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神様の手先の手先  作者: わやこな
冬のひしめき
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十三話


「貞操は無事ですか!?」


 息を切らしたカイハンが現れたのだ。鳥の頭のまま、くるくると空中を転がり込んできたカイハンは部屋の中央あたりでピタリと止まる。

 部屋床にしゃがみこみ、なんとも言えない呻きを上げるズヤウと、おろおろとそれを見るミレイスを目にとめた。


「とりあえず、一線は越えてないようで安心しました。鋼の理性を持っていてよかったです」

「……うるさい、クソ鳥。来るならもっと早く来い」

「理不尽すぎやしませんか。これでも早く来ましたよ。元はどこかの誰かさんが頭に血を昇らせて、宝物をしまい込もうとするどこかの御仁みたいな真似するから」

「やめろ。今、本当に、後悔したからやめろ」


 呆れた風に言い返したカイハンは、戸惑うミレイスの前にやってくると鳥の顔でも人間のように表情が変わり、安心したように目を和らげた。


「見たところは大丈夫そうですね、ミレイス嬢。嫌なことや怖いことはなかったですか?」

「カイハンこそ。私のほうは大丈夫よ。ズヤウに嫌なことはされていないわ」


 ミレイスが答えれば、床のあたりからむせた声が上がる。カイハンがシラッとそちらを目線のみで見下ろす。


「おや。へえ、まあ、いいですけどね。で、娼館の件ですけど」

「おい、待て。僕は認めてなんか」

「誰がミレイス嬢を娼館に入れると言いましたか。ほんっとうに頭に血が昇ってましたね、お前って奴は」


 カイハンの言葉に、腕をどかせて顔を上げたズヤウが黙った。


「まあ、評判の美しい娘を下見に来させると噂したうえで、行ってはもらいますが」

「カイハンっ」

「そこまで心配なら付き添いなさい。夫婦で楽しむ輩も世間にはいますし、珍しくもないのですから」

「……僕は」

「ズヤウ、無理に付いてこいとは言っていませんよ。私は一緒に行きますけど」


 むっつりと黙ったズヤウは、重そうに腰を上げた。それからミレイスを見て、また顔を逸らした。


「すこし考える。時間はまだあるだろ。待ってくれ」

「はいはい。頭を冷やしておいでなさい」


 まるで保護者のようにカイハンが言うと、のろのろとズヤウは部屋から出て行った。


「ズヤウ、外に行くのなら、これ。この首巻きを」

「いい。お前にやる」


 暖かな毛織物に触れて言えば、振り向かずに返された。

 パタンと部屋の扉が閉じるまで見送り、カイハンはパッと雰囲気を明るく変えた。


「さて、久しぶりに西の御方の仮宿に戻ってきたことですし、気分転換に衣装でも見ましょうか! どのみち、衣服を選ばねばなりませんからね。ちょうど良いのがなければ、殿下方に頼んでおかないといけません。さあ、ミレイス嬢、こちらへ」

「カイハン、ズヤウは」

「今はそっとしてあげてください。なに、着替えを選んでいる間に、すぐ戻ってきますよ」


 そう言ってミレイスの背を優しい風で促した。もう一度ズヤウが去って行った部屋の扉を見るが、戻ってきているはずもない。ミレイスは言われるがまま、部屋の中の衣装棚へと向かうことにした。




***





 重たい足取りで部屋の外に出て、居間のソファに腰を下ろす。ふかふかとした柔らかな感覚が、また先ほど居たところを想起させて、落ち着かない。

 結局また立ち上がり、ズヤウは先ほど出た部屋を一瞥してから転移した。

 そのまま目立たないように魔法を使って向かったのは、教会跡地だ。

 昔もこうして考えごとやむしゃくしゃしたことがあると廃教会を訪れて、気持ちを落ち着けようとしていた。あのときはカイハンもたまに一緒に訪れては遊んでいたものだ。

 カイハンとズヤウがほんの幼い子どもの時分のころの話である。以降はあまり良い記憶がない。ただでさえ気が落ち着かないのに、余計なことまで思い返したくはない。

 また息を吐いて、硬い木製椅子に腰掛ける。

 今にも降り出しそうな雪空だ。外気に晒されたこの場所は冷え冷えとしているが、それでよかった。おかげで、火照った熱も冷ましてくれる。


(……つい、衝動で動くとは)


 何かの魔法や呪いにかかったのではないか。

 そう思えたが、そんな気配は微塵もない。自身の状態を確認する度に、しでかした愚かな行動を確認してしまって自己嫌悪が起こる。


(あんなことを、する、つもりはなかった。なかったのに)


 娼館という言葉は、ズヤウにとっての嫌な記憶を想起するものの一つだった。

 馬鹿げた惨憺たる実験や尽きない権力欲からの闘争も嫌いだが、欲を孕んで触れてくる輩も嫌いだ。

 ズヤウの人として生きてきた中で触れてきた人間は、概ねそのどれかに振り分けられる者たちばかりだった。そうでない者たちは目の前からことごとくいなくなった。だから、人間が嫌いだと、公言している。それはカイハンも知っている。

 だというのに、自分はどうした。


(ミレイス。あいつが、あんなところに行くなんて言うから)


 違う。そうではない。

 思いながらすぐに否定する。それは矛先をずらして、ミレイスを非難して楽になりたいだけの呟きだ。


(だから、欲は恐ろしいと教えてやろうと……なのに)


