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神様の手先の手先  作者: わやこな
春にめぶく
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一話


 天というからには、空の彼方を想像していた。

 蒼穹の中。あるいは、たなびく白雲の上。そういった空間が浮かんでいたが、どうも様子が違う。

 ミレイスが目を開けて真っ先に飛び込んできたものは、緑豊かな菜園だった。

 なだらかな丘を中心に、花弁が広がるように五つの方向へそれぞれ緑が生い茂っている。ちょうど、ミレイスが現れたのは左上と真ん中の境目のあたりだった。

 空はない。うっすらと霧がかかっているが、不思議と暗さは感じない。むしろ明るく、霧自体が光源となっているようにも感じた。

 どこか見覚えがある。


(……アセンシャ様の畑と、似ている?)


 そう。似ているのだ。

 ミレイスの知らない実をつける植物も、変わった香りを漂わせる花も、どことなくアセンシャの家にある畑と似ていた。もしかすると、アセンシャはここを真似たのか、それともここはアセンシャが管理している場所なのかもしれない。

 見事に整えられた菜園であったが、一カ所さびしい場所がある。

 中心部だ。

 緑に枯れ色が混じり、ものによっては葉に穴が開いていた。病気の作物があるのかもしれない。畑作に明るくはないミレイスではあるが、アセンシャの元で畑を見ていた経験則から、そう判断できた。土か、植物に害を与える何かが潜んでいるのだ。

 じ、と観察していると、ミレイスの居る正面、花弁の形をした右上の緑の園が揺れた。何かがゆっくりとかき分けて進んでいる。

 枝葉をしならせ、擦らせてやがて現れた姿に、目を丸くした。


 光が輪郭をまとっただけの、形。

 顔や髪一筋すら見えない。輪郭線のみの姿は、人型。ミレイスより背が高く、しなやかな四肢が伸びている。体格からは男性か女性かすらわからない。輝く人型は、前も後ろもあったものではない。歩みをこちらに向けていることから、おそらくミレイスのほうを向いているのが正面なのだろうと予測できた。

 その人型の光はミレイスが突っ立ったままでいるのにも気にせず、中心部の枯れ色が混じっている植物や土の部分を観察しはじめた。


(声を、かけてもいいのかしら。それとも、話しかけてはいけないのかしら)


 そう思ったのにはわけがある。ミレイスの精霊の勘が告げているのだ。

 目の前の存在は、畏れ敬う存在である。そう訴えていた。下手に声をかければどうなることか。そんな恐れを抱く声が内側から上がっている気さえした。

 結局、向こうの作業を止めるような声かけはできず、同じように腰を低くして無礼に見えないように控えることにした。

 ここには風もない。土の匂いもしない。かわりとばかりに、花々の香りや葉の青臭い匂いがする。

 虫や動物の鳴き声や音もしない。人型の光が作業するときに発する音やミレイスの呼吸音、鼓動が耳に届くばかりだった。


 どれくらい経過しただろうか。

 膝をついてかがんで待っていたミレイスに、今気づいたとばかりに声が掛けられた。


「お前が、あの子の言っていた精霊だね」


 不思議な声音だった。

 遠くにこだますような、空から降りてくるような、全身に響く声。声量が大きいというわけではない。ただ、この人型が言葉を放つ度に、耳に届いたと察するよりも早く頭に届いている、そんな具合なのだ。光輝の輪郭のみなため、表情も様子も分かりづらいが、少なくとも嫌悪感はもたれていないことに安堵した。

 あの子。おそらくアセンシャだろう。

 となると、この目の前の存在は。そこまで考えてさらに頭を下げる。

 星の管理者。世界を生んだの神々の子である神、マネエシヤ。アセンシャたちの創造主だ。

 ちっぽけな精霊のミレイスが気軽に会える存在では決してない。アセンシャの話からもいくらか聞いているが、マネエシヤは第一に世界の環境を考える神であるため、生物に頓着しない。そのため、人間に関与することはないに等しい。遠く隔てた、異境の神。だが、世界の誰もがその存在は知っていた。創世記に登場し、今もなお、アセンシャたちによって存在の片鱗を見せているためだ。

