五話
しばらく、ぎくしゃくと動くズヤウは、ミレイスの姿を見ては盛大に舌打ちをしていた。
理不尽な苛立ちではないかしら。
そう思いながら、ミレイスが恐る恐るズヤウをうかがう。表情がわかりづらいはずなのに、冷たい視線を浴びている気がした。
結局、ズヤウが泊まる部屋はこの居間に決まった。
ベッドがないからとミレイスが部屋を譲ろうとしたが、断固として拒否されてしまったのだ。
曰く、年頃の娘が男を部屋に気安く入れるなということだが、ミレイスにはよくわからない。
記憶の残滓、体に残る常識もアセンシャから教わった事柄でも、そんなことは言われなかったのだ。聞かされた恋物語では、よく女性が男性を家に入れていたし、そういうものだと思っていたのである。
だから女性は男性を入れる話をしてから、なぜ、と聞けば、さらに「僕に聞くなよ、馬鹿!」と言われた。馬鹿のおかわりをもらってしまった。
(どんどん仲が悪くなっている気がするわ……)
アセンシャに申し訳が立たない。そしてズヤウを送り出したシギにも。
現在、ズヤウは居間の片隅に配置していた横長のソファに荷物を置いて、点検をしている。ズヤウの背丈では横になっても足がはみ出てしまうが、そこを寝床とするらしい。
床に寝袋を敷いてもいいと提案をされたが、さすがに客人に床はまずいとミレイスが渋った結果である。居間の台所付近にある食卓や椅子では、高さに差がありすぎて自由に使ってくれとはできなかった。
窮屈そうな客人の姿に、ミレイスは己のふがいなさに落ち込みそうになってしまう。
(でも、今声をかけても邪魔をしてしまうだけね)
ズヤウはあまりしゃべらない性格なのか、はたまたミレイスに心を開いていないだけなのか、黙々と作業をしている。
見ているだけでも、よくわからないが、荷物からいろいろ取り出しては整備らしきことをして戻していく。シギの弟子ということで、なんらかの道具を作ったり直したりする仕事をしているのかもしれない。
なんにせよ、集中している相手に声をかけることもできず、自身の後片付けを終えて数時間が経ってしまった。
ミレイスはちらりと今一度ズヤウを見てから、ため息を飲み込んで家の裏に出ることにした。
日はまだまだ高い。
昼時は過ぎて、そろそろ夕方にさしかかろうとしているが、夏の日差しはまだまだ強い。
アセンシャの保護の魔法に感謝しながら、戻ってきて早々の日課でもこなすため、ミレイスは土を踏んで歩く。
古びた家の裏出には、こぢんまりとした畑がある。およそ人間の大人が縦に三人、横に二人くらいの大きさだろうか。畑の周囲には木の柵が囲われていて、傍目には長年手入れをされていないせいで自然に呑まれた場所に見える。
だが、柵の入り口を開けて入れば、綺麗に手入れをされた植物たちが現れる。
柵はアセンシャの調薬で使う貴重な植物たちを保護しているのだ。
許可されたもの以外が勝手に侵入して収穫や乱獲をすることはできない。もししたならば、すぐにアセンシャがわかる仕組みとなっている。
その秘された畑の管理手伝いが、ミレイスの仕事の一つだ。水やりと手入れ、収穫が主な内容である。
水精であるミレイスが生み出す水は、魔素を含みよく育つ。
アセンシャにも褒められたことから、手伝いにと勧められたときから欠かさず行っていることだった。
畑の植物は、保護をかけられているため、基本的には病気も枯れもせずに育つ。ミレイスの水やりはいわゆる栄養剤みたいなもの。より品質を上げるには、大事な工程なのだ。そうミレイスは自負している。
柵をくぐって畑に入り、様子を確認する。
青々とした葉、紫の花、まだらの蕾。さまざまな種類の草木が自己主張をしながら生き生きと茂っている。
全体を見渡せる位置に立って、一呼吸。
意識を集中して上空から水球を落とすように。そしてそれは、根を腐らせることなく、大地に沈み込み、ゆっくりと溶けて隅々へと行き渡るように。
じわりじわりとミレイスのちょうど正面の上空から水の粒が集まって、形をなしていく。思い描いた通りに、大きな水の塊は光を反射して輝きながら、地面へと消えた。じわじわと畑の土色が湿ったことを確認して、体の力を抜く。
(よし、今日もうまくできた。それから)
ついでに、食糧となりそうな作物の採取だ。
アセンシャの調薬素材や貴重な種類の草花を植えた畑ではあるが、実は他にもある。例えば、アセンシャが好きな果実が実る草だったり、ミレイスが美味しいと思った野菜だったり、ひっそりと植えられているのだ。
(これもおもてなし。初めてのお客様。しっかりしなきゃ)
ほどよく実った赤い実や緑の瓜。紫色の果肉を持つでっぷりとした野菜を適当につまむ。料理は街で食べたような素晴らしい腕前にはほど遠いが、精一杯を尽くせば。
(大丈夫。大丈夫よ。一人でもちゃんと出来るわ)
両腕に抱えて家の中に戻る。