 そう、最初はそのつもりだった。すぐに離れるつもりだった。

 思った以上に軽い体だとは、何度か抱え上げたり運んだりしているから知っていた。だが、あれほど簡単に覆い被さって押さえ込めるなんて思ってもいなかった。

 ぼんやりしているとは常々思っていたが、危機的状況だというのを理解していなかったのかもしれない。そうであってほしいと願いたい。

 押し倒されたミレイスは、驚きはしたが、嫌悪も何も抱かずこちらを真っ直ぐ見た。その瞳に、ズヤウは怯んでしまった。好意の色が見えた。余計な言葉を吐かれるのが怖くて、それならば、いっそのこととしでかした。

 目を逸らしている。本当は分かっていることから。自覚したくないとばかりに逃げている。だが、もうそれも隠しきれないところまで、いつのまにかきてしまった。


(なんで、そんな相手を好意的にみれるんだ。あの馬鹿は)


 襲われたというのに、嬉しいという頓珍漢な言葉を与えられて我に返った。

 それまで、十分過ぎるほど、長く熱を分け合うみたいに口づけていた事実に愕然とした。

 触れただけなら、一瞬だけなら、誤魔化せたのに。

 あんなに長くすれば、ズヤウの中の奥底で蓋を閉めて押しつけているものが、溢れてしまいそうだった。教えるつもりが、まざまざと自分に答えを返されたのだ。


「なんなんだ」


 思わず声に出して言って、息を吐く。まだ熱い。

 いつからなんてわからない。わからないことが、また頭を混乱させていく。

 思い返す度に、勝手に記憶を彩っていく色が離れない。ミレイスの目の色だけは、シギの魔法でも変えていない部分だ。青く、どこまでも澄んだ水の底を映した静かな色。

 あの目に、自分はどう映っていたのだろう。

 滑稽な男か、乱暴な男か、それとも。


(次は、隠してしまいそうだ)


 浮ついた本能のままに、そうすることを選ぶかもしれない。

 カイハンが言ったとおりに、大事に宝物をしまうように奥深くに隠すのだ。それで安心を得られると囁く自分と、どうしてそう思うのだと嘆く自分がいる。

 目を離せない保護すべき対象だと思ってから、何がどうなって、こうも転げ落ちたのだ。

(目を隠していてよかった。逃げられないようにしていたなら、どうしていたのだろう)

 言わない言葉も隠す感情も、全部目から読み取られてしまっただろうか。もしそうだったとしたら、本当に隠していて良かったと思う。

 シギ謹製の特殊な布は、こちらの表情をわかりにくくさせてくれるのにも役立ってくれた。


(……この布、シギ様がくれたやつ、だったか?)


 思い出したように、周囲を探る。人の気配はない。もちろん魔物も。そのかわりに、嫌な予感がして目元に触れてみた。

 途端、声がした。艶やかな男の声だ。


「――やあ、ズヤウ。お取り込み中だったから、喋るのを我慢してあげた私は優しいと思わないかい?」

「……シギ、様」


 やはり。当たってほしくはなかった。そう思いながら、ズヤウはうなだれる。


(くそ。頭に血が昇っていたのは本当だ。あの格好のまま、僕は……馬鹿は僕だ)


「微弱ながら気が昂ぶった同輩の気配がすると思えば、久しぶりにお前が怒っているから興味が湧いてね。お前が付けている私の道具を縁にして覗きに来たよ。いや、無理を通して良かった。アセンシャに良い話の土産ができそうだ」

「いつからです」

「見ようと思えば、私は過去も見られるというのに。随分と混乱をしているようだ。はは、珍しい。これは面白い」


 罵倒が飛び出ないように無心になる。だが、羞恥は襲って顔が熱い。


「最近つまらないズヤウも面白い人の子だったということが確認できた、楽しいひとときだった。暇つぶしにもなったから、また見せておくれ」

「いやです」

「ははは。ああ、そうそう、お礼代わりにお前のやる気が出る話をしてあげよう」


 上機嫌だ。執政官の宝物庫から、シギの道具を真似たという杯の魔道具を献上したときに及ぶほど声音は弾んでいる。

 それが自分が提供した光景でなかったら、もっとよかった。


(……絶対ろくでもないことだ)


 そして、三桁を超える年数をシギのもとで使い走りなどさせられれもすれば、シギの言葉もなんとなくいいものと悪いものが予想もつき始める。大抵は面倒事と片割れ自慢と宝自慢である。


「今の私は機嫌が良いから奮発してあげようね。マネエシヤ様が、何度も星の魔素循環を邪魔する行動に出るならと部分的に防除なさるつもりらしいので、どうこうするなら早めに行動しなさい。私たちは地上が気に入っているから、夏頃からマネエシヤ様の気を逸らしてはいるが、最近は特に目がついてしまわれるようだ。逃げるならば、南の離れ小島に私の飛び地があるから、そちらを使ってもかまわないよ」

「防除、とは」

「その場にある邪魔な生命や物を排除して、作り直されることだ。マネエシヤ様にとって大事なのは星の管理だからね。鉢植えのお世話みたいなものさ。悪い部分はすぐ排除しようとなされるので困ったものだよ。では、私はこれで。次は顔を見せておくれ。これでも私は、弟子思いなのだから」


 そう言ったきり、シギの声は途絶えた。

 言うだけ言って、すぐに去ってしまうあたりが、本当に人の心をもてあそぶ邪神まがいだといつもズヤウは思えてならない。本人に言わせれば、自分は神というほどでもない。神の使いっ走り、その手先のようなものだと笑って言うだろう。

 再び戻ってきた静寂に、治まりつつある羞恥とはよそに、降りかかる厄介ごとに頭が痛くなった。




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