 言葉を返さずに頭を深く下げたミレイスに、マネエシヤは近づき見下ろした。


「話は聞いている。こと、このごろはアセンシャもシギも、わがままばかりで困ったものだ。わたしはわたしの働きを成しているだけだというのに、ことが終わるまで待てなどと言うのだから」


 そう言うと、くるりと体を反転させて歩き出した。


「ついておいでなさい」


 あわてて立ち上がり、畝をさけて後ろに続く。

 マネエシヤが進めば、植物たちはまるで自分から道を譲るように幹や枝はをしならせて曲がる。ミレイスもその後ろを続いてくぐり抜けると、ゆっくりとまた元に戻っていった。


「精霊の娘、お前はアセンシャの畑をよく世話していたね。お前が世話をしていたときは、管理の手間が減っていたものだ。その働きに免じて、此度の趣にわたしものってあげよう。」


 管理とは。アセンシャの畑とこの場所の関係とは。

 口に出せずに疑問に思っていると、さらりと返された。頭で考えていることもすぐに伝わってしまうようだ。


「アセンシャの畑とこの場の一部は繋がっているのだよ。正しく言えば、畑の環境がこちらにも影響を与えるのだ。ああ、ゆえに、お前が果実を食おうが収穫しようがそれは構わない。わたしにとって大事なことは、大地と空気によって育つ環境なのだから……さあ、ここからだ」


 菜園の端まで辿り着いたのか、マネエシヤが足を止めた先には渦があった。

 空中に位置する渦は長円で、目には映らないほどの細かい粒子が光っているのか極彩色に輝いていた。落ち着く雰囲気の菜園とは逆の、奇抜な派手さがあった。


「お前の求めるもの。わたしの大事な星の一部を腐らせ、循環装置を冒し暴走させたものを食らった獣。掃除役として便利そうであったから手伝いついでに召し上げたのだが、わたしの行動を物珍しく思った地女神につかまっているのだ」

「ズヤウが」


 思わず声に出してしまった。は、と口をおさえるが、マネエシヤは機を悪くした風でもない。むしろ優しい声音でミレイスをうながした。


「彼の神々は、理解に困る行動をなさることがある。無闇に罰せられることはないが、決して害意を抱かぬように。さあ、続いて入りなさい」


 マネエシヤが渦の中に入っていく。みるみると渦は光る体を飲み込み、沈めていく。

 それを驚きを抑えながらも見送り、ミレイスは深呼吸をして後に続いた。こうなれば、行くところまで行くつもりだ。もともと、そのために来たのだから。


 靄の中を歩いている。

 道らしき道もない。宛のない場所に向けて歩いているようにしか見えなくても、確かに進んでいるのだろう。マネエシヤの輝く玉体があるからこそ、迷わずについていける。

 やがて、靄が徐々に晴れて目前にあの極彩色の渦の色と似た建物を見つけた。

 一言で現すならば、虹の宮殿。

 白亜の宮殿は雲を土台にしており、その周囲に無数に掛かった虹の橋がある。虹は雲から雲へだけではなく、宮殿に向かって幾重にも掛かっている。過剰なまでの色彩の暴力にも見える。だが下品というよりも、荒唐無稽すぎて、ミレイスは一瞬自分が天上の世界にいることを忘れそうになった。