なるべく静かに台所に向かって、流しに採った野菜を置く。桶に水を魔法で張り、そこに入れる。艶々とした野菜はこれだけでも美味しそうだ。
だがこれだけでは、足りないだろう。
街でも見たが、男性は女性と比べてよく食べているようだった。そうとなれば、肉がいる。干し肉ならば、台所の地下収納にも保管しているが、できれば新鮮なほうがいい。多く作って、アセンシャにも振る舞えるようにしたら、きっと喜ぶ顔が見られるだろう。
そうと決まれば、ミレイスは革ベルトに挿したままの短刀に触れる。
この土地は、木々も生い茂っているため獣も鳥も多く暮らしている。鳥なら数羽、中くらいの獣ならば一体か二体いれば事足りるだろう。
装備を確認して、また家の裏出から出て行こうとすると、声がかかった。ズヤウだ。
「どこへ?」
顔を上げてミレイスを見ている。手元には、また先ほどまで見た道具とは違うものがある。本だ。
「あの、狩りへ。ご飯を用意しなきゃと思って」
「……そうか」
言うなり、ズヤウは本を閉じて鞄にしまうと、代わりに長弓と矢筒を取り出した。そしてそれを手にして、立ち上がりミレイスがいるところまで歩いてきた。
「ズヤウ?」
「家の者がいないのに、一人でいられるわけがないだろう」
呆れたように言われて、ミレイスの横を抜けてズヤウは出て行った。
追い抜かれて、はっとしてミレイスはその背を追いかけた。
「待って、待ってくださいズヤウ! 私も行きます!」
長弓をキリリと引き絞って矢が放たれる。
適当な場所を狙っているように見えるのに、弦がしなって矢が空へと飛んだ数秒後には鳥の断末魔らしき鳴き声が聞こえた。
「おい、あといくつ落とせば良い」
なんでもないように言うズヤウの足下には、すでに小山となった犠牲が横たわっている。
(わ、私の出る幕がないわ……!)
ズヤウが弓を引いて獲物が落ちれば、すぐに魔法で引き寄せられて足下の小山が増えていく。乱獲もいいところだ。
ミレイスはその有様に動揺しながらも、羽根を毟っていた。短刀は後処理には役立ったが、狩りには一切役立てていない。
「ええと、もう十分ではないかと」
「そうか」
くるりと長弓を回して構えをとく。
随分とこなれた仕草だ。肌を隠すような格好であっても汗一つかかず、涼しい顔だ。いや、表情は正確にはわからないが、ミレイスには余裕綽々だとなんとなく思えてしまった。
「ズヤウは、弓が得意なんですか?」
「まあ、苦手ではない。剣よりはマシなだけ」
素っ気なく返して、ミレイスの側、というよりも小山の側に寄ると、ズヤウはしゃがみ込んでまだ処理が終わっていない鳥の首を掴む。そしてそのまま、黙って羽根を毟って下処理を始めた。これまたかなり手慣れた様子だ。
ふと思った。会話のチャンスではないだろうか。
不機嫌そうな様子ではないことから、外に出て狩りをするのは良かったのかもしれない。この調子で会話が弾めば多少、居心地もよくなって、ズヤウもにこやかに変わるかもしれない。
甘い想像を抱いて、ミレイスはそわそわしながら冗談交じりに話題を振ってみることにした。
「それにすごい魔法です。ズヤウの魔法で羽根が取れたりもできますか?」
「切るだけならできるが、毛の根元が残るだろ。無駄に魔力を使うだけだ」
「そうなんですね」
会話が終了してしまった。
沈黙が重い。
しん、とした空気の中で、周囲の木々の葉擦れや虫や鳥たちの出す音が慰めだ。
(でも、たぶん、ズヤウは嫌な人ではないのよね。きっと)
言葉少なで、たまに悪態をつかれるが、これまでの行動を見ると紳士的な人物だと判断できた。
街で粗野な人間を幾人も見かけたが、それに比べれば、かなり丁寧な振る舞いをしているとわかる。今も狩りをすると言ったら、率先して鳥を射落とし、その後の処理も手伝ってくれている。
(変わった人だけれど、シギ様のお弟子様なだけあって、凄い方であるのは違いないわ)
血抜きは、ミレイスの魔法を持ってすれば容易にできる。これはズヤウにも真似できまいと、張り切って行う。
血は水。
生き物は水を多く含むのだから、それを操作すれば容易く抜くことも出来る。
生きている物には恐ろしくて出来ないというよりも、ミレイスの現在の習熟具合では難しいが、動かない物となった場合は別だ。指先一つで落とした頭や傷から血をとって、地面に分解して落としていく。
「器用だな」
「えっ、あっ、私の唯一の取り柄ですから」
唐突に褒められて、驚いてしまった。
ぽつりと呟いたズヤウは、へえ、とも、ふうん、とも聞こえる相槌を打つ。
「終わったか?」
しばらくして、処理が終わると静かに聞かれる。うなずけば、血抜きが終わった肉の塊が浮く。ズヤウの魔法だろうか。
ぱちぱちと目を瞬かせてズヤウを見れば、少しの沈黙の後に口が開いた。
「ぼやっとするな。帰るぞ」
さっさと立ち上がってきびすを返す。それにつられて肉の塊も動いていく。
「あ、はいっ」
返事をしてミレイスも小走りになって帰路についた。