かばったような形で対峙している。
「うん、その様子は一見の価値がある。祝福をやった甲斐があるというものだ」
「祝福、ですか?」
おずおずと声に出して聞く。
するとシギはどこからともなく、小ぶりの実を指先につまんでみせた。薄紅色の丸い果実は、アセンシャが置いていった荷物のところにあった実と同じ物だ。
「あ、それは」
「美味しかったろう?」
「はい、とても」
すりおろしただけなのに、蜜と煮詰めたように濃い甘味がした。溶けるように喉の奥へと入り込んで、しつこい甘ったるさを感じない。食べたことのないほど、美味しいものだった。
シギからの贈り物だったのか。感謝の念をシギに送るミレイスとはよそに、ズヤウは警戒している。
「……シギ様。何をしましたか」
「祝福を。お前たちはいずれ消えるだろう? だから、死後も私たちのもとで働けるように生命の格を上げておいたよ。嬉しいかい」
「最低の気分ですが」
「アセンシャと星をちょうど半分にわけて、方々を見ているのも手間だと思っていてね。だったら三つにわけて、お前たちにも見てもらえばいいのではと思ったんだ。いい案だろう?」
「最低な提案ですが」
「ず、ズヤウ」
そんなにはっきり言って良いのか。腕を引けば、逆に片腕で抱え込まれた。
「僕はともかく、ミレイスをその役目に巻き込まないでいただきたい」
「愛は分かち合うものだ。老いも若きも、酸いも甘いも、憎悪も慈愛も等しく。もちろん、私からの願いも分け合ってもらおう。さて」
好き放題の理論を言ってのけて、シギが立ち上がる。
トン、と片足を踏む。すると、急に空間が歪んだ。
転移だ。
ズヤウの魔法でいくらか慣れていたことにより、気づく。
そして転移した先は、上空だった。濃く明るい青の空には、煙のようにたなびく白雲が伸びている。
直接肌を刺す陽の光を見上げたのは一瞬のことだ。
わずかな浮遊感のあとは、急激な落下が始まる。
目を白黒させている間に、体に回されていたズヤウの片腕に力が入った。
「ミレイス、掴まれ」
ズヤウが舌打ちをしてミレイスをさらに抱き寄せる。ごうごうと風が通り過ぎていく。
春が近づいていると家の外の景色を見てわかってはいたが、こうも高い空の上ではなお寒さが勝る。お礼を言おうとして、上手く口が回らない。白い息がこぼれた。ありがたくズヤウの体にしがみついて、落下に耐える。
そうしているうちに、上空から巨大な物体が降りてきた。大木の胴よりも遙かに大きな胴がいつまでも続いているかのようにミレイスたちの周囲を通り過ぎていく。
明るい空の下で輝くその色は、黄金。
大きな鱗たちを眩く光らせて泳いだその体は、紛れもなく龍だ。




