三話
*
知性にきらめく瞳というものは、きっと彼のような瞳を言うのだろう。
好奇心にきらきらと内から輝いているかのような、そんな目で従兄弟は言った。
「――極限状態におちいれば、過去を垣間見ることができるそうだ。そうであれば、私はこの国の根幹を覗いてどうしてこうなったか、見てみたいよ」
(これは、夢か)
過去の夢を、ズヤウは見ていた。
久方ぶりに、幼いころの自分たちを見た。
あれはいつの頃のことだろうか。こっそりと部屋を抜け出してきたカイハンが本を片手に星見に行くぞとズヤウを連れ出した頃か。
場所は、廃教会だ。夜空がよく見えるからと抜け道を駆け抜けた。
星見の最中で、何を思ったのか、得た知識をズヤウへ語って聞かせたカイハンが言う。
憧憬を抱いて見ていたせいか、すこし気が抜けた。
ああ、こんな風に子どもっぽいところがあった。そういう奴だった。
思えばその頃から気ままな素質はあったのだろう。あの頃の自分は幼く、憧れと仕えるべき尊い人物であるという分厚い壁を通して見ていたから、気づくのに随分と遅れたのだ。
カイハン。
もとい、エトゥス・カイ・ゼノクニカ。
風の国の第三王子殿下は、気ままに変わる風のように場によって上手く接し方を変える御仁だった。王家として生真面目に、民に向かっては優しく、軍に対しては勇気ある人格者に。生まれは高い身分の胎ではなかったが、それを差し置いてもあまりある功績を幼いながらに成し遂げた。
成し遂げてしまったのだ。
(……嫌な夢だ)
ズヤウは、カイハンの影武者として育てられた。
髪色と目の色が似ている、それだけの理由からだった。家柄も高い地位にあるため宮廷に上がりやすく、さらには一族には子が多く居た。ならば一人くらいは構わないだろう。そう指示されて育ったのだ。
幸運だと思えたのは、学ぶことが苦ではなかったこと。カイハンが何かと気に掛けて、仲が良くなったことだろう。従兄弟だが、気の合う家族くらいには思えた。だから、こいつのためならば多少の苦難は甘んじて被ろうと覚悟ができた。
(多少どころではなかったがな)
自嘲混じりに舌打ちしそうになったところで、カイハンが空を指さした。
「あ! 空を見ろ。今日は笛吹く日だから、凧が昇っているぞ。この時勢でなければ、もっと盛大だったろうに」
幼いズヤウが見上げたように、今のズヤウもまた見上げる。
星明かりだけの夜空に、ぽつりぽつりと凧が浮かんでいるのが見えた。魔法の明かりだろうか。小さく凧の姿を浮かび上がらせれば、まるで空に浮かぶ色とりどりの小さなランプのようにも見えた。
(だが、この後に、軍が凧を下げさせた……だったか。敵方に合図を送るつもりだと処罰されていた。そんなはずはないというのに)
ただ、純粋に上げていただけだろう。連行されていった民は子どもだった。親は最後まで子をかばっていた。
まだ騒ぎは起こっていないらしい。ふわりふわりと浮かぶ凧を見上げたままでいると、少女の声が言った。
「――素敵な行事ですね」
ぎょっとして声の主を探す。
隣に居た。そして声からもすぐに誰かはわかっていた。ミレイスだ。
きらきらと、あの頃のカイハンみたいな好奇心と純粋に楽しんでいるといわんばかりの眼差しで空を見上げている。
場所はいつの間にか、カヒイの都へ。それも明るい昼の空へと変わっていた。
空には色とりどりの凧があがり、風に吹かれている。夜空にあがっていた寂しい凧の数と比べると、賑やかさは倍以上だ。
(……カイハン。お前の選択は正しかった)
風の国を終わらせて、水の国に任せることにした。
そう言い出した時は気が狂ったかと思ったが、カイハンは本気だった。内乱が激しくなる風の国を壊すことを選んだカイハンは、親兄弟を蹴散らして最後の王座につくと水の国へと密約を差し出した。
大物であるシギをつり上げて、自身の首を持って、ズヤウを助けた。本当に大した度胸と胆力だった。精神力もズヤウ以上の化け物である。
そうでなければ、鳥の頭を器にと入れ込まれて「頭脳しか役立てそうにないので、これからはカイの半分でカイハンとでも名乗りましょうか!」と言わない。
だから、頭が上がらない。
今でこそ、あんなとぼけた様を晒しているが、友として素晴らしい存在であるのは確かだ。口にするとやかましいので言わないが、こうして記憶を思い返せば、いつか言ってやってもいいのかもしれない。
(ただ、今の水の国では任せるに足りない)
ミレイスが左手を握ってにこにこと笑っている。
こうして笑いかけられ、手を握られることは、幼い頃以外にない。
ひんやりとした感触かと思えば、きちんと熱を持っている。照れながらも嬉しそうにしているミレイスは、自身の身に起きたことを本当に理解しているのかと思いたくなるくらい暢気だ。
(いや、まあ、嫌い、ではない……悪くも、ないが)
貶しそうになって、誰もいないというのに勝手に言い訳をしてしまう。
目が離せない、手間の掛かる娘。自分なんかを優しいと言って憚らない。あまつさえ好きと言って手を握ったり抱きついたりと好き勝手をする。
生前からそうだったわけではないはずだ。精霊となって箍が外れたに違いない。そうは思っても、こうも純粋に好意をぶつけられれば嫌でも気になる。気になれば、あとは、落ちるばかりだ。
感情が思うとおりにならないと実感したのは、怒りにまかせて王城の破壊に加担したとき。それからミレイスに出会ってからだ。後者の割合が多くなりつつあることが甚だ不本意である。
にこにこしたままのミレイスがすこし小憎らしい。
どうせ夢なのだからと、腹立ち紛れに軽く口づけてみた。なんの反応もない。それもそうだ、夢なのだから。だから、落胆したなんてことはない。
ただし、代わりにまた声が聞こえた。
――ズヤウが必要なのです! 失いたく、ないのです! ズヤウが、ズヤウがいないと……お願いです。どうか、お願いします。連れて行かないで。
誰かに懇願でもするような、哀切に満ちた声。涙混じりに懸命に言いつのるミレイスの言葉。
驚いてしまった。
こんなに、本気で、心の底から自身を望んでいる言葉がしたことに。ミレイスが、泣きながら自分を乞うていることに。
(相手は誰だ? いつ、どこで、何を言っている? ミレイスは無事か?)