 しかしマネエシヤは怯むことなく、一定の早さで宮殿に向かっていく。


「こちらに今は降りていらっしゃるようだね」


 そう言って、宮殿の中に入っていった。

 唾を飲み込んで、続いて入りこむ。

 円柱がいくつも並ぶ回廊を抜けて、一際拓けた場所へ。外の派手な印象と比べて、内側は大人しい印象を受ける。静謐で、厳か。内外でちぐはぐな建物であった。

 マネエシヤに先導されて着いた部屋には、祭壇らしき壇があるのみの場所だ。教会のように長椅子が並んでいるわけでもなく、ただ広い空間に壇があるばかり。あたりに人の姿はと見ようとして、広い部屋の片隅に投げられている体を見つけた。

 白く、ともすれば銀に輝く部屋の内部には似つかわしくない汚れた体。長い胴を折り曲げて、力なく頭をうなだれさせている。血こそ流れてはいないが、遠目でもわかるくらいに傷ついていた。

 見つけた瞬間に息を飲んで、思わず走り出したくなる衝動を堪える。

 マネエシヤの言葉が本当ならば、この部屋に居るのだ。おそらく、祭壇らしき、上座に。

 はじめは、甲高く鳴り響く警笛と似た音。続いて、プツプツと弾ける音。それから、声が届いた。


「――こなたの星に傷をつけし者が作り成したる者や?」


 古めかしく、難解な言い回しをさらに頭の内で無理矢理訳したかのような妙な言葉。そんな言葉が女の声で届く。おそらくは、意味の通じる言葉を話しているわけではないのだろう。マネエシヤと同じくして、ミレイスの思考や頭に直接言葉を送り届けているのだ。

 辺りに目線をやるが、新たな人物はいない。声ばかりが続いた。今度は男の声だ。次第に意味がよくわかる言葉に変わっていく。


「我が愛しき妻の心を引きし者の対か?」


 それと同時に、隅にあった体が目前に落ちてきた。

 銀の蛇に似た体。冷たい鱗の長い胴に人差し指が欠けた両腕がだらりと垂れている。頭部は、は虫類ともとれるし狼の頭部ともとれるような、異様のものだ。角は無く、代わりに風切り羽根が耳らしき付け根に生えている。青銀の羽根はこんなときではなかったらうっとりするほど美しいと思えただろう。

 話に聞く龍らしき存在。

 だが、ミレイスにはそれが誰かはわかっていた。この広間に入ってきたときから、ずっと駆け寄りたくて仕方なかった。


(ズヤウ!)


 咄嗟に、頭にすがりついた。

 目の前に傷ついたズヤウがいるのだ。それも、意識がない。神々の前、畏れ多いことも忘れてのことだった。

 無事なのか。元に戻るのか。命はあるのか。そればかり心配で身を寄せる。

 ざわりと空気が揺れた。同時に、マネエシヤが静かに奏上した。


「わたしの子たちが見つけた、新たなる話の種でございます。趣向を変え、御前での対をご覧いただければと存じます」


 すると、もういちど空気が揺れた。リン、と鈴の音が鳴る。


「対かえ、貴方様」

「対のようだ、愛しき妻よ」


 密やかに睦言を交わすかのように、ミレイスの頭に秘めやかな囁きが響いた。


「これは、こなたの星に瑕疵をつけし者の子。だが、対であるなら哀れではありますまいか、貴方様」

「マネエシヤの新たな趣向ならば、興に乗るのもやぶさかではないな、愛しき妻よ」

「なれば、吟味せねばなるまいて」

「であるな。詳らかに子細を検分せよ」


 男の声にゆっくりとうなずいたマネエシヤは「精霊の娘」と声を掛けた。

 呼びかけられて、腕はズヤウの頭に回したままで顔を上げる。

 マネエシヤが手先を差し伸べるように向けると、手のひらの上に丸い珠が出来上がった。澄んだ水色の珠が宙に上がると、空中にミレイスの様子が浮き出していた。かつてのミレイスの人生と、これまでの行動や様子の一切が細かく分けられて浮かんでいる。

 同様にもう片手で、ズヤウの頭部に向けて、碧と銀が混じった珠が空中に浮かび上がった。




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