ズヤウの記憶にはない。ねつ造かと思うには、迫真の声音だった。それが余計にズヤウを混乱させた。
もし、本当に現在ミレイスが危険な目にあっていたら?
せっかく、安全を確保したというのに。
いくつも精霊と魔力が豊富な人間を喰った異形の魔物を、どうにか討ったというのに。これでは意味がない。ズヤウがなんのために踏ん張り、転変したのか、理由がなくなってしまう。
すすり泣く声が聞こえる。
隣で笑っていたミレイスはいつの間にか消えていた。カヒイの都もまた同様に空気に溶けるようにして消えていく。だが、泣き声と自分の名前を呼ぶ声はずっと届いていた。
(泣くな。泣くなよ、ミレイス。なんのために、僕がここまでしたと思っているんだ)
思った以上に、ミレイスのしゃくり声は胸をざわつかせる。落ち着かない。早く、起きて、その場にいかなければ。
カイハンならば、ズヤウがいなくても一人で立派にやれる。かつてやり通した男だから。だが、ミレイスはどうだろうか。寄る辺のなさからくる依存だとしても、ズヤウは手を取ることを選ぶだろう。
(お前は、へらへら笑っているだけでいい。できるなら、僕の傍らで)
そう考えてしまうくらいには、もうとっくに、好きだった。
頭をくしゃくしゃと掻いて息を吐く。それから、伸びと屈伸をしてズヤウは天から降りてくる嘆きの声に向かって、飛んだ。
***
寒波吹き荒れる水の都。
王城の一角、為政者のみに許された部屋で歌って踊る。男とも女ともとれる格好の、美しく着飾った人物が、まるで物語の姫の真似事のように虚空に向かって手を差し伸べて口ずさんでいた。
「花摘むか、花愛でるか。今年の花は、よく咲いた。いずれ散るなら、摘まねばならぬ。捨てておくより、摘むのがましじゃ」
懐かしい歌だ。
アサテラ・エデイータ・ミクノニスが、その母が、その父が求めた、一人の女。その女が宮殿でひっそりと歌っていた歌だった。
母から彼女への執着を。父からは若さへの渇望を。双方から正しく、完璧に受け継いだアサテラは、彼女を手に入れたいと思った。彼女が手に入らないならば、自分がかくありたいと願った。それは彼女が亡くなっても、諦めず願い続けた。
いや、亡くなったからこそ、強く願ったのだ。
アサテラは、なんでもした。
言葉通り、なんでも。親兄弟を利用して、彼女が孕んだ子どもたちも一切合切利用して、ここまできた。
理性はいつすり切れたのだろうか。アサテラにはわからない。覚えているとすれば、実験を散々しつくして、自身にも魔力を取り込むようになってからだろうか。いや、もっと前に、美しい彼女の体を取り込んでからだろうか。
ただ、彼女、キサを求めていただけだ。彼女の美しさを、彼女を手にしたいと行動しただけだ。
アサテラを止める者はすでにいない。城内に残る主な臣下や使用人はすでにアサテラの支配下にある。
「花摘むか、花愛でる……」
繰り返して歌ったところで、ぴたりと止める。
自身の魔力の一部を取り込んだ魔物が倒れた。
あの魔物は亡き母の死体や他の王族の死体を元にしただけあって、より強い魔力を内包した素体から成ったものだ。母が、死の間際まで「キサになるのよ」と熱病にかかったみたいに言っていたが、結果はああだ。
やはり、美しいものは厳選した素材をよりあわせねばならない。
それは、選ばれた者、キサに愛でられたことのある自分が相応しいとアサテラは盲目的に信じている。父の妾だとしても、母が狂おしいまでにキサへと執着しても、彼女の一番は自分であった。そうであるべきだった。間違いなく、そうだったはずだ。
魔物が消えた場所は、元風の国との国境間際だった。
風の国といえば、母が素晴らしい研究資料を引き下げ、そしてキサを見いだした場所だ。内乱で滅んだ国だが、おかげでこの手に素晴らしい成果を生み出すことができるのだから、アサテラは幸運だ。
多くの犠牲の果てに成り立つ幸運を噛みしめて姿鏡の前に立つ。
王の間には、アサテラ以外に誰もいない。豪華なつくりのなかに、大きな姿鏡を置いて自由に自分の顔を、美しいキサの顔を見つめる。
鏡に映った姿に微笑む。
――ああ、もう自分しかいない。これで、キサの美しさは私のものになれる。私と、共にいられるのだから。
かつてキサを脅かしたもの、虐げたもの、すべてを排したその先で。
鏡像が恋人だとでも言うかのように、愛おしげに指先で撫でて触れ、アサテラはまた歌い出した。
「花摘むか、花愛でるか――」
王城内には、すでにただの人は一人もいない。
寒風吹きすさぶ中で、カヒイの都が狼煙を上げて王都へと攻め入る選択をしたことを、誰一人伝えるものはいなかった